悔悟の告白 3



 思いがけない名に、サユは動揺しながらファイスの視線を辿る。背後を振り返ると、そのさきには、これ以上はないというくらい不機嫌な顔をした至天が立っていた。


 なのに至天は躊躇いもなくファイスに応じる。


「いいけどよ、絶対に壊すな」


 いままではサユに投げられていた台詞が、その対象をファイスへと変えていた。しかも納得のいく返答だったに違いない。至天に対し、ファイスは優美な微笑みを見せた。


「一応の努力はするよ」


 なんの保証にもならない返しを寄越したファイスに、至天が済覇を差し出す。そこまでを呆然と眺めていたサユだが。ファイスが済覇を手にした瞬間、我に返り、すぐさま至天を睨んだ。


「なにを考えているの!? 済覇を渡すなんて!」


 サユの叱責に、至天の眉間には皺が寄る。


「……んな怒鳴んなよ。俺はいま、お前の使精じゃねぇんだし。まぁ、心配はいらねぇから、たまには黙って見てろって」


 相変わらずの態度に、サユはしぶしぶ口を閉じる。そこに驚きの光景が目に飛び込んでくる。木立が落とす影からつぎつぎと姿を現す獣の数に、兄が踏み越えた一線をまざまざと見せつけられる。けれど、驚きは別にもあった。


「どうして彼が、済覇を扱えるの?」


 そう呟いたそばからまた、ファイスの揮う済覇により数匹の月魄が塵と化していく。


「済覇はもともと真家向きの剣だからなぁ。といっても、あいつはもっと特殊だが——。判んだろ」

「判るもなにも……」


 真家には使精を持たずして戦う者もいる。それは契約そのものを必要とせず、緑界に満ちる精霊の息吹を我がものとし揮えるからなのだが。


 箱庭に満ちる精霊の息吹は無尽蔵に近い。根源にあるのは太陽神旺妃、神の力。強大なだけに扱いは難しく、真家の能力に限っては、存分に揮える者となると、過去に遡ってみても数えるほどしかいなかった。現在でいうと、サユが知る限りコウキしかいない。


 ゆえに真家の能力は、ともすれば役立たずと評される場合も多いというのに。ファイスは遺憾なく真家の能力を駆使していた。しかも済覇までやすやすと扱っている。


 済覇の重量、そして精霊との結びつきを強くするという特性は、真家の者が手にしてこそ真価を発揮するのかもしれない。ただ、サユでさえ理解しがたい事象がそこにはあった。精霊の息吹に加え、自らのうちにある魔力をも混在させ、ファイスは済覇を揮っていたのだ。それは特殊というより、彼の存在自体、無茶苦茶なのではないだろうか。


 魔力を持つ者に力を与える精霊たち、その筆頭である至天をサユは見やる。


「最初から、彼の素性を知っていたそうね」

「変わった姉弟だったんで、つい声をかけちまったんだよなぁ。それからだ。お前のことを気にかけるようになったのは」

「興味本位で近づいて、結果、真名を知られてしまったから、私の使精になったの?」

「真名を知られたからじゃねぇよ。お前を護りてぇと思ったから、そばにいると決めたんだ。シナにナツ、それにリョウも。みんなそうだ。俺らが信じらんねぇか?」


 真剣な目を至天から向けられ、怯みそうになる。

 だが、サユは解っていた。彼らの主として相応しくないのではないか、認められていないのではないかと悩みはしても。彼らから受ける寵愛を疑ったことは一度もない。


 だからサユは、強い意志を持って至天を見る。


「愚問だったようね。それに、あんたを使精にできるのは私くらいだものね」

「ああ、そうだな」

「当然、私の許へ戻ってくるつもりでいるのでしょう?」


 強気ながらも精霊がわに選択の余地を残すサユに、至天が両の口角を上げ、にっと笑う。サユのまえに右膝をついてひざまずき、こうべを垂れた。


「仰せのままに——、姫」


 その流れるような仕草と誓約の言葉は、サユが初めて至天の真名を呼んだときに返してくれたものと寸分違わず同じだった。


 嬉しさと安堵から、サユの顔に笑みが戻る。


 いま、自分にできることはなにか。即座に取るべき行動を決めたサユは、至天が立ち上がるのを待ち口を開く。


「早速だけど——」


 そう前置きし、月魄の足止めを命じようとしたサユだが。至天からひと振りの剣を渡され、怪訝な表情を浮かべていた。


「あいつの剣だ」


 いまもひとり月魄の相手をしているファイスを、至天は顎をしゃくって示した。


「済覇に比べりゃ質は落ちるが、リョウを使っても耐えられるくらいの強度だけはある」


 説明されながら、サユは剣が内包する特別な力に気づく。


「この剣も、封石だったのね」

「どうせ、見てるだけじゃ落ち着かねぇんだろ。お前はよ」

「解ってるじゃない」


 サユが認めると、至天は不愉快そうにファイスを見やった。


「ちょいちょいしゃくに障る奴だよ、あいつはよ。その剣。お前ならそうするだろうって、あいつに渡されてたんだ」

「この剣を……私に?」


 結局、彼の思惑どおりに動かされていたのではないか。それに気づいてしまったサユだが、不思議と悔しさは感じていなかった。

 すかさず至天の口から小言が吐かれる。


「ったく、なにぼけっとしてんだよ。行くんだろ、姫。真名を呼んでもらえるのを、リョウが待ち侘びてるぜ」


 まぁ俺もだが。と照れもせずにつけ加え、綺麗に笑んでみせた至天にサユも笑みを返す。


「そうね。これ以上、借りをつくってしまうのも嫌だし。行くわよ、至天!」


 至天についで燎永の真名も声に乗せ、サユはファイスの許へと駆け出した。





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