クロノブレイク

粟国翼

『ちょっと魔王を倒しに行ってくる』

**************


 ねぇ、切斗。


 私が4歳の時あんたが生まれて家族中あんたに掛きりになた時さ、はっきり言ってむかついたし寂しくて……寝てるあんたにデコピンしたの。


 そしたら、あんた泣くどころかまるで天使みたいに笑うじゃない……私ね自分のしたこと恥ずかしくなってさ。


 だから、決めたの!


 清く正しく清廉潔白せいれんけっぱくに!


 あんたに見せても恥ずかしくないそんな人間に成ろうって!


 そして、あんたの事は必ず『姉ちゃん』が守るって!


**************


 

 僕の日常は、いつも平穏無事へいおんぶじに過ぎて行く。



 今日も、定時に校門を潜り家路を急ぐ。

 今年中学二年生に進級したが、この習慣だけは小学生の頃から崩したことは無い。

 はっきり言って部活動なんて無駄な事には興味が無いし、そんな物に人生の貴重な時間を費やすなんて馬鹿げてる。


 そして、僕はいつもの様に決まった道を決まった速度で歩き始めた。



 途中。



 コンビニ裏手の路地で、クラスメイトの小山田が他校不良3人に囲まれ僕に対して『タスケテ』と言う視線を送ってきたように見えたがきっと『気のせい』だし。

 200Mほど歩いたスーパーの駐輪場で、70代の老婆が自転車を100台ほどドミノ倒しにして途方にくれているような気もしたがきっと『幻覚』だろう。

 それから玄関まで20Mと迫る中、小さな女の子の涙声で『子猫を見ませんでしたか? 子猫を探しています』と聞こえたように思えたがきっと『幻聴』だ!


 声を大にして言おう。


 そんな面白おかしい方向に話が膨らみそうなフラグを立てられた所で、僕の平穏無事な日常が崩れると思ったら大間違いだ!!


 何故なら、僕の日常を混乱させ破壊することを許可している人間はこの世で只一人しかいないのだから。



 僕はドアを開け家の中に入った。

 


 静まり返った玄関先。


 どうやら一番乗りのようだ。



 両親は共働き、無計画にも一戸建てを買ったせいでまるで働き蟻の様に朝から晩まで働きずくめ……これじゃいくら夢のマイホームと言ったって僕には只の借金コンクリートにしか見えない。


 「何事も計画性が大事だ」 と、当時二歳の僕に言えたなら……いや……愚問だ。


 過去への回想を止め僕は、壁に掛かった時計を見た。


 デジタルな数字は18:30を表示している。


 僕はこの時、この場にいるべきもう一人の人物の帰りが遅いことに今更ながら気がついた。

        


       ◆◆◆




 僕には四つ年の離れた姉がいる。


 

 名前は比嘉霧香ひがきりか


 

 姉は近所でも有名な『正義の味方』で、困っている人には必ず手を差し伸べ問題があれば共に解決し『悪』がそこに蔓延はびこるるならば主に武力をもって排除する。


 姿形も見目麗みめうるわしく、腰まである黒髪をなびかせれば艶やかなエンジェルリングが広がりニキビ一つ無い肌は透き通るように白く漆黒の瞳は見つめられただけでその場にいる者全てが息を呑む。



 しかし、その性格は『質実剛健しつじつごうけん』。


 竹を割ったような潔さを兼ね備え、空手3段の腕前は伊達じゃない。

 そのギャップが姉の魅力を底上げしているのか、学校にはファンクラブまであるのだ。


 そう、まるでマンガや小説の中に出てくる主人公のそのままに姉は仲間に囲まれ日々を忙しく暮らしている。


 僕とはまるで違う正反対の存在。


 姉弟の関係でなければ接点などまるで無いだろう。


 しかし、姉が18:30を回っても家に戻らないとは……。


 門限とまでは行かないが、この時間までにはとっくの昔に家について夕食を食べるのが僕らの日課になっている。

 確かに『正義の味方』である姉は、そのボランティア的活動によりごくたまに遅れることはあったが大概どんな問題も夕食までには済ませていたはず…。


 今日は、姉さんの大好きなチキンカレーだと言うのに。


 ブブブブ。


 突然、滅多に鳴らない僕のガラケーが短く震えた。


 特に友達などいないのできっと姉さんからだ!


