第71話 千枚鏡




 部屋の扉の脇に控えていた衛兵さんに手短に事情を説明すると、母上は室内へと踵を返し、隅に飾られていた花瓶をテーブルの上にひっくり返した。

天板に花瓶の水が広がる。

何をするつもりなのかと皆が首を傾げる中、母上は歌うように呪文を唱えた。


「静謐なる水よ、我の前に全てを映し出せ」


 机上の水がぼうっと鈍く発光し、何かを映し出す。


「この部屋の外?」

「聞いた事があるわ。伝説の水鏡の魔法」

「これが、母上の編み出した魔法……」


「……いない。ここにもいないわ」


 俺たちがざわついている中、母上は水面の映像を動かして城のあちこちを映した。

虱潰しに見て回っているようだ。


 全員が食い入るように水鏡の映像見つめていた時、派手な音がして扉が開いた。


「マレーネ教導官!」


 駆け込んできたのはマヤさんとローブを着た魔法師だった。

この魔法師の人、どこかで見覚えがある。

そう考えた瞬間に、初めて城に来た日の記憶が蘇った。


『マレーネ教導官、貴女と友に戦えて幸せでした……』


 そう言って最後に意識を手放した彼は確か、魔法師団の期待のエースだった筈だ。


「名前は確か……ファルコさんだ」

「この人知ってるのアルトくん?」


 俺の記憶の中のその人より背丈と髪が伸び、纏う雰囲気にも貫禄のようなものが感じられる。

彼の着る深紅ローブの胸元には勲章が飾られ、袖には銀糸で縫い取られた線が三本伸びている。


「マレーネ教導官!」


 俺がルーカスの問いに答える前に、ファルコさんとマヤさんは机上の水を見つめたままの母上に駆け寄った。


「後にして頂戴」

「なりません。今は結界の再建が最優先ですわ」

「いいえ……」


 机の上から目を逸らさない母上にマヤさんが言い募る。

それでもなおレオン捜しを続けようとする母上を、ファルコさんが腕を引いて強引に振り向かせた。


「お気持ちは分かります! ですが……、ですが今、貴女が為すべきなのは結界の修復です。今の我が国の民であれを完璧に直せるのは貴女だけです! 殿下は我々城の兵が必ず見つけ出しますから」

「でも……!」

「マレーネ様」


 母上とマヤさんとファルコさん。

三人が三人共、眉間に皺を寄せ、厳しい顔付きをしている。


 こんなに迷いを見せる母上の姿を見るのはいつぶりだろう?


「ですが、私は……」

「ならば仕方ありません。こう言いましょう。マレーネ・シックザール殿! 王立魔法師団長、国に仕える全ての魔法師の頂点に君臨する者として、貴女に城の結界修復を命じます!」

