第83話 思いやりと喧嘩



 幸い俺の具合の悪さは一過性のもので、四半時も横になっていればすぐに良くなった。


「ダメと言ったらダメですわ!」

「しかし、余が気になると申しておるのだから、見せるのだ!」

「ですが、それでは約束が……!」

「では間を取っていっそ見せないというのはどうかね?」

「却下だ!」

「あり得ませんわ! 部外者は黙っていて下さるかしら!?」


 もらったばかりの学生証をかざして談話室に顔を出すと、何やらギャンギャンと言い合いをする声が鼓膜を突いた。


「いったい何がどうしたんだ?」

「アルトくん!」


 何をどうしたらたった十分くらいの間に喧嘩になるのかと呆れながら訊ねると、三つ巴の論争をするレオンたちの横で仲裁に入るに入れずに困り果てていたルーカスが駆け寄ってきた。


「ごめん、アルトくんは具合が悪いから僕がしっかりしなくちゃって判ってたんだけど、僕一人じゃ三人を止められなくて。ディーくんは気にする事は無いって言って、助けてくれなくて……」

「わかった。俺が何とかするから。だからルーカスは泣くな?」

「うん……」


 涙目になりながら謝ってくるルーカスの、俺のそれより少し低い位置にある頭を二、三度ぽんぽんとしてやると彼はあからさまにホッとした顔をした。


「さてと、こっちへの対応はこれでいいとして。問題はあっちだな」


 わざと大きな声で独り言を呟いてルーカスの背後、あっちの方向に向き直る。


「何があったの?」


 再度状況を問うと、三人はぎくりと一瞬硬直した後にこちらを向いたまま壁際に後ずさった。

皮肉な事に、三人はここへ来て仲良く同じ反応を返してくる。


「ア、アルト! もう具合は良いのか?」

「うん、この通り」

「そ……そうか、それは良かったな!」

「で、何があったの?」


 最初に口を開いたのはレオンだった。

俺を気遣う声ににっこりと笑顔で頷けば、お隣さんたちまでもが揃って何かまずいものでも呑み込んだかのような顔をする。

話を逸らす作戦のようだが、残念ながらそんな手に引っかかる俺では無かった。


「何って、貴方の心配をしていただけですわ、この二人が!」

「そうなの? イルメラちゃんは心配してくれなかったんだ? ちょっとがっかりだな……」

「私はし、心配なんて……心配なんてしておりませんわ! ……少ししか」

「そう、ちょっとは心配してくれたんだ、ありがとう。こんな事を言うと不謹慎って怒られそうだけど嬉しいな。でも、ちょっと心配してただけなら、あんなに騒がしくはならないよね? なんだか喧嘩していたように見えたんだけど?」


 飴と鞭の攻撃を立て続けに食らったイルメラは額を押さえて、うっとよろめいた。

何でもないと嘘をついたが為に、墓穴を掘ってしまったらしい。

そこへ畳みかける俺に、イルメラはたじたじだった。


 ツンデレるイルメラは可愛いけれど、それとこれとは話が別だ。

弛んでしまいそうな頬をなんとか引き締め、真正面から見つめる。

すると敗北の気配を察知したイルメラは、何とかしなさいとばかりに左手で隣のバルトロメウスの腕をバシバシと叩いた。


「バルトロメウスは?」

「こ、コッコッコッ……」

「ニワトリの真似はしなくていいからな」

「違う。これは違う! いや……。あ、ああああアダルブレヒトくん! どうだ奇遇ではないか!」

「奇遇って、全然思いがけずじゃないんだけど?」


 さてはて、最後にお鉢が回ってきてしまったのはバルトロメウスにとって不幸だった。

しかも彼は恐らく三人の中で嘘をつくのが下手だ。

彼が俺をアダルブレヒトと呼ぶ時は、大抵何か後ろめたい事がある時。

しかし、バレるだとか言う以前に彼の背景が全てを包み隠さず語ってしまっているので、口で何を語ろうが関係の無い事だった。

背中で語る男と言えば聞こえはいいが、実際は不憫にさえ思える程につくづく残念な子である。


 今はどこからともなくもくもくと灰色の雲を出現させ、それが彼の顔の横で渦を巻いている。

その中に何故か時折大きなひよこの姿が見えるのは、どういう意味があるのだろうか?


