第二十七話・祝宴の裏で




 ──時は少し遡り、祝賀会が開始されたその時刻。『死の森』に侵入しようとする男達がいた。


 数十、数百の団であった彼らは、闇に紛れて集まり、千を少し超えた集団となり。

 けれどもそれは、本来の人数ではない。

 集合時刻になっても姿を現さなかった一団が数あった。

 だが、彼らは所詮寄り集まり。

 互いの顔など憶えてはおらず、多少人数が減っていると感じても本来の職と目的を考えれば『逃げ出した』『気が変わった』としか思わない。

 それがある人物達によって排除されたとも知らずに。

 気付かぬままに森の入り口に立ち、周囲にいる者と顔を見合わせて頷き、一歩足を踏み出そうとした時──彼らに向かって異常なまでの殺気が放たれた。

「「!!」」

 男達はぴたりと動きを止めた。いや、動けなかった。

 向けられる殺気は一方からではなく四方から感じ、中でも異質な気が前方から感じられた。

 ──つうっ、と嫌な汗を流す男達の前に、森からゆっくりと外套を羽織った男が姿を現した。

 何時の間にか前方にいる男と同じように外套を纏った数百の人影が男達を取り囲んでいる。

 前方の男の唇が開かれる。

「──ロバリアに雇われし者共よ。セイマティネスに剣を向けた事、後悔するが良い」



 ・*・*・*・*・*・



 王都セレイスレイドでは、皇太子の誕辰を祝って祭典が執り行われており、そこ此処に人が集まり、賑わっていた。

「──わぁ、人がいっぱーい!!」

 トゥルフ、アルザ、ルイスと連れ立って王都の中心部へ出て来ていたライラは、きゃっきゃとはしゃいでいた。

 現在教会はトゥルフの下に就く司祭が番をしている。

 長時間は離れられないが、祝いの日に何処にも出られないのはアルザやルイス、幼いライラが可哀想だと、トゥルフが連れ出したのだ。

「こらこらライラ。人が多いのだから離れては直ぐにはぐれてしまうよ。戻っておいで」

「はーい」

 少し駆け出していたライラはトゥルフに注意されて素直に彼らの許まで戻る。

「ライラ」

 差し出されたルイスの手を握ったライラは、あ、と声を上げた。

 その視線は路肩にある菓子を売る屋台に注がれる。

 くすくす、と笑ったルイスはライラに優しく話し掛ける。

「あれが欲しいの?」

「うん」

 ルイスがトゥルフに視線を滑らせると、それを受けてトゥルフは微笑んで頷く。

 了承を得たルイスは、ライラの視線の先にある屋台を指差した。

「じゃあ、買いに行こうか」

「本当!?やった!ね、ね。早く行こう!!」

 ぱあっ、と顔を輝かせたライラは、ルイスの手をぐいぐいっと引っ張った。

「あははっ、分かった分かった」

 屋台へと向かう二人の後ろを黙って、けれど優しい目をしてアルザも追う。

 彼らの姿をトゥルフは付いて行きながらも穏やかにその目に映した。

 ライラが求める物の代金を支払うためにルイスが取り出した財布。その中にある金は、リウィアスが働いて稼いだ物。

 普段我慢している分、好きな物を買いなさいと、城へ越す前に置いて行った物だ。

「……あっ!あれ何!?」

 菓子を買ってもらい、機嫌良くそれを口に運んでいたライラが、別の屋台で売っている可愛らしい装飾品に興味を唆られたらしく、そちらへルイスを再び引っ張る。

 苦笑し、その後をアルザが付いて行く。

 それを微笑ましく見守っていたトゥルフは、夜でも洩れる灯によって距離が離れていてもはっきりとその目に映す事が出来る王城へと視線を滑らせた。

 ──トゥルフは、今何が起きているかを知っている。それはコルゼスの信頼が厚く、住民らから絶大なる信頼を寄せられているが故に。

 万が一、街中で戦闘が起きた際、混乱に陥るであろう住民らを落ち着かせる役を与えられていた。

(──おめでとう、リウィアス)

