二章・16



 一歩、二歩、三歩。

 四歩、五歩、六歩。


 見張りの兵に敬礼を受けながら城門を抜け、ようやくその敷地内から出たのだと言えるほどの距離が開いて。

 女神は、それまで詰まっていたものをすべて出すように勢い良く息を吐いた。


 無理もない。

 寝付けず緊張に負け夜中にこっそりと抜け出していた田中と違って、彼女は昨日の夜から数えて今、ようやく圧迫された状況から解放されたのだ。


「うぅ。ほ、ほんとに大変でした。やっぱり私、ああいうかしこまる場って、どうにも苦手みたいです……」


 返す返すも、まったく神様の、それも世界を創る創造神の台詞ではない。いつか彼女が自分の世界を創りだし、そこに人が溢れれば、自ずとその偉業を讃え感謝を捧げる施設なども創られるだろうし、数々の神事だって行われることになるだろうに。


 その光景を想像すると、どうにもおかしくてたまらない。

 ちぐはぐなイメージではあるが、たとえば櫓。祭壇。神社の境内。人が集まり組まれた場の中心に、彼女がいる。周囲の人々が彼女に感謝を伝えると、とうの本神ほんしんは、どうにもいたたまれなくなって見えないように見ないように縮こまるのだ。


「……む。田中さん、何かへんなこと考えてません?」

「え。そ、そんなふうに見えます?」

「わかりません。ただ、……始めて見ましたから。田中さんの、そういう顔」

「失礼しました。参ったな、自分では、普段通りのつもりなのですが……不愉快に思われたのならば、申し訳ございません」


 怒ったり。

 でなければ、『気をつけてくださいね』と、そういうふうに言われると思っていた。公務員に限らず、依頼神クライアントに対して礼を欠いていい道理も、馴れ馴れしく距離を詰め過ぎていい理由も無い。田中は叱責を覚悟する。


 だというのに。

 女神は何故か、


「そうですか」


 と、上機嫌そうに言うのだ。 


「それってつまり。私に。田中さんが。“普段通り”を見せてくれた、って。そう思っていいんですよね?」

「……見せてしまった、というのが正確なのですけれど。あの、これからは気を引き締めて注意しますので、」

「いえ。へいきです、大丈夫です、むしろ逆に行きましょう」

「え、」

「もうちょっと、ゆるめちゃってもいいですよ。だって私たち――一緒の目的を追う、ぱ、相棒パートナー、っだ、っぜ!?」


 やたらにフランクな口調とポーズ。

 そちらはともかく、事実だけを見ればまあ、そういう言い方も出来なくはない。


「だ、だ、だから、ですね」

「はい」

「田中さんも――たとえば、普段みたいに、私の前では、その! 自分のこと、“僕”って言ってもいいんですよ!?」

「いえ、それは出来ません」

「即ッ! 答ッ! を! なさいましたね考えもしませんでしたね今ッ!」


 それはそうだ。

 繰り返すが、適切な節度と距離感は維持されねばならない。

 ならない、

 が。


「う、う、うぅぅぅっく…………」


 優先すべきは和と穏便と納得というのもまた事実。

 つまらないところでがっかりを残しても全くしょうがない。意地には相応しい張り所というものがある。


 溜息。

 は、心の中だけで吐く。


「わかりました」

「っ!」

「御希望であれば、可能な限りに。――たちは、同じ目的に取り組んでいく間柄ですからね」


 泣き出す一歩手前みたいな表情に、一瞬で喜色が打ち上がる。


「っはい!」


 満面の笑顔と、

 見計らったような、タイミング。

 

 不夜王城の尖塔から聞こえる、大砲の発射音。

 振り向いた田中たちがそちらを見た直後。

 夕が暮れ、夜が降りる直前の、交じり合った色の空に、祭りの再開を告げる特大の七色が開花した。


 暫し。

 二人はその足を、どちらが言い出すでもなく縫い止められた。


 遠く、楽団の演奏が聞こえ始め、屋台の溌剌とした売り口上が、競い合うように火蓋を切る。

 その土地の文化が現れた料理の匂い、嗅ぎ慣れない刺激、思わず腹の鳴りそうな未知の気配。


 活気は風に乗る。

 熱気は人に伝う。

 折り重なる笑い声。

 絶え間無い空の花と、闇夜を照らす地の灯。

 なんて、たくましい世界。


 神と、

 人の、

 思いと、

 歴史が、

 育てた場所ところ


 帰ろうとする後ろ髪を、引かれて引かれてたまらない――

 ――魅力に溢れた、“異なる故郷”。


「――――」


 その目が、表情が、彼女が今回の体験でどれだけの物を得たか、何を感じたか、それを如実に表している。


 余白の無いメモ帳を。

 刻み込まれた思い出を。

 彼女はその胸に、強く、強く、抱き締めた。


「田中さん」

「何ですか、女神様」

「私。――グヤンドランガ師匠みたいに、」


 なれるでしょうか、という言葉を、彼女は飲み込み。

 田中の方に、決意を讃えた眼差しで向き直る。


「なります。グヤンドランガ先生より、もっと――ここよりもっと楽しい世界を創れるような、立派な創造神に! これから! 一杯! 沢山! 学んでッ! 急いで、急いで――――全速力でッ!」


 その言い振りには、滲んでいる。

 女神が、一月前。

 田中と天使が話していた、あの会話を聞いていたことが。


 そして。

 それに対して、自分なりの答えを見つけたということが。


「勿論! そこに転生して頂く、第一号は――――今、私の目の前にいる田中さんです!」

「っ、」

「っら、らららっ、来世にまでなんて! 誰が待たせるものですか! 私のダメさに付き合わせて、田中さんの人生まで、使い尽くしてたまるものですか! ――――っそ、創造神、なめんな、ばかーーーーーーーーっ!!!!」 


 朱と、藍の、混じる空。

 真っ直ぐに指を差す、創造神から人間への全身全霊の宣戦布告は、限りなく晴れ渡った、異世界の地に響き渡った。


「――ええ。喜んで受けて立ちましょう。どうぞお手柔らかにお願いします」


 ひとしきり叫んで、きっと勇気が品切れた。

 差し出された手に、女神は今にも目を逸らしそうな赤い顔で応じるのだった。



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