第7章

第45話 生クリーム




 ディー、イルメラ、レオンが四歳になりました。

イルメラは約二ヶ月前、ディーに関しては半年以上も前に誕生日が来ていたにも関わらずスルーしていたのには訳がある。

二人が誕生日を教えてくれなかったのだ。


 ゲームの知識のお陰で二人の誕生日はもちろん把握済みだったが、教えてくれる人がいなかったので、知らないふりを貫き通さなければいけなかった。

祝ってあげたいのに、スルーしなければならないのは半ば拷問である。


 無論、何度も尋ねはした。

それはもうしつこいくらいに。

だけど、その度にイルメラが『レディーに年齢の話をするなんて非常識ですわ!』と言って教えてくれなかったのだ。

ならばと兄のディーにも聞けば、自分の誕生日ですら覚えていないと返ってきたのには戦慄した。


 子供にとって誕生日とはもっと夢いっぱいの、特別な日ではないのか?

具体的には欲しかったオモチャだとか本だとかを勝ってもらうとか、食卓が自分の好物で彩られているだとか。

特にディーは自分の事なのに無頓着過ぎる。


 挙げ句の果てに『あれ、僕何歳だっけ?』などと言い出しそうで怖い。

自分の年齢を数えなくなるだなんて、盛りの頃を過ぎた女性だけで充分な筈なのに。

クラウゼヴィッツ兄妹は難解である。


 そんなこんなで祝いたくてうずうずしていたというのに、表向きにはスルーするという事案が発生してしまった。

もちろん後日、さりげなくいつものお裾分けに色を付けておいたのは言うまでもない。


 親子共々是非にと誘われてルーカスの家に遊びに行く事が増えたのだが、そこで俺の琴線に触れるアイテムを入手出来るようになったのだ。

そのアイテムというのがズバリ、乳製品である。


 ブロックマイアー家といえば北のご領主様で、その広大な平原と、東のアイゼンフート領との境目の高原地では農耕牧畜・酪農を盛んにおこなっている。


 牧畜地帯、動物パラダイス。

それだけで俺にとって非常に興味深いが、酪農と聞いてさらに黙っていられなくなった。


 生クリーム。

ミルクがあるのだから、生クリームも作れない筈は無い。

だけど何故かこの世界には生クリームが存在しなかった。


 チーズは食べる、バターもある。

なのに生クリームを食する習慣が無い。

なんとも歪な食文化だ。


 生クリームたっぷりのデコレーションケーキ、パンナコッタ。

俺の前世がそれを絶賛している。

一度その味を知ったら、諦められないよな。


 俺がそれを目にしたのは本当に偶然だった。

領地の視察に行っていたルーカスの御尊父、つまりクラウゼヴィッツ公爵が城に戻ってきたちょうどその現場に居合わせた俺は、領地から持ち帰ったという生乳を分けてもらったのだ。


