第49話 バルトロメウスの発明



 ゴツンとそれは鈍い音をさせて、テーブルに体当たりをした。

ちょっと強くやり過ぎたかも、なんて慌てた次の瞬間に指先に伝わった振動に俺は違和感を覚える。


「立っていないではないか」


 バルトロメウスの眼鏡の縁がキラリと光った。

これは自然発光や反射ではない、演出の方だ。


 ころりと、ソレはテーブルの上で転がった。


「あ……れ?」


 人の手という補助を失った卵は皆の視線を欲しいままにしながら、ころりころりと回転を続け、テーブルの端まで転がっていく。

そんな光景を俺はぼんやりと眺めながら考える。


 こっちの世界に生まれて初めて触った卵をテーブルに打ち付ける直前、俺は力加減を誤ってしまったと思った。

だが、現状はどうだろう?

ぐしゃりと潰れてしまう未来を心配されていた卵は、液もれする事無く暢気に転がっている。

俺の心配など、どこ吹く風だ。

今もマホガニー製のテーブルの縁から元気に飛び降りようとしている。


「……うん? 飛び降りるって……落ちる!」


 誰も動けない中、取り乱して伸ばした俺の手は空を掴んだ。

一歩、いや一手遅かった。

今度こそ、卵は割れているに違いない。

食べ物を粗末にしてしまったと罪悪感を胸に浮かべながら、おそるおそる俺はそれが転がっていった方へと身を乗り出す。


 結論から述べると、卵は砕けていなかった。

さすがに凹みはしたのか、床の上で止まっている。

それを見て俺はひらめいた。


 叩きつけた瞬間、固いと思った。

では、こちらの世界の卵はこの卵は俺の知っている鶏卵と違って頑丈なのか?

いや、殻が固いというよりあれは中身が詰まっているような感触だった。

つまりは……。



「ゆで卵か!」


 拾い上げると殻の一部が崩れ落ちて、もち肌の白身がこんにちはをした。

間違いない、これはゆで卵だ。


「なぬ!?」


 どうやら持ってくるように命令したバルトロメウスも知らなかったようで、彼の頭上ではホカホカと湯気を立てる卵がいくつも乱舞している。


「てっきり生卵かと……。何でゆで卵?」

「私に聞くな。モニカ、これはどういう事だ? 正直に言いたまえ」


 あからさまに動揺したバルトロメウスは、扉の方に向かって言い放つ。

演出魔法はゆで卵の陰で黄色いひよこが鳴いていて、混迷を極めている彼の心境を如実に再現していた。


「あら? 召し上がられるのではなかったのですか?」


 困惑する俺たちを前にモニカと呼ばれたツインテールのメイドさんはしれっと答えた。


……食べると思っていたのか。

来客中に神妙に殻を剥いてゆで卵をむぐむぐ食べ始める貴族のお坊ちゃんってどんなシュールな光景だ?

いや、バルトロメウスは変な子だし、生卵と指定はしなかったけどさ!