「わ、私は何も知らぬのだ。この二人が突然、甲論こうろん乙駁おつばくする騒ぎを起こしてだな……」

「バルトロメウス! 言っている意味はよくわからないが、一人だけ助かろうとしておるだろう? 雰囲気でわかるのだからな! 余を子供と思って見くびるでない!」

「そうですわ! 一人だけ逃げようだなんて紳士の風上にも置けませんわよ!」

「なっ……何故バレたのだ? 私の計画は完璧であった筈……」

「どこからどう見ても穴だらけの犯行だろ! もういい、俺が推測して話すから違うところがあったら訂正を入れろ」


 適当に難しい言い回しをして一人逃げようとするバルトロメウスをレオンが野生の勘で察知し、そこにイルメラも便乗して再び口論が始まりそうになったところに待ったをかける。

この調子では正確な話を聞き出すまで何日もかかりそうだと判断し、バルトロメウスに盛大につっこんでから方針を変えた。


 そうしてようやく聞き出した話によると、俺が戻ってくるまで魔力ランクの話及び、学生証の見せ合いっこを待つか否かで揉めていたらしい。


 そもそもの言い出しっぺ・扇動者はバルトロメウスで、どうしようかと話題に出したそうだ。

直前までは初めて大人数でする枕投げの事で頭がいっぱいだったレオンだが、バルトロメウスに言われて思いだし、もともと堪え性の無い子なので勝手に始めておこうと言い始めた。


 そこへ異論を唱えたのがイルメラで、さらにバルトロメウスが第三の意見を述べて、いよいよ場は混沌と化した。

その場に居合わせた唯一の常識人・ルーカスが甚大な被害を受けたという訳だ。


 おおよその経緯いきさつは、部屋に入った瞬間に漏れ聞いた会話の一部から察したものでほぼ合っていた。

良くも悪くも期待を裏切らない子たちである。


 ただし一つ、話の中で腑に落ちない点があった。


「でも、イルメラちゃんはどうしてそんなに頑なにダメだって言ったの? そりゃあ俺としては残念だけど、本来の予定を乱したのは俺の方だし先に始めてもらっても良かったのに」

「それは……」


 イルメラだって魔力ランクの話には関心があった筈で、それなら普通レオンの提案に乗る筈だ。

それなのにイルメラはそれを拒んだのがどうにも不自然に思えて問うと、イルメラは頬を紅潮させながら目を泳がせて言い淀んだ。

そこへ意外なところから答えが返ってくる。


「そんな気分じゃなかったからだよ。ねえ、イルメラ?」

「お兄様!?」

「どういう事?」


 見るからに慌てた様子のイルメラを手で制止ながら、ずっと談話室の隅に陣取っていたディーに顔を向ける。


「アルトの具合が悪そうだったから、心配でわいわい騒ぐ気分じゃなかったんだよ。レオンが寝ている君を起こし行こうと言い出した時なんて、すごい剣幕だったよね」

「お兄様! 違う……違いますわ! そんなんじゃないんだから!」


 二重の意味で恥ずかしい事実を暴露されてしまったイルメラは、さらに頬を赤く染めて叫んだ。

その声に全く怒気は感じられない。


 思わぬ答えに俺は目を丸くした。

イルメラの反応を見る限り、兄のディーは妹の心境を正しく理解しているようだった。

という事は、イルメラが俺の事が心配で心配でたまらなくて、それなのに具合の悪い俺を叩き起こしに行こうとしたレオンを捕まえて怒ったというのが真相になる。


「別に貴方の為なんかじゃないんだから! ただ、私は……そう。誇り高い貴族として、一度した約束は守るべきだと……」

「だから余がアルトを起こしに行くと申したではないか。なのにそなたは絶対にダメだと言って余の前に立ちはだかったであろう? 何故斯様な真似をしたのだ?」

「それは……、そうですわ。無理をして起き上がって倒れたりでもされたら迷惑だったから、ですわ。昨年だって殿下を見つける為とはいえ、無茶をなさったのですもの。あの時、私がどれだけ胸を痛め……いいえ、過去のお話は今は関係ありませんわね。とにかく、私が殿下を止めたのはアルト様の為ではございませんわ」