 警備のため、ここ一週間城を出られず顔を見る事が叶わない愛する娘に、心の中で祝いの言葉を呟いた。




「……いたぞ!」

 街中が賑わっている中、その陰では王都の警備を任された自警団と師団員らが、商人や旅人を装い入り込んでいたロバリアの息の掛かった者らを捕らえるため忙しなく動いていた。

「チッ」

 隠れ、逃走を図る者らを住民に知られぬよう注意を払いながら追う。

 ──ある建物の敷地内に身を潜ませたガイルに雇われた男は、息を殺し。

(……くそっ。こんな事になるんなら、話に乗るんじゃなかった……!)

 金に目が眩んだ事を、後悔していた。




「──楽しかったー!」

 片手に買って貰った兎を模した人形を抱き、ライラは満面の笑みで声を上げた。

 その頭には、屋台で購入した色鮮やかな花の髪飾りが。

「うん、楽しかったね。リウィアスに会ったら、ちゃんと『ありがとう』って言うんだよ?」

「はーい」

 ライラと手を繋いで言うルイスと、その後ろを歩くアルザの手には少し大ぶりの袋が一つあった。中には、的当てなどの遊戯で得た景品などが。

 数ある品の中で二人が自分のために購入した物はそれぞれ一つしかない。

 己のためにはほとんど金を使う事をしない二人。

 遊戯に参加したのは単純に、ライラが喜ぶから。

「今度、いつお祭りするかなー?」

「んー、リウィアスが結婚する時かな?」

 今日のような盛大な祭典が催されるのは、次は皇太子が結婚する時になるだろう。

 それはすなわち、リウィアスが結婚するという事で。

「「……」」

 ライラに答えたものの、その時を想像して、アルザとルイスは眉根を寄せた。

「──ほらほら。もう教会に着いたよ」

 くすくすと笑ったトゥルフは、リウィアスを慕う二人の弟の頭を軽く撫で、教会の門に手を掛けた。




 建物の塀の内側。身を潜めていた男は、近付いてくる声と足音に息を殺し。

 ──キィ、と門がゆっくりと開かれ、男は手にしていた剣を持って飛び掛った。



 ・*・*・*・*・*・



 数曲をレセナートと踊ったリウィアスは、その後ウェルデンを始めとする幾人かの出席者の相手を務め、レセナートに伴われながら席へと戻る。

 用意されていた食事と葡萄酒──と同じ色の果実水を口に運び、歓談しつつ、僅かに目を伏せた時。

「!!」

 リウィアスはある気配を感じ取り、身体を強張らせた。

 それは目に見えない程、僅かな反応。

 気付いたのは手を重ね合わせていたレセナートだけだった。

「……リウィアス?」

 隣に腰掛けるリウィアスにだけ聞こえるように呼び掛ける。

 リウィアスの僅かに震える指先に力が入った。

「……お父様達が、危ない……」

 ぽつり、と小さく言葉が落ちた。

 軽く息を呑んだレセナートは、なるべく冷静に問い掛けた。

「……どういう事だ?」

「……ルディが。……敵が教会に入り込んでいるみたいなの」

 リウィアスが感じた気配。それは瑠璃色の鳥ルディの物だった。

 ルディは、リウィアスが察せられる境界内に入り、その中で最も高い樹の上を三度旋回。そして一拍間を空けて一度旋回してその頂点に留まった。

 ──高い樹は『教会』を示し、三度旋回するのは『敵』を表す。一度は『家族』。

 そして留まる位置。それは高ければ高い程『危険』である事を示していて。

 つまり、『教会』に『敵』が潜伏しており、トゥルフ達リウィアスの『家族』に命を落としかねない『危険』が迫っているという事。

 ──助けに行きたい。

 けれども今、傍を離れるわけにも行かず。

 リウィアスの心が悲鳴を上げた。

「──行け、リウィアス」

「!でも……」

 躊躇うリウィアスをレセナートは迷いのない瞳で見つめる。

「大丈夫だ。──父上」

 微笑むとレセナートはコルゼスに声を掛けた。

 普通に声を出して届く距離に存在するコルゼスは、顔をレセナートに向けた。

「どうした」

「リウィアスがしまったようです。別室にて少し休ませてやりたいのですが」

 リウィアスが酒を口にしていない事は、コルゼスも知っている。にも拘らず、レセナートは『酔った』と言う。

「ああ、休ませてやりなさい」

 リウィアスが今この場を離れなければならない事態が発生したのだと察したコルゼスは頷いた。

「レセナート……」

 不安に揺れる瞳を向けるリウィアスの頬に、レセナートは唇を触れさせた。

 間近に見据え、優しく言葉を発した。

「待ってるから。行って来い」

 愛する男に背中を押され、リウィアスの心は決まった。

「──なるべく早く戻ります」

 一度手を強く握り合い、リウィアスは席を立った。

 差し出されたルーカスの手を取り、意図的にゆっくりと会場を後にする。


「……何があった?」

 リウィアスの後ろ姿を見送った直ぐ後、側近のロイに何かを告げて葡萄酒の入った二つのグラスを手に傍に寄って来た息子に、コルゼスは一つのグラスを受け取りながら口を開いた。

「敵が教会に。トゥルフ殿らの身に危険が迫っていると」

 それでか、とコルゼスは納得した。

「で?」

「万一に備え、馬車で後を追わせました」

 それに一つ頷いたコルゼスは、視線を滑らせた。

 席を外したリウィアスを気にしているようだが、ギセドは変わらずガイルの傍に控えている。

 ──あの男は目立つ。

 それにウェルデンが常にその目を光らせているお陰で、ギセドの行動はある程度制限されていた。

 ギセドが誰かに何かを命じたとしても、あの男以外ならばリウィアスでなくとも対処出来る。

(──リウィアス。トゥルフを救え)