 叱責を食らいそうな場面であっけらかんと答えるモニカさんも、肝が据わっているというか、平均的な使用人さんのイメージとはだいぶかけ離れている。

うちのカーヤさんに近いものを感じるぞ。


 ……まあいい。

これで卵が割れなかった理由が判明した。



「だがどうする? 勝負は振り出しに……」

「いや。俺がこの卵を立てる事が出来れば俺の勝ちだよね?」


 勝負のやり直しを提案するゲオルグさんの言葉を遮ると、俺は再度卵の状態を確認した。

底が丸い方を下にして置いてみるも、卵は打ち所が悪かったようで立ってはくれなかった。

ならばこうしよう。


「何をするつもりなのだね?」


 コツコツと何度もテーブルに卵を打ち付けて殻のひび割れを広げ始めた俺に、頭の上をひよこ軍団に占拠されたバルトロメウスが尋ねる。

動揺は継続しているらしい。

俺はそれには答えず、黙々と作業を続けた。



「よし、剥けた!」



 数分後。

俺の手には殻の取り払われたゆで卵があった。

少し時間はかかってしまったが不格好な傷も無く、綺麗な球体を保ったままだ。


「いただきます」


 斯くて俺はそれに齧り付いた。

うん、固ゆでの卵は黄身が少しパサパサするけれど、美味しい。

欲を言えば塩が欲しいな。

クラウゼヴィッツ領産の最高級岩塩を掛けたらもっと美味しい気がする。


「このくらいでいいかな」


 もう一口齧って、手の中で角度を変えて卵を観察し、俺は一人頷いた。

今のは、満腹宣言ではない。


 くるりと反転させて、齧り付いた面を下に向ける。

俺は食べ残しをそのままテーブルの上に置いた。


「立ったよ?」

「おお!」


 我ながら少し強引だったかと後ろめたいものを感じながらそう言うと、バルトロメウスが雷に打たれながら立ち上がった。

稲妻が、バルトロメウスが眩しい。

もう慣れているのか、モニカさんがどこからともなくサングラスを颯爽と取り出して目を保護している姿を視界の隅で捉えた。

俺にも一つ貸してくれないだろうか?


「確かに、食してはならぬとは申しておらぬな。これが発想の転換というものか。うむ、天晴れだ。良いだろう、先の約定通りそなたの配下となろう、アダルブレヒトよ!」

「いや、配下になるって言い方なんかおかしくないか? 別に勢力とか派閥なんてないよ? っていうか、アダルブレヒトって誰!?」

「そう照れずとも良い。素直に誇りたまえ、アダルブレヒトくん!」

「えっ、それ俺の事!?」


 大興奮で鼻息の荒いバルトロメウスは突っ込みどころ満載だった。

多分に誤解を招きそうだ。

謎の紙吹雪まで舞っている彼の周りには混沌しか存在しない。

紛糾極まった反動なのか、妙に晴れやかな顔をしている事に何となく苛立ちを覚える。


 しかし、それ以上に全くもって名前を覚えられていなかった事に衝撃を受けた。

アダルブレヒトとアルフレート。

雰囲気近い感じもしなくもないけどさ!


 つくづく興味の無いものは適当に見流す、聞き流す性分なのだと思い知らされた。



「それで、アダルブレヒトくんは何の研究をしているのだ?」

「だから名前違うってば。アルフレートだ!」

「ほう、アダルブレヒトくん。それで、勿体ぶらずに全て包み隠さず話したまえ。この私が助力すると言うのだ、謎は解明されたも同然だ」


 ダメだ、俺の話を全く聞いていない。

くそっ、ノンストップ偏執狂め。

人の話を聞け。

その自信はどこから来るのか?


 助けを求めて部屋の中を見回せば大人二人から惜しみない生温かい視線を頂戴した。

強く生きろと言われた気がする。


「ああもう……。分かった、アルトでいい」

「アルトだな」


 ようやく不完全ながら名前の間違いを訂正出来た事に胸を撫で下ろしながらも、どっと疲れが押し寄せてきた。

変人・変態が相手では多少の妥協はやむなしだ。

名前を覚えてもらう事より、ここからが主な目的なのにこの先俺は大丈夫なのか?



「研究って程では無いけれど、最近興味を持っているのは偽りの白についてだよ」

「おお、なんという運命なのだろう!」


 再び落ちる雷に今度は目元をガードする事に成功する。

ゲームの方の彼を知っているとはいえ、何となくバルトロメウスの行動パターンが読めてきた自分が怖い。


 興味の対象外はいくら石を投げ込んでもさざなみすら起こす事が出来ないが、ひとたび興味を抱けば投げ込んだのが小石であろうと、葛飾北斎の浮世絵・『富嶽三十六景』の『神奈川沖浪裏』のような大波を引き起こしてしまう。


