第8章
第50話 決意と熱意
「そうだ、お豆腐屋さんになろう」
「は?」
「え?」
無事に四歳となった翌日。
いつものように東屋で本を読んでいた俺は、ふと思い立って顔を上げた。
春と初夏の陽気が入り交じる中、急に思いがけない発言をした俺の横で、男三人が思い切り怪訝な顔つきをしている。
「本に何か良からぬ事でも……」
「いや、本は関係ないから!」
「じゃあこの陽気に……」
「俺は至って正気です! っていうか、さり気なく失礼!」
心配してくれているところ悪いが、俺は常春頭でも常夏頭でも無い。
先の発言は傍目にこそ唐突であれど、現実を深く見据えた結果のものだ。
「これは俺自身の為でもあるし、貴方達三人の為でもあるんだ」
手元の本をパタンと閉じ、『眼鏡の神隠し』と書かれた表紙を下にして置く。
真剣な空気を感じ取ったのか、ごろつき三人は互いに顔を見合わせてから、突き出た喉仏を上下させた。
「三人とも、今の暮らしが好き?」
「そりゃあな」
「自由だからな」
「楽しいからね」
俺の質問に三人は何を今更という顔つきをして頷く。
性格も何もかもバラバラな三人組だけど、彼らはそれなりに気があっているのだろう。
四六時中一緒にいて、喧嘩をしてもまた自然に集っている。
「じゃあ、今のままの人生が一生続くとしたら? それで満足?」
もう少し踏み込んだ質問をすると今度は三人は息を呑んだ。
こんな子供が大人に人生を語るなんてもの凄く不自然だし、生意気だと思う。
だけど、俺は彼らを巻き込む前に前に有耶無耶にした彼らの意志をどうしても確認しておく必要があった。
社会的に見れば、大人は働くのが正しいと思う。
世の中を動かす為にそれは必要な事だ。
でも、個人の幸せだけを考えたとしたら、それは必ずしも正しいと言えるだろうか?
幸せの形なんて人それぞれ。
幸福か不幸かを決めるのはいつだってその人自身だ。
彼らが今のままが良いと言うのなら、それは俺が口を出すべき事じゃない。
それでもこうして声を掛けているのは、一つは善意。
もう一つは俺の都合だ。
彼らにやってもらいたい事がある。
元を糺ただせばどっちも俺の為な気もするけれど。
「今のままでいいなんて思ってる訳ねえだろ」
「真っ当な暮らしに憧れが無い訳じゃない」
「私は浮き草のようなこの生活を気に入っているけれど、これから先ずっとこうしているのは退屈かもしれないな」
互いに牽制し合うように押し黙っていた中、最初に口を割ったのはツァハリスだった。
その後にゴーロ、キーファと続く。
これは変わる意志はあると取っても良いんだよな?
「じゃあ俺と一緒にお豆腐屋さんをやってみる気はない?」
ここへ来てようやく最初に話が繋がった。
俺には彼らを養うだけの固有資産は無い。
むしろ俺自身が父上の臑を齧っている状況だ。
だったら財産を作ればいいじゃないか。
そんな発想から生まれた提案だった。
実のところもっと手っ取り早く稼ぐ方法はある。
魔石を作って売り払ってしまえばいい。
だけどそうしないのは市場への影響が大き過ぎるからだ。
出来る事なら、なるべく人の恨みは買いたくない。
そんな訳で魔石で商売をするのは何らかのやむにやまれぬ事情で本当に生きていくのに困った時の最終手段として取っておき、豆腐の方でいく事にした。
さて、彼らはなんと答えるのか?
