第61話 漆黒のユニコーンと純白の貴公子
場所は昨日の白昼と同じくして。
「すごい、黒くて大きくて格好いい!」
『フン。男に褒められたところで嬉しくも何とも無い』
黒いユニコーンをひと目見た瞬間、ルーカスは叫んだ。
興奮の余り、念話を使う事すら忘れている。
やはり、自分に無いものに憧れるのだろうか?
それに応えるのがフリューゲル曰く、自分より高慢な黒ユニコーンだ。
念話でなくとも褒めているのは伝わっているらしいが、ユニコーンは不機嫌そうに鼻を鳴らしてそっぽを向き嘶いた。
『だいたい、その生白い肌の人間はなんだ? まるでお前みたいではないか、フリューゲル!』
『そなたに比べれば、大抵の生き物は白いであろうよ』
初対面の人間に対して遠慮なく失礼な言葉を並べるユニコーンに対して、慣れているのかフリューゲルは軽く
墨を流したような漆黒の艶やか毛並みは見事だった。
このユニコーン、偏屈だが綺麗好きなようだ。
『フリューゲル、ナイス突っ込みだな』
『うむ、かたじけない』
確かにこのユニコーンに比べれば、殆どの生き物は白い部類に入ってしまうだろう。
そのくらい、深い黒をしていた。
黒く無いのは額の一本角だけだ。
この角がまた黒い体毛によく映えている。
ルーカスでなくてもテンションが上がるのはよく判る。
純白のペガサスと並ぶとこれまた対の芸術品のようだ。
このユニコーン、欲しい。
触りたい。
『アルト。そなたは浮気性だな』
『……えっ? そんな訳無いだろ。俺は幻獣との契約はお前一頭だけと……』
『契約早々、浮気とは。非情だな……』
『人の心を読むな!』
『アルトくん、ペガサスさん。真面目に、ね?』
俺の事をジト目で見て、恋人の移り気を咎めるように言うフリューゲルと茶番のようなやりとりをしていると、ルーカスに注意されてしまった。
超絶長生きのペガサスと、前世の記憶持ちの俺だけれど、この時ばかりはルーカスが一番大人に見えた。
『フン。どいつもこいつもふざけやがって。どうせなら、年頃の若い女人を連れてくれば良いものを……』
『自分が一番まともみたいな言い方をしているけど、貴方も大概だからね、ユニコーンさん』
『人間の雄の分際で気安く話し掛けるな』
男というだけの理由で黒ユニコーンは俺を毛嫌いした。
なるほど確かに扱いにくい。
気安く話し掛けるなと言って周囲を拒絶する姿が、出会ったばかりの頃のイルメラと重なる。
何をとは言わないが、随分と拗らせたタイプらしい。
だけど僅かな会話の中から、黒ユニコーンの性格を少しだけ窺い知る事が出来た。
まず、女好きである。
これはユニコーンの典型例だけれど、黒ユニコーンもその御多分に洩れず女性が大好きらしく、女を寄越せと明確に要求してきている。
諸般の事情から女性の同行が叶わなかった俺たちに対して、ユニコーンは不満を露わにした。
『フリューゲル。お前は何と言ってこのユニコーンをここへ連れて来たんだ?』
『千年に一人の美人踊り子が舞を披露するらしいと言った。我ながら良い案だった』
『真っ赤な嘘だよな、それ。嘘で誇らしげにするんじゃない』
褒めろと暗に主張するフリューゲルにはしっかりと釘を刺しておく。
そんなすぐに判りそうな嘘にまんまと騙されて下山してくる己の欲望直結の思考回路なユニコーンもどうかと思うが、ご大層な誘い文句に唆されて隠遁生活を中断してまで人里へやって来たのに、女っ気ひとつ無いとなると少し不憫かもしれない。
『細かい事はどうでも良いではないか』
『フリューゲル、お前は罪なペガサスだな……』
言いくるめて連れてくるようにお願いしたのは他ならぬ俺だけれど。
