第12話 父と子
――コンコンコンッ。
「入りなさい」
俺は低い声に促されて両開きの扉の向こう側へと足を踏み入れた。
落ち着いた色合いの調度品――どれも年季が入っているように見える――で彩られた室内をぐるりと見渡して正面を向くと、父上の姿が目に入った。
執務机に着いて、何か書き物をしているようだ。
「アルトも一緒とは珍しいな」
羊皮紙から顔を上げずに父上がこちらへ言い遣る。
これは俺に向けて掛けられた言葉ではない。
俺の隣に立つ母上へのものだ。
「ええ、この子の事で貴方にお話があったものですから」
「……アルト本人も同席すべきと判断したのか」
「ええ」
母上はどうやらアポイント無しで俺を連れて直撃したらしい。
いや、自分の夫に会うのにアポイントも何も無いのかもしれないが、父上は国中で一番忙しい男と言っても過言では無い。
若くして宰相を任されているのだ、その重圧は相当なものだろう。
初めて見る仕事中の父上は柔らかい口調ながらも少しピリピリしているように見えた。
余程難しい案件を処理しているのか、眉間が寄っている。
もっとも素直に緊張感を表面化させている分、謁見や会談の最中よりは寛いでいるとも云えた。
そんな父上にアポ無し突撃をかます事の出来る母上はいったいどんな精神構造をしているのだろうか。
はっきり言って、俺は混乱していた。
魔法を学びたいと自分の部屋で口にしたのはわずか数秒前。
俺の魔法使い宣言を聞いた母上は賛同も反対もせず、一にも二にもなく俺を伴ってこの部屋の前に移動した。
それもおそらく転位魔法によって。
俺が驚いたのは云うまでも無い。
加えて、魔法初体験がこんな御座なりに済まされてしまって少し残念にも思う。
生活魔法程度であれば日常で使っている姿を普通に見かけるし、魔法師団の訓練所で攻撃魔法らしいものも見たけれど、ただ傍観するだけのものと自分に魔法を掛けられるのはやはり違うと思う。
瞬間移動の魔法に不満がある訳では無いけれど、自宅から自宅、同じ建物の中を跳んで何が楽しいのだろうか?
歩いて数分の距離なのに使う意味があるのかとやったのが母上でなければ問い質していたところだろう。
しかも俺の知る限りでは、転位魔法は結構な高等技術を要するというのに、俺というお荷物を抱えていながら息をするように跳んでいた。
一方の俺はというと、ぶちギレで暴発しかけたのが昨日なのだから、傷を抉られたような気がした。
そこへ来て、久々に見る父上の顔である。
一度だけ来た事があるので一応ここが父上の執務室だという事は認識していた。
けれど、自分の親の顔を見てまず最初に「居たの?」と驚愕してしまったのだから、広い家も考え物かもしれない。
次いで心に浮かんだのは不安だった。
今の両親の会話を聞く限り、三者面談をするつもりで間違い無いらしい。
「そこのカウッチへ掛けなさい」
長い事羊皮紙をカリカリと引っ掻く音をさせた後、ようやく父上は羽ペンを置いた。
母上に手を引かれながら、天馬ペガサスの紋章が描かれた青い絨毯の上をおずおずと歩く。
天馬は大好きだ。
こんな状況でなければ俺はもっと、『特注品か?』とか『翼の広がり方が素晴らしい』とか考えて興奮していたに違いない。
けれど現在の心境はといえば、校長室或いは教頭室に呼び出しを食らった学生のそれに近かった。
優美な曲線を描く猫足のカウッチを恨めしげに睨ねめつけてから肩を落とし、諦めて腰を降ろす。
続いて母上が俺の隣に座った。
テーブルを挟んで正面の席には父上が既に着いている。
おそらく、もともとこのスペースは部屋の主の休憩用に設けられたのだろう。
華美では無いが、テーブルの脚や縁には見る者の目を愉しませるような細かな装飾がされている。
生憎と俺には愉しんでいる余裕も無ければ、気が休まる気配も無いが。
「それで話というのは?」
父上は単刀直入に話を切り出してきた。
こういう簡明直截なところは例のゲームに出てきたシックザール侯爵のイメージと相違無い。
ちょうど、ヒロインと二人揃っての交際開始の報告イベントの最初の台詞がそっくりそのままだったように思う。
聞き覚えのある台詞と声に少し戸惑いを覚えた。
けれど口ごもる俺から父上は目を逸らさない。
母上から話してくれないだろうかと期待もしたが、俺の隣で母上は黙ったままだった。
……自分で話しなさいという事なのですね。
気が重い。
どうして自分の父親と話すのにこうも息を詰まらせなければならないのだろうか?