脈はありだろうかとまずは右隣のゴーロの顔を覗き込む。
「豆腐?」
「トーフ?」
「それは何ですか?」
ゴーロ、ツァハリス、キーファと伝播してそれは一周する形で俺の元に返ってきた。
「そこからか……」
話の腰を折られたような気分になり、顔面からテーブルに突っ込みそうになるのをなんとか防ぐ。
そもそもの部分で突っ込むなら、出来れば豆腐屋さん宣言の時に突っ込んでおいて欲しかった。
説明してなかったのは俺の段取り不足、不備だと言われてしまえばぐうの音も出ないけれど。
「それは酒か? 呑めるのか?」
「本当に酒好きだな、おい!」
俺が項垂れるているのをよそに、ツァハリスはお調子者らしく大きな手をテーブルへと叩きつけて騒ぐ。
まだ何とも言っていないのに、真っ先にお酒かと聞くのはいったいどういう訳なのか?
真っ先に食べられるかどうかを聞いてくるどこぞのちびっ子王子と似た匂いがする。
ツァハリスはともかく、レオンは相当いい物を普段から食べている筈なのに、あの食への貪欲さはどこから来ているのだろう。
成長期なのか?
「えーっと……水の量によっては飲めなくもないかもしれないけど、カテゴリー的には飲み物じゃなくて食べ物だよ」
「チッ、酒じゃねぇのか」
「男は黙って肉だろう! 肉!」
「私は菜食主義なんだけれど」
呑めるかという質問に対する俺の答えは曖昧なものとなった。
仕方ない、豆腐を飲もうだなんて考えた事も無いのだから。
前世の友人にもずくを飲み物だと主張する子なら若干名いたけれど、豆腐はさすがにいなかった。
飲めなくはないかもしれないが豆腐を飲むくらいなら、原料の豆乳の方が遙かに飲みやすい。
「豆腐は豆が原料の食べ物だよ。菜食主義のキーファでも問題ないね。それに豆腐を煮たり焼いたりしてお肉の代わりにする事も出来るよ」
「豆だと!?」
「豆が肉に!?」
「興味あるな」
豆腐について軽く説明をすると、三人は目を丸くして身を乗り出してくる。
よし、興味を持ってくれたみたいだ。
「でもここから先の情報は一緒にお店をやってくれる人にしか教えられないなぁ……」
「のおぁぁあ!」
あと一押しというタイミングで敢えて引く、それが今回の俺の戦法だった。
押してダメなら引いてみなって言うよね。
実際効果は抜群でゴーロが頭を抱えて絶叫している。
三人衆では一番気が短いからな、焦らされる事への彼の耐性はゼロに近い。
「よし、野郎ども! 豆腐屋になるぞ!」
「早っ!」
「ごろつきとしてのプライドはそれでいいのか?」
ゴーロの決断は早かった。
号令をかけられたツァハリスはいつものようにゴーロに突っ込み、キーファが眼鏡のフレームをくいと持ち上げて、確認をするように問う。
キーファのそれは意地悪な訊き方だと思った。
プライドと言われて直情的なゴーロが引っかからない訳がない。
もう一度口を挟むべきかと考え始めたところで、右隣の彼が動いた。
「うるせーな! 無い頭で幾ら考えたって同じだ。俺たちゃ馬鹿だからよ。男は即断即決だ!」
テーブルに両手をついて椅子を蹴り倒すように立ち上がった彼は、そのままの勢いで大喝した。
下手の考え休むに似たり、か。
せっかちなゴーロらしいけれど、何だか熱くて格好いい。
「おお! 俺はゴーロと親分に一生ついていくぜ!」
「眼鏡の恩義もあるか」
受ける二人も熱かった。
同じように立ち上がって、宣言する。
むさ苦しいくらい男臭い。
見上げるとごろつき三人が拳を突き合わせて、悪い顔でにやりと笑っていた。
「俺と一緒に豆腐屋になって下さい」
もう一度。
ゆっくりと立ち上がって、今度はきちんとお願いする。
すると、ゴーロが手元を顎でしゃくった。
「ありがとう」
溢れんばかりの幸福を噛みしめながら俺は、三人の大人の拳に自分の小さなそれを震えながら合わせた。
「それで、その三人と共に商売を始めようというのか?」
「はい」
俺の返事を聞くと父上は低く唸った。
