第四話・過ごした歳月・背負う咎

 それはリウィアスが十一歳の時。



 アゼルクが王に召喚しょうかんされ王城に赴いていた時だった。

 森に異変が起きた。

 ──侵入者が現れたのだ。

 常ならば、森の獣が侵入者を排除する。

 だが、稀に護人を試すようにそれを放置する場合があった。

 その時がそれだ。


 万が一、護人が侵入者を排除出来なかった場合、また森の禁忌が犯された場合、森の住民は『死の護人』を見放す。


 護人は、害のない人間を『死の森』の獣から護る役目に就いているのと同時に、人から『死の森』を護る役目にも就いている。

 それも、古に交わした盟約の一つだ。


 『死の護人』は王都に住まう人間にとっての命綱。


 その護人が見放されれば、人は森を越えられない。

 代々受け継がれる『笛』も、認めた者が吹くからこそ獣も耳を傾けるのであって、見放した者が吹いたとて何の意味もさない。


 当のアゼルクは王城にいて、駆け付けるまでには時間が掛かる。

 留守番として護人の家にいたリウィアスは決断した。

 ──自分が行くしかない、と。

 この時、護人の選定試験こそ受けてはなかったリウィアスだが、獣の信頼を得ていたため森で自由に活動する事自体は全く問題がなかった。


 家を飛び出したリウィアスは、親指と人差し指で輪を描き、唇に押し当てた。

 ──ピィィィ──……。

 高く澄んだ音が、空気を震わせる。

 程なくして森から一頭、青毛の馬が走り出て来た。リウィアスの指笛に応えたのである。


 歴代の護人が足許にも及ばない程、森の住民と強い信頼関係で結ばれているリウィアス。

 それは師であるアゼルクであっても同じ事で、故に彼には行えない事がリウィアスには許されていた。──森の獣を呼び出す事がその一つである。


 まだ子供と分かる小柄な身体で軽やかにその背に飛び乗ると、青毛の馬はリウィアスを乗せたまま異常な速さで森へと駆け出した。


 『死の森』には突然変異を起こした獣が多く棲まう。

 この馬もしかり。

 心の臓を二つ持ち、その脚力は通常の馬の三倍強。


 尋常ではない速さで森を駆ける。



 ──アゼルクが駆け付けたのは、全てが終わった後だった。



 侵入者は全てリウィアスが排除した。そしてそれはリウィアスが初めて人を殺めた事を意味する。


 侵入者は三人。他の国から来たらしいその男達は森に火を放とうとしていた。その行為は森の禁忌に触れる。

 リウィアスの排除という行為は、『死の護人』としてならば決して間違ってはいない。むしろ、正しい。

 しかし、リウィアスはこの当時十一歳の少女。義父ちちは聖職者だ。

 リウィアスは自分のした行為に深く傷付き、そして──その日を境にアゼルクの住む護人の家で暮らし始めた。

 人を殺めた身で、聖職者であるトゥルフの許にはいられないと考えたのだ。


 それからというもの、人を殺めた日には決してトゥルフには近付かなくなった。



 ──程なくして、リウィアスは『死の護人』代理者の職に就く──。



 現在も侵入者を排除した日には、教会にすら近寄らない。


「──たとえ代理者であっても、リウィアスは私の娘なんだよ。子を心配するのは親ならば当然だろう?」

 トゥルフはリウィアスのすらりと長く美しい指が付いた手をそっと握り締めた。そのてのひらには剣だこがある。毎日欠かさず鍛錬している証拠だ。

「……お父様」

 リウィアスの瞳が僅かに揺れた。


 リウィアスを養女に迎えた当時、トゥルフはまだ二十一だった。

 それでも彼は、実の両親が与えなかった深い愛情を注ぎ、いつくしみ、リウィアスを育てた。

 血にけがれた今も、変わらずに惜しみない愛情を注ぎ続けている。

 リウィアスはその事実に、真実感謝していた。


 トゥルフの手をきゅっと握り返し、ふわりと笑む。


「……ああーっ! お姉ちゃんだ!!」