 その生乳から脂肪分を分離させてそこに砂糖を混ぜ、泡立てていわゆるホイップクリームに仕立てた。

記憶にあるそれと比べて香りは薄い。

けれど、ひと口舐めた瞬間、俺は涙ぐんでしまった。

これで夢にまでみたスウィーツが作れるもとい、食べられる。


 人間、知らないままなら何て事無いような話でも、当たり前のように口にできていたそれらが食べられないとなると、ものすごい苦痛なのだ。

食べられないと思うと、何故か猛烈に食べたくなってしまうものである。


 作業を手伝ってくれたコック長さんが、口に合わなかったのかと真っ青になり、慌てて否定するという一幕があった。 


 さてそんな生クリームを保存用の魔法を掛けてもらってクッキーに添え、いつものお裾分けもとい貢ぎ物に忍ばせた。

そこで盛大に反応したのが、レオン、ルーカス、そしてイルメラだった。


 特に食いつき具合が良かったのがイルメラだ。

翌日授業に訪れた彼女は、掴みかからんかという勢いで俺を問い詰めたのだ。

『あの魔法のようなクリームは何ですの?』と。


 そこからは暫くイルメラの独壇場だった。

延々と続く食レポを聞かされたのだ。

雪のような口どけがとか、穢れ無き純白がとか、四歳児の平均的な語彙力を遙かに上回っていた。

うん、さすがイルメラだ。


 それから連日に渡って、ホイップクリームの作り方を教えるように催促してきた。

その催促の仕方がツンデレ仕様だったのは語るに及ばずだ。

別段隠す程でも無かったので、俺はその場で説明しようとした。

だが、魔法を使って脂肪分を分離させるだのというと、脂肪分とは何と逆に聞き返されてしまった。

初っ端から引っかかってしまったわけである。


 そこで話は思わぬ展開を見せ、お城にあるクラウゼヴィッツ家のお屋敷で実演する事になった。



 ところで牛乳からの脂肪分の分離というと、前世の工場生産においては遠心分離器という機械を用いてするのが一般的だった。

一般家庭で生クリームを作るとなると、まずそんな機械など無いので、自然分離を利用する事になる。


 比重の差を利用して、牛乳の表面に脂肪分が浮き上がってくるのを待つのだ。

この方法だとだいたい一晩かかるため、風魔法を利用して遠心分離器の代用とした。

何リットルもありそうな牛乳から、ほんの少ししか取れないと知った時は愕然としたけどな。


 せっかく一緒に料理をするのだから、贅沢に使いたい。

そう考えた俺は再度ブロックマイアー公爵に頼んで大量の生乳から自然分離させた生クリームを譲ってもらった。


 ちなみにこれ、いつも掬い取って捨てていたらしい。

勿体無いと叫ぶ俺を見て、公爵は首を傾げていた。

これは公爵にも是非ともホイップクリームを食べてもらわなければならないな。



「それでいったい何を作るのよ?」


 厨房に立ったイルメラは俺をせかすように言った。

俺とイルメラの他、ディーとこの家の料理人さん達がいる。


 そわそわと落ち着かなげな様子の使用人さん達だが、こちらに話し掛けてくる事はなかった。

クラウゼヴィッツ家の規律は厳格らしい。


「それは出来てからのお楽しみだよ」


 勿体ぶるように言えばイルメラは膨れ面をした。

ああ、カメラがほしい、カメラは何処か。

光魔法と闇魔法を利用してどうにか再現出来ないだろうか?


