確信の萌芽 4



 すっかり陽も落ちた庭園の一角。


 満天を埋め尽くし咲き誇る、白く小さな花冠は桜桃の花だ。園路に沿い等間隔に立つ石灯籠には、篝火の代わりに火精の息吹が込められた封石が置かれ、風に揺れる花冠に陰影を刻んでいた。絶えまなく舞い散る花弁は言葉を忘れさせるほど、刹那的で美しい。


 その風光の許に、ファイスは佇んでいた。


「君ひとりで、追ってきたんだね」


 周囲に人の気配はなく、祭の喧騒が嘘のように静かな場所だが。余裕を窺わせるファイスの態度から、追ってくると確信し待っていたのだと、サユは悟る。


「僕を擁護するような話でも、伯父がしてくれたのかな」

「伝言を頼まれたの。あなたを信じていると、バナドは言っていたわ」

「あの人は、本当に諦めが悪いな」


 口調から迷惑に感じているのかと思いきや、ファイスは風に遊ばれる花冠を心地よさそうに見上げていた。


「ここの桜桃は、満開なのね」

「そうだね。せっかちな春の精霊でもいたんだろう」


 そう言ったファイスの双眸には感情の変化が見られた。一線を引くような冷ややかなものだったが、それでも、なにも読み取れなかった黒瞳よりずっとましに思えた。


「質問……、してもいい?」

「どうぞ」

「バナドは、あなたの正体を知っているの?」

「知っているよ。伯父は剛胆な人でね。すべてを承知したうえで、僕たち姉弟を養子にまでしてくれたんだ」

「あなたの母親は、どうして行方知れずに?」

「踏み込んだからだよ。砂界へと繋がる扉が、目のまえにあるとは気づかずにね」


 君はもう少し現実を知ったほうがいい。そうクアジの家でファイスが冷たく言い放った根拠の在処を、サユは垣間見た気がした。


「ご両親を失ったと、聞いたけれど……」

「人間だった母はね。砂界では、長く生きていけなかったんだ。父は、もとよりいないも同然だったし」


 淡々と語るファイスに、サユは俯いていた。


「どうしたの?」

「聞くほどに、あなたを責める理由がなくなっていくから……」

「君はよくよく、イスズとセンリの娘だと感じさせてくれるね」


 サユは目をみはり、顔を上げる。

 いまの言葉は答えを聞いたも同然ではないか。問えばきっと、彼は誤魔化しはしない。

 だが意を決し、サユが口を開こうとした途端、自身の口許で人差し指を立てたファイスから、黙るよう示唆される。


「まずいな。サユ、こっちへ」


 断りもなく右手を掴まれる。けれど、近づく複数の気配に気づいたサユは、ファイスに促されるまま、歩き出していた。







「まさか、入ってはいけない場所だったの? さっきの人たちって近衛武官よね」


 賑やかな庭園に戻り、サユは抑えた声音でファイスに訊ねた。


「そうだよ。立ち入りが許可されているのは、あの壁までだからね」


 ファイスが見やった壁を、サユも振り返る。


 背伸びくらいではさきを見通せない高さがある煉瓦積みの壁。その手前に見える生垣の裏には、壁の向こうへと繋がる通路が隠されていた。鉄柵の門扉で塞がれ、かんぬきじょうまで取りつけられていたが、錠は填っておらず、閂は簡単に外せる状態にあった。


 誰が錠を開けたのか、その疑問はすぐに解けた。通路をくぐったあと、ふたたび閉じた鉄柵越し。手も触れず施錠してみせたファイスを真横で見ていたからだ。しかも彼が使ったのは、魔力ではなかった。感じたのは風精の息吹で——。


 どう切り出せばいいのか。躊躇うサユを、より混乱させる状況が間近にあった。もう必要はないはずなのに、右手が掴まれたままなのだ。


 緑の髪と瞳は否応なく人目を引く。そういうものだと諦めていたところ、幸いにも園路を行く人々の目は花壇や庭木に惹きつけられていて、こちらを注視する者はいない。なのに常よりも強く感じる居心地の悪さに、サユは焦りを覚えていた。だからすぐにでも手を放してくれるよう頼もうとしたのだが。


 先んじてファイスが口を開く。


「ああも時間どおりに巡回してくるとはね。仕事熱心なのもほどほどにして欲しいな。まあ、伯父の部下だから、融通が利かないのは仕方がないか」

「知っていて、あの場所を選んだのね」

「喧騒に邪魔されず、静かに話ができただろう? だけど君こそ、良識があればあそこまで辿り着いていないと思うけど?」

「あなたに言われる筋合いはないわ」


 抗議したものの、自身が取った行動を省みたサユはひどく落ち込む。ファイスに追いつくため、行く手を阻んだ壁を、暗がりを好都合と熟考もせず乗り越えていたからなのだが。


「君はきっと、進むさきしか見ていないんだろうね」

「馬鹿にしているの?」

「違うよ。ああ、でも、言葉を換えてみれば、軽率で向こう見ずってことになるのか」


 ファイスはひとり真顔で納得していた。


 言われっぱなしは悔しくて、サユが反論の材料を探していたところ。引かれていた手が前置きもなく解放される。気づけば迎賓館へと続く門前近くまで戻ってきていた。

 立ち止まったファイスに、サユは首を傾げる。


「迎賓館へは行かないの?」

「地方の一官吏には出過ぎた場所だからね。それに、ハイマウト卿は苦手なんだ」

「ハイマウト卿のことも知っていたの?」


 なんの疑いも持たずに訊ねたサユのまえには、見覚えのある、探るような双眸があった。


「もう少し、練ってくるかと思っていたけど——。伯父も芸がないな」

「また、あなたはっ!」


 腹立ちを声にしたサユだったが。ファイスから向けられた冷淡な視線に、抱えた不満は行き場をなくす。


「それに、ほら。あれは君の連れだよね」


 見れば迎賓館から庭園へと、コウキが出てきたところだった。


「それとも僕と一緒に来るかい? 君はまだ、僕に訊きたいことがあるはずだ。そうだろう?」


 群青の瞳は、まっすぐにサユを捉えていた。


「訊けばいい。僕は君に、嘘はつかない」


 ただ、見つめられただけなのに。サユは身動きが取れなくなる。けれど、それもほんのひと息。


「サユ! ミトがそろそろ戻ってこいって!」


 目敏くサユを見つけたのだろう。門前から手を振り叫んだコウキにサユは安堵する。


「もう……行かなければ」


 一歩、サユはファイスから身を退く。そのまま背を向けると、一度も振り返らず、逃げるようにその場を離れた。

 だが、解放されてもなお、手に残る温もりはとても懐かしく、だからこそこれ以上、彼に深入りしてはならないと、サユの心を戒めた。





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