 二人の間に流れる穏やかな空気を壊すように、子供特有の甲高い声が響き渡る。

 それに苦笑しつつ二人が声のした方へ顔を向けると、教会の広場の方から、七歳くらいの、ふわりとした栗色の髪を耳の後ろで二つに束ねた愛らしい少女が駆け目指して来る。

 その後ろには十四、五歳くらいの少年が二人と、リウィアスと歳の変わらない娘が着いて来ており、リウィアスの姿を認めた三人は同様に『あ』という表情を見せた。

 リウィアスは嬉しそうに頬を緩めた。

「ライラ」

 リウィアスが両腕を広げると、その中に勢い良く先程の少女が飛び込む。

「お姉ちゃんっ!! ……いつ来たの? 遊んで行けるの!?」

 腕の中で顔を上げ、矢継ぎ早に質問を繰り出す少女ライラにリウィアスは困ったように眉尻を下げた。

「さっき来たのだけれど、今は私一人だからゆっくりは出来ないの。今日はみんなの顔を見に来ただけ。……ごめんね?」

 リウィアスはその人物の纏う空気、気配、そして風が運ぶ情報を感じ取り、正確に相手の感情を読み取る。


 言葉を聞くうちに落胆した様子を見せるライラに、リウィアスは更に困ったように首を傾けた。

 そこへ、少年達が歩み寄る。

「ライラ。リウィアスをあまり困らせるな。お仕事だ。それに、時間がある時は自分の事は後回しにライラと遊んでくれるだろう?」

 赤銅せきどう色の髪の少年アルザが屈み目の高さを合わせてライラに言い聞かせ、藍色の髪の少年ルイスが黙って隣に立つ。

 明るい茶髪の娘フィーネはトゥルフには会釈えしゃくをすると、三人からは少し距離を置いて立った。


 ──王都で生まれ育ったライラの両親は半年前に相次いで病気で他界。両親共に天涯てんがい孤独こどくであったため身寄りのなくなったライラをトゥルフが引き取り、この教会で世話をしている。

 そして、アルザとルイス。


 二人は六年前の同時期に、アゼルクに連れられて外の街に出向いたリウィアスが


 アルザは裏街うらまちと呼ばれる地区の一角で路上生活をしているところを。

 ルイスは別の裏街の集合住宅の一室で衰弱していたところを。

 ただ、フィーネは違う。

 彼女は教会近くにある菓子屋の娘で、リウィアスとは幼馴染の関係だ。故に、この話には参加しない。

 ライラに言い聞かせるのは『兄』であるアルザとルイスの役目だからだ。


 ライラは少しねたように口を尖らせながらも頷いた。

「……ん。──お姉ちゃん、困らせてごめんなさい」

 瞳を潤ませながら見上げるライラに、リウィアスは優しく微笑んだ。

我慢がまんさせてごめんね? 時間が取れたらたくさん遊んでね?」

 言うと、ライラは勢い良く頷く。

「うんっ!!」

 リウィアスはにこっと笑むと、ライラからアルザ達へと視線を滑らせた。

「二人とも立派なお兄ちゃんね。私も鼻が高いわ」

「……うっせ」

 アルザが頬を赤く染めながら悪態を吐く。けれどリウィアスは優しい瞳を変えない。

 アルザの口調と態度は悪いが、性格は面倒見が良い兄貴肌。

 自分に手を差し伸べ、見捨てず拾ってくれたリウィアスを心から信頼し、したってもいる。

 にも拘らずこういった態度を取るのは、単に素直ではないからで。それをちゃんと理解しているリウィアスはたしなめることなく受け入れている。


 三人は共に暮らしていないだけ。

 初めの頃、誰にも心を開こうとしなかった二人に根気強く付き合い、どんなに冷たい態度を取られても向き合い続け、支え続けたのは紛れもなくリウィアスだ。

 だからこそ、絶対の信頼を寄せられている。

 この二人が唯一甘える事が出来るのは、リウィアスだけ。


「……今日は直ぐに行くの?」

 ルイスが髪と同じ藍色の瞳でリウィアスを見据えながら口を開く。その瞳には僅かに寂しさが浮かんでいた。

 リウィアスは頷く。

「珍しく護衛の仕事はないのだけれど、お師匠様が『外』に行かれているからあまり森を離れていられないのよ。──でも、何かあれば遠慮せずに呼んで。直ぐに駆け付けるから」

