第10章
第62話 ライバル店出現
北領での滞在期間を終え、中央区の自分の家に帰ったその日。
一週間ぶりの我が家での穏やかな時間を堪能していた俺だったが、全てを突き破るような声にそれは脆くも崩れ去った。
「大変だ、大変だ~!」
ドア越しにも大きく響き渡って聞こえるのはどういう訳だろうか?
大変だ大変だと騒ぎ回るだけで、何が大変なのか一向に判明しない。
声と共にこちらもバタバタと乱雑に響き渡る足音が次第に近付いてくるのを感じながら、俺は読みかけの本を閉じた。
「大変だ~!」
一度部屋の前を通り過ぎた声は、ドップラー現象を巻き起こしながら引き返してくる。
程無くしてドアが轟音を立てて開いた。
「親分! 大変だ!」
開いたドアの陰から姿を現したツァハリスはもう何度目か分からない叫び声を天井に響かせた。
片足だけ浮いているその体勢を見れば彼が何をやらかしたのか一目瞭然だ。
「聞いてくれ、大変なんだ!」
「分かった。分かったから少し落ち着こうか。それと扉は蹴破るものじゃないからね。廊下も原則走っちゃダメ」
なおも大変だと繰り返し、こちらに掴みかからんばかりの勢いで詰め寄って来るツァハリスを俺は手で制した。
大柄な図体の男が目の前に迫ってくると、無駄に広い部屋も窮屈に感じるらしい。
ついでに苦情を言ったのは、ドアが使い物にならなくなったからだ。
蝶番は弾け飛び、ドアだったものはただの板切れとして足元に転がっている。
「いや、でも親分! とにかく大変……ってイテッ!」
「おいコラ! てめぇはちったあ分かるように話やがれ。たくっ、馬鹿の一つ覚えみたいに大変だ大変だばっかり叫びやがって」
「だからって後ろから狙うのは卑怯だぞ、ゴーロ!」
やはりツァハリスの話は要領を得なくて困っていたところに、新たな声が加わった。
口より手が先に稲妻の早さで動く男・ゴーロだ。
正直言うと俺の方からは彼の登場も、ツァハリスの頭上で思い切り振りかぶられる腕の動きもばっちり見えていたけれど、敢えて止めなかった。
俺の声が右から左状態のツァハリスをどう引き剥がそうか考えあぐねていたからだ。
この体格差は容易には埋め難いものがある。
手が無い訳では無いが、加減を間違うとツァハリスの身が危ないので、熟練者に任せて正解だった。
「親分、おかえり」
「ただいま、キーファ」
ギャンギャンと口喧しくゴーロとツァハリスがやりあう中、漸くまともに話の出来る人間の姿を見つけた俺は胸を撫で下ろした。
コンパスの長さの差なのか、単にキーファがのんびり屋なのか遅れての登場だ。
きちんとおかえりと言ってくれるあたりが、他の二人とえらい違いだと思う。
「で、ツァハリスの言う大変な事って何?」
「それが実は、うちの商法を真似する店が現れたんだ」
「というと?」
「子供を売り子に商売する店が現れたんだ」
キーファは鼻先までずり落ちた眼鏡を直しながら答えた。
「……そっか。うん、豆腐の方じゃないなら取り敢えず脅威じゃないかな。いつかは真似をするお店も出てくるだろうと思ってたけど、案外遅かったね」
「驚かないのか?」
「だって、そんなの新技術でも何でも無いからね。ちょっと容姿が華やかな子供を連れてきて立たせていればいいんだから。むしろ今まで後追いが出なかった事の方が不思議だ」
「で、でもよー? 何となくいい気がしなくねぇか?」
「そうだ! あの商売方法は俺たちが考え出したんだぜ?」
ここ二ヶ月程で彼らはすっかり豆腐屋の仕事に愛着と誇りを感じるようになっていた。
仕事自体も板についてきたようで、北領滞在の間の営業を任せても大丈夫だと踏み、出掛けた。
一応お目付役としてカーヤさんを残して行ったのだけれど、その際他ならぬカーヤさん自身から不満の声が上がったのには軽く驚いた。
いつも一歩先の行き届いたお世話をしてくれるカーヤさんが、後生だから自分も北領に連れて行ってほしいと言ったのだ。
カーヤさんは南領出身だから、北領に憧れでもあるのだろうか?
