第30話 暴かれる黒




 空は今、茜色をしているのだろうか?

鐘の音が空にとけて消える頃に変化が見え始めた。


 それは例えて云うなら、梅の実の色づきのようだった。

涙の跡が残る白い頬に朱色が挿したのだ。



「これは……奇跡でしょうか?」


 感極まったようにゲオルグが呟く。

彼はこの場の誰より、毒薬のもたらす悲劇に詳しい。

だからこそ、信じ難いのだろう。



 賭けだった。

ただの思い付きだったとも思う。

勝算が幾らあったのかも未知数だ。


 それでも賭けてみようと思えたのは、母上の信頼と子供を失う親の姿を二度と見たくないという望みが後押しをしてくれたからだ。



「おいしっ……」


 失われかけていた輝きが今、確かに息を吹き返した。



*****



 その夜は皆緊張の糸が切れてどっと疲れが出たらしく、ブロックマイアー家でお世話になる事になった。

初めてのお泊まり会である。


 ここで大活躍したのがセバスチャンさんだった。

薬にやられて錯乱状態だったルーカスの御母堂が荒らし回った部屋を一人で、しかもものの数分で片してしまったのだ。


 すごいと思わず感想を洩らすと、『当然です』と卒無く返されてしまった。

本調子に戻ったようで何よりである。



「レオンもセバスチャンさんくらいお片付けが上手になるといいな」

「むっ?」


 家令による劇的なビフォー・アフターに感心しつつ、お向かいでホットミルクを煽る王子殿下に忠言すると、頭の上に疑問符を浮かべられてしまった。


 相変わらずレオンの魔石探しは、荒らし放題スタイルなのだ。

レオンがガサ入れした後は悲惨だ。

片付けた端から散らかしていくので、あれは心が折れる。

出来る事ならレオンにセバスチャンさんの爪の垢を煎じて飲んで欲しいくらいだ。


 俺がセバスチャンさん並みに整理整頓スキルを向上させるのと、レオンが人並みにお片付け出来るようになるのはどちらが早いだろうか?


 後でコツとか聞いてみよう。

そう心に決めて俺はミルクを多目に入れた紅茶を啜った。



「これは良い香りですね。私にも同じものをいただけますか?」

「畏まりました」


 ルーカスの再診を終えたゲオルグさんが公爵夫人と共に戻ってくると、同じテーブルに着いた。


 紅茶の本場出身の人が褒めるなんて、この家令やりおる。

すごいぞ、セバスチャンさん!



「それで、ルーカス様のご容体は?」

「心配は要りませんよ。毒は中和されたようで、体内の魔力の流れも安定しています。今は眠っておられますよ」

「本当に良かった……」



 太鼓判を押すゲオルグさんに訊ねた母上のみならず、皆がほっと胸を撫で下ろした。

素人目には回復したように見えても、実際は……なんてなりはしないだろうかという不安もあったのだ。



「余に心配を掛けるとは、ルーカスはけしからん奴だ」


 一見すると偉そうに聞こえる殿下の言葉だが、泣いていたのを知っている人間には、年幼くも王子は王子なりにルーカスの身を案じていたのだと判って、胸の内が温かくなるのだった。



「此度の件、皆様には大変ご迷惑をお掛け致しました。お見苦しい所をお見せしてしまい、誠に申し訳ございません。そして、マレーネ様とアルフレート様。お二人がいらっしゃらなければ、私は大切な息子を失ってしまうところでした。ありがとうございました。ありがとうございました……」



 公爵夫人は何度も何度も御礼を言った。


 母上にならわかる。

だけどこんな子供にまで公爵夫人自ら頭を下げるだなんて予想外だ。


 俺はゲームを通して、公爵夫人の事を生粋のお嬢様育ちにありがちな、深窓の令嬢タイプの典型的な貴族女性だと思っていた。

夫、息子の言う事に唯々諾々というやつだ。

だけど涙ぐみながら何度も頭を下げる姿を見て、彼女もまた貴族である前に一人の母親だったのだと感じた。



「それで偽りの白の侵入経路なのですが、何か心当たりはございませんか?」

「それが全く……」



 公爵夫人が落ち着いたところでゲオルグさんは専門的な話を始めた。

城に属するお医者さんの彼には、関わってしまった以上、今回の件を上に報告する義務があるらしい。


 ブロックマイアー家の中での出来事とはいえ、ここは城の敷地内でもある。

詳細を知りたいと考えるのは当然だった。



「確か御子息はもともと身体が弱いとの事でしたが、二ヵ月程前から具合が悪くなられたのですよね? その頃、もしくはそれより少し前に何か変わった事はございませんでしたか? あの毒の性質上、継続的に摂取させられていた可能性が高いのですが」