「……分かった」

 こく、と頷いたルイスに笑んだリウィアスは、今度は黙って見守っていてくれたフィーネの方へと顔を向けた。

 ライラの頭をひと撫でして立ち上がり、手を伸ばす。

 その手をフィーネは嬉しそうに取った。

「こんにちは、フィーネ。挨拶が遅くなってごめんね?」

 今は正午少し前。

 リウィアスが声を掛けるとフィーネは嬉しそうに頬を緩めながらもかぶりを振る。

「こんにちはリウィアス。良いのよ、気にしないで。……──最近忙しそうね。無理、してない?」

「うん、無理はしていないわ。それにフィーネに会えたから、疲れなんて吹っ飛んでしまったわ」

 ふふ、と笑うリウィアスにフィーネは頬を染めた。

 リウィアスはよく心を言葉にして相手に伝える。勿論、善の気持ちを。

 それは幼い頃。

 見て、相手の感情を知る事が出来ないのリウィアスのために、トゥルフや健在だったロイが言葉で気持ちを伝えたのが始まり。自ずと、リウィアスも自身の気持ちを言葉とした。

 という事が出来るようになった今でも、それが残っている。

「フィーネ。何時もみんなを気に掛けてくれてありがとう。頼りにしているわ」

 フィーネは教会を離れたリウィアスの代わりに、トゥルフやアルザ達を気に掛けては毎日のように顔を出してくれている。

 リウィアスも出来るだけ会いに訪れているがその時間は限られているため、本当に助かっていた。

「馬鹿ね。好きでしている事よ」

「それでも、ありがとう」

 フィーネと笑みを交わすリウィアス。ふと、教会の門がある方角へと顔を向けた。

「? どうしたんだい、リウィアス」

 トゥルフが声を掛けると、小さな呟きが返った。


「……あの人が、来る」


 ──少しすると、教会の門を潜って、金茶色の少し長い髪を首の後ろで一つに束ねた、整った容姿の青年が現れた。

 厳然げんぜんたる気を纏った長身の彼は、上質な上衣と洋袴に身を包み、腰には繊細せんさいな細工がほどこされたさやに収められた剣を帯いている。


 彼の姿を認めたトゥルフは素早く立ち上がった。

 フィーネは居住いずまいを正し、アルザとルイスは微かに眉間にしわを寄せ、ライラは、あ、と声を上げる。

 青年はというと、そこにある者の中にリウィアスの姿を認めた瞬間纏う気を一変させ、甘い笑みを浮かべた。

 そのまま真っ直ぐにリウィアスのそばへと寄った青年。

 しかしリウィアスにではなくトゥルフに声を掛けた。

「お邪魔しています、トゥルフ殿。その後、変わりはありませんか?」

「ご機嫌麗きげんうるわしく、殿下。何時もお気遣いありがとうございます。変わりはございません」

 こうべを垂れて答えるトゥルフ。


 彼に殿下と呼ばれた青年の名は、レセナート・ラスウィクト・テイラ。

 此処ここ、セイマティネス王国の皇太子である。


 レセナートはトゥルフに頷くと、ようやくリウィアスに顔を向けた。

「リウィアス」

 さも愛しげに名を呼ぶレセナート。彼を見上げたリウィアスは、ふわりと笑んだ。

「レセナート、こんにちは」

「はは、こんにちはリウィアス」

 甘い雰囲気をかもし出す二人。だがしかし、恋人ではない。




 ──レセナートの求婚を、何年もの間リウィアスは拒み続けていた。



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