第44話 イルメラと青薔薇の魔石
「じゃあ、風系統に強いのは?」
「はい! 火であろう?」
「正解。でもちゃんと当てられてから答えましょうね、レオンハルトくん?」
今日の授業も賑やかだった。
特にレオンが一人でも騒がしくしている。
「ずるいですわ、殿下!」
「そうだよ! ちゃんとルールを守らなきゃ」
母上の問題に我先にと答えた彼は、イルメラとルーカスから苦情を言われている。
イルメラは自分の系統だから自分が答えたかったんだろうな。
今日の授業は系統同士の相関関係だった。
母上は色とりどりの紙でラッピングされた魔石を用いて子供の俺たちにも解りやすく説明してくれた。
一通り解説が終わったところで母上は質問タイムを設けた、そこで手を挙げたのがイルメラだった。
「水と火、それから土と水、光と闇の関係は解りやすいけれど、火は何故風に強いのですか? 蝋燭の火は吹けば消えてしまうのに」
この年頃の子供は日常のあれこれについて、色んな疑問を持っているものだ。
身近な現象を例に出して母上に問うイルメラの姿に、まだ秘められたままの叡智を感じる。
俺は前提となる知識に惑わされて色々と決めつけて考えてしまって、物事に対する視野が狭くなっていたようだ。
少なくとも俺は火系統が風系統に強い理由なんて考えた事も無かった。
こういうところで俺がまだこの世界の事をゲームと混同してしまっているのでは無いかと不安になる。
ゲームのシナリオ通りの人生なんて嫌だと、意識し過ぎる事の弊害か。
シナリオを意識すればする程、ゲームのように思えてきてしまう事が怖い。
「そうね、確かに小さな火は吹き消されてしまうわね。だけど、火事の時に風があっても火が消えないのは何故?」
「風を利用して燃え広がるから、かしら?」
「正解」
考え込んだ末にイルメラはちゃんと自分で答えを見つけられたらしい。
納得のいった彼女は晴れやかな表情をしていた。
確かに打ち消し合うイメージが強過ぎて言われてみると火と風の関係は特殊に思えるな。
「つまりイルメラが僕を利用すればいいって事か……」
珍しく感想を述べたディーの発言が意味深に聞こえるのは、俺の心が汚れているからなのだろうか?
扇で愉悦に歪むの表情と口元を隠しながら、高飛車に嬌声を響かせる大人イルメラの姿が頭に浮かんだのは内緒だ。
「さて、今日はこの辺りにしておきましょうか」
いくつか内容の確認の為の問答を繰り返したところで、母上は座学の終了を告げた。
この後はいつもの魔石探しだ。
これが終わったら、イルメラはすぐに帰ってしまう。
あれを渡すなら今しかないな。
「イルメラちゃん!」
「……何かしら?」
飾り棚の中を覗き込む背中に声を掛ける。
イルメラは俺の声に肩をぴくりと揺らした。
もどかしい程にゆっくりと彼女は俺を振り返る。
「これ」
ポケットから取り出したもの、青いリボンの掛かった包みをイルメラに示す。
「何? また、おから揚げかしら? 私、あれならもう飽きて……」
「おから揚げじゃないよ」
ワンパターンだと指摘するイルメラを遮り、俺はリボンを解いた。
拘束を失った包みはくたりとその口を広げる。
「……箱?」
中から出てきた小箱を俺が黙って開くと、イルメラは息を呑んだ。
「これは……?」
「イルメラちゃんの為に作ったんだ」
赤い瞳の奥には青薔薇の魔石が輝いている。
俺の作った魔石は一流の宝飾職人をしてベタ褒め、神のなせる業、奇跡だと絶賛だった。
饒舌に捲くし立てる言葉の殆どは聞き取れなかったが、限りなく澄み切っているだとか、芳しい香りがだとか、佇まいが春の妖精のようだとか、真面目に取り合ってはいけない方向にエスカレートしていった事は何となく分かった。
少なくとも匂いなんて俺の鼻では嗅ぎとれなかったけれど、妖精発言に不覚にも親近感を抱いてしまったのは内緒にしておこう。
俺は魔石オタクじゃない。
とりあえず、俺の作った赤青の魔石が絶賛されたという事だけは理解出来たのでそれで良しとする事にする。
そんな大業物を彼の職人の手で加工してもらったものが、ここにある。
薔薇の花の
そう、ブローチにしてもらったのだ。
イルメラはなんと言うだろうか?
喜んでくれるだろうか?
「ふんっ……、こんなもの……」
長らくイルメラはブローチを無言で見つめていた。
赤い瞳に映る青がミステリアスでとても印象的だった。
そんな中、ようやく聞こえてきた鈴を転がすような声に、俺は胸を抉られる。
「いらないの……?」
やっぱり、イルメラには赤い方を渡すべきだったのか?
いや、色の問題とは限らないな。
造形がお気に召さなかったのかもしれない。
彼女は庶子とはいえ公爵令嬢なのだ。
一流の品に囲まれて生活しているのだから、俺の作った魔石など彼女にはその辺りの石ころやおはじき、ビー玉と大差なく見えている可能性がある。
宝飾職人さんに絶賛されたから大丈夫だろうと高を括っていたけれど、職人さんにどれだけ褒められたところで、イルメラが気に入ってくれなければ何の意味も無い。
「作り直してくる……」
まだまだ修練が足りなかったか。
イルメラの審美眼を甘く見ていたようだ。
「ちょっと、待ちなさいよ!」
肩を落としてトボトボと立ち去ろうとしたところを引き留められる。
詳しい批評でもしてくれるのだろうか?
