第74話 一緒に




 どのくらいの時間、二人抱き合っていただろうか?

俺の思考を現実へと引き戻したのは、第三者の咳払いだった。


「ウォッホン」


 いかにもわざとらしい咳払いに続いて、ドアをノックする音が聞こえる。


「邪魔をするようですまないが、少しいいだろうか?」

「げっ……」


 入室のお伺いを立ててくる声に振り向いた俺たちだったが、飛び込んできた光景に、蛙が潰れたような声で呻くのは不可避だった。

ドアが開いている。

どうやらさっきのノックの音も、開いているドアのこちら側を叩いていたらしい。


 ドアが開いているという事は、つまりそういう事で。

ノックとか何の意味も無いよね?


「見られていた!?」


 叫ぶ俺の横でイルメラは一気に頬を蒸気させた。

慌てて離れようと俺の身体を押すその手は、焦りのせいか力の加減が全くされておらず、再びグエッと不気味な声をあげて俺はベッドに背中を預ける事となった。


 それだけで惨事が収まれば良かったのだが、俺を突き飛ばしたイルメラは勢い余って自分の体勢をも崩し、俺の上に倒れ込んでしまう。

結果として、イルメラが俺を押し倒したような形になってしまった。


「きゃっ。は、ははは、破廉恥ですわ!」


 しなだれかかるような格好で俺の上に乗るイルメラがさらに頬を紅潮させたのは言うまでも無い。

自分でも何を言っているかよく判らないままに頭に浮かんだ単語を口走っているようだ。


「イルメラちゃん、とりあえず落ち着こうか?」

「え? でも、見られてしまって。いったいどこから……」

「落ち着こう?」

「話があるのだが。その前にまず、娘を放してもらおうか?」


 パニック状態に陥って俺の上で無茶苦茶に両腕を振り回して暴れるイルメラをどうにかなだめようとする。

その頭上に温度を感じない声が降ってきた。


 代わりに突き刺さるようなものを感じで、水を打ったように静まりかえる中、イルメラの身体をそっと押し返して立たせ、自分も起きあがる。

彼女の陰からひょいと顔を覗かせると、男性の剣呑な視線とかち合った。


 怒ってらっしゃる!

間違い無く怒ってらっしゃる!


 でも何でだ?

初対面のこの人をこんなに怒らせるような事をしただろうかと首を捻りかけたところで、先ほどのこの闖入者の発言を思い出した。


 さっきあの人、娘を放せって言ったよな?

文脈の読み間違いでなければ、それは村娘Aだとか街娘Bだとか若い女の子全般を表す言葉ではなく、縁戚関係を示す言葉だよな?

つまり、この人はイルメラの……。


「お父さん!?」

「君に父と呼ばれる筋合いは無いのだが?」


 地を這うような低い声に俺は迎え撃たれた。



「ええと、さっきはごめんなさい」

「君は娘に気があるのか?」


 イルメラには外してもらって、二者面談である。

イルメラのご尊父、クラウゼヴィッツ家現当主を前に俺はガチガチに緊張していた。

冷水を浴びせかけられたような、肝が冷える体験とはこの事だろう。


 とりあえず、子供らしい言葉で謝ってしまえばこの重苦しい空気も改善されるだろうと思い、頭を下げたのだが、相手はそれで騙されてくれるような人ではなかった。


 イルメラには気があるどころか、将来お嫁さんになってもらいたいとも思っているが、気軽に『娘さんを下さい』なんて言える状況では無いのは、肌を通してひしひしと伝わってくる。

言ったが最後、殺されるんじゃないだろうか?


「娘や君の年齢ではまだ早いと思っていたのだが……」

「大丈夫です! やましい事はまだ何もしていません!」

「まだ、とはいずれするつもりだと言う事か?」

「何でもありません……!」


 声が裏返る。

イルメラと結婚したくば、いずれはこの人を攻略しなければならないのだが、心の準備など全く出来ていない状況で、緊張するなという方が無理な話だった。

余計な事を口走る俺の口は、今はなるべく閉じておいた方がいいな。


 この人の中で俺の第一印象はきっと最悪だろう。

地を這っているだけならまだまし、地面にめり込んでいるかもしれない。


 それでも覗きの不意打ちなんて悪趣味だと内心で悪態をついていたところ、ご丁寧にもドアが開いていた理由を教えて下さった。

何の事は無い。

淑女の嗜みとして、ドアを半開きにしておくようにこの人がイルメラに入れ知恵をしたのだ。


 最初から扉は開いていた。

ようは俺が迂闊だったのだ。


 その点は今後のために生かすとして、公爵のイルメラに対する態度には腑に落ちないものがあった。

ゲームでは確か人を人とも思わぬ態度でイルメラには冷たかったとあった筈だが、目の前の彼はどうだろう?

冷遇どころか、溺愛していないか?


 話が違う。

いや、イルメラが幸せであればいいと俺は思うけどね。


 もしかして、この人は不器用なのだろうか?

