第14章
第89話 ごっこ遊び
「お前が何故負けたか判るか? お前が俺より弱いからだよ」
「う、上から偉そうに言うな!」
翌日には俺にとっては楽しくも何ともない遊びが学内で流行していた。
ゲルダ少年とのやりとりが何故か学園中に広まっている。
ギャラリーがいた事は先刻承知済みだったが、あの決闘自体そこまで見栄えのする内容では無かったのでさらっと忘れてくれるだろうと思っていたのだが、現実はそうは甘くはなかった。
みんなはっきりきっぱりと記憶をし、ついでに尾鰭や背鰭をつけて噂を広めてくれたらしい。
「むむむっ、余は納得ゆかぬぞ。あれはゲルダと余の決闘であった筈。だというのに、何故余よりアルトの方が噂になっておるのだ?」
「いや、俺としては出来る事なら是非とも代わってやりたいんだけど」
唇を突き出す目立ちたがり屋の言葉には苦笑いしか出ない。
いっそ開き直る事が出来れば、この状況も歓迎出来るのだろうか?
単に噂になるだけならまだしも、アルフレート・シックザールとゲルダ少年ごっこなる遊びが大流行するだなんて何の冗談でもきつい。
中でも一番人気の場面が勝負後のあの一幕だった。
格好良く、上手に諭せたと悦に入る気持ちが無かったと言えば嘘になる。
だけど、そんなものは一瞬だ。
今のあれやこれやを考えると、羞恥と煩わしさの方が遥かに大きくて、頭を抱えてしまった。
自分の真似をする声が四方八方から聞こえるのは想像以上に恥ずかしいもので、偉そうな事を言ったあの時の俺を是非とも張り倒してやりたいと思う。
「出たな、アルフレート・シックザール! 勝負だ!」
問題はそれだけではなかった。
なんと、初対面の時点では主にレオンに敵対心を燃やしていたゲルダ少年があの勝負以降、何故かやたらと俺に絡んでくるようになったのだ。
「諦めたんじゃなかったのか……」
いつも俺の姿を見つけてはダダダッと駆け寄ってきて、大声で勝負をしろと言ってくる。
その都度、俺はがっくりと肩を落とすのだった。
無駄に大きい声を出すものだから、周囲の注目は彼の欲しいままだ。
「オレの教科書に諦めるという文字は無い!」
「何でもいいけど、それを言うなら教科書じゃなくて辞書な」
元気は良い事である。
粘り強さ、根気強さも本来であれば誉められるべきものだ。
けれど、今回ばかりは俺はそれに賛同しかねた。
「ゲルダくんはアルトくんと仲良くなりたいんじゃないかな?」
「いや、あれだけ露骨に騒ぎ回って、あの決闘と罰ゲームの一幕で相当恨みを買ったのかと思ったんだけど」
「違うよ。だって、アルトくんを見るゲルダくんの目がキラキラしてるもん」
「そうか? ……そうだとしたら俺も変な奴に好かれてしまったな」
初対面の時にレオンに対して見せたのと同じように、俺を見つけては毎回珍獣ハンターのように挑んでくるのを見て嫌われたのかと思っていたけれど、ルーカスが違うと言うならきっとそうなのだろう。
ルーカスは人の心の機微に聡い。
追い駆け回される事には閉口気味だが、それでもゲルダが一般市民層と貴族の架け橋となってくれるのならば、それも悪い事ばかりではないとは思う。
もっとも、勝手気ままに振る舞うゲルダはそんな深い事など考えていないだろうが。
普段から、極限られた内輪のものだけ、或いは一対一の空間で敬語だの敬意だのを要求するつもりはない。
だけど、公の場、人の目がある場所・状況ではやはり接し方を考えなければならないだろう。
普段がどんなに仲が良くとも……いや、普段が仲が良いからこそだ。
その一方で、子供に言葉や接し方を使い分けろだなんでなかなか高度な要求だとも思う。
ルーカスやディートリヒ、イルメラがあちらの世界の同じ年齢の子供に比べて精神的に随分と大人びているので色々忘れてしまいがちだが、ゲルダのような子が本来は普通なのだろう。
「ふんっ、馴れ馴れしいですわ」
「イルメラ、嫉妬?」
形式を重んじるクラウゼヴィッツ家に育ったイルメラだけは今一つ、ゲルダ少年が接近してくる事に納得がいっていない様子だった。
そんな妹を兄のディーがからかう。
「なっ、何をおっしゃるのですか? 私はただ……」
「まだ何も言っていないのだけれど?」
たかだか一歳、されど一歳。
子供の頃の一年は、成人してからの数年に値するとも言われる。
一枚上手の兄に対して、イルメラは何も言い返す事が出来なかった。
「本当に嫉妬とかしてくれていたら、嬉しいんだけどね」
「どうかな?」
今のところ、まだ心の成熟しきっていないイルメラが俺に向けてくるのは、所有欲だとかそんなものだろうと思っている。
早い話が、兄の代わりだ。
その兄が、アルカイックに微笑みながらこてんと首を傾げている。
視線は頬を林檎のように真っ赤に染めたイルメラと俺との間を行き来していた。
何だろう、この年にして既に恋愛百戦錬磨であるかのようなその風格は。
緩慢な動作が彼の持つ退廃的な優雅さをよりいっそう引き立てている。
「むむむっ? 嫉妬とは何なのだ?」
「嫉妬っていうのはね、やきもちだよ」
「やきもちとな? それは美味なのか?」
「食べ物じゃないよ」
「うーむ、よくわからぬがアルトはそれが欲しいのか? ならば、余が与えてやろう」
「はいはい、気持ちだけ受け取っておくよ」
