確信の萌芽 2
成年を迎えての初仕事から一年ほどまえまで、ミトとは組んで仕事をしてきた。それと同時に、ふたりはお互いを恋人と認め合う関係でもあった。憎しみに駆られ、サユがもっとも荒れていた時期に、誰よりも近くで支えてくれたのもミトだった。けれど、ミトがくれた婚約の申し出をサユは拒んだ。
別れを決めたのはそのとき。いまもだが、精神的にも、精霊使としてもまだまだ未熟で。その未熟な部分すべてを認め、許してくれるミトからの求婚を承諾することが、至らぬ自分から目を背け、逃げる行為のように思えたのだ。
「ミト……。あのときは——」
口にしかけた謝罪の言葉をサユは呑み込む。真剣な目をしたミトに気づいたから。
「間が悪かった。それだけだろ。俺が焦りすぎたんだよ。それとも、ようやくその時期が来て、応えてくれる気になったのか?」
「それは……」
「なんだ。まさか、本気で好きな奴でもできたんじゃないだろうな」
「好きな奴……。って、私はまだ、なにも言っていないわよ? それに、そんな相手……、どこにいるのよ」
突飛な質問の切り返しに困っただけなのだが。歯切れの悪い返答に、ミトがむっとする。
「嘘だろ、誰だよ。俺の知らない奴か? よし、コウキ。いまからそいつの顔を見に行くぞ。案内しろ。つまらない仕事など後回しだ」
ばしっと背中を叩かれ、コウキは手にしたパイを取り落としそうになる。パイ生地のなかに詰め込まれた、ほくほくのじゃが芋と牛挽肉を零さぬよう、そっと皿に戻す。それからコウキは迷惑そうにミトを見やった。
「展開が面白くないよ。僕がサユの好きな人を知ってるって、ミトは決めつけてるけどさ。僕だっていま、初めて聞いたんだからね」
「だから……ねえ、ミト、コウキ? どこにいるっていうのよ、その相手っていうのは!」
好きな相手がいる前提で進む話を、サユが全力で中断しようとした、その直後だった。
「おい、見ろよ。使族さまだよ」
見知らぬ中年の男がひとり、サユたちの円卓に手をつき声を立てた。赤ら顔の男が吐く息は酒臭く、サユは思わず眉をひそめる。
「知ってるか? 使族さまは報酬で仕事をお選びになるんだよ!」
男はぐるりと周囲に視線を巡らせ、店内に響き渡るよう叫んだ。
「俺たちの村は金がなかったばっかりに、こいつらに見捨てられたんだ。ああ、そうか。祭には近隣国のお偉いさんもお集まりになるもんな。そこで仕事をもらうのに媚でも売っておこうって魂胆か!」
「店を出よう」
声を荒げもせず、端的に言ったのはミトだった。誰に対しての促しか。円卓の中心に目を向けながら席を立ったミトは、酔った男など眼中にないように見えた。
「ほら見ろ、図星だからって逃げるのか?」
勝ち誇った男へとミトの視線が向けられる。
「ほかの客に迷惑だ。話なら表でゆっくり聞いてやるよ。さあ、行こうか」
沈着で静かだが、気迫の籠もったミトの声は、絡んできた男だけでなく、店内にいた者すべてを、一瞬にして沈黙に鎮めた。
*****
「さっきみたいに、怒りを直接ぶつけられたのは初めてだわ……」
当初の目的地である桜桃城を目指しながら、サユは戸惑いを零した。
ミトの気迫に圧倒された酔漢は、聞き取り不能な捨て台詞を残し、一目散に店の外へと逃げてしまった。そのあと何事もなく食事を続けようとしたミトとコウキにサユもつき合わされ、注文した料理を残さず平らげたうえで店から出てきたところだった。
「サユの場合、サハヤさんが仕事を選んでくれてるからだろうな」
ミトのひとことに、サユの戸惑いは深くなるばかりだった。
「こんな厄介な奴らの相手を、実の妹にさせるのかと思う案件は多いけどな。依頼主や派遣先の人間と、面倒な揉め事が起きたことはないだろ?」
——君は家族から大切にされているんだと思うよ。
ファイスからもらった言葉が不意に溢れ出