四章(急)・23



「私はな。知っているんだ。理解しているんだよ、全部。我が創造神、ハルタレヴァの悲哀を。その狂おしき怒りを、何に背を向けてでも果たすと誓った願いを」


 復讐。

 追悼。

 愛情。

 絶望。

 何度、聞かされたかわからない。


 あの女神の元へ送り込まれ、獅子身中の虫として活動していた三百年間。

 報告の度に。

 僅かの時間でもあれば。

 天使は、その物語を語られた。


 彼女より前にいた者たちの話を。滅ぼされた世界が、どれほどに美しく、どれほどに素晴らしいものだったのかを。


 それは、望郷のように。

 それは、追想のように。

 そして、呪いを吐くように。

 ハルタレヴァは繰り返した。


 彼らを。

 決して、真に葬りさせはしないと。


「――ああ。確かに、さ。あのお方は、狂っておられた。創造神ハルタレヴァは――狂いでもしなければやっていけなかったほどの苦しみを抱えさせられた、被害者だ」


 自分が。

 自分が、だから。

 この人の力にならねば、と思ったのだ。


「人の願いは、神によって叶えられるが相場だろう? なら――神の願いは、もう。誰かが叶えてくれるのを、祈って待つわけにはいかないじゃあないか」


 仕えた。

 だから、果たした。

 自分が、何をしているのか。何に加担しているのか、わかっていながら。


 純真無垢で。

 生まれたばかりで。

 何も知らない創造神を――【誰かの都合】に、頭から爪先まで浸りきった、滑稽な人形を。


「まったく、楽な仕事だったよ。簡単で、手が掛からず、ちょろすぎてならなかった。あれは自分を、結局、一度も、最後の最後まで、かすかにだって疑いもしなかった」


 それが。

 それが、あんまりも、手応えが無さ過ぎるものだから。

 聞いていた話と。

 惨酷にして横暴なる、葬世神アンゴルモアと――違い過ぎるものだから。


「――――ああ。だからと、いって」


 なんで、自分は。

 あの女神はもう、罪を受けるべき存在ではないと、思ってしまったんだろう?


「……天使、さん」

「……ちくしょう。ふざけるなよ。自分は、おまえを、騙してたんだぞ。それなのに、それなのに、なんで――」


 なんで。

 なんで、

 あの時、

 最後に。


 異世界ハルタレヴァに連れ込まれ。

 騙されていたことを知り。

 自分がこれから何をされるのかを、どうやっても抗えない状況に陥れられていたと、理解して。

 それなのに。


「…………『天使をしあわせにしてくださいね』なんて。そんなことを言いやがったんだよ」

 

 その顔を。

 ぐしゃぐしゃに歪めて。

 相反する感情の奔流に、彼女の心は裂かれていた。

 ぽろぽろと。

 涙を、流していた。


「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう! 何なんだよこれは、ふざけるなッ! 自分は天使だ、神に仕えるモノなんだ! それがどうして――創った神と、愛してくれた神の、どちらが自分の主かなんて、悩まなけりゃあならないんだッ!!!!」


「あら。それはとても簡単な質問ね、天使」


 それは。

 何気なく、散歩でもしているように。

 そこにいるのが、あたりまえのように、いた。


「は、」

「迷うことなどないわ。ええ、教えてあげる。とてもとても簡単な悩み。とてもとても簡単な答え」

「ハルタレヴァ、様、」

「被造物風情が、信仰する神を選ぼうなどと思った時点で。貴女はもう、どちらの神からも、加護を得られることは無い」

「…………っ、!」

「さあ、」


 やりなさい。

 わたしの極寒、わたしの灼熱。

 わたしの、愛しき、葬世神。


「ここにあるのは、もう、いらないわ。ゴミはきれいにさっぱりと。暇潰しも、終わりにしてしまいましょう」

「はい。我が神、ハルタレヴァ」


 極まった無機質。

 声に遅れて、理不尽が来る。

 過ぎたりし力が振るわれる。

 制御を外れた数多の願いで埋め尽くされた【第三層】、【満願の園】――大創造神の力で満ちた世界を。


 それは。

 彼女は。 

 地の果てまでも、一つの動作で、破壊した。

 手に持った【杖】で、地面を打つ。

 それだけで。

 視界に入るもの全てが、バラバラに砕け散った。

 

 濫立する建築物が。

 侵食する動植物が。

 箍を失った増殖が

 縁を忘れた法則が。

 そして、


 天使と。

 彼女が創ったのぞんだ、【笑顔の女神】が。


 田中は、しかし、それに構っている余裕すらない。

 落ちていく。

 地面さえ失われた。世界は何処までも、果ての無い闇だった。


 底も見えない、そんなものがあるかもわからない、深い、深い、ひたすらの無の中へと、落ち続ける。

 ――――その中で。


『彼女を、頼む』


 そんな声が、聞こえた気がした。

 聞こえた気がして。

 田中は――鏡と一緒に拾い上げていた、一枚の、【天使の羽】を、握り締めた。

 瞬間。

 その身体は異世界間渡航の光に包まれ、無限に続く闇の中から、消えていった。


 別の場所へと。

 進むべきところへと、運ばれた。


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