大過の因由 2



「ギニー、帰るの?」


 一階の居間に下りたところ。玄関へ向かうギニエスの姿を見つけ、コウキが声をかけた。

 栗色の長い髪をふわりと揺らし、ギニエスが振り返る。その緑の双眸は、揺らぎもせずコウキに向けられた。


「ああ、久々に面白いものも見られたしな」


 応じた口調も明瞭だった。


 壁に吊り下げられた硝子製の角灯には、封石が使われているのだろう。仄白い光が照らす居間は、薄闇から下りてきたサユには眩しいくらいだったが。その明るさのおかげで、ギニエスの表情もはっきりと目に映る。


 本当に、臥せがちだという話は真実なのだろうか。確かに容姿だけなら儚く感じる。けれど、なにがそんなに面白いのか。必死に笑いをこらえ、いまにもぶはっと吹き出しそうな彼女の姿は生気に溢れていた。ついには片手で口許を押さえ、目に涙まで浮かべている。


 一連の振る舞いが想像と懸け離れていたため、サユは呆気に取られる。しかし、彼女も魄魔の血を引く者なのだという現実にまで考えが及べば、途端に複雑な気分になる。


 そんなサユを置いて、コウキはギニエスの許へと近づいていった。


「ここにいたほうが安全だよ」


 心配するコウキに、ギニエスは涙を拭った。言葉の意味を考えていたのかもしれない。一瞬、ギニエスが素の表情を見せる。けれどまもなく、花が綻ぶように微笑んでいた。


 それでも彼女が紡ぐ言葉には、弱々しさの欠片も含まれないらしく。


「お前が安心したいだけだろう。それに、ランドルフ家の邸に踏み込むほど、聖家も馬鹿ではあるまい」

「じゃあさ、せめて邸まで送らせてよ」

「私はどちらでも構わないが、いいのか?」


 嬉々として細められたギニエスの双眸が、なぜかサユへと向けられた。だが、すぐにギニエスの視線は移動する。そのさきを辿れば、窓ぎわの食卓——。椅子に座るファイスがいた。


 頬杖をつき、こちらに見向きもしないファイスの表情は窺えないが。コウキもサユと同じく、ギニエスの視線を辿ったのだろう。


「——うぅ……」


 サユとファイスを見比べ、葛藤していた。その様子に、サユは力なく微笑む。


「私なら大丈夫だから。彼女を送ってあげて。それに、彼とふたりだけで話がしたいし」


 口にした言葉には気遣いも含まれていたが、サユが本当に望んでいることでもあった。それをコウキは察したようで、躊躇いを残しつつも、こくりと頷く。


「ギニーを送ったら、すぐに戻ってくるから」


 言い終わるころにはすでに、ギニエスは玄関扉のさきへと消えていたため、コウキは慌てて追いかけ、月待の家を出て行ってしまった。


 ファイスと話がしたい。自ら願ってコウキを送り出しはしたが。コウキの姿が見えなくなった途端、サユは心細さを覚える。そこに決意を揺るがす、冷めた声が届く。


「話ってなに?」


 椅子に座ったまま俯いた横顔を見せ、ファイスはぼそりと訊いてきた。所在なく立っていたサユに椅子を勧める様子もない。


 自分の犯した過ちを赦してもらうつもりはないが、まっさきに伝えるべき言葉があるのに。ファイスの対応が重しとなり、喉を塞ぐ。沈黙していると、ほどなく立ち上がったファイスのほうからサユへと歩み寄る。


 角灯から漏れる光にファイスの顔が照らし出されたが、そこから読み取れる感情は皆無だった。光源である角灯のなかの封石は陽の光でも封じてあるのか、まばゆいほど明るいというのに。目のまえにある群青の双眸は暗く、なにも映していないように思えた。


「かなり、見た目と印象が違うだろう?」

「なんの……話?」


 脈絡もなく振られた話に、サユは戸惑い、首を傾げる。


「姉だよ」


 やはりファイスに表情はなく、しかし、口調からは煩わしさが滲み出ていた。

 話をするのも厭なのかもしれない。そう思ったが、この会話を途切れさせてしまうことのほうがサユは怖かった。だから躊躇いながらも、口を開く。


「臥せがちだとは、聞いていたけれど」

「魄魔の血のせいでね、オウトウにいると無理をしてしまうのは事実だよ。そして、古森に近い場所ほど、抱える闇を制御しやすい。それがリシュウに戻ってきた理由のひとつでもあるんだけどね」


 彼らは、負担を強いられるのを承知で緑界を住処と選択した。そこでようやく得た居場所を護りながら生きてきたのかもしれない。その居場所を奪うような真似を、兄と叔父、そして自分はしてしまったのだ。


「私は、あなたたちに——」

「謝る必要はないよ。君にした話は、すべて事実と本心だから。イスズとセンリを利用したこともね」

「————っ!」


 つぎの瞬間、込み上げた苛立ちに任せ、サユは右手を振り上げていた。


 頬を張る乾いた音が室内に響く。


 叩いたのはサユだ。それなのに、痺れの残る手のひらを見つめ、動揺していた。どんな感情でもいい。彼にこちらを見て欲しかったのかもしれない。


「どうして大人しく叩かれたの?」

「これくらい、風に吹かれたも同然だろう?」


 詰られたほうがまだましだと思えるほど、怒りすらファイスからは返ってこなかった。


「もう……いいわ」


 虚しさを感じ、ファイスに背を向けようとしたそのとき。不意に襲われた目眩めまいに、サユの視界が揺らいだ。足許から力が抜け、床に膝を打ちつける寸前。


「大丈夫!?」


 間近で声が響くと、倒れそうになった体は優しく支えられ、ゆっくりと床に下ろされていた。座り込んだサユの肩に温かな体温が伝わる。ただ、慌てて駆け寄り、サユの肩を抱いて気遣ってくれたのは、ファイスではなくコウキだった。


 サユの横にしゃがんだコウキが、すぐさまファイスを振り仰ぐ。


「ギニーの言葉どおりだ。急いで引き返して正解だったよ」


 軽蔑の眼差しをコウキはファイスに送っていた。コウキ越しにサユの目にもファイスの姿が映る。

 感情の一端すら窺わせず、彼は群青の双眸をこちらに向けていた。それだけのことなのに。息苦しく、胸が締めつけられる。


 これはきっと体調の悪さが原因だ。そう思い込もうとしたが、それだけではないことをサユは気づき始めていた。けれど、壊したのは自分。だからこれはしかるべき結果なのだ。


 自らが犯した過ちに対する後悔を抱え、溢れそうになる涙を、サユはひたすらにこらえた。





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