 グラスを口に運びながら、コルゼスは心中で呟いた。


「──リウィアス様」

 会場を出たリウィアスの許へ、アシュリーが足早に近寄って来る。

「少々お酔いになられたらしい。暫く、別室にて休まれる」

 ルーカスがごく近くにいる者達にも届く程度の音で告げる間に、リウィアスはアシュリーにだけ届くように声を発する。

「外套を」

 アシュリーは、何かあったのだと察し、小さく応じる。

「一応、ご用意してあります」

 前線に立つリウィアスに求められた際に出来る限り応えられるよう、幾つか物を用意してあり、その中に外套も含まれていると。

 優秀な彼女に礼を言うように軽く笑みを向けると、駆けて行きたいのを堪え、リウィアスは、それらが置いてある部屋へと向かった。

 そこは会場とリウィアスが与えられた塔の中間地点にあり、様々な事を想定し、リウィアスが自由に使えるようにと用意されていた部屋。

 中では、ドリューが待機しており、不在のエリンは、塔でリウィアスの留守を護っている。

「!リウィアス様、如何されましたか?」

「少し城を離れます」

 駆け寄って来るドリューに止まることなくリウィアスは告げ、その背後でアシュリーが準備に駆ける。

 リウィアスは部屋のある一角で漸く足を止めると、浮かし彫りが施してある部分の壁に手を伸ばした。

 浮き出た模様の一部は動くようになっており、そこを右に三回、左に四回回し、押す。

 すると、別の壁の一部が静かに動き出した。

 ──この部屋にもまた、隠し通路への扉が仕掛けられていたのだ。

 リウィアスはコルゼスから自由に通路を使う事を、初めて王城を訪れた際に許されていた。実際に自分から使うのは、今日が初めてだが。

 アシュリーは以前から、ドリューはリウィアス付きになる時に聞かされていた隠し通路。

 だが、実際に目にするのは初めてのため瞠目し、しかし直ぐに我に返るとリウィアスに外套を羽織らせた。

 ルーカスは腰に帯いていたリウィアスの剣を差し出す。

 受け取ったリウィアスは、口を開く。

「ありがとうございます。皆様はここで待機を」

 アシュリーとドリューは頷き、ルーカスは僅かに逡巡する様子を見せたがそれを了承した。

「──承知致しました」

「留守を頼みます」

 微笑みを浮かべて踵を返したリウィアスは、その纏う空気を一変させる。

 ルーカスらの視界から外れたその表情に、最早笑みはなく。

「「っ、」」

 それに呑まれた彼らを背に、リウィアスは隠し通路に足を踏みれた。

 同時に、壁から突き出た槓桿こうかんを下に下げる。

 と、リウィアスの背後で今一度壁が動き、隠し通路は塞がれた。

 この槓桿は、通路のうちから扉を開閉する物。


 ──外からの視線が遮断されると同時に、リウィアスは、灯りがなく闇に包まれた通路を駆け出した。



 ・*・*・*・*・*・



「っトゥルフ様!!」

「っっ、下がりなさい!」

 教会の門を開けた途端、剣を抜いて襲い掛かって来た男。

 殺気に気付いて咄嗟に腕で庇いつつ身を引いたものの、皆の前にいたトゥルフはその剣を左腕に受けてしまった。