さっきもイルメラに外してもらう為に、『お前は邪魔だ、下がっていなさい』だとか勘違いされそうな事を言っていた。

それでイルメラがマッハの速度で勘違いして、歪んだまま紆余曲折を経て結果的に魔王になったのなら悲し過ぎるぞ、この家族。


 いや、イルメラの実母の件はさすがに全部が勘違いではないだろうが、何か裏がある気がする。


「まあ、いい。今はそんな事より本題だな……」


 俺的にはよくないけれど、これ以上の情報が無い中で推測しても仕方無いと思い直し、まずは公爵の話を聞く事にする。


「娘からおおよその経緯は聞いている。殿下が誤って砂漠に転位、君と娘もそれを追って転位をした。ここまでの話に相違は無いか?」

「ありません」

「ふむ。その後は娘からの念話を受けて私が救助隊を派遣し、無事に君たちを救出したという訳だ。念話を聞いた時は驚いたな。王城にいる筈の娘が何故カロッサに、と」

「娘さんを危険にさらしてしまい、申し訳ございませんでした」

「その点についてはまた後でゆっくりと話し合おうじゃないか」


 今日はよく謝る日だなと思いながら、苦情を言われる前に先回りして謝罪をしておく。

しかし、公爵の返り言を聞くに墓穴を掘ってしまったような気がしてならない。

嫌な予感しかしないぞ。


「我々とてあの念話が罠である可能性も疑わなかった訳ではない。何しろあまりに突拍子も無い話だからな。正直、救助に向かった者も、これが無ければ判断に困ったであろうな」


 そう言って公爵が俺に見せたのは、ファルコさんから借りた外套だった。


「魔法師団長の外套」

「そう。これには現代魔導学の全てを注ぎ込んでなお再現し得ない技術が詰め込まれている。もとは北の隣国の迷宮からその昔発見された古代遺物で、サイズ自動調整、防火、防水、防毒などその機能は様々。代々王立魔法師団長に受け継がれている外套なのだよ」

「そのコートが?」


 そんなすごいアイテムだったのかと驚く俺の目の前で公爵は火球を作りだし、外套にぶつける。

家の中で火魔法なんて危ないものを使わないで下さいと言う前に、外套は炎に包み込まれた。

だが、すぐに火の手は消失する。

もちろん外套には焦げ目どころか、煤一つ付いていなかった。


「火鼠の衣か!」

「なんだ? その火鼠というのは?」

「ああいえ、こちらの話です。気にしないで下さい。とりあえず、それのお陰でこうして助かったんですね」


 そんなすごいアイテムとはつゆ知らず、赤いてるてる坊主だとか思っていてごめんなさい。

だって、ファルコさんだってあんまり詳しく教えてくれなかったんだ、知りようが無い。

刺繍やら何やらで高価なものだというくらいは判ったけれど、アーティファクト級の代物だなんて言ってくれなきゃわからないぞ。


 でもさらに驚くべきなのは、そんな希少アイテムに向かって何の躊躇いも無く火魔法をぶつける公爵の度胸だ。

もし燃えてしまったらどうする?

いや、燃えてしまったらそれは偽物という事になるから別に構わないのか?


「これの偽造など、アイゼンフート家の者でも不可能だろうよ。そんな訳で君たちが少なくとも魔法師団の信を得ている者だろうと判断し、君たちはこの邸へと運び込まれた」

「感謝致します、クラウゼヴィッツ公爵」

「別に君を救助した訳では無い。君は殿下と娘のついでだ、アルフレートくん」


 一通り、俺が気を失った後の事を教えてもらった後に謝意を述べると、公爵はフンと鼻を鳴らす。

見覚えのあるその仕草に、イルメラのツンデレは父親譲りなのかと得心がいった。


「命を救ってもらった事に変わりはありませんから。それで殿下は?」

「問題はそこなのだが……」


 一番気になっていた事を単刀直入に訊ねる。

すると、公爵が眉を顰めた。


「まさかまだ……」

「いや、無事意識は回復なされた」

「じゃあいったい……?」

「殿下は誰とも会わないと仰せなのだ」


 そう聞いてこうなったそもそもの原因を思い出した。

何もかもうまくいかないと言って、全てを拒絶してレオンは城を飛び出した。

とりあえず身の安全が確保されたところですっかりと忘れてしまっていたが、レオンのフラストレーションを解消しなければ根本的な解決にはならない。


 行かなくちゃ。


「この件、俺に預けてもらえませんか?」

「しかし……」

「殿下の一番の友は俺です」

「ふむ、わかった」


 安静にと言われていたけれど、いつまたレオンの不満が爆発するか判らない以上、あまりのんびりと構えているのは得策じゃないな。

善は急げとばかりに、まだ少しふらつく己の足を叱咤しながら部屋を出る。


「私も連れて行って下さいませ」


 廊下に足を一歩踏み出した途端に、声がして顔を上げるとイルメラの赤みがかった瞳に囚われる。


「殿下のところへ行かれるのでしょう? だったら私も連れていって下さいませ」


 下がっていろと公爵に言われたイルメラはそれが不満で、自分だけ置いて行かれないようにここで待機していたようだ。


「付いてきてくれるの?」

「別に貴方の為ではございませんわ! ただ、そんな不穏な足取りで邸の中をうろつかれては迷惑だから、その……」

「ありがとう。やっぱりイルメラちゃんは優しいね」

「なっ……貴方はどうしていつもそう……」

「いつも何?」

「なっ、何でもございませんわ!」


 端から見れば俺たちは小さなカップルに見えているのだろうか?

向き合ったり、そっぽを向かれたり。


「行こうか、一緒に」


 それでも互いに手を取りながら、一歩ずつ着実に進んでいく。

長い廊下に自分の生を重ねて、これから先の人生もこの温かな手の持ち主と共に歩んでいきたい、歩んでいくのだと強く思った。



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