四章(破)・04
他の異世界にも広く知られる、地球の一大オープンワールド。これほどに多種多様の神々が一箇所に集う機会は珍しく、故にこそ思いも寄らぬ事態が発生することが常に懸念されている。
人の身には想像し辛い感覚であるが、多くの神が、広く、遠く、物事を見通す力を持つ。それは生物としての器官に依らない、物理的概念と方法を異にする超自然の感知能力だ。
しかし、元来優れているその眼も、神々が密集している、という状況が仇になった。
超感覚同士の競合、衝突、影響、干渉。さながら、込み合い過ぎた電波状況が互いの通信を阻害するように、一時、雲州出雲国に、神の把握が届かない場所が、何箇所か生まれてしまった。
その対処の最中のことだ。
出雲国の外れ、林の中の道祖神。
苔生した石像の傍らに置き去られた赤子を、出雲国異世界転生課職員、田中浩幸が発見したのは。
“――――穏やかじゃないですねえ、どうも”
彼はその、乱暴に布に包まれただけの赤子を抱えて取って返すと、すぐに然るべき行動に移った。
保護者探しだ。
よもや木の股から生まれたわけでもない。赤子がいるからには必ずそれを産んだ親があり、事もあろうに、無数の神が集まり騒ぐ神迎神楽祭真っ最中の出雲国で言語道断の大胆に及んだ馬鹿がいる。
その為にまず行われたのは、赤子の【鑑定】である。
世暦が始まって以降の法律として、あらゆる人間には【祝福依頼】が義務付けられている。
出生届を役所に提出すると同時に、生まれた子は、当該地区担当の神による【祝福】と、【捺印】がその魂に与えられる。
魂への【捺印】は、新しき子が【何処の世界で産まれた存在か】【誰がその親なのか】等、いくつかの重要な情報を決して消えない場所に記す作業だ。
これから、自らの人生を過ごし、育ち、何処かへと旅立とうとも。
決して、己が何者か見失わぬように。
故郷へ、最後には帰りつけるように。
言わば、生涯書き換えられることの無い【世界籍】――その為の印を、異世界転生課では【原点世界存在査証】と呼称する。
そして、
田中浩幸が見つけた赤子には、それが無かった。
どこまでも、魂は“まっさら”のままだった。
それだけでもう、十分過ぎるほどに、赤子が親にどのように扱われていたのかがわかる。
何より最初に行われねばならない【捺印】すらされていないということは、出生届がマトモに出されたかどうかも怪しい。
【神迎神楽祭赤子遺棄事件】は、結局異世界転生課の預かりを越えた騒ぎに発展することになった。
情報の聞き込みが、人・神の区別無く行われ、大勢の捜査員が導入され、赤子の人種やDNAを調べても、それでも結局、肝心なことは何一つ特定出来ない。
世暦、即ち多くの人間が数多の世界に渡る時代に於いて、たとえばその中に【日本人の特徴】を確認出来たとしても、それが【地球で育った日本人の血が入っているからなのか】【それともどこか別の世界に生きる日本人の子孫なのか】の判別も極めて困難であり、即ち捜査当局は、無念ながらもある事実を認めざるを得なかった。
神迎神楽祭に置き去りにされていた子供は、何処の世界を故郷とする、誰の子供かは、現時点では判明出来ない。
そんな【異世界の迷子】の今後について、一時無数の世界の様々なメディアから大きな注目が集まったが、それも、その年が明けるまでには徐々に沈静化していった。
赤子を最初に見つけた異世界転生課職員、田中浩幸が身元を引き取り、養子とする法的手続を終え、無責任な好奇の目線から遠ざけるように育て始めたからだ。
“――――だって、ねえ。また【最初に会った大人】にそっぽを向かれたんじゃあ、そりゃあこの子があんまりに不憫じゃあありませんか”
浩幸は、静かな環境を子に与える為、故郷である守月草異世界転生課への転属願を届け出た。彼の上司と、そして何よりその上司たる神は、彼の決断を尊重し、特例を許した。