 それなりに深く斬られたらしく、ぼたぼたと血が滴り落ちる。

「ルイス!ライラを!!」

 アルザは叫ぶように言うと、手にしていた袋を放り出し、腰に帯いていた木刀を抜いて男に飛び掛った。

「「アルザっ!」」

 ライラを抱き寄せたルイスと、トゥルフの声が重なる。

 男をトゥルフから遠ざけるため、男の懐に飛び込む。

 だが、木刀であるアルザの不利は明らか。

 幾度か男の身体に木刀を打ち込むものの、男が振るった剣を払う際に木刀は真っ二つに切られてしまう。

「チッ!」

「アルザっ、下がりなさい!」

 男から飛び退すさったアルザの少し前に出たトゥルフは横目で命じる。

 しかし、その言葉には従わず、アルザは折れた木刀を手にトゥルフの横に並んだ。

 背後にいるライラと、彼女を護るように抱き締めるルイスを庇うような構図である。

 三人としては、ライラを安全な場所に移動させたい。

 けれども男は教会の敷地内から飛び出して来た。他に潜んでいないとは言い切れない。故に、建物内に入っていろとは言えず。

 男が一歩踏み込むと同時に強く地を蹴る。

 咄嗟にトゥルフはアルザの前に飛び出して身構えた。

 ──シュッ、と空気を切る音が四人の横を通り過ぎた。

 直後。

「づっっ!!」

 男の呻く声が。

 見ると、後ろに蹌踉よろめいた男の、トゥルフに振り下ろそうとしていた剣を持った腕には短刀が深々と突き刺さっている。

 茫然とするトゥルフ達の横を一頭の馬が異常な速さで駆け抜けた。

 同時に、馬上にいた人物が軽やかにトゥルフの前に飛び降りて。

 地に着くと同時にそれを蹴り、一瞬で男の懐に飛び込んだ。

「っ!?」

 はっとした男の剣を持つ手を、抜刀せぬまま剣の鞘部分で薙ぎ払うように打ち、剣を落とさせ、鞘の先の部分を男の鳩尾に強く打ち入れた。

「ぐっふっっ……」

 どさり、と男は地にくづおれる。

「「リウィアス!」」

「お姉ちゃん!!」

 振り向いたリウィアスは直様トゥルフに駆け寄った。

「お父様!」

 血が滴り落ちるトゥルフの腕に、悲痛に顔を歪めた。

「大丈夫だよ」

 止血のために自身の腕を押さえるトゥルフは微笑んだ。

 リウィアスはアルザが手渡してくれた手巾で手早くトゥルフの腕を止血する。

「ごめんなさい、護れなかった」

「何を言っているんだ。ちゃんと助けてくれたじゃないか」

「でもっ」

「リウィアス。──ありがとう」

 悲しみに、悔しさに瞳を揺らすリウィアスの言葉を遮り、トゥルフは優しい笑みを向けた。

 ぐっと口を噤んだリウィアスは、こくん、と小さく頷いた。

 顔を上げたリウィアスはアルザ達に問い掛ける。

「みんな、怪我は?」

 ──臭いや気配でトゥルフ以外は大した事はないと分かってはいるが、それでも訊かずにはいられない。

 ルイスは頭を振った。

「大丈夫。アルザが護ってくれたから」

 アルザの手には、まだ切られた木刀が握られている。

 リウィアスはその手に自分の手を重ねた。

 互いの瞳が、僅かに揺れる。

「……本当は、無茶をしないでと言いたいところだけれど……。──ありがとう、アルザ。みんなを護ってくれて。……ありがとう」

