第57話 もふもふパラダイス




「アルトくん! 早く、早く!」

「わっ、ちょっと待って!」


 客室に案内されて早々、ルーカスは俺の元へ突撃してきた。

驚いている間もなく手を引かれて邸の外に出る。


「若様、お待ち下さい!」


 すぐさま遠くに見える牧場へ向かって駆け出そうとした俺たちだったが、すぐに後方から数人の足音がして、追い掛けてきた使用人さんたちに背中をつかまった。

護衛を、という事らしい。


 人見知りの激しいルーカスは嫌がったけれど、何とか説得をして彼らに同行してもらう事になった。



「ねえ、アルトくん見て! お馬さんだよ! あっちには羊さん!」

「若様! そのように身を乗り出されては危のうございます!」


 牧場に辿り着いたルーカスは大興奮だった。

木製の柵によじ登って向こう側へと身を乗り出している。

そんな若様を心配して使用人さんはあたふたと顔を青くするのだった。


「大丈夫だよ。この子たちはいい子だから、悪さなんてしないもんね~?」


 そう言ってルーカスが同意を求めたのは俺では無かった。

いつの間にか馬が一頭こちらに近寄って来ている。


「ブルルルルッ」


 タイミングよく鼻を鳴らして鳴くそれは、あたかもルーカスの言葉を理解して同意しているかのように見えた。


「いい子、いい子」

「若様!!」

「いけません!」


 近付いてきた馬に対してルーカスは全く気後れした様子も無く、当然の事のように草を食む茶色い頭に手を伸ばした。

一拍遅れて悲鳴のような声を上げる使用人さんたちの頭には最悪の光景が過ぎったに違いない。

しかし、彼らが恐れていた惨事は起きず、ルーカスの手は馬に受け入れられていた。


「もうっ。お馬さんが驚いちゃうでしょ?」


 若様にそろってお叱りを受ける使用人さんたちだったが、彼らは皆一様にほっとした様子だった。


「ルーカス、今のは俺もちょっと驚いたぞ?」

「でもこの子たちいい子だよ?」


 何をそんなに慌てているのか判らない。

そんな顔をしてピョンと柵から飛び降りたルーカスは、その場でしゃがみこんで馬の食事風景をじーっと見守る。

人見知りはするが、馬見知りはしないらしい。


当の馬は見られているのなんてお構いなしに、のんびりと柔らかそうな葉をもそもそと食している。


「いい子でも急に触ったりしたら、驚いて暴れるかもしれないだろう? 馬は俺たちの何倍も力が強いんだ。そんなつもりは無くても、まだ子供で身体がひ弱な俺たちに怪我をさせてしまう事だってあるかもしれない」

「うーん……」


 なおも柵の下から手を伸ばして馬の鼻面を掻くように撫でる子の隣にしゃがみこんで俺は語った。

そこで初めて食べにくいと抗議するように熱い鼻息を洩らした馬を見て、ルーカスは目をキラキラさせ、生返事をする。

馬の事で頭がいっぱいで、俺の話が頭に入っていないみたいだ。


「ルーカスは初対面の人に急に触られても平気か?」

「それは嫌だな……。怖いもん」


 軽く肩を掴んで振り向かせると、ルーカスはようやく俺と会話中だった事を思い出したかのように答えた。


「それと同じ事だよ。馬だって怖いものは怖いんだ。それでもしルーカスが怪我したら、ブロックマイアー公爵やここにいる使用人さんはルーカスに怪我をさせた馬を悪い子として罰しなきゃいけなくなるかもしれない。そんなの嫌だろう?」