 僕は、学ランの胸ポケットからガラケーを取り出してパカッと開く。


 Eメール 1件


 差出人:姉さん

 

 件名:おそくなる


 内容:ちょっと魔王を倒しに行って来る



 ……は?



 絵文字もデコメも無い、実にシンプルな用件のみを簡潔に述べている姉さんらしいメールだが……。

 

 意味が分からない。


 姉さんは、まるで物語の主人公のように困った人を助けたり悪を挫いたりするがそれはあくまで現実的なものだ。

 例えば一般生徒から金銭を巻き上げる輩であったり、女生徒の更衣室を盗撮するような不埒者ふらちもの、万引き集団やいじめ被害者の救済に素行の悪い生徒の更生などなど……実にありがちなものばかりだったんだけど『魔王』とは…新しいと言うか何と言うか……。


 まあ、その内いつものように帰ってくるだろう。


 そしてうざい位に、その日の武勇伝を語るに違いない。


 僕は、作り置きのチキンカレーに火にかけ姉の帰りを待った。




 が、その日姉が家に戻ることは無かった。




                  ◆◆◆



 僕は走っていた。


 


 本当ならこの時間は身支度を整え朝食を済ませ学校へと向っているはずなのだが、僕は学ランすら着用せずGパンに猫のイラストの描かれたピンクのTシャツを着用し左右で種類の違うスニーカーと言う普段の自分では到底考えられないような精細を欠いた姿で学校とは反対方向の姉さんの通う高校へと爆走する!


 昨日姉さんは、家には戻らなかった。


 無論、僕は一睡もせず姉さんの帰りを待ったしもちろん携帯にも絶えず連絡を入れたが、どういう訳か圏外を知らせるアナウンスが流れるばかりで埒が明かない!


 そればかりか、遂にはバッテリー切れたようだ。


 あれほど、充電には気お付けるように日ごろから口すっぱく言ったのに!!


 朝になって、夜勤明けの母さんが帰って来たので僕は慌てて姉さんが戻らない事を伝えると母さんからとんでもない答えが返ってきたのだ!



「何言ってるの切ちゃん? 切ちゃんは一人っ子でしょ?」


 ……は?


 ふざけてるのか?



 「母さん! 姉さんが一晩帰ってこなかったんだよ!?」


 「切ちゃん、本当どうしたの? 落ち着きなさい!」


 思わず怒鳴ってしまった僕を、母さんが心配と恐れを持って見ている。


 普段の僕は、冷静沈着れいせいちんちゃくで物静かな人間だが流石にこれには頭にきた!

 母さんは普段から天然ボケな所があったが、これは幾らなんでもやりすぎだ!


 「母さん! ふざけてんのか!?」


 「切ちゃん!?」


 そこに、同じく夜勤を終えた父さんがリビングに入ってきた。


 「パパ!」


 母さんは、涙目になりながら父さんの後ろに下がった。


 「ママ? どうした? 何があったんだ?」

 「切ちゃんが……切ちゃんが……」


 ついには泣き出してしまう母さん……確かに怒鳴った僕も悪かったが、幾らなんでも今のは母さんがふざけすぎでしょ?


 「切斗__」



 鬼の形相の父さんに弁解をしようとしたが、その時には父さんの放った上段回し蹴りが脳天にクリーンヒットし空中を一回転する羽目になった僕の意識が暗転した。



                  ◆◆◆



 僕の家族は、父・母・姉・僕の四人家族だ。


 父さんの名前は比嘉切彦ひがきりひこ


 ごく普通の会社員。


 普段は見た目も大人しいマイホームパパといった感じだが、若い頃はキックボクシングをやっていたとかで見かけによらず武道派。

 曲がったことが大嫌いで、女の涙に弱い。


 姉さんの正義感の塊なところはきっと父さんに似たんだろう。


 そして、天然ボケ炸裂な母さん……名前は比嘉レミ。


 子供の僕が言うのも何だが、とりあえず馬鹿だ。


 塩と砂糖を間違えるのは日常茶飯事にちじょうさはんじ、パソコンを触れば謎の誤作動を起し、いまだにエレベーターの使い方にすら戸惑ってる。

 きっと父さんと出会わなければろくな人生を送られなかったであろうと推測されるほど世情に疎い。


 それにしても母さん、さっきのは幾らなんでも……。


 「う……」


 頭が痛い……目を開けるとそこは見慣れた天井だった。


 どうやら気を失った後、二階の自室に運ばれたようだな。

 流石は、元キックボクサー……半端ない……確かに母さんを泣かせたのは悪かったけど実の息子にも容赦ない。


 しかし、いつまでも伸びてるわけには行かない!

