一章・05



「バカじゃないですかね、田中さん」

「言うなよ、工藤さん」

「上手に畳めるんですか」

「それがさ。困ったことに、自分でも身の丈に合わない、端に手の届かない風呂敷だってわかってる」

「もう一度言います。バカですね、田中さん」

「うう。なんかさ、今日の工藤さん、冷たくない?」

「知りません。勝手に熱くなった挙句出来もしない約束をしたかっこつけの誰かさんには、丁度いい塩梅ではなかろうかと」


 夜。

 市役所から程近い場所に構える異世界転生課御用達の居酒屋、中に入って少々奥の区切られた座敷席で、田中と工藤は差し向かいで一杯やっていた。

 酒の肴の一品も空きっ腹をガツンと満たす定食も、店主の意向か板前の趣味か節操無いほど幅広いが、とりわけ居酒屋【食火しょっか】は屋号の通りに“焼き”がうまい。


 焼き鳥・串焼き・炙り焼き。

 網焼き・炭焼き・直火焼き。

 初めての客は皆目を丸くして思い知る。熱を通すということが、こうも絶妙に、素材の妙味を引き出すのかと。


 かくいう田中もその口だ。初めて市役所に勤め始めてからこちら、気がつくと食火の魔法のような焼き加減が恋しくなっている。

 竹筒の串入れにまた一本と搭が立つ。日本酒注いだ盃を、工藤が小さく傾ける。

 ほぅ、と漏れて出る吐息。

 幸福が、目に見える形で表れている。


「き、気のせいかな。今日はなんだかよく飲むね、工藤さん」

「お恥ずかしい。私、根っからの庶民気質なもので、受けられる謝礼の機会や正当な報酬を固辞できるほど、そこかしこが大きくないのです」


 目配せで察する。

 先程から工藤に調子良く飲まれている徳利の中身は、普段彼らが連れたって食火に来た時に注文するものと比べ、段違いの品質を誇る。勿論ながらお値段もまた飛んでいる。

 徳利一本一合あたりウン千円、流石の純米大吟醸。店主が蔵元と個人的な親交を結べばこそ手に入った、本来滅多に市場に出回らない至上の逸品。


 それを工藤に惜しげもなくお酌する。「ささどうぞどうぞ」の調子を見せれば「うむくるしうない」の呼吸が返る。今月の給料日までもこうスムーズに行けばいい。この夜を境に、しばらくは食火ともお別れだろう。何せ、空の分も含めれば徳利はもう、三本目に突入している。


「さて。対価を貰ってしまったからには、こちらにも退路はございません」


 一通り飯を食って酒も入り、場が落ち着いてきた頃に。

 空になった徳利や皿を脇に避け、工藤が机の上に、ブリーフケースから取り出した資料を並べた。


「それではどうぞ御覧あれ。【名無しの女神】に関する情報を、私の権限の許す範囲で調べて纏めておきました」

「――うん。ありがとう、工藤さん。面倒を頼んだね」

「なんの。酒に肴に貴方の狼狽、大変美味しゅうございましたとも」


 ごちそうさまでしたと手を合わされ、田中は恥ずかしさの混じった苦笑をした。

 浮ついた気配が去って、その後には熱意が残る。


 丹念に入念に、隅から隅まで眼を通す。

 自らのやるべきことに、埋没する集中力――先程までの頼りなさが別人のように鳴りを潜めた田中の様子を見ながら、工藤は我知らず呟いている。


「……熱いなあ」


 反応は無い。

 きっと聞こえてすらいない。

 お冷やの中の氷の欠片が完全に溶けて水に混じり、工藤がそれを一息に干す。


 

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