そうして浩幸と、その妻と、引き取られた子供は三人、守月草の一軒家で暮らし始める。
素性こそ、何年経とうと相変わらず知れなかった。
けれど、その子は両親の愛を一身に受け、すくすくと育っていった。
普通に喜び、普通に怒り、普通に悲しみ、普通に笑う。
その平凡さこそ望ましかった。
何処から来たのかわからなくとも。
此処で生きていくことは出来るのだと。
それを浩幸は、異邦の子供に、言葉以上の体験として、実感として伝えたかった。
空の色を眺めて。
地を踏み締め歩き。
人と交わり己を知る。
培われるもの。
育まれるもの。
築き上げていく、他の誰のものでもない、たったひとつの記憶。
思い出。
心。
価値。
そこに、
唐突に、
陰が差した。
現在、それはこのような名前で記録されている。
【守月草神隠し事件】。
六歳の秋。
その日、少年は下校した小学校から、帰っては来なかった。
浩幸が無断で業務を欠勤したのは、それが最初で最後だ。
次の日も。
次の日も。
その次の日も。
次の日も。
少年は、家に戻らなかった。
捜査に当たった警察官は、少年の足取りと、目撃証言と、周辺の状況と、容疑者と、事件に関わる要素を調べ尽くした。
何一つ、明らかにはならなかった。
ぷっつりと途切れる。
忽然と消える。
少年は小学校の校門をくぐり、友人と「また明日」の挨拶を交わし、散髪屋の角を曲がり川沿いの道を進み始めたあたりを最後に足取りを掴めなくなる。
事故の線も疑われ、その位置から川の下流も調べられた。その調査には、独自に田中浩幸他彼が声を掛けた知り合いの多くも参加したが、結局、持ち物の一つも見つかりはしなかった。
ついには、異世界転生課としての人脈、否、神脈までも動員し、浩幸は神にまで捜索を依頼した。……この違反行為が発覚したことで、彼は厳罰と降格処分を受ける。
それでも、少年は見つからなかった。
六年越しに騒ぎ立てるワイドショー。飛び交う無責任な憶測。彼は元の世界に返ったのではないか、現れる時も突然なら消える時が突然でも何の不思議も無い、それらの物言いに、どれだけ浩幸が、その妻が、悲しみ、苦しみ、傷付けられたかわからない。
そんな狂騒もまた、無責任に去っていく。目新しくもない、何の進展も見せない、最早興味も引けなくなった錆まみれの悲報になど何の商品価値も無いとばかりに、口頭にさえ上がらなくなっていく。当事者たちを置き去りに、観客は次の話題を求めて流れる。
浩幸は踏み止まった。
連日、連夜、足を棒にして、何処かへ行ってしまった我が子を探し続けた。彼にはそうしなければならない、いくつもの理由があったから。
成果は上がらない。
指を差し笑われた。
諦めろと声がする。
臍を噛む夜が募る。
そうして、また、秋が来た。
その夜、客人が訪れた。
“――――田中浩幸さんですね”
黒尽くめの女はそう問うた。
“――――異世界公安、ネフティナ・クドゥリアスと申します”
どういった御用でしょうか、と、何の予期もしない、物騒な客に尋ねる。
彼女は言った。
その後ろにいた者を示した。
“息子さんを、お連れしました”
その時の感情を、田中浩幸は今になっても言葉に出来ない。
やつれきった身体。
異様な光を放つ瞳。
ただいま、と話す声は、あまりに酷く擦れていて、
“とうさ、ん。おかあ、さん、は”
その事実こそ、惨たらしかった。
妻は。
二月前に、心労からこの世を去った。
少年が帰りたいと望んだ場所は、もう二度と、彼を迎えることは無い。
それを知った瞬間の顔を、やはり、浩幸は忘れない。
首を傾げて。
唇を裂いて。
仏壇を前に、
少年は笑う。
“――――どうして。かみさまは、ぼくに、こんなことをするんだろう”
それは、剥き出しにされた心の底から発された、あまりにも深く、そして濃い、疑問という名の呪いだった。
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