そう考えたところで気付く。
父上とまともに話すのはこれが初めてかもしれない。
前世持ちが発覚してからというもの、俺は日々一人で発声練習に勤しんでいた。
脳の中枢に巣食う乙女ゲーのあれやこれやに言動を支配されないように、だ。
しかし、その一方で喋り出すタイミングが掴めなかった為、自分から誰かに向けて言葉を発するという行為にはあまり積極的では無かった。
それでも母上やカーヤさんは話し掛けてくれていたので、コミュニケーションに飢える事は無かったのだが、父上の場合は違った。
基本に無口なのだ、父上は。
勿論全く喋らない訳では無いし、仕事では各国の首脳相手に際立った舌鋒を披露しているとも聞いた事がある。
だが家では極端に言葉が少ない。
加えてあまり家にいないのだから、救いようが無かった。
無口と無口――俺のは似非だが――が集まっても会話は生まれない。
産み出されるのは空寒い沈黙だけである。
我が家の伝統カラーの一つである青い瞳が俺を射抜いている。
何でもこの金色の瞳が初代以来だとかで先祖返りと俺を見た者達は皆口にするが、父上に似ていると言われた事は一度も無かった。
けれどこうして向き合ってみれば確かに同じ血が流れているのだと直感した。
上手く説明出来ないが、髪の色が同じだとかそういう表面的なものじゃなくて、もっと深いところにある何かだ。
「……魔法を学びたいんです」
幼い口を精一杯動かす。
そんな愚直とも云える俺の言葉に父上は眉一つ、いや毛筋一つ動かさなかった。
腹の内が読めない。
何を考えているのか全く分からない。
怖いと思う半面でさすが父上だと心が沸き立った。
俺なんかにこんなところで悟られてしまっては困る。
口火を切る前と変わらぬ様子で父上は座していた。
父上は何と答えるだろうか?
反対するだろうか、賛成してくれるだろうか。
先ほどの母上との会話の中で、未熟者が力を扱う危険性を知った。
この身に宿る力が怖くないと言えば嘘になる。
力とは危険なものだ。
それは正しいし、だからこそ師匠のあの悲劇は起きた。
けれど、未熟者だからこそ修練が必要なのだ。
固唾を呑んで見守っていると父上は無言で立ち上がった。
執務机の傍らに置かれた飾り棚から何かを取り出す。
十センチ程の厚みの黒い箱。
父上はそれを右手で持ち、俺に差し出した。
両手で慎重に受け取る。
さほど重くはない。
テーブルの上に置いて見下ろす。
――魔法を学びたいと言った俺に対する答えがこの中に。
両親に見守られながら、緊張の面持ちで蓋を持ち上げた。
暗闇から解き放たれたそれは、俺の眼前に現れた瞬間にキラリと照明に使われている魔道具の光を反射した。
金のプレート状の腕輪。
翼に抱かれているような意匠の中央の台座には見覚えのある色の石が嵌められている。
「初代の頃からシックザール家に伝わる家宝だ」
曇りの無い、まさに磨き抜かれた腕輪に見とれていると頭上から説明が降ってくる。
見上げると腕輪の宝石と同じ、紺碧の瞳にかち合った。
代々受け継がれてきた青。
初代以降絶えて久しかった金。
伝統の二色が丹精込めて創られたであろう、この腕輪に宿っている。
父上はそれを手に取ると反対の手で俺の左腕を掴んだ。
父上の手のひらの温かさ、肌の上を走る何かのひやりとした感触。
状況を理解する前に鼓膜が震えて、カチリと何かが噛み合う音を捉えた。
「今日からそれはお前のものだ」
「俺の、もの……?」
冷たいと感じたあたり、左の二の腕に触れると金属のすべらかな感触が指先に伝わる。
顔を傾けると、家宝の腕輪がほんの一時強い光を放った。
「その腕輪は単なる装飾品ではない。中央に座す石は内外問わず干渉から持ち主を心身共に守護し、また時に試練をもたらすと伝えられている」
そう語る父上の紺碧の瞳には金色の光が映り込んでいて、どこか誇らしげだった。
感慨深げなところに寝起きそのままのボサボサの髪と部屋着のままなせいでいまいち締まらない雰囲気を出してしまって申し訳無い。
いや、俺だってこんな事になると聞いていたらちゃんと身なりを整えて来たさ!