 必死になって言い繕うイルメラの姿は一生懸命で、それでいて少し滑稽で可愛かった。

思わぬところから指摘され、いかにもその場で考えて取って付けたような理由を述べ、俺の為なんかじゃないと反論する。

途中、勢いでつい本音らしきものがちらついているのも、俺の表情を弛ませるのに十分だった。


「素直にすごく心配だったって言えばいいのに……」

「……そんなのじゃないんだから。……違うんだから。おかしな勘違いをなさらないで!」


 ルーカスがたまらず呟けば、キッと鋭い目をして俺を睨んでくる。

ほとんど自白したも同然だというのにも関わらず、最後の一歩は彼女にとって譲れない矜持らしい。

こういうところが、彼女をよく知らない人に誤解される要因なのだろうと思った。


「ごめんね、不安にさせたね。でも少し休んだらすっかり良くなったよ。それ以上に、イルメラちゃんのお陰で元気いっぱいになったよ」

「……本当なの?」

「うん」

「本当に本当なのですか?」

「うん、本当に本当だよ」

「良かった……」


 とりあえず、この可愛くて愛おしい子を安心させてあげたいと思った。

だから、言い負かそうとせずにただ自分は元気でここにいると告げる。


 すると、イルメラは何度も確認をし、ようやく笑ってくれた。

そして笑ったほんの一瞬後には俺の視線に気づいて、しまったという表情を浮かべ、口元を手で隠してぷいとそっぽを向く。


 きっと、彼女は謝るくらいなら無茶をするなと俺に対して思っているだろうが、それは出来ない約束だ。

俺は彼女を、ここにいる仲間を守りたいのだから。

それに今回の事は俺も予想外の事故で、今後も似たような事は何度も起きるだろう。


「だけど困ったな。そんな話を聞いたらこれ以上叱れないじゃないか……」

「むむっ? お咎め無しなのか?」

「情状酌量というやつか……。ああ、これぞ神のご慈悲……」


 イルメラによってすっかり牙を抜かれてしまった俺は、どこに落としどころをもっていくべきか頭を悩ませていた。

そこへ探りを入れるように壁際族の男の子二人が控えめに騒ぐ。

あくまで本人比なので、やかましい事には変わりないが。


「お前たち、自分が何故怒られているか分かるか?」

「むっ? 喧嘩をしたから、ではないのか?」

「違う」


 今回問題なのは喧嘩をした事そのものではない。

人はそれぞれ別の価値観を持っているものだし、ここにいるのは我の強い子ばかりなので、意見が衝突する事くらいあるだろう。

それより問題なのは、必死になって喧嘩を止めようとしてくれていた人を無視し、なおかつ彼が泣き始めても喧嘩をやめなかった事だ。

そこだけは理解してもらわねばならない。


 何を今更という顔をするレオンの言葉に首を振る。


「では、何だと言うのかね?」

「そうだな……ヒントはルーカスかな」

「イルメラはアルトの事になると周りが見えなくなるようだな」

「なっ、お兄様!?」

「ディーもわかってるなら一人だけ安全地帯に避難してないで、止めようよ?」

「そんなの僕には無理だよ。彼らを止められるのは君だけだよ。もちろんイルメラの事もね」


 全幅の信頼を置いてくるディーに、俺は喜んでいいのか複雑な気分になった。

イルメラのパートナーとして認めてもらえるのは嬉しいが、全員の行動に目を光らせるのはたった二個の目では難しい。

それにレオンとバルトロメウスはともかく、イルメラはディーが言えば止まってくれた可能性が高いじゃないか。


「それって自分が疲れる事をやりたくないだけじゃ……?」

「何の事かな?」


 首を傾けて、鼻にかかった甘ったるい声でとぼけながら年齢にそぐわぬ妖艶な笑みを浮かべるディーに、俺は深く嘆息した。


 一見柔軟そうに見えて、やはりそこはイルメラの兄。

譲らない時はとことん譲らないらしい。

興味の無い事、面倒な事は全て迷い無く丸投げだ。


 厄介なのは、梃子でも動かないだとかそういう次元では無く、まるですり抜けてしまうかのように手応えが無く、何を言っても全く通じないところだろう。

ここにはルーカス以外、問題児しかいないのか。


「イルメラちゃん、俺の事を気遣ってくれるのは嬉しいよ。だけど、他の子の気持ちも、ルーカスの気持ちも考えてくれた?」

「あっ……」

「必死に止めようとしてくれたのに、ずっと無視してたんだろう? 大切な人に無視されたら、悲しいよね?」

「それだけは絶対に嫌だ」

「それは……この世の終わりのようだな」


 ようやく自分たちが怒られている理由にたどり着いた面々はそれぞれ頭の中に大切な誰かの姿を思い浮かべているようだった。


「ごめんなさい」

「すまぬ……」

「此度の非礼を心よりお詫び申し上げる」

「わかってくれたなら、もういいよ」


 三人揃って真剣な顔つきで口々に謝罪する大切な友人たちの珍しい姿に、ルーカスは菫色の瞳をぱちくりとさせた後、やっと微笑んだ。

これにて一件落着である。



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