第70話 ガラスの割れる音




「何故だ、何故うまくいかぬのだ!」


 王子の癇癪玉が弾ける寸前、俺はさっと自分の耳を塞いだ。

ブチ切れるタイミングすらことのところ読めるようになりつつある。

そのくらい、彼は最近頻繁にヒステリーを起こしているのだ。



「あらあら、レオンハルトくん。どうしたの?」

「どうしたもこうしたも無い! 何故何もかも上手くいかぬのだ!」


 このところのレオンのストレスの原因といえば、主にマナー講座だろう。

先生との折り合いは改善するどころか、悪化の一途を辿っている。


 なにもレオンとて好きこのんでマナー講座で覚えの悪い子をやっている訳では無い。

ただ、行儀作法だとか常識を思い出すより先に、自分はこうしたいという思いが生まれてしまう為、いつまで経ってもマナーが身につかないのだ。


 トレンドは王族が発信源となって作る。

だったら世間が自分に合わせればいいじゃないかというレオンの主張もそれなりに理にかなっている為、手に負えなかった。 


 最初こそ先生の方もレオンの身分を考慮して平身低頭な態度で接していたが、今やぞんざいになっている。

一度だけ一緒に習った時も、レオンの諸々の失敗・間違いをその都度厳しく指摘していたが、何というか言い方に棘が感じられ、慇懃無礼寸前だったのを覚えている。


 頭ごなしに否定してくる教師に、ついつい反発してしまうという気持ちも分からなくもない。

俺とて、明らかに粗探しをしてくる視線に閉口してしまったが、さいわい非の打ち所の無い作法を見せ付ける事で難を逃れた。


 だが相手もかなり狡猾で、無礼だと咎めようにもギリギリの線を見極めてネチネチと攻撃してくるのでその場はどうしようも無い。

そんなに相性が悪いなら別の教師を雇えばいいのにとも思うが、どうも大人の事情というやつが絡んでいて難しいらしい。


 そういう訳でこのところ精神的負荷が増すばかりのレオンは、目に見えて不機嫌な時が多くなった。


 始終プリプリと腹を立てて冷静さを欠いていては、上手くいくものも上手くいかない。


 特に魔力の扱いは精神力が必要な作業で、心乱されたレオンは簡単な魔法すら失敗を繰り返すようになった。

こうなってしまっては、レオン的にはますます面白くない。


 魔法を失敗しては癇癪を起こして、癇癪を起こしているものだから魔法がまた上手くいかない。

そんな悪循環に、レオンは見事にはまりこんでしまっていた。



「アルト、転位魔法のコツを余に教えるのだ」

「いや、今はコツとかそういう問題じゃないだろう」

「教えるのだ!」

「レオンくん、落ち着いて?」

「そなたには聞いておらぬ!」


 何故上手くいかないのか。

それは自分の心が不安定だからだとレオンも本当は気付いている筈だ。 

だか、そこから目を逸らしたままレオンは何度も失敗を重ねた。

優しくなだめるルーカスをも撥ね付けてしまう。


「余は光魔法が得意な筈だ。なのにどうして転位魔法が使えぬ? そればかりか光球魔法まで使えぬとはどういう事なのだ!? アルト、コツを……」

「いい加減になさいませ。魔法を扱う者とは常に冷静であらねばならぬと私たちは学びましたでしょう? 今の殿下は冷静とは程遠いですわ」


 レオンに隣からせっつかれ、何と答えたものかと頭を悩ませていたところにぴしゃりと言い放ったのはレオンと反対側の隣にいたイルメラだった。


「うるさい! 女子おなごは黙っておれ!」

「何ですって!? 今のお話に性別は関係ありませんわ!」

「良いから余が黙れと言ったら黙るのだ!」

「こんな分からず屋ではアルフレート様が迷惑ですわ! そうですわよね!?」

「そんな事は無い! こんな口喧しい女子に付きまとわれる事こそ迷惑であろう、アルト!」


 売り言葉に買い言葉。

レオン一人で騒いでいたのが、いつの間にかイルメラとの口論になっている。

しかも話題は大きく逸れ、どちらがより俺の迷惑になっているかと言う点で言い争いを始め、両者共に俺に同意を求めてきた。


 キッと睨むような視線は赤子がいたら泣いてしまうだろうなと思うほど尖って鋭い。

喧嘩をしているのはレオンとイルメラなのに、何故俺が睨まれなくてはいけないのか。


「ええと……。とりあえず二人とも落ち着こうか」


 ビシビシと肌に痛いほどの空気と視線を感じながら、俺はどちらの見方になる事もせずにまず、その場を取り成す事を選んだ。