決起集会を終えた俺は早々に豆腐屋の始動に向けて動き始めた。
この国で店を構えるにあたって、必ずしなければならないのが領主への出店許可申請だ。
その領主というのが、この辺り一体では父上・シックザール侯爵になる。
この他、俺は資金ゼロなので父上にお願いして援助してもらわなければならない。
親にお金の無心をするというのはあまり気が進まないけれど、とりあえず先立つものが無くては始まらないからな。
豆腐屋を始める目的はズバリ情報収集だ。
勿論、あの三人の将来を考えてというのもある。
けれど、大半は俺自身の為だった。
豆腐屋は屋敷の外に出る口実作り。
まだ子供だという理由で今の俺は自由な外出を許されていない。
しかし、俺は外に出たかった。
それは単純な好奇心と、身の安全の為だ。
普通ならば屋敷の中で籠もっている方が断然、安全だろう。
二十一世紀の日本でごく一般的な家庭の男の子が家の周りを彷徨くのとは訳が違う。
物盗りや誘拐には気をつけなければならない。
だけどルルを警戒するのなら、引きこもりをしていてはダメだ。
同時にゴーロたちの情報力もあてにしている。
ごろつきというのはそもそも一所に落ち着かない人間の事を言うのだ。
単純に裏社会のネットワークが貴族のお坊ちゃんには掴めない情報をもたらしてくれるかもしれない。
ルルはもともと商家の娘なのだから、貴族界隈を探るより合理的だと思う。
お店が繁盛して訪れるお客さんが増えれば、それもまた良い情報源となるだろう。
これはギブアンドテイクだ。
こちらの目的をちらとも明かしていない点で良心の呵責を感じるけれど、ゴーロたちは一緒にやろうと言ってくれたので、今はその好意に甘えさせてもらおうと思う。
「何故、豆腐なのだ?」
戦々恐々としながら言葉を待つ俺に、父上はやっと次の言葉を投げ掛けた。
溜めが長いのがまた怖いのだ、この父親ときたら終始真顔だからな。
息子の前でくらい、もう少し微笑むとか柔和な態度を取れないのだろうか?
いや、急に微笑まれたらそれはそれで狼狽えてしまいそうだ。
笑顔が凶器だなんて、さすが宰相様だ。
俺は詰めていた息をゆっくりと吐き出してから、事前に考えていたプレゼンを展開させた。
何故、他でもなく豆腐屋なのか?
当然聞かれるだろうと思って、準備していたのだ。
プレゼンの内容はやはり、原料のひよこ豆が非常に安価で入手可能なため、低予算で展開出来るという点を主軸にして組み立てた。
そこから話を繋げて、豆腐という食材の独自性・汎用性、ルーカスの例を出して健康にも良い事、歯や顎の力の衰えた老人が顧客として望める事を説明していった。
これで父上を納得させられなければ出店出来ないのだから、俺も相当必死だったと云っていい。
ここで父上にお願い事をするのは二回目だ。
一回目は許可は出たものの、は父上にまんまと嵌められた。
二回目の今日は母上というお守り兼、いざという時の援護射撃要員がいなくてちょっと心細いけれど、あの時の俺とは違うのだと訴えている。
出せる札を全て切った後は唯一残った熱意を示した。
「ふむ。そこまで言うならやってみれば良かろう。早いうちから経営を学ぶのは悪くない。これも良い機会だろう」
「やった! ありがとうございます、父上!」
同意を得られた俺は両脇を締めて小さくガッツポーズをする。
許可をもぎ取った事自体もだが、父上に認められた気がして腹の底から沸き上がるような喜びを文字通り噛みしめた。
額を滴る汗すらも、健闘と勝利の証のように思えて心地良い。
「ふふっ、うまくいったみたいね」
部屋を出るとすぐに満面の笑みを浮かべた母上に会った。
どうやら心配してくれていたらしい。
「うん、母上のお陰だね!」
「まあ。じゃあ今日はお祝いしなくちゃ」
こうして俺は豆腐屋の開店に向けて大きな一歩を踏み出した。
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