「絶対に嫌だ」


 ルーカスは時折考えるような仕草を見せながら俺の話を聞いていたが、罰のくだりになると、泣きそうな顔をしながら頷く。

自分のせいで罰を受ける馬を想像して、悲しくなってしまったらしい。

綺麗な菫色の瞳が流れて零れ落ちてしまいそうだなんて錯覚する程に、彼は涙を浮かべている。


「だからそうならないように、きちんと大人の人に教えてもらいながら動物と仲良くしような?」

「うん。勝手してごめんなさい……」


 納得したルーカスは素直に謝る。

決壊寸前でそれでも堪えているのは先日お兄ちゃんになった彼が、強くなりたいと願い、実際に成長した証だった。


 このくらいでいいよねと問うように後方へと視線を投げ掛けると、使用人さんたちは黙って深々とお辞儀をした。



 さて、俺たち人間がそうこうしている間に柵の向こう側にも、ある種の劇的な変化が訪れていた。


「ヒヒ~ンッ」

「メェ~」

「ンモゥ~」


 わらわらと動物たちが集まっていた。

それも一頭や二頭というレベルではない。


 馬や羊、牛、山羊、鶏、ウサギに関してはまだ、ここで飼われていて人に慣れていると考えればまだ納得出来ないという程ではないにしても、さすがにリスや狐は野生動物の筈だ。

普通に考えてこんなふうに人に近付いてくるのは有り得ない。


「あれ? 狐ってウサギの天敵じゃなかったっけ……?」

「その筈です……」


 ふと気づいて疑問を口走れば、使用人さんが俺以上に困惑した様子で唸った。


 俺の記憶している食物連鎖とこちらの食物連鎖に相違は無い。

今、目の前に転がっているのがまさしく非常識・異常なのだ。

両者共にくつろいだ様子で、食うもの・食われるものの間に漂う空気とはとてもじゃないが思えない。


「喧嘩しちゃ駄目だよ?」


 俺と使用人さんの会話を聞き咎めたルーカスがウサギと狐に言い含めるように言えば、その後に同調するように羊が一斉に鳴いた。


「私は生まれも育ちもここ北領で、動物には詳しいつもりでしたが、生まれてから二十数年、動物がこんな行動を取るのは見た事がありません」


 きちんと許可を取ってから弾力のある羊毛の感触を愉しむルーカスを横目に、使用人さんは嘆息した。

ルーカスの両隣には用心して二人控えている。

俺も大好きな動物との触れあいを早く堪能したいのは山々だったが、どうにも訊かずにはいられなかった。


 ゲーム第二部のルーカスは魔王討伐の旅にテイマー兼サモナーとして登場する。

テイマーもサモナーも、獣や精霊を使役して戦う点は同じだが、その違いを簡単に説明するならばテイマーが育成者、サモナーが召喚者だ。


 ゲームのルーカスは優秀なテイマーであり、サモナーだった。

そこから、動物に好かれやすい体質なのだろうとは思っていたし、実際そんなイベントもゲームのシナリオには存在したけれど、画面で見るのと目の当たりにするのでは迫力が違う。