「そういえば……」


 二ヵ月と具体的に聞かれた公爵夫人は何かを思い出したらしい。

首を捻り、関係があるかどうか判りませんがと前置きをした上で、彼女は語った。


「変わった事といえば、あの子がマレーネ様の授業に通い始めた事と、三歳の誕生日ですわね」


 そうだ、ルーカスは出会った頃には既に魔の手が伸ばされていた可能性が高いのだった。

もっと早く気付いてやれていれば、と苦いものを感じる。


 仕方無かっただとか、そんな簡単な言葉で済ませたくは無かった。



「でもルーカスはほとんど授業に出ておらぬぞ?」

「確か私の授業にお出でになられたのは三回のみですわね」


三回のみ、と聞いてゲオルグさんが唸る。


「確かちょうど二ヵ月程前でしたね。殿下が私の診察の際に大変興奮したご様子で語っておられたので印象に残っております」

「むっ、おおお、お喋りが過ぎるぞ!」

「申し訳ございません」


 ついでのようにプライベートな話を暴露されたレオンは林檎のように頬を赤く染めて、吃どもりながら苦情を言った。

恥ずかしいらしい。


 対して、そのすぐ後に聞こえたゲオルグさんの謝罪はなんというか機械的で、全く申し訳なさそうに聞こえなかった。

いったいレオンは何を言ったのだろうか?



「体内の魔粒子の視認と、魔力感知の訓練の為の魔石探しですわ」

「……可能性は低いようですね。偽りの白は対象に服用させる必要があります。どの子がどの魔石を手にするかわからない上に、貴女の魔石と偽りの白は絶望的に相性が悪い。時期的にも少し無理がありそうです。試すような物言いをしてしまい、失礼致しました」

「いいえ、今は一つひとつ試すしか無いのですから、私を疑うのは当然ですわ」


 わざわざお医者様は椅子から立ち上がり、深々と頭を下げる。

今度の謝罪は紛れもなく心の籠ったものだった。

それを受けて母上はどうか頭をお上げ下さいとやる。


 疑われるのは母上としては予想の範囲内だった。

そこで怒り狂う事も出来るけれど、より賢い選択をするのなら、事実をつまびらかにし、無実を証明すべきだろう。


 母上が疑われた事に対して何も思わないと云えば嘘になるけれど、母上本人が構わないと仰るのならその意思を尊重したい。



「となると、もう一方でしょうか? お誕生日ですが、何か引っ掛かる事でもございましたか?」

「ええ。慣例に従って、あの子の誕生日にヴァールサーガー教の神殿に赴いたのですが……」



 これ以上空気が重くなる事はこの場の誰も望んでいない。

先を促すマヤさんだったけれど、当の公爵夫人は言いにくそうに句切る。



「大丈夫ですわ」


 励ますように母上は公爵夫人の手に己のそれを重ねた。


 灰色の瞳には優しげな光が宿っている。

同じ年頃の子をもつ母上に勇気付けられたのか、公爵夫人はこくんと一つ頷いて話を再開させた。



「あの子が礼拝堂の祝福の列に並んでいる間、私は神殿の修道女シスターを名乗る方に、相談を持ち掛けました」

「何を相談なされたのですか?」


皆が息を詰める。


「身体の弱いあの子の将来が不安だ、と」

「それを聞いた修道女は何と仰られたのですか?」

「それはお辛いでしょうと言って親身になって私のお話を聞いて下さいました。それから、不安な夜に飲めばよく眠れるからと粉薬の包みを頂きました。あの子に毎晩飲ませるようにと聖水も……」