「そんな……!」

「これは命令です!」


 横暴だと訴えようとする母上の言葉をファルコさんは遮った。

魔法師団長ともなれば、高位貴族と同等の発言権を与えられる。

そしてその隣で、元・近衛騎士団長が真剣な面持ちで頷いている。

彼らとて苦渋の決断なのだと、その表情から読み取れた。


 城全体を覆う大結界を一から張り直すとなれば、その精神及び体力的負荷は計り知れない。

師匠の魔導書の通りならば、通常それは数十人、数百人規模の魔法師が集まって数週間、場合によっては数ヶ月という時間を掛けてする作業だ。


 だが、今回は時間を掛けていられない。

近隣諸国とは和平協定を結んでいるとはいえ、この期に乗じて戦を仕掛けて来ないとは限らないからだ。


 それでも母上が動けずにいるのは自分が監督していた授業の最中に、自分の教え子が魔法を暴発させて行方知れずになってしまったからだろう。

母上は俺たち皆を平等に慈しんでいる。

だからレオンが王子というのを別にしても、胸を痛めているのだ。


 だったら、今俺がするべき事は一つだ。


「母上」

「アル、ちゃん?」

「レオン捜しは俺がやるよ。俺が、母上の編み出した魔法を使って、レオンを捜す。そして絶対に見つけるから」


 こんな時に使わないで、何の為の馬鹿魔力だ。


「そんな無茶よ! 二系統同時になんて、貴方まだ使った事が無いでしょう!?」

「大丈夫。俺を信じて」


 俺を心配する母上に俺はゆっくりと頷いてみせる。

不思議と、胸の辺りから力が溢れているような気がした。

根拠の無い自信だけど、やれる気がする。


「それに、レオンには大嫌いだと言われた恨みもあるからね。絶対に連れ戻して訂正してもらわなきゃ」

「魔法師たる者、常に冷静であれと私に教えて下さったのは貴女です。最善の道を選んで、今為すべき事を為す。それが力ある者の義務ですよ」

「マレーネ様、アルフレート様。私からもお願い致します」

「分かったわ……」


 俺とファルコさんとマヤさん。

三人分のエールを受けて、母上はようやく決心したようだった。



「広場へ魔法師団の皆を集めて頂戴」

「既に伝令を出して、皆を待機させております」

「じゃあ、私たちもすぐに向かいましょう」


 方針が固まれば、急ピッチで結界修復の準備は進んだ。

俺と頷きあってから母上はファルコさんを伴い、広場に向かう。


 さて、こっちも悠長にはしていられないな。


「マヤさん、この部屋に大量の水盆を用意してもらえるかな?」

「畏まりました」


 俺の指示を受けてマヤさんは部屋を飛び出していく。

そっちの準備が整うまでに、俺は心を落ち着かせておこう。


「レオンくん……」

「無事、かしら……?」


 俺と一緒に残された子二人が心配そうに顔を曇らせている。

幼くとも、レオンの感情を煽ってしまった事や止められなかった事にそれぞれ責任を感じているのだ。

将来、きっと立派な大人になるな。


「大丈夫だよ、俺がすぐに見つけるから。それにさっきも言っただろう? 嫌いって言葉を訂正させなきゃって」

「うん……」

「何か、私にも何か出来る事は無いかしら?」

「俺を傍で見守っていて。それが俺の力になるから」


 右手にルーカス、左手にイルメラ。

俺たちは傷ついた獣のように自然と寄り添った。

それ以上言葉を交わす事はしなかったが、何故だかそうするのが相応しい事のように思えて、それは他の二人も同じだったのか沈黙の中に不思議と気まずさは無かった。



「仰られた通りに水盆を並べましたわ」

「ありがとう。皆よく頑張ってくれたね。ここからは俺が頑張る番だ」


 メイドさんたちに労いの言葉を掛け、ふっと息を吐いた。

部屋の中には千個に及ぶ水盆が設置されている。

そのどれにも水がなみなみと注がれている。


 今ここにレオンが現れたら、次々に水盆をひっくり返して水浸しの大惨事になるんだろうな、なんて考えるとこんな状況だというのに笑えた。


「よし、始めよう」


 皆が緊張の面もちで見守る中、俺はここ一番の大勝負に乗り出した。



 水鏡の魔法とは俺の尊敬する母上、マレーネ・シックザールが編み出した、水魔法と光魔法を併用した新たな魔法である。

そこで俺はその仕組みについて仮説を立て、それに従い魔法を組み立てていく事にした。