それはそれで後学の為になるが、今の精神状況であれこれ指摘されると、心がへし折れるかもしれない。
それくらい、大ショックだった。
どんな批評が来ても耐えられるように、身構える。
心構えだけでいい筈なのに、俺は自然と腰を落として重心を低くし、今から格闘技の試合でも始めるかのような姿勢を取っていた。
「いらないんだよね……?」
「それは……」
息が詰まるような睨み合いが続く事に堪えられなくなった俺は、自ら打たれに行った。
剣術に例えるなら、まだ納められたままの相手の刀の鞘を自分から引っこ抜いたのと同じだ。
遠回しに言われると余計に傷付くから、いっそひと思いにバッサリと斬り捨ててほしい。
決定的な言葉がいよいよ告げられるだろう。
それが判っていても、怖いものは怖い。
目をぎゅっと瞑っていると、研ぎ澄まされた感覚の中、予想とは異なる声が俺の耳へ届いた。
「むっ、ならば余が……」
レオンだ。
彼は廃棄予定の魔石に手を伸ばす。
その手を俺は気配だけで察して避けた。
レオン、お前は空気を読め。
告白の現場に割り込む奴があるか。
「なっ……」
「イルメラはいらぬのであろう? ならば余が貰い受け……」
「いっ、いらないだなんて申し上げておりませんわ!」
それも邪魔してやろうなどという悪感情からでは無く、ただの食い意地による行動であるのが質が悪かった。
お邪魔虫そのものだというのに、レオン本人に邪魔をしているという認識はこれっぽっちも無さそうだ。
だけど、彼の
「え? イルメラちゃん、今何て言った?」
都合の良い聞き間違いか、空耳か?
そのどちらでも無い事を願いながら聞き返す。
ごくりと生唾を呑んだ。
「なっ、何でもありません」
「じゃあこれは余が……」
「しっ、仕方ないからこれは私が貰って差し上げますわ!」
イルメラの動きは素早かった。
レオンに奪われそうになった魔石を彼女は俺の手から掻っさらったのだ。
受け取ってもらえた。
そう理解するより先に、俺の頭をある単語が駆け巡った。
――ツンデレだ、ツンデレがここにいる。
吐きそうな緊張のせいでネガティブになってしまっていた先程までの俺は気付けなかったが、これまでの彼女の言動は照れ隠しだったらしい。
ドMなら間違いなく身悶えして歓喜しそうな、超上から目線な発言。
反して、恥ずかしがり屋で奥ゆかしい内面。
そのギャップがすごい。
そして可愛い事この上無いな。
彼女はブローチと一緒に俺の心を鷲掴んでいきました。
「この私がもらって差し上げるのですから、ありがたく思いなさい」
「うん、ありがとう」
「ふんっ、わかっているのならいいのよ……」
吐きそうで禿げそうな
幸せ気分でお礼を言う。
するとそっぽを向きながらも、ちょっと嬉しそうな顔をして布貼りされた小箱の台座に乗った青薔薇を見つめるイルメラの横顔が、長い黒髪の隙間から覗いていた。
普通は逆だろうとかそんな常識はどうでもいい。
イルメラが俺のブローチを受け取って、笑顔を見せてくれた。
それだけで十分だ。
イルメラの笑顔だけで俺は苦労が報われた気がした。
「素直じゃないのが小悪魔的で可愛いよね」
「なっ、何を破廉恥な事を!」
思わず溢れた本音・若干呪い仕様を聞き咎めたイルメラが頬を真っ赤にする。
いけないな、浮かれ過ぎて頭のネジが数本飛んでしまったようだ。
それもこれもイルメラが可愛過ぎるせいだ。
「何をぼーっとしているのよ? さっさとその袋を渡しなさい!」
「あ、はい」
上から目線の督促が来て、俺は言われるがままに袋とリボンを渡す。
俺に命令するイルメラはさながら小さな女王だった。
イルメラの言動は淑女らしくはないだろう。
だけど、この方が生き生きして見えるな。
「む~、イルメラばっかりずるいぞ!」
「いいな~」
俺を天上世界から現実に引き戻したのはレオンとルーカスだった。
すっかり忘れていた。
まだ他の子たちも居たんだった。
レオンは頬をリスのように膨らませ、不平不満を述べる。
その横でルーカスはいつの間にこちらに近付いたのか、心底羨ましそうに指を銜えている。
お前たちはどれだけ魔石が好きなんだ?
ちょっとびっくりだ。
「そんな顔をしてもあげないからな」
「えーっ、なんで?」
「何故だ!? 不当ではないか!」
性格からして真逆の両名がこの時ばかりは見事に結託している。
これが本能というものなのか……。
「あれは女の子だけだ」
「僕、男の子……」
「レオンはまだ今日の魔石見つけてないだろ?」
「おお、そうであった」
結局俺は頑として要望には首を縦に振らなかった。
「良かったね、イルメラ」
「なっ、お兄様! 私は別に嬉しくなど……!」
「じゃあそれ、僕にくれる?」
僕は別にどっちでもいいんだけれど、とディーはテーブルの上に頬杖をつきながら小首を傾げる。
きらりと輝く赤い瞳が妙に妖しげだった。
これは何と答えが返ってくるか判っていてしている質問だ。
お色気ダダ漏れの俺より破廉恥な兄の問いに妹は、大いに迷った挙げ句、困り顔で呟く。
「これは私のものですわ……」
小さな声はほんの微かにしか聞こえなかったけれど、確かにそう言っていたように思う。
今日のディーはほんの少し意地悪だったけれど、珍しくお兄ちゃんらしい一面を垣間見る事が出来た。
そんな子供たちの様子を、母上は変わらぬ笑顔で優しく見守っていた。
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