 頭の中で激しく萌え、悶えながら俺は作業台の上に並べた材料を示した。



「えーっと、まずはホイップクリームだけど、これは一晩置いておいたミルクの水面に浮かんだもったりした液体だけを掬い取った物の事です」


 初っぱなから俺の説明は所々つかえていた。

『脂肪分』というこの世界には無い知識・単語を使わないように言葉を選びながら説明するのは案外難しい事だった。

常識を常識だからと言わずに、何故そうなのか説明する行為に似ている。

大抵の人は一度は言葉に詰まってしまうだろう。


「何故わざわざそのような事を?」

「うーんと、ミルクをそのまま使うと水っぽくてクリームに出来ないからね」

「でもこれはこの間のクリームとは違いますわ」

「まあそれは後々」


 興味津々で質問を重ねるイルメラは実に貪欲だった。

そんな姿も健気で可愛いが、話が進まなくなりそうなので一旦ストップを掛けて説明を続ける。


「この生クリームに砂糖を加えて氷水で冷やしながら泡立てるんだけど、今日は早く出来るようにこれを混ぜます」


 そう言って俺が示したのはレモン汁だった。

これはその辺りでギャラリーをしているお料理番さんの一人に頼んで搾ってもらったものだ。

混じりっ気無しのレモン果汁百パーセントだ、舐めるともの凄く酸っぱいに違いない。


 他に手伝う事っは無いのかと彼らは尋ねてきたが、俺は首を振って丁重にお断りした。

なるべく子供だけで、安全に作れるものを。

それが今回のコンセプトなのだ。


 火はおろか、鋭い刃物も使わないので、特に危険な工程は無い。

泡立ての際に若干、体力面での心配があるといえばあったが、それもこうしてズルもとい工夫をする事で解消出来てしまった。


 レモンの酸味で凝固させるだけだから、正確には泡立っているわけじゃない。

人によっては入れない方が良いなんて言うけれど、俺は風味付けも出来るし、ホイップするのが楽になるので積極的に入れたい派だ。


 試作した時は量が少なかったのと、やはりシンプルにという事で入れなかったが、あの時はあの時で別のズルをして楽にホイップしてしまった。

魔法を使ったのだ。

少しでも加減を間違うと、生クリームが飛び散るので良い子は真似しない方がいいかもしれないが、一度楽をする事を覚えてしまうと、もうダメだな。

魔法がすごく便利だ。


 少し前まで加減が下手だった俺だが、魔石作りの特訓を重ねるうちにその技術は飛躍的に向上していた。

それだけ薔薇の魔石作りは上級者向けだったとも言える。

そんな苦労をして作った魔石はイルメラの胸元で輝いていた。


 何となく物欲しそうに見える料理人さんたちの視線を全身で感じ取りながら、俺は作業を開始した。

そんなに仕事が欲しいのか?

変わった人たちだ。



 ボウルに開けた生クリームを交代しながらかき混ぜていると、レモン汁効果もあり、あっと言う間にホイップクリームは出来上がった。


「まるで魔法みたいですわ」


 とろりと流れるだけだった生クリームが角が立つくらいの半固体になった事にイルメラは驚きを隠せない様子だった。

流れで一緒に作る事になっただけで、さほど興味が無さそうだったディーですら、目を丸くしている。


「ここからが土台作りなんだけど、このビスケットを……って、ああ!」

「お兄様!?」


 次の工程の説明に入ろうとした俺の横で、思いも寄らぬ行動に出たのは他ならぬディーだった。

頓狂な声を出す俺に続いてイルメラも叫ぶ。


 今回のお菓子作りで使おうと思っていた我が家のコック長さんお手製のビスケットをひょいと一枚摘んで、ホイップクリームを掬い、ディーが自分の口に運んだのだ。

普段の緩慢な動作からはまるで想像のつかない早業だった。


「うん、このビスケット美味しいね」

「そっちか!」


 おそらくホイップクリームの味見の為の行動だった筈なのに、ビスケットの感想を述べるイルメラの兄に思わず突っ込む。

いや、我が家のコック長の腕前を褒められて悪い気はしないけれど、そこじゃないだろう。


 そうすると、そんなやりとりをしている俺たちの横でイルメラがもじもじとし始めた。


「はい、どうぞ」


 察して半分に割ったビスケットにクリームを添えて差し出せば、彼女はそれを黙って受け取る。

一口には少し大きいそれをどうやって食べようかとしばし悩んだイルメラだったが、結局思い切り良くいく事にしたようだ。


 頬張った瞬間、彼女はとろけそうな笑顔をした。

もぐもぐとそのまま咀嚼を続けて、ごくりと嚥下する。

ビスケットが無くなった瞬間、少しだけ寂しそうな顔をしたように見えた。


「ま、まあまあですわ」

「うん、味見っていいよね」


 一連の可愛らしい仕草・表情を目に焼き付けていた俺には彼女の言葉が天の邪鬼であるとすぐに判る。

『及第点ですわ』だなんてさらにうそぶく彼女のプクプクした頬はほんのり紅色が挿していて、殊更可愛く見えた。

ニヤニヤスケベ笑いが止まらない。


 急に漂う空気の変わった周囲の様子にはっとして振り返ると、壁際に立って見守っていた料理人さん達がそわそわとしている。

先程までは子供の様子が心配で、手を出したくてたまらない気もそぞろな親に似た雰囲気だったが、今度は別の意味で落ち着かないようだった。


 どうやら彼らも食べたいらしい。

クリームもビスケットも多めに用意してあるから、問題無いか。


「お皿をもう一枚出してもらえますか?」

「はい」


 手伝いは不要と言っていた俺が急にお願いをすると、料理人さんの一人が怪訝な顔をしながらお皿を一枚出してくれる。

そこに俺はビスケットと生クリームを盛って、これまたどうぞと差し出した。


「宜しいのですか?」

「うん、どうせ余っちゃうだろうからね。俺が味見をお願いしたってことで」


 最後の一言はもう誰も聞いていなかった。

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