 まず、水盆の中の水に練り上げた自分の水の魔力と光の魔力を注いでいく。

全部に注いで、水面が鈍い発光を始めたところで次は部屋の外に意識を巡らせた。


 およそどのような空間においても、その濃度に差はあれど大気中には魔力の元となる魔粒子が含まれる。

その場所、その場所によって各系統含有される割合は異なるが、大抵の場所に存在する魔粒子、それが光系統の魔粒子だ。

生き物の体内に存在する魔粒子が生命力なら、自然の中にあるそれらは現象そのものと言っていい。


 転位魔法は、指定した座標に存在する光の魔粒子と自分の位置を入れ換える魔法。

それなら、水鏡の魔法もそれに近い論理の形を取っている可能性がある。


 指定座標の光を媒介として、それをこちらの魔力を通した水に映し出す。

前世の世界の技術に当てはめて考えるならば、光粒子が監視カメラ、魔力が回路、水がモニターだ。


「静謐なる水よ、我の前に全てを映し出せ」


 転位をする要領で座標を指定し、それを水盆に接続する。


「映りましたわ!」


 興奮したイルメラの声を皮切りに、周囲からざわめきが起こる。

これまで母上以外は誰も使えなかった魔法が、俺の手によって再現されたからだ。

だけど喜ぶのはまだ早い。


 俺が呪文を唱えたと同時に、広場の方でも魔力が一気に高まっていくのを感じた。

あちらも結界の修復を始めたのだろう。


 再度息を吐いて次々に水鏡の魔法を発動させていく。

その時点で、ごりごりと魔力が削り取られていくのを実感した。


 発動時の消費魔力は転位魔法程では無いが、水鏡の魔法は発動状態を維持するのにも別途魔力が必要なようだ。

それを千枚も同時展開させるというのは、自分でやっておきながら精神にかなり負荷のかかる作業だった。

それでも一刻も早くレオンを見つけようと思うのなら、これを完璧に制御するしかない。


 より集中を高める為に、目を瞑った。

水盆に映し出された映像が、俺の頭の中に同時にいくつも浮かぶ。


 城の中、一の郭・二の郭・三の郭・四の郭にはいないな。

城の周辺地域、中央区の屋台通りや裏通りにもレオンらしき姿は無い。

赤レンガの居住区にもいないな。

レオンも派手な容姿をしているから、変装も無しに街中に姿を現せば大騒ぎになっているだろう。


 東領の茶園や山岳地帯、アイゼンフート家本邸周辺も白だ。

東側の隣国・アクロイドとの国境付近にもいない。


 北領の放牧地帯や畑には子供の姿は無いな。

もしやと思った雪山ラヴィーネの映像は年中吹雪いている影響で、かなり見にくかったが、どうやら動物自体があまり住んでいないようで、ここでもレオンを捕捉するには至らなかった。


 脳内に流れ込む情報量が尋常じゃなくて、頭が割れるように痛いがまだだ。


 ドッペルバウアー家の統べる南領。

海周辺には網を引いて漁をする男たちの姿が見えたが、今は関係無い。

果樹園の木の枝に引っかかっているなんて事もないよな。

山間部の集落では十代になったばかりくらいの子供たちが、揃って小振りの刃物を振り回していた。

剣術の稽古だろうか?


 西領。

まだ足を運んだ事は無いが、確か地図では南領との境、特産物の塩が取れる塩湖周辺にはカロッサ砂漠と呼ばれる広大な砂漠が広がっていた筈だ。

ここには危険生物や危険植物がたくさんあった筈だから、重点的に見よう。


 塩湖周辺、岩塩地帯には人の姿が無いな。

その先の街にも、それらしい子供はいない。

砂漠は見晴らしはいいが、目印になるようなものに乏しくて、突然砂漠の中に放り出されたら、遭難しそうだ。

映像越しにも、暑さが伝わってくる気がする。


 ああ、やっぱり頭が痛い。


 たらりと、額から汗が滴ったのが分かった。

だけど今はそれを拭う事すら、億劫だ。

魔法を維持し、情報を処理するのに精一杯なのだ。


 でもやっぱり暑いし、頭が痛い。

頭が熱い、痛い、熱い……。


 暑さと頭痛で集中を乱しかけた時、左側の気配が動いて額に浮かぶ汗をそっと拭ってくれたのが分かった。

しっかりしろと言ってくれているような気がする。


 大丈夫だ。

絶対見つかる。

俺はまだやれる。


 左右で繋がれた手をぎゅっと握り返した時だった。



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