三章・09



「そうか。いや、ありがとう。これ、少ないけれど謝礼と思って」


 茶屋の主人に、会計とは別の封筒を渡して店を出る。

 立ち寄った店・場所・目撃地点はとうに二桁を越え、情報はそれなりに集まった。が、肝心の部分については未だ空白のままだ。


 原因。

 方法。

 容疑者。

 誰が、どのようにして、何の為に。

 それらがまるで、見えてこない。


 重苦しい気分で溜息が出る。調べれば調べるほど、【本当に無関係なのではないか】という思いと、【手の付けようの無い完全犯罪】という単語が頭の中で渦を巻く。


 道端にある観光客用の東屋に腰を下ろし、午前から歩き尽くめの足と、茹だりかかりの思考を休めた。

 時計の針はとうに、頂点を過ぎている。


 ――世歴時代。

 移住先の異世界に於ける【その世界に存在しない力】の発動は、原則禁止されている。

 これは、それぞれの世界の独自性、文明・文化、本来存在していた【世界概念】を歪めず、個別性を尊重し多様性を保持する為、神々が取り決めた制限だ。


『郷に入らば郷に従え』――もっと率直に言うならば、【外来種が元々あった場の環境を面影無く塗り替えてしまうのを防ぐ為】……というのも、身も蓋も無い話だが。


 たとえば。

 この世界、地球には現在、多くの世界で見られる”物理とは異なる法則に基づく超自然的技術体系”――大別して呼称されるところの【魔法】は、存在しない。どれだけ便利で革新的なものであろうとも、持ち込むことも使うことも認められない。


 それは地球とそこに住む命が本来辿ろうとしていた道筋を不適切に曲げない為の確固たる決断であるとも言えるが、しかし、そのもっともっとどうしようもない事情を田中は知っている。異世界転生課職員たなかだから、知っている。

 簡単な話だ。


 地球で魔法が使えたら。

 魔法が使える世界への、転生理由が無くなってしまう。


 面白いことに。

 世界の文明・文化・法則・理・現象にも、【著作権】めいたものが存在する。

【異世界和親条約】締結後に生まれた概念らしいそれを巡り、時に創造神同士が神々を裁く法廷で喧々諤々の会議を繰り広げることもある。

 どれほど素晴らしいものにだろうと、【功罪】は付き纏う――多くの神に、人に、新たなる可能性の地平を開き救った異世界和親条約だろうと、例外ではない。


 人気の争奪戦。

 限られたシェアを引っ張り合うゼロサムゲーム。

 人々を解き放つ世暦の時代、神々に許可された異世界転生は、決して切り離せない表裏として、そうした側面を持っている。


 その【面】が、生むものとは何か。

 それは、【窮屈さ】に他ならない。


 つい今まで当然のように使っていたものが使えなくこと、咎められなかった習慣が突如、やってはいけないものしてはいけないこととして強いられるのは、多大なストレスを本人に与える。たとえ、誰に強制されたわけでもない、自身で納得尽くの転生だったとしても、無意識の内にその心には我慢が積み重なっていく。


 我慢とは。

 限度があるからこその、我慢である。

 限界と。

 爆発の危険が、そこにはいつだって伴っている。


 ――――では。

 その認識を基点として、今回の事件――【松衣の幽霊城】を眺めると、どうなるだろう。


「…………誰が。どのようにして。何の為に」


 田中は目を閉じ、首を逸らして、思考の中に埋没する。 

 存在しないはずの超常。

 発生してはならない現象。

 消える子供。

 静かなる異変。


 松衣でしか見られない理由は何だ。

 外に出て行きもしない。他所で確認されてはいない。


 松衣異世界転生課の資料は隅々まで読み込んだ。二ヶ月前が皮切りになった原因を探した。新規転生者。外部からの移住者。洗い出して検索。経歴と能力を確認。素行はどうだったか。前の世界ではどのように振舞っていたか。現在で何回目の転生か。ここを出た後、他に移れる場所はあるか。思想。傾向。性癖。趣味。状況。逼迫。欲求。理由。警察の協力は期待出来ない。命令系統も組織基盤もまるで違う。手を組めるだけの条件がまだ何一つ満ちていない。容疑者はどうやら相当狡猾だ。その線を見極めて動いている。この果てにあるのは何だ。いつまで続く。どこまで進む。どうして幽霊城はある。


 子供を浚って、何がどうなる?

 一体何を、企んでいる?


 脳裏に、幻影。

 連れ去られ、泣き叫び、いつしかその気力すら尽きる屍の貌。


 倒れ伏した子供を、

 その耳元で、

 囁き続ける擦れた声声が、

 ひたすら、

 ひたすらに、

 ひたすらにひたすらにひたすらにひたすらに―――― 


“――――に、なれ”


「何が、【特別】だ」


 それは。

 彼がまったく、口にしようと意図していない意識の飛沫。

 目まぐるしく組み変わる思考が洪水となったが故に浮かび上がった、本来その水底に埋まったままのはずの言葉だった。


「【それが出来る】ってことが。【それをしてもいい】という理由になるとでも、ぬかすのか?」

「何ブツブツ言ってんの?」


 目覚ましのアラームに似る。

 夢の中から急激に、引き剥がされるような刺激。

 視界が戻った瞬間、状況が雪崩れ込んで来た。


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