「リウィアス……、ん」

 時々リウィアスやアゼルクに指導を受けながら日々剣の訓練に励んでいたアルザだが、命を賭けた戦闘は今回が初めて。

 怖くなかったわけがない。

 それでも敵に向かって行ったのは、大切な人達を護りたかったから。

 同時に、リウィアスの不在時は、自分が護るのだという強い想いが彼を動かした。

 それを誰よりも敬愛するリウィアスに認めてもらえ、アルザは笑みが溢れた。

 その身体の数カ所は先程の戦闘で切れている。

 心配そうにしていたリウィアスは、ふと、顔を自分が来た方角へと向けた。

 少しして、車輪の走る音と馬の蹄の音が聞こえ、程なくして現れたのは、馬車を操るレセナートの側近の一人、ロイだった。

「──リウィアス様。遅れて申し訳ございません。司教様方は、わたくしが城へお連れしますので、リウィアス様はお戻りを」

 馬車から降りたロイは頭を下げる。

 リウィアスは逡巡した。が、それを感じ取ったトゥルフが口を開く。

「お行き。私達は大丈夫だから」

「……はい」

 アルザとルイスも頷き、ライラは首を傾げている。

 リウィアスは頷くと、ロイへと顔を向けた。

「ロイ殿、父と弟達をお願いします」

「お任せを」

 ロイが頷いたのを確認して、リウィアスは指笛を鳴らした。

 すると、何処かへと姿を消していた愛馬である青毛の馬が駆け戻って来る。

「──先に行くわね」

 そう言葉を残し、止まらずに駆ける愛馬がほんの僅か速度を落として横を通り抜ける際にその背に飛び乗ったリウィアスは、そのまま王城へと向かった。




「──リウィアス」

 隠し通路を使って部屋に戻り、アシュリーらに身形を整えてもらったのちに会場に戻るとレセナートに迎えられる。

 腰に腕を廻されて引き寄せられ、リウィアスは漸く安心したように息を吐く。

「どうだった?」

 席に戻りながら、小さく問われ、リウィアスは微かに震える唇を微かに動かした。

「……お父様が少し……」

「……」

 完全に無事ではないと知り、ぐっと、リウィアスを抱く腕に力が籠もる。

「だけど、アルザが頑張ってくれて……」

 皆の命は助かったと暗に告げたリウィアスは顔を上げた。

「──ありがとう」

 それには、あの時背中を押してくれた事への礼も含まれている。

 正確に汲み取ったレセナートはリウィアスの蟀谷こめかみに唇を押し当てた。

 席に戻ると、リウィアスはコルゼス達に礼を取った。

「席を外し、申し訳ございません」

「良い。それよりも、大丈夫か?」

 それは、リウィアスの体調を気遣うようでいて、実際はトゥルフらの事を訊ねている。リウィアスは頷いた。

「はい。お気遣い痛み入ります」

 トゥルフらの生存を報告する。

 レセナートと繋いだ手をそのままに席に着き、再び気を張り巡らせるリウィアスの許に、暫くして戻ったロイが小さく報告を行う。

「司教様、アルザ殿の治療が終了致しました。詳しい事は後程医師が説明致しますが、大事には至ってはおりません。現在部屋にて、ルイス殿、ライラ殿と共にお休みになられております」

