プロローグ・02
午後の始業五分前に担当の課へ帰り着いた時には、既に五番から三番までの窓口が埋まっており、丁度同じタイミングで戻ってきた今年採用の後輩と目が合い、
何となく。
取り立てて意味も無く、一番の方の窓口に座った。後輩はぺこりと頭を下げた後、二番窓口の担当になった。
本当に。
特別なことを、田中は考えていたわけではなかった。
ただ、既に三番から五番窓口の同僚は既に来客に応対しており、次の来客は後輩よりも自分に来るようにしよう、と思っていただけ。
その理由は、午前中厄介な手合の担当に当たり、慣れないことでヘトヘトになっていた後輩に、一分でも数十秒でも休む時間を伸ばしたい、と感じただけであって、しかも、残念ながら思惑と裏腹に効果は無かった。
何しろ、大忙しの窓口だ。
仕事は多く、来客は毎日引きも切らない。
まさしく。
先程、雑誌で見たように。
このご時勢――彼のような仕事は、有り難いことに忙しない。
≪三百十五番の札でお待ちの方、一番の窓口までお越し下さい≫
アナウンスが響き、案内板に電光表示が映し出され、二番の窓口もそれに次ぐ。結局、田中と隣の二番窓口が埋まったのは、ほぼ同時。彼のささやかな心遣いは、何の役割も果たせなかった。
おかしそうに申し訳無さそうに後輩のほうをちらりと見て苦笑し、それから田中は窓口にやってくる来客がわかりやすいよう「三百十五番の札をお持ちの方、こちらへどうぞ」と立ち上がって手を上げた。
けれど。
ああ、けれど。
意味は。
それでも、確かにあったのだ。
この日。
この時。
もしも田中が、一番の窓口を選んでいなければ。
食堂にて工藤と話さず、廊下で課長とすれ違わず、あと少し早めの時間に戻ってきて、違う席に座っていたのならば。
ひとつの【物語】は。
ひとつの【世界】は。
或いは、そこで、終わっていたかもしれないのだから。
故に。
その偶然こそ、一つの扉。
思いも寄らぬ場所に繋がる、想像もしない神の悪戯。
異世界には。
どこから行けるか、わからない。
それは、足早にやってきた。
早足で近付いてきた。
目線は足元。
表情は伺えない。
おやと思うことがあるならば、
その服装がなんともどうにも、
異世界的だなということで、
「始めまして。本日担当を勤めさせて頂きます、田中と申します。どうぞおかけになってください。この度はどのような御用件で、」
「あのッ!!!!!!!!!!!!」
フロアが。
一瞬、静まり返るほどの、声だった。
切迫し。
緊迫し。
差迫った、焦りの声。
「ひっ、とつッ! 相談したいことがあって参りましたッ!」
「はい。大丈夫ですよ。ゆっくりとお聞かせ頂きますので、どうぞ落ち着いてお話くださいね」
聞いてなどいなかった。
届いてなどいなかった。
その人は机に勢い良く手を突いた姿勢で、息も荒く俯いており、ブツブツと何か、聞き取れないながらも何らかの言葉を繰り返し、
突然、その顔を上げた。
そこで初めて、ようやく田中は、相手を真正面から見れた。
あったのは、思わず息を飲みそうになる女神の如き美しさ。
そしてそれを台無しにする焦りと混乱に強張りきった表情。
彼女は。
周囲の驚きも困惑も場所も状況も何もかも、
構わずに叫んだ。
構う余裕など、そこには無かった。
「異世界転生って、どうすればしてきて頂けるんでしょうか!?」
テンパり、十割。
恥も外聞も遥か彼方にすっ飛ばした、それはそれは清々しい、腹の底からのド直球お悩み相談。
その奔流を真正面から浴びた田中は、込み上げる諸々を抑え込みつつ、
差し当たって。
穏やかな笑顔で、そっと一言、口にした。
「わかりました。どうやら込み入った話のようですので、あちらの別室まで御案内致します」
瞬間。
二番窓口に座っていた後輩が、わけもわからぬ表情のまま、机の下でそっとサムズアップした。
■■■■■
時は、
【異世界和親条約】成立から早三世紀弱。
人が他の世界へと移住することが、
人と。
世界を創りだす創造神との距離が、かつてとは比べ物にならないほど身近になった、“広さ”と“多さ”の新時代。
そんな世界。
そんな時代。
とある地方の片隅の、
市役所異世界転生課、
萬相談窓口に、
務める男の名前は田中。
これまで極々穏やかに、
取り立てて無茶も無理もなく平均点なお仕事をこなし続けてきた彼の前に、
かくして。
【創造神の創世相談】という、前代未聞の爆弾が持ち込まれたのだった。
そう。
つまり、忘れてはならない。
どれだけ距離が縮まろうと。
ユーザーフレンドリーになろうとも。
神とは元来人間に、
試練を齎すモノである。
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