 極端から極端に走る男なのだ、彼は。

程々だとか、ちょうど良い塩梅あんばいだとか、中間なんて言葉は彼の辞書には存在しない。



「驚きたまえ、あれは私が生み出したものだ」


 さあ存分に褒めたまえと言わんばかりに彼は暴露した。

彼の背後で犬のような尻尾が暴れているのが見えるのは幻覚などでは無い。


 驚かれるだろうとバルトロメウスは想定していたようだが、俺はああやっぱりと頷いただけだった。

確たる証拠は無いけれど、妙にあれに詳しいゲオルグさんの話を聞いてもしかしてとその可能性を考えていたのだ。

あれだけ詳細を知っているとなれば、本人もしくは身近な人物が作り出したと想定するのが自然だ。


 ゲーム第二部で彼は錬金術師としてヒロインの魔王討伐の旅に同行する。

魔物から剥ぎ取った素材やら、道端の草木なんかを組み合わせてアイテムを作るのだ。


 アイテム作りの専門家、動いておまけに喋るお道具箱なんて言うと、主に回復要員で攻撃面ではお荷物になりそうな印象だが、彼は違う。

その実、バリバリのダメージディーラー、アタッカーであった。


 手榴弾のようなものを作って敵に投げつける。

経皮吸収の性質をもつ毒を作って魔物に浴びせかけ、ネチネチと相手の体力を削る。

毎回、多種多様なアイテムを作ってド派手なエフェクトに見合ったダメージを敵に叩き込んでくれるのだ。

アサシン役とセットで前衛を任せると、なお強かったな。


「あれはどうやって作ったの?」

「いかにアルトと言えども、そう易々と調合のレシピを教える訳にはいかぬ」


 偽りの白については聞きたい事が山ほどあった。

結局、ルーカスを苦しめたあの毒の出所は杳ようとして判らなかったのだ。

だけど発明したのがバルトロメウスなら、彼が何らかの鍵を握っている可能性がある。


 諜報機関が調べて判らなかったのだから、俺が聞き込みをしたところですぐに解決出来るとも思っていないが、それでもカーヤさんから又聞きしただけより、こうして実際に足を運んでみる方が得られるものは大きい筈だ。


 バルトロメウスもなかなか口が堅いようで、さすがに簡単にレシピを暴露するような事はなかった。


 通常、錬金術師は己の調合レシピを秘匿する傾向にある。

基本的な知識や技術は伝手を辿って師事するなり、本を読むなりして学ぶ事が出来るが、細かいレシピは長い時間を掛けて各々が改良していくものなのだ。

それこそ、同じアイテムでも錬金術師の数だけレシピは存在する。

例えるならば、老舗料理店の秘伝のタレといったところか。


 新発見のアイテムともなれば、なおさらそのレシピは隠されて然るべきものだ。

それでも『新発明』や『新発見』の事実が世間に出回るのは、錬金術師も人間だからと言う他無い。


 脚光を浴びる為、金の為に自ら公表するパターンがほとんどだが、希に周囲から情報が漏れるケースもある。

人の口には戸は立てられないとはよく言ったものだ。



「じゃあ偽りの白の作り方を誰かに話した事は?」

「私が話したのはゲオルグ兄上とそこにいるモニカだけだな」

「モニカさん?」


 同じ研究者であり、薬学の第一人者のゲオルグさんに話すのは判るけれど、メイドさんに話す事に何の意味があるのだろうか?


 首を捻っているとサングラスを外したモニカさんが補足するように口を開いた。


「私はバルトロメウス様のお世話係兼、助手をしておりますので」

「助手! 女性の研究者……」


 その瞬間、俺が想像したのは謎の液体の入ったフラスコを片手に揺らしながら、アルカイックに微笑むモニカさんの姿だった。

ツインテールの童顔と妖しげな雰囲気がアンバランスだ。



「おお。そう言えば、今の今まで忘れていたが、確かあれを開発に成功した日の朝に、街でおかしな風貌をした幼女に出会ったな」

「……幼女?」

「目深にフードを被っていたので顔は見ておらぬが、確か長いブロンドの髪をしていた筈だ。彼女が薬草の名前をずらずらと列挙してそれが今日の開運アイテムだと言うので、戯れに調合したのだよ」

「……っ!」


 長いブロンドの髪と今確かにバルトロメウスの口から発せられた。


 ゲームヒロインのルル・クラーベルなのか?

だけど、ルルに特別薬学に明るいだとかいう設定は無かった筈だ。

それに、『偽りの白』はゲームでは登場しなかった。

仮にゲームプレイヤーだったとしても、それは知り得ない筈の知識だ。


 どちらにせよ、小さな女の子の発言にしてはひどく奇妙だな。

毒や薬に詳しい子供なんて、バルトロメウス一人で十分だろう。


 結局その後判ったのは、『無味無臭』の判定を身体を張っておこなったのがモニカさんだというちょっと怖い事実だけで、それ以上の新事実が明らかになる事は無かった。



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