四章(急)・06



 雨の日みたいに、静かになった。


 切り伏せて切り伏せて切り伏せて五千。雲霞の如く押し寄せる民衆、神の加護を受けた連中を、田中は、一振りの剣で迎撃した。


 荒唐無稽の達成、それを終えて尚息のひとつもあがっていない出鱈目さは、何もかも道具あってこそ。

【歪曲矯正】の能力に付随する、馬鹿馬鹿しいほどの数値上昇。


 眼が冴える。

 手足が軽い。

 剣を自らの魂から引き抜いた瞬間、肉体を支配する法則が根底から書き変えられ、あらゆる感覚が研ぎ澄まされた。


 神剣グヤンキュレイオン。

 人を、【世界を滅ぼすもの】と戦える存在にする為の武器。

 デバッグ・ツールであり、アッパー・パッチ。


「……成程、ね」

 

 視界を埋め尽くす、昏倒した人々。

 同じ【貸し出された神の力】を用いながら、その大小、責任と同じ分量の権利の差が明暗を分けた。


 いつか、松衣幽霊城前で聞いた言葉を思い出す。

 これは、劇薬だ。人を、その在り方を破綻させかねない、強大な力で、権能だ。


 危ういにも程がある。

 手に余らないわけがない。

 使っているからこそ、実感するし、恐ろしい。


 ――果たして。

 この力を以て、許されし用途を終えた後。

 自分は本当に、一度体感してしまった、本来分不相応だからこそこの上なく甘き全能感を、素直に返却することが出来るだろうか。

 神が創った、神さえ倒せる、逆転の術を。


「ま、決まってるよな」


 悩んだ時間は、一秒未満。


「神様云々より先に、だ。――人として、借りたものは、返さないと」


 熱いものが込み上げる。

 それは、ある青年への、感心と敬意。


 そうだ。

 田中を信じ、田中の為に、この剣を貸してくれた彼は。

 ただ生き方を楽にする為に、都合のいい神の力へ頼りはしなかった。


 自らの手で夢を選び。

 自らの足で旅に出た。


 ――――昨夜。

 神剣の所有権を移動する為の儀礼の中で、グヤンヴィレド・ベル・オウルは語っていた。

 


『僕にとって神様というのは、【見ていてくれるもの】だと思っています。グヤンドランガの方々は、ただでさえ放任主義でしたから。そのおかげで誰もがたくましく育ち、時折齎される試練にも、自分たちだけで立ち向かう強さを持つ。避け得なかった悲劇も、涙の後でまた立ち上がる』


『苦しくても、助けてはくれない。幸福も、苦悩も、平等に授け、時に理不尽に、残酷に、【あるがまま】を崩さない。それを、情に欠けるという方々も、ええ、少なくはないですね。けれど、僕なんかはこのようにも思うんです』


『【世界の全てを愛しながら、その全てを助けられない、望み通りの幸せを与えられない神様も、本当はどれだけお辛いのだろう】と』


『神様は、全能じゃない。各々が、自分らしさを持つ。心を持つ。どんなに大きな力を持っていても、持っているからこそ、取りこぼしてしまうことに、取りこぼさなければならなかったものに悼むのだ、と。実際に、神々の事を、推測ではなく事実として知れる世暦の今だからこそ、そんなことを考えずにはいられなかったんです』


『神様は、人間を救わない。個別に、願いを叶えない。だけど、いつでも、見守っておられる――苦難を、試練を授けている時でさえ、【幸あれ】と想われている』


『だから、はは、みっともない話なんですけれど。だからこそどんな時でも、格好つけていようと、間違いでないほうを選ぼうと、そういう気持ちに、なれるんだ』


『そりゃあ私も、生まれや育ちに色々と、大変なことはありましたけれど』


『その全てを、神様のせいにしてしまうには――取り戻せない喪失だと決め付けてしまうには。あまりにも、人間の責任を、人間が願いを選べるということを、自分自身で侮り過ぎだと思いませんか?』


 彼が、異世界グヤンドランガに於いて、最強の人間だと言われた所以を、その時こそ田中は知ったと思う。


 神を敬うと同時に、それに比べれば余りに儚い人間の脆弱さを理解しながら。

 しかし、決してそれを卑下することはない。


 希望と、情熱。

 尊厳と、矜持。


 グヤンヴィレド・ベル・オウル――彼こそは正に、グヤンドランガという世界の体現であり、象徴たる姿勢スタンスのひとつ。


 そんな彼に、託されたのだ。

 未来ある若者の、どのように成長するか楽しみでならない相手の、真正面からの信用を裏切るなど。

 それこそ――見守っている神様を、落胆させるみたいに恥ずかしい。


「……まったく。彼ほど、自分自身の凄さに無自覚な人間は見たことないな」

[あら。他人事のように仰いますが、あなたも相当なものだと思いますよ、田中さん]


 突然の声に眉を寄せる。

 今、田中はイヤホンに類するようなものをまるでつけていないが、その声は、そういった聞こえ方をした。


[まあ、あなたも彼も、そこがいいところではあるのですが。謙虚というのは程がよければ美徳です。過ぎたればもどかしく、『あーこっちからやっちまわないと手ぇ出してこないなー』となるので、女子的に考えて結構複雑なところではあるのですが。つまり要するに、草ばっか食べてないでたまには思い切って目の前の肉に食らいつけ、ということですね]

「……あのさ、」


 小さく、溜息。


「通信の最初がそれってどうかと思うよ、ネフ……工藤さん」

[なんと。小粋でオトクなアドバイスをそれ扱いとは、タフになりましたね田中さん]


 聞こえてくる声の先は、異世界の、地球の、守月草異世界転生課の、通信室だ。

 これも、【異世界通信士甲種技能免許】を持つネフティナ――工藤ならではの離れ業。通常の電波と機器を用いたものではなく、対象の精神そのものに直接意識を繋ぐ念話は、発信側の集中と経験、精神面メンタルに依存する部分の大きい難易度の非常に高い技能である。


 通常、互いが決められた所定の場所に待機し、大掛かりな念波増幅設備の中に入って行われる人間同士の異世界通信で、受信側が決められた位置におらず(即ち瞬間毎の緻密で正確な超遠方の座標演算を要し)、設備での補助も受けず(つまりマイク無しで広いドームの隅々にまで声を届かせるようなもの)、まるで普通に電話をしているような感覚の軽口を成立させるなど、地球で同じことが出来る相手は五指に足りない。


 敏腕異世界コンサルタント、工藤。

 つくづく、再就職先に困らない女。

 

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