ルーカスと母上がそれに賛意を表すようにゆっくりと頷く。


「レオン?」

「……すまなかった」

「イルメラちゃんも」

「私も少し言い過ぎてしまいましたわ。ごめんなさい」


 俺に促されて二人は渋々ながらも互いに謝意を述べる。


「何故だ、何故こうも上手くいかぬ?」

「それもまた人生ね」


 憮然とするレオンの独り言を聞いて母上は目を細めながら哲学的な言葉で返した。

儘ままならぬのもまた人生ですってか。

何かを思い出しているのかもしれない。


「しかし! アルト、余はどうしても転位魔法を使えるようになりたいのだ。だから……」

「しかしだなんて、殿方の使う言葉じゃないわ。それに自分の我が儘なら、自分の力で貫き通すべきだわ」


 白くなるくらいにぎゅっと己の拳を握るレオンのイライラの中に、何か切羽詰まったものを感じる。

だけどそれに気付かないイルメラはなかなかに手厳しい。

言い訳の言葉を男らしくないと非難し、他力本願は駄目だと言う。


「うっ……」


 イルメラの主張は正しい。

正しいだけにレオンの心にそれは深く突き刺さった。


 吊り上がり気味の眉は歪められて元気を失い、揺れる青い瞳は湖面を打つさざなみを思わせる。

初めは小さかった波は、確実に大きなものへと規模を拡大していった。


 呻き声を聞いた者は誰もがレオンは泣くと思った。

だけど実際はそうじゃなかった。


「余の思い通りにならぬものは皆嫌いだ……」


 声の中に押し込められているのは怒りか、哀しみか、或いは両方か。


「アルトも、ルーカスもイルメラも、皆大嫌いだ!!」


 抑圧されていたレオンの負の感情はその場にいた誰の予想をも遙かに通り越した、大爆発を引き起こした。


「まずいわ!」


 魔力が収束される気配を察知したとほぼ同時に、母上の焦った声が鼓膜と天井を打つ。

そこらじゅうから聞こえるカチャカチャという物がぶつかり合う音に混じって、どこか遠くでガラスの割れるような音がした。


「孤高なる光よ、余をかの地へ運び給え!」


 必死に伸ばした俺の手は空を掴む。

光源も無いというのに弾けた光に思わず両腕で顔を覆い隠すと、慣れた気配が忽然と消息を絶った。



「どういう事……?」

「何が起こったの? さっきのあれって、転位の呪文よね……?」


 まだ頭の整理が付かないルーカスとイルメラはオロオロと不安げな表情を見せる。


「レオンが、転位した」

「あれだけ出来ない出来ないと仰っておられたのに、ここへ来てついに成功なされたのですわね」

「いや、これは失敗だ」

「どうして? 現に今、殿下は私たちの前から転位なさったでは……」

「母上!」


 言い掛けて気付き、ハッとしつつも顔を曇らせるイルメラをそのままに、俺は首を巡らせてこの場で最も頼りになる人物を呼ぶ。


「レオンは……?」

「いないわね。少なくとも、二の郭にはレオンハルトくんの気配は無いわ」

「城外へ直接転位をした可能性は?」

「その可能性も否定出来ないわね」


 俺の見当違いであってほしいという願いは早くも打ち砕かれた。

嫌な予感ほどよく当たるものだ。


「そんな!」

「お城には結界が張られていて、直接外には跳べない筈だよね?」

「結界が破られていなければ、な」


 イルメラはショックで口元を覆い、ルーカスはそんな筈はないと冷静に指摘してくる。


 平常運転の、つい数分前までのこの白亜の城には結界が掛けられていた。

外から内、内から外に関係無く、結界を跨いでの転位は出来ない。


 だけど今この瞬間、城に掛けられていた筈の結界は消し飛んでいる。


「結界が解けてしまったのはきっと、さっきの地震のせいね」


 ガラスが割れた音のように聞こえたのは、城全体を覆う結界が破れた音だったようだ。

あの地震はおそらくレオン本人が起こしたものだ。


 レオンは俺たちの中では一番魔法が下手だったが、制御が下手なだけで、保有魔力量なら人の平均を大きく上回る。

怒りにまかせて魔力を叩きつけて突き破る事は可能だ。


「どうしましょう? 私があんな事を言ったからだわ」

「落ち着いて。きっかけはイルメラちゃんの言葉だったかもしれないけれど、君だけのせいじゃないよ。まずは念の為、お城の中を探してもらおう」


 視線で問うと首肯した母上の表情は固かった。



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