 早く姉さんの事を父さんに知らせないと!


 僕は立ち上がり部屋の扉に手をかけた。


 「あの子……どうしちゃったのかしら?」


 母さん?


 扉を少し開けたところで、母さんの声が聞こえた。


 「パパ、私仕事減らすわ……」

 「ママ……」

 「家のローンの事もあるけど、切ちゃんが心配ですもの!」

 「ああ! 確かに返済は遅れるだろうが切斗の事が第一だ、これからは俺もあいつに寂しい思いをさせないように努力する!」



 何だ?

 何の話だよ?


 「それにしてもあの子、どうして自分に『お姉さんが居る』なんて思ったのかしら?」

 「きっと寂しかったんだな……」



 何だ?

 何言ってんだよ?

 二人してふざけてんるのか?

 これじゃまるで、姉さんが居ないみたいじゃないか?


 本当に、たちの悪い冗談としか思えない! 


 そうだろ?


 この部屋だって姉さんと同室だし、二段ベットだってちゃんと______あれ?



 何でさっき天井が見えたんだ?




 姉さんと僕は、同じ部屋を使っている。


 この家を建てた時、子供がまだ小さいということで二人一部屋が与えられた。


 子供が大きくなれば、この部屋の真ん中に仕切りでも作ればいいだろうと両親は思ったらしい。

 けれど姉さんも僕も二段ベットの上か下かで争うことはあったが、思春期を迎えても特にお互いが同じ部屋を使うことに何の違和感も持たなかった。


 僕にとって、姉さんはいて当たり前の存在『空気』だ。


 手を伸ばせば、声をかければ、必ずそこにあることを実感できる。


 それ無しでは、人は……僕は……!


 そう気付いた時、僕にとってこの世界で姉さん以外なんの価値も無くなった。


 僕は、恐る恐る部屋を見渡した。


 この部屋は、こんなにも広かっただろうか?


 姉の私物でごった返していたはずの部屋はこれまでにないくらい片付き、僕らの二段ベットは消えシンプルなシングルベットが鎮座している。



 まるで、姉さんがそこに存在しなかったみたいに。



 「なんで……?」


 一体何が起こってるんだ!?


 ここまで来ると、家族ぐるみのドッキリとか言う訳ではではない!


 僕は部屋中を引っかき回し姉の私物を探した。


 姉さんが帰らなかった昨日一晩、僕は一睡もしていない。

 

 誰かがこの部屋に入ったなら、気づかない筈など無い!



 「これは!」



 姉さんはその端麗たんれいな容姿に似合わずファッションに全く無頓着むとんちゃくだ、制服以外スカートなど一切着用せず私服などは数えるほどしか持っていない。


 普段家で着ている衣服は、僕と共用というか僕のものを勝手に着ててその中でも姉さんがお気に入りの僕のGパン『エドウィン506』が無造作に床に落ちている。


 それも半透明で。


 まるで、存在そのものが無くなろうとするように見る見る薄くなっていく床が透けて見えるほどに薄く。


 僕は慌ててGパンをつかんだ、するとGパンは色を取り戻しいつものGパンに戻った。


 「何だよこれ……?」


 理由など分からない、ただこんな感じでこの部屋にあった姉の私物は消えた事に間違いない。

 さらに探すと、誕生日に僕が送ったTシャツと姉が大のお気に入りだった僕のスニーカーそれと下着が一着出てきたがそれらもかなり透けていて今にも消えそうだ!


 見つけた姉さんの私物及び僕と共用だったものには、どういう訳か『僕が、触れ続けなくては消えてしまう』という怪現象を起こしているようだ……?