正直ここまでとは思っていなかった。


 同じ動物好きとしては、ちょっと複雑だ。

それなりに苦労もあるだろうから、羨ましいだなんて安易に言うつもりは無いが、それでも少し妬ける。


「アルトくんもこっちに来て一緒にもこもこしようよ? みんなとってもいい子だし、可愛いよ?」


 俺の胸の内を知ってか知らずか、ルーカスは満天の笑顔で俺を呼ぶ。

相手が子供であっても初対面の人間は怖がるのに、自分よりも遙かに体格の大きい動物を可愛いと評するテイマーの卵がおかしかった。


「どの子からもふもふしようかな?」


 小難しい事を考えるのはここまでだ。

ここへ来たのは、動物パラダイスを堪能する為なのだから。

前回、北領に来た時は農家と契約するのが目的だったから、動物は遠目に見ただけだった。

ちっぽけな感情にとらわれてせっかくのチャンスを逃してはならない。



「この子、格好いい」

「いや、この子もなかなか良い腰つきをしてるよ?」

「僕の子の方が足がすらっとしていて、長いよ?」


 使用人さんから貰った人参を手に俺たちは馬の品評をしていた。

いや、品評というよりうちの子自慢大会に近い。

腰つきだの、足の長さだの、目の大きさだのを挙げて、ほめちぎっている。

例によって馬の方は人参に夢中だった。


「あっ、この子アルトくんにそっくりだよ!」

「えっ? 俺こんな馬面じゃないよ?」

「顔じゃなくて、色が」

「あ、ああ……」


 色が、と言われて俺はようやくルーカスの話に合点がいった。

確かにルーカスの示す馬は青みがかった濃い色の体毛をしている。

普段から念入りにブラッシングされているのか、馬だというのに毛の艶めきがすごい。

俺がそんな感想を抱いたと同時に、馬と目が合った。

どことなく、得意げな表情をしているように見える。


「いいなー、僕もこんな色の髪になりたいなー」

「そうなのか? 俺はルーカスの髪の方が銀糸みたいで綺麗だと思うけど」

「僕、男の子だもん。綺麗じゃなくて、カッコイイって言われたい」


 前にもそんな事を言っていたなぁと思いながら、俺は低く言葉ともつかない声を上げた。

やはり男の子らしくある事にルーカスはこだわっているようだ。

特に容姿に関しては公爵との一件もあってか、コンプレックスを感じているみたいだ。


「カッコイイって言っても、そんなの人それぞれ基準が違うからね。なかなか難しいと思うよ?」

「そうなの?」


 アメジストの瞳をまん丸にしてルーカスは聞き返してくる。

それに俺は大きく頷いた。


「見た目が一番簡単に変えられるからね。形から入ろうとする気持ちはよく解るし、それが間違っているとは思わないよ。だけど、カッコイイって世間でもてはやされる見た目なんて、時代と共に移り変わっていくものだから、こんな幼い頃からそんな刹那の流行を追いかけるよりは、まず自分の価値観を養って、何が格好良いのか自分の中での不変的な物を探した方がいいんじゃないかな?」

「価値観? 不変的?」

「何が好きとか、何が面白いとか、何が大事とか。そういう不変っていうのは変わらない事だよ。見た目の問題なんて、似合う似合わないの問題もあるから、簡単そうで難しいと思うよ」


 四歳児相手に少し難しい言葉を遣い過ぎたかと、噛み砕いて説明するもルーカスはまだよくわからないようで首を傾げている。


「例えば、いかつい男の人がイルメラが時々着てくるような、真っ赤なドレスを着たとする。それを見てルーカスはどう思う?」

「変だなって思う」


 自分で例えておいてなんだが、俺の頭の中でそれはゴーロで再現された。

恐ろしく似合わない上に噴き出しそうになる。

ルーカスの頭の中で誰が再生されたのかは知らないが、彼は俺の狙い通りそれを珍妙だと答えた。


「イルメラが着たら可愛いのに、いかつい男が着たら変。つまり、誰かの真似をしたところでそれで自分が格好良くなれるとは限らないんだよね」

「あっ……」


 そこでポンと手を打って何かをひらめいたような、呆けたような表情を浮かべたルーカスは一人でうんうんと唸る。

彼が差し出していた人参がなくなって、入れ替わり立ち替わり近寄ってきていた馬たちがもっと寄越せと不満げに嘶くのも彼の耳には入っていない様子だ。


「ドードー! ……見る人によっても感想は違ってくるよね」


 俺の方へ殺到してくる馬たちをなだめつつ、嘆くように漏らした俺の言葉にルーカスは大きく頷いてみせた。


「黒馬も格好いいし、馬ならオーソドックスは茶色だけど俺は白い馬、特に大きな翼の生えたペガサスが見たいな」


 それは決して現状に不満を感じていた訳では無く、ルーカスの願望に便乗するように述べた我が儘だった。

だからこそ、俺の言葉をきっかけとしてパッと左右に割れた動物の群の中から現れたその姿に俺は息を呑んだのだった。



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