それにしては、豆の買い付けに同行した時には寒いの何のと言ってあまり楽しそうでは無かったような気がする。
女心というやつはよく解らないな。
そんなカーヤさんからは俺の不在の間、特に大きな問題は起こらなかったと報告を受けている。
俺たちが考え出したなんてツァハリスは言うけれど、そんなものは前例が身近に無いだけでどこかの誰かはきっと俺たちより先にやっているだろう。
誰が最初かなんていうのは考えるだけ時間の無駄だ。
「うーん、そんなに言うなら真似したっていうそのお店を見に行ってみようかな……」
正直そんな店なんてこれからいくらでも出てきて、切りが無くなりそうだと思うが、殴り込みに行き兼ねない三人のガス抜きを早々におこなっておいた方が良さそうだと判断した。
「それで、そのお店って何のお店なの?」
「パン屋ッス。そこのパンがうめぇの何の……」
「馬鹿野郎! 商売敵の店で買ってどうするんだよ!」
「あっ、そうか!」
「何でも親分と同じくらいの年頃の、可愛い女の子が客引きをしているらしい」
また取っ組み合いのじゃれ合いを始めたゴーロとツァハリスには好きにさせておいて、考えを巡らせる。
何かが引っ掛かる気がした。
「それってどんな子?」
「それがすごい人だかりで顔は見られなかったんだ」
「でも、噂によるとすげぇ別嬪の嬢ちゃんらしいッスよ?」
「貴族の娘が好んで持つ、高価な人形のような容姿だとか」
ゴーロに固め技を掛けられながらも器用に口を挟んでくるツァハリスと、キーファの話に俺は唸り声を上げた。
気になる。
「別嬪とあっては男としては見に行かない訳にはいかないッスよね!」
「しかし、この間豆腐を買いに来た赤頭巾の子の事はいいのか?」
「浮気とは男の風上にも置けねぇ奴だな!」
俺の沈黙の意味を三人はあらぬ方向に誤解したようだった。
俺はいつだってイルメラ一筋なのにな。
「とりあえず見に行ってみようか。こっちも見習える部分があれば真似しちゃおう」
「おっし、出歯亀作戦開始ッスね!」
「馬鹿、それじゃ本末転倒だろうが!」
「イテッ!」
「敵情視察、つまりスパイ……」
やましいところが一つも無い俺は他に適当な口実も見つからないので敢えて言い訳はせずに、そのまま誤解をさせておく事にした。
「あ、ツァハリス。次のお給料から、ドアの修理代金を天引きね」
「ぬおおおぉぉ~!」
俺の一言にツァハリスはこの世の終わりかのような悲鳴を上げたのだった。
「あら、ごろつき豆腐さんのところの、坊やじゃないの」
「このところお店にいなかったから、心配したのよ」
部屋を一歩出たところでバッタリ出くわしたカーヤさんを視察メンバーに加え、ツァハリスの案内で街中を歩いた。
ちなみにフリューゲルは暑さにバテて本人ならぬ本馬が嫌がったのと、雑踏の中を連れ歩いたら目立つので留守番中だった。
時折声を掛けてくる女性たちは皆、豆腐屋の常連さんだ。
無事固定客も付き、日毎に売り上げを増している状況で、土の日と光の日にしか販売していなかったが、他の曜日にもお店を開けてほしいという声すら聞こえてくるようになった。
だいぶ名前が売れてきて、行商限定商品のおから揚げなんて最近は瞬殺らしい。
それらに会釈と手振りで応えながらも立ち止まる事はせずに、パン屋を目指す。
その店は遠目に見てもすぐにそれだと判った。
すごい人だかりが出来ているからだ。
「へえ、繁盛しているんだね」
押し合い、圧し合いという言葉が相応しいくらいに混雑して、この辺り一帯だけむっとする程に土埃が酷い。
客引きが女の子だからだろうか?
うちの店が女性客中心なら、パン屋の方は男性客中心だった。
可笑しいのは、店先に押し掛けている客は荒くれ者のような声を上げ、今にも喧嘩を始めそうな程殺伐とした雰囲気を放っているのに対し、店から出てきた客は惚けたような表情をして夢遊病者のような歩みをしている事だろう。
そんな事を考えている端から、パン屋で買い物を終えた客が往来の波に衝突して派手にすっ転んだ。
「危ないな……」
「だろう?」
商売敵だとかそういう個人的な問題は別として、店内に入れない客が通行の妨げになっているのは悪影響が出そうだ。
何か対策を講じる必要があるだろう。
こんな状況を生み出した原因の一端は俺にもあるから、まずは父上にそれとなく伝えてみよう。
肝心のの客引きの少女の姿はここからだと人垣のせいでよく見えなかった。
時折隙間から、少女が着ている服の一部とおぼしき白っぽい布がちらちら見えるだけだ。
中途半端に見える分、全く見えないよりも歯痒い。
くそう、人垣は背の順でお願い出来ないものか?
おチビさんな子供に優しくない。
ツァハリスなら見えているかと訊ねてみたけれど、彼は頭を振った。
目標自体の身長が低く、人の陰に隠れてしまっているのだ。
きちんと行列を成しているのであれば並べば良いだけだが、荒くれボーイズ&ジェントルメンは無秩序に、実に自分勝手に順番抜かし上等で我先にと前に進もうとする。
そんな訳で俺は非常手段を講じる事にした。
「ツァハリス、突撃~!!」
一度こういうのやってみたかったんだよねと胸を高鳴らせながら、ビシッと右手で前方を示し、号令を掛ける。
将軍みたいで燃えるじゃないか。
「えっ、俺ッスか!?」
「お前以上のイノシシ馬鹿が何処にいる?」
「猪突猛進ね」
「適任だ」
「何だか納得いかないんスけど!」
「行ってくれたら俺の部屋の扉を壊した件、チャラにしてもいいんだけどな~」
「やります! 喜んでやります! 俺、こういう役を待ってたッス!」
こうして斬り込み隊長は満場一致でツァハリスとなった。
「いざ、出陣!!」
再度号令を掛けるとツァハリスが人並み外れた大きな体格で割って入り、抉じ開けてくれた道を俺はひた走った。
左右のラインはゴーロとツァハリスが、背後はカーヤさんが睨みを利かせて守ってくれているから、俺は前だけ向いていればいい。
人垣を抜けて、最前列に躍り出た瞬間に突風が吹き、薄手の白い布が俺の頭上を越えて高く飛んでいった。
それを見上げた者がいたならば青空を覆い、太陽の光を遮る雲のように感ぜられた事だろう。
しかし、俺の目は前方に釘付けだった。
白い生成りのワンピースを纏った少女。
腰元は紐で絞り、紐は前で蝶々のように結わえる事で、飾り気の少ない服を僅かに華やがせている。
彼女が客引きの子だと理解するよりも前に、俺の思考はある一つの記憶で塗り潰され、占拠された。
「あら、また会ったわね」
差し向けられたのは再会を祝う言葉だった。
――少なくとも表面上は。
彼女がこてんと小首を傾げると、柔らかなブロンドの髪がふわりと揺れた。
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