 と言うのも、他に残っているものは無いかとスニーカーから目を離している隙にスニーカーの片方が消えて無くなってしまったからだ。


 選択の余地はない。


 Tシャツ、スニーカー、Gパン、姉さんの下着一式。


 僕は、それらを着用した。


 誓って僕は変質者ではない!

 姉の私物が消えてなくならないように触れ続ける為に着用したのだ!

 心拍数が異常に上昇しているのもきっと気のせいだ!!


 な、何はともあれ、何かとんでもない常識では考えも及ばない力が働いているのは間違いない。

 両親から姉さんの記憶を奪い、持ち物すら普通ではありえない方法で消滅させる『何か』が!


 僕は、今後のことについて会議中の両親を尻目にそっと玄関へ向う。


 姉さんのスニーカーを片方履いてもう片方は自分のスニーカー。

 

 まずは、昨日の姉さんの足取りをつかまなくては……。


 僕は日の昇り始めた冷たい空気の中、姉さんの通っている高校へと走り始めた。


 急がなくては!


 何が出来きるか分からないが、兎に角何とかしないと! 



 皆が姉さんを…『比嘉霧香ひがきりか』を忘れてしまう!




                 ◆◆◆




 姉さんの通う私立尚甲高校しりつしょうこうこうこうは、各都道府県から才能のある生徒を集め徹底的に英才教育を施し『文武両道のエリート』として有名大学に輩出していくことで有名な県内屈指の進学校だ。


 まあ、実態としては文武両道とは名ばかりではっきりと『文』と『武』に振り分けられた生徒たちがそれぞれの得意分野で好成績を挙げ続け学校のブランドを保持していると言うのが現状だ。

 つまり、一人の生徒が文武両道ではなく『文』と『武』の役割を持たされた生徒が『特待生』とか受験免除といった待遇に踊らされ学校の宣伝に使われているという訳だ。


 姉さんは言わずと知れた『武』……確かに姉さんは頭が良いとは言えない。


 つい最近なんかも僕の数学の公式にに出てきた『r』を見て『何それ? わらしべ?』と、言い放ち僕に衝撃を与えたばかりだ! 


 いかに『武』の生徒に対して授業の手抜きをしているかが伺える!

 この学校のスポーツ特待のやり口を思うと、全く持って反吐が出るね!

 ついでに、自分がこの高校の付属中学に通っている事も苛立ちを覚える!

 姉さんが、この学校にさえ入学しなければこんな所願い下げだ!



 ……それはさておき。


 姉さんは、町ではもちろんの事この学校でも知らぬものは居ないほど有名人だ。


 『正義の味方』としてこの学校のあらゆる問題にクビを突っ込み解決して回ったのは、僕の偉大なる姉『比嘉霧香』に間違い無い。


 だから……もしかしたらこの学校になら、僕以外に姉さんの事を覚えていてくれている人間が居るかもしれない。


 しかし、そんな淡い願いは数時間後には打ち砕かれた。


 趣味の悪い私服で訪ねて来た中学生に対して学校の事務員は眉をひそめたが、『比嘉霧香』という生徒が在籍しているかどうかを端末で検索してくれた。


 結果。


 該当無し。


 僕は、その場で門前払いを食らってしまった。


 謎の力は姉さんの全てを消しにかかっている……まあ、一番身近な両親が本気で娘の存在を忘れ家具や衣服まであんな消え方をするのだから学校のデータが消えていても不思議じゃない。


 だが、まだ僕が居る。


 僕が姉さんを覚えている。

 僕が覚えている限りたとえどんな摩訶不思議な力が働こうとも姉さんの存在は消えない。

 僕が消させない!!


 幸いにも姉さんに関するものを何でも消してしまう謎の力は、僕が触れているものについては消せないようだ。

 だからもし、姉さんの事を覚えている人間を探し触れることが出来れば少なくともその人物の記憶からは……。


 いや、両親すら綺麗さっぱり忘れてしまったのだ他人を探すほうがよっぽど確率が低いじゃないか……。


 「おい! そこの薄情者!」


 肩を落としもと来た道を戻ろうとする僕に、背後から聞き覚えのある声が恨みがましそうに話しかけてきた。

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