 それは、リウィアスを何より安堵させる報告。

 ふわりと笑みを浮かべた。

「ありがとうございます、ロイ殿」

「では」

 ふ、と小さく微笑んだロイは、こうべを垂れてその場を離れた。

「良かった」

「ええ」

 浮かぶ笑みは、この状況下で嘘も偽りもない、無理のない心からの笑み。

 レセナートはリウィアスを引き寄せ、その身体を抱き締めた。

 リウィアスは、そっと瞼を下ろす。


 仲睦まじい二人の様子に、会場にいる者達は囁き合う。

「──随分と仲がお宜しいようだ」

「これならば、御子が出来るのも早かろう」

 そんな中、ガイルは怪しい笑みを浮かべた。

(──精々、幸せを噛み締めておくんだな。もう時期絶望に沈むのだから。──ああ、あの女は、我が妾として可愛がってやろう……)

 ククッ、と噛み殺せない笑いを溢しながら、ガイルは近い未来を想像した。

 そんな男を冷え冷えとした目で流し見るギセド。その目からは一切のガイルに対する忠誠心などは見て取れず、何か危険が迫った際に、身を呈してまでガイルを護るつもりがない事は一目瞭然だった。

 気付かぬは当のガイルのみ。

 ギセドはその視線を壇上に座るリウィアスへと滑らせると一変して、熱く、欲望に満ちた瞳を向けた。



 ・*・*・*・*・*・



「──う"あ"ぁ"ぁ"ーっ……!!」

「ぎゃあ"ぁ"ぁ"っっ……!!」

「来るなぁ"ぁ"っ!!」

『死の森』の中。男達の絶叫が木霊する。

「……っんだよここは!化け物の巣じゃねぇかよ!!」

 ある男はそう吐き捨てると懐に仕舞っていた緊急事態を知らせるための信号弾を上げようとそれを取り出す。

 木の陰に身を潜め、信号弾に点火しようと屈んだ男は、ずんっ、という地響きのような振動にその動きを止めた。

 背後から異様な気配を感じる。

「……っ……」

 男の背を嫌な汗が伝った。

 振動は確実に近付き、それは男に程近い位置で止まった。

 それからは呼吸音が聞こえ。

 男は、ごくり、と唾を飲み込んだ。

 ──後ろを決して見てはならない。そこにあるのは恐怖のみ。

 本能がそう警告する。

 けれども、どうしても振り向かずにはいられない。

 男は恐る恐る、軋むような動きで首を動かし、視線を後ろへと向けた。

「────……っ」

 そこにあったのは暗闇の中、間近で光る二つの鋭い双眸。

 そして、あまりにも巨大な獣の姿。

 恐怖に呑み込まれた男は身動きが取れず、獣がその前脚を持ち上げたその直後。

 悲鳴を上げる事すら許されずに、その手に付いた鋭い爪によって身体を真っ二つに裂かれた。


 事切れた男の血を浴びた獣は、その視線を森の一方へと滑らせる。

 獣が視線を向けた先から、纏う外套を赤黒い血で染めたアゼルクが姿を現した。

「──赤王」

 アゼルクの姿をその瞳に映した純白の毛並みを赤黒く色付かせたデイヴォは、微かにその目を冷たく細めた。

 まるで、早く片付けろ面倒臭い、とでも言っているようで。

 デイヴォの眼光に、背筋をぞくりとさせたアゼルクは、しかし真っ直ぐに見返す。

「すまん。──が、リウィアスのために最後まで力を貸してくれ」

 人のためでなくて良いから、と。

 その言葉に、僅かにデイヴォは纏う空気を和らげる。

 瞳には優しい色が宿り。


 身体の向きを変え、別方向へと向かうデイヴォの背中は、リウィアスのためならば力は惜しまない、と語っているようだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る