もう一つ、黒ユニコーンの性分について分かったのは意外と中身は子供っぽいという事だった。
偏屈と聞いて、勝手に仙人みたいなのが出てくると思っていたのに、実際は真逆と言っていい。
何というか、ぐれた男子高校生がちょうどこんな感じだと思う。
『ユニコーンさん。ユニコーンさんも一緒に暮らそうよ?』
『ハッ、笑止。フリューゲル、お前が行きたければ勝手に行け。ただし俺はラヴィーネに残る』
『我はそなたが来ようが来まいがどちらでも良いが、我の契約者とその友は違うようでな。どうしてもそなたも共にと言って聞かぬのだ』
ルーカスのアプローチは極めてストレートだった。
持って回った言い方をせずに、一切の飾り文句を省いて誘う。
しかし、頑迷で意固地なユニコーンはそれを鼻先で突っ返した。
『どうして? どうして山に残るの?』
『くだらぬ人の世に疲れたのだ』
それでも今日のルーカスはめげる事無く食い下がった。
魔法教室のメンバーの中では比較的柔軟な思考をしているルーカスだけれど、譲れない部分は絶対に譲らない。
時と場合によってはこちらも意外と頑固なのだ。
これは根競べ。
先に諦めた方の負けだ。
俺とフリューゲルはそれを見守る事にする。
くだらない。
そう言い切ったユニコーンの黒い瞳は暗い光を灯していた。
『どうしてくだらないの?』
何がユニコーンにそんな顔をさせるのか。
ルーカスは静かに問う。
『全てだ。人の世において、変わらぬものは何一つ無い。栄えた国も人も、いつかは滅びる。育まれた愛も絆も、いつかは破れる』
苛立ち、哀しみ、怒り、無念、悔恨、失意、戸惑い。
全てを押し込めて語る声はごく小さなものだったけれど、鼓膜の裏や脳裏がひりつく。
まるで叫んでいるかのように錯覚した。
おそらく、育まれ、後に破れた愛と絆とはブロックマイアー家の祖先・クラウディアと黒ユニコーン自身の事だろう。
彼は本当に好きだったのだ、彼女の事が。
『僕はまだ幼いから判らないけれど、ユニコーンさんは世界の全てを知っているの?』
『ああ、そうだ。九百年前、俺は世界中を見て回った。そしてその旅の最後に得たのは失望だった』
ユニコーンが声を荒げ、後ろ足で伸び上がって高く上げた前足を振り下ろそうとする。
『フリューゲル!』
「若様!!」
ルーカスが危ないと判断した俺は、先だって契約を交わしたばかりのペガサスの名を叫んだ。
そこに続くのは昨日同様、念話が出来ないゆえに状況が呑み込めていない使用人さんたちの絶叫だ。
伝説の生き物を前に気圧された彼らは一拍動きが遅れる。
それらを置き去りにして駆けていったフリューゲルは黒ユニコーンとルーカスの間に身体を滑り込ませようとした。
『まだだよ』
ルーカスはフリューゲルと、駆け寄ろうとする俺や使用人さんを手で制した。
邪魔してくれるなと、紫の瞳が訴えている。
結果的にはその僅かな動きのおかげで上体が逸れ、ユニコーンの蹄を逃れた。
自分よりも遙かに大きな身体で威嚇してくる漆黒のユニコーンにルーカスは少しも怯まなかった。
「寂しかっただけだよね……」
頭の中と鼓膜の両方をルーカスの声は共鳴させた。
念話に肉声を重ねたのだ。
『寂しくなどあるものかっ』
「嘘つき!!」
近くの木々の枝で気配を潜めていた白い鳥たちが一斉に飛び立った。
「僕は寂しかったもん。僕は変な子なんだと思って。時々ベッドを抜け出してはお城の庭にあるお池で、
「若様……」
ここにいる使用人さんたちは、冷遇されていた頃のルーカスの様子を直接は知らない。
だけど情報としてはそれと無くでも伝わっていた筈だ。
当主が見て見ぬふりをするルーカスに、母親以外誰も手を差し伸べなかった。
差し伸べられなかったのだ。