訳も判らず母上の魔法で転位したのだから赦してほしい。
ともかく、要するにこれはお守りのようなものなのだろう。
少しばかり赤子に与えるには豪華過ぎる気がするが。
石の種類なんて判らない俺にはこれの金銭的価値は判らない。
だけど最古参の貴族が代々伝えてきた家宝なのだから、その価値はお金では計り知れないものに違いない。
「試練って例えば何かしら?」
丁重に扱わなくてはと思い至ったところで、それまでニコニコと笑みを崩さす俺達の様子を見守っていた母上が初めて口を挟んだ。
そうだ、父上はただ守るだけでは無いと言っていた。
試練とは何の為のものだろうか?
母上と一緒に、期待を込めた眼差しを送る。
当然、淀みの無い答えが返って来るものと思っていた。
しかし予想を裏切って父上は数秒考え込むように沈黙し、やがて首を左右に振った。
「確かにその腕輪は我がシックザール家当主が代々受け継ぐ宝だが初代以来、誰もその身に穿く事の出来た者はいないのだよ……アルト、お前以外はな」
「えっ……?」
隣から息を呑む音が聞こえた。
俺以外誰も身に付けられなかった、だと?
いったいそれはどういう事なんだ?
まさかサイズの問題だとか物理的な問題ではあるまい。
先程、箱の中に納められている時はどう見ても大人サイズの大きさで、俺の腕なんてすり抜けていく筈だった。
「形状の問題では無いよ。アルトはまだ知らないかもしれないが、この手の魔道具は持ち主に合わせて自動的に大きさや重さを変えるんだ」
心を読まれた。
けれど今更その事には大して驚きもしなかった。
もともと隠しているつもりも無いのだから。
それよりも何てファンタジーなんだと思った。
質量保存の法則とか丸無視か。
魔道具すげーな。
「初代は100日間雨風に耐えながら昼夜を問わず瀕死の床に臥した王の生還を祈り続けただとか、世界中に蔓延した瘴気をその身に取り込んで浄化しただとか、逸話の多い方だよ。不確かだが、それは全てこの腕輪の意識によってもたらされた試練では無いかと云われている」
珍しく饒舌に語る父上は熱に浮かされているようだった。
遠い目をしている。
それとは対照的に俺の心中は大荒れだった。
シックザール家の始祖は勇者か何かか?
試練とは学校のテストとか、好きな娘に告白とか思っていたけれど違うのか?
なんだこの英雄譚は。
災害級の試練を身一つで受け止めろとか、俺は聞いていない。
何てファンタジーなんだ!
前世のちょっと痛い高校生だってそんな事は考えていない筈だ。
家宝を貰ってちょっといい気になっていたが、冗談じゃない。
さあ俺、勇気と強い意識をもってひと言を!
「やっぱり要りません!」
前世で“僕”の母が放っていた魔法の言葉を唱える。
しつこい押し売りのセールスマンや、訪問販売員の話術に乗せられそうになった時に有効なひと言だ。
言えた。
きちんと噛まずに言えた。
さあ、あとは腕輪を外して箱に返すだけだ。
色々な柵しがらみに打ち勝った自分を誉めてやりながら、左の二の腕に手をやる。
動かしているのは利き腕とはいえ、ピッタリとフィットしたそれは子供の短い手指では外しにくかった。
……というか、あれ?
留め具は何処だろう?
プレートをなぞる指先がつるりとした感触のみを脳に伝えて一周する。
普通なら指紋べったりになるだろうそれは変わらぬ輝きを湛えている。
嫌な予感がした。
「その手の魔道具は一度付けたら外れないものなのだ」
「謀ったな!」
してやったりと底意地の悪い笑みを浮かべる父上に、俺は今生初めての呪いの言葉を吐き掛けた。
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