そんなお馬鹿なやりとりを繰り広げるレオンとルーカスにほっこりとした気持ちになる。
そうだ、焦っても仕方が無い。
「人の心とは複雑であるな」
最後の締めくくりをするかのようなバルトロメウスに、何故だかいいところを持って行かれた気がした。
「おはよう、イルメラちゃん」
「ごっ、ごきげんよう……」
今日も朝から一番にイルメラの顔を見る事が出来て、俺は上機嫌だった。
「今日もそのブローチをしてくれているんだね」
「べっ、別に深い意味はございませんわ」
部屋を出た瞬間に鉢合わせた彼女の胸元に、目敏く青薔薇を見つけてふっと頬を弛めればイルメラは一瞬はっとして慌てたように自分の胸元を手で隠しながら、そっぽを向いた。
「まだ何も言ってないのだけれど?」
「っ! お兄様の真似はズルいですわ!」
昨日のディーを真似て少しからかえば、すぐにイルメラは頬を染めて膨れ面をする。
膨れ面すら可愛いのだから仕方ない。
もともと目鼻立ちがくっきりとしているイルメラは、あと五年もすれば大人っぽい色気を持つ少女へと変貌するのだろう。
だけど、彼女の好きなもの、彼女の心を知った俺はきっと彼女が何歳になろうとも、どんな顔をしていようとも変わらず、ただひたすら可愛いと思うのだろう。
「せっかくだから、一緒に食堂に行こうか?」
「ふんっ、仕方ないから貴方のエスコートで我慢して差し上げてもよろしくてよ」
差し出した腕に、憎まれ口を叩きながらもイルメラが掴まってくれるのが嬉しくて仕方なかった。
いざ、オリエンテーションが終わり、本格的に学園生活が始動してみると、学生の本分である勉強の部分、講義内容は俺たちにとっては拍子抜けするようなものであった。
はっきり言って
魔法師や騎士を育てる専門機関という事で、ばっちり身構えて楽しみにしていたのだが、いざ始まってみればどの講義も四則演算だったり、読み書きだったりといわゆる一般教養的なものが殆どだった。
考えてみれば、就学したばかりの年齢一桁の児童にバリバリの魔法理論だとか騎士道を教え込むというのも変な話で、そこで初めて自分たちが貴族の子女の中でもマイノリティーな存在だった事に気付く。
母上の言葉を信じるなら、これから暫くの講義は退屈なのかもしれない。
とりあえず座学系は暇を持て余したレオンが暴れ出さないように目を光らせておく事が俺の日課になりそうだ。
例外的にレオンが生き生きとしだすのは体術の講義で、それはもう楽しそうに、座学での鬱憤を晴らすかのようにのびのびと身体を動かしていた。
前世にもいた、体育の授業になるとやたら張り切るというアレだ。
ついでに王子のくせに欠食児童のように食い意地の張っているレオンは、食事の時間も騒がしい。
一応、入学前にマナーは一通り押さえた筈なのだが、どうもそれが必要だと判断した場面でなければ好き勝手に振る舞う所存らしい。
器用なのか、不器用なのかいまいち判らない奴だ。
手綱を握らされている身としては、金色の頭の犬を散歩に連れて行っているような気分だった。
名前的にはネコ科なんだけどな。
前の王子失踪事件の時のように変に思い詰められるよりは身体を動かしてストレスを発散してくれた方が余程良いので、行き過ぎた言動をしない限りは何も言わないで好きにさせている。
「アルト、余のこの業を見よ!」
「あー、はいはい」
何だかんだ言ってレオンは俺に全幅の信頼を置いてくれているようで、マヤさんがいない今、何をするにも何を見せるにもレオンは俺の名前を一番に呼ぶ。
講義中に何か疑問に思っても先生に質問するのではなく、まず最初に俺に訊いてくるのは困らされる事も多いけれど、それも信頼の証と思えばくすぐったくもあり、嬉しくもあった。
その他、貴族の子が多く通う学校ならではの講義といえば、マナー講座だろう。
レオンの大嫌いなアレである。
マナーは性別によって大きく異なる為、男女別に分かれての講義になる。
「イルメラちゃん、また後でね」
「ええ……」
ひとつ前のコマが終わると、イルメラとはいったん別行動となる為、大きく手を振る。
すると、イルメラが四方八方をキョロキョロと見回しながら、落ち着かなげな仕草を始めた。
「どうしたの?」
「その……、手を振るのはおやめになった方が……」
「どうして?」
「はっ、はしたないからに決まっているわ!」
また照れ隠しだった。
両足を揃えてお人形さんのようにお行儀よく立ちながらも、よく見るとイルメラがプルプルと小刻みに震えているのが判る。
多数の目がある中で、目立ってしまう事が恥ずかしいと見える。
「うん、解った。でもごめんね。俺がそうしたいからするんだ。それからついでに、イルメラちゃんが手を振り返してくれたら嬉しいなって」
「なっ……。つ、つき合いきれませんわ。もうっ……」
口では呆れたような事を言いながら、それでもこっそりと右手を小さく振り動かして見せてくれるイルメラはやっぱり優しい子だと思う。
満面の笑みでお礼を言うと、もうしませんわと言われた。
そんな俺たちの様子をじっと見つめる目がひとつ、ふたつ、みっつ。
その視線を俺は当然のように認識していたけれど、この時の俺は特に気にも止めていなかった。
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