唯一愛してくれた母親は何者かに盛られた毒薬の影響で、ある日突然豹変し、幼いルーカスは心の拠り所を失った。
今は和解し、公爵はもっぱら息子と娘を溺愛してわだかまりも解けたようだが、ルーカスの味わった孤独は無かった事にはならない。
池をのぞき込むルーカスの姿、そして水面に独りぽつんと映る彼の顔はそのまま、ブロックッマイアー家とそこに仕える者達が背負って生きていくべき十字架の形だ。
「好きだから、大好きな人だから悲しいんだよね」
好きだから、いなくなった事が悲しくて傷付いた。
好きだから、赦せない。
心の深い部分を突かれたユニコーンは動揺を隠せない様子で、足下の草が抜けて茶色い土が見えるくらいに意味も無く何度も地面を蹴った。
『ならばお前も判るだろう? 人の世などくだらぬと……』
「ううん。全部諦めかけていた時にね、僕はアルトくんたちに会ったんだ。最初はね、僕がなりたかった濃い色の髪のアルトくんやイルメラちゃんがすごく羨ましくてたまらなかった。だけどね、アルトくんは僕の髪の色なんて全然気にしないで話し掛けて、僕に触れてくれたんだ」
しんと静まり返る。
草木すら、ルーカスの話に聞き入っているかのようだった。
「他にもね、僕が寝込んでいる時にお見舞いに来てくれたんだよ? 動けない僕の口の中に魔石を入れてくれた時、すごく、本当にすごく嬉しかったんだ。苦しいけど、生きてるんだ、生きていいんだって思えた」
目を細めて、ルーカスは臥せっていた時の事を思い出しているようだった。
彼の中でそれは苦くて苦しくて、それでも甘くて幸福な記憶なのだろう。
「変わらない事ってそんなにすごい事なのかな? 僕、あのままひとりぼっちだったらって考えるとすごく怖いよ」
人は普遍や不変に深く価値を見出すものだ。
だけど変わるべきもの、変えていくべきものだって確かに存在する。
不老不死は人類の夢だけれど、移ろっていくからこそ大切に出来るものもあるのだ。
「大丈夫だ」
気付けば足が向き、手が伸びていた。
頭を撫でてやりたいと思ったのだ。
一度俺の顔をまじまじと見つめたルーカスは俺にしっかりと頷いてみせてから、傷付いたユニコーンに向き直った。
「僕もまだ迷う時があるけど、頑張るから。大丈夫だから、一緒に行こう?」
そう言ってルーカスは小さな手を差し伸べる。
彼は辛抱強くユニコーンの言葉を待った。
『フン、人間の雄のしかも子供風情が……』
待ちに待った返り言は悪態だった。
やはりユニコーンは絶対に乙女以外には懐かないのだろうか?
これだけ言っても駄目なのかと揃って落胆しかけた時、再度脳裏に声が響いた。
『……だが、良かろう。そうまで必死に頼むのなら、ついていってやろう。俺は寛大だからな』
「やった~!!」
「よし!!」
傲慢で不遜な台詞を吐く漆黒のユニコーンの前で、俺とルーカスは文字通り跳び上がって喜んだ。
フリューゲルはただ満足そうに唸っている。
「一緒だね、黒いユニコーンさん!」
『……フン。いい加減名前で呼べ、人間の雄。俺の名はオスカーだ』
今日一番の笑顔を送るルーカスの言葉に、ユニコーンは何故か驚いた様子だった。
やがて誤魔化すように鼻を鳴らし、名を告げる。
オスカー、神の槍か。
「僕の名前はルーカス・ブロックマイアーだよ、オスカーさん」
空には太陽は祝福するように輝いていた。
この後、オスカーとフリューゲルを伴って邸に帰還した俺たちを見て、ブロックッマイアー家の本邸が上を下への大騒ぎとなるのはまだ誰も預かり知らぬ事である。
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