 ガタンッと大きな音を立てて、ゲオルグさんの掛けていた椅子が倒れた。

急に立ち上がったせいだ。


 それにも構わず彼は公爵夫人に訊ねた。



「それを服用なされたのですね?」

「はい」

「それらは今どこへ!?」


 怒りと興奮が入り交じったような叫びに気圧されそうになる。

医者として、薬をよく知る者として赦せない、その修道女が。

強張った顔からそんな感情が読み取れた。



「こちらです」


 咆哮のような鋭い詰問に応えたのは公爵夫人では無く、セバスチャンさんだった。

家令の手にした銀製の盆には中身が三分の一ほどに減った水差しがある。


「奥様が飲まれた薬は一包のみでしたので、ここにはございません」

「その水差しをこちらへ」



 テーブルに置かれたそれは一見して何の変哲も無いガラス製の水差しだった。

透明な水面が照明を反射してキラキラ輝いている。


「先程、偽りの白は無色透明で無味無臭と申し上げました。ですが、見分ける方法はあります」


 そう言ってゲオルグさんが懐から取り出したのは小瓶だった。

確か、レオンの部屋で俺の手土産を毒見した時も似たような小瓶を持っていたな。


 一回目以降は城に到着してすぐにマヤさんに預け、俺やレオンが授業を受けている間に毒見を済ませておいてもらう形を取っていたから、その姿を見るのは今日が二度目になる。


 さっきもあの白衣から公爵夫人に飲ませた薬を取り出していたけれど、いったい何種類の薬品があの白衣には仕込まれているのだろうか。

あらゆる事態に備えて、ありとあらゆる薬品があの白衣に仕込まれているのだとしたら、ゲオルグさんは恐ろしい人だ。

悪い顔して注射器片手に迫られたりしたら、怖い。



「詳細は機密事項の為伏せますが、この薬品を偽りの毒に加えると、ある変化が訪れるのです」



 勿体ぶるような言い方をして皆の耳目を集めたゲオルグさんは、小瓶のコルク栓を抜くと、水差しの上で小瓶を傾ける。


 透明な液体同士が混ざりあった瞬間、それはどす黒い塊となった。



*****



 その夜。


「なあ、レオン?」

「むっ? 余は枕投げで疲れた故、オネムなのだ」


 天涯を見上げたまま隣のベッドに声を掛けると、妙に小難しい表現で眠いと応える王子に苦笑した。


 初めてのお泊まり会。

レオンたっての希望で、同じ部屋で眠る事になったのだ。


 友達の家にお泊まり、というシチュエーションで童心に返った俺は、レオンに枕投げなる遊びを教え、修学旅行気分ではしゃいでしまった。


 二人まとめてマヤさんにお説教を食らったのは云うまでも無い。

罰として明日の朝、ずだ袋いっぱいのひよこ豆を数える刑を仰せつかってしまったのは余談だ。


 俺自身今日は色々あって、心身共に疲れてしまっていた。

瞼の上と下が今にもくっつきそうだ。


 それでもこうして睡魔に抗っているのは、明日に持ち越したくなかったからだ。

今日の事は出来れば今日のうちに決めてしまいたい。



「ごめん。でも一つだけ聞いてもいい?」

「何だ?」


 スルリとシーツの擦れる音がして、暗闇の中でもレオンがこっちを向いたのが判った。



「レオンは、毒が怖くなった?」


夜の闇の中で、深い沈黙が訪れる。


 ルーカスの苦しむ姿を見て、レオンは泣いていた。

我が儘だけれど、素直で心根の優しい子だから、ルーカスを心配していたのだと思う。

だけど、『もしそれが我が身に振りかかったら?』と考えはしなかったのだろうか?


 俺は考えて、怖くなってしまった。

ブロックマイアー家と違って、俺の家では銀の食器を用いる以外は毒見なんてしていない。

だけど、その導入を検討するくらいには今回の件の衝撃は大きかった。


 ゲオルグさんは、偽りの白はまだまだ認知度が低い毒物で、それ以外の薬物に関してもアイゼンフート家で今後、流通の監視・管理を徹底していく方針だと話していたけれど不安が無い訳じゃない。


 明日は我が身かもしれないのだ。

とても他人事とは思えなかった。



 長い静寂が続き、レオンは眠ってしまったのだろうかと疑い始めた頃、ようやく王子は口を開いた。


「……何故怖くなるのだ? 余にはマヤもゲオルグもそなたもおる。それに、いざとなればルーカスと同じように魔石を食べれば良かろう?」

「そっか、うん。そうだな」


 レオンの答えを聞いて、考え無しの大馬鹿者と罵る者も中にはいるだろう。

だけど俺は、畏れる必要など無いと言う王子はなんて勇敢なのだろうと思った。


 もう眠気が限界だと言うように、クアッとレオンは大きな欠伸をした。



「おやすみ」

「おやすみ……ムニャムニャ」


 ベッドの上でもぞもぞと動いて身体の向きを変え、レオンに背を向ける。

目を閉じると、心地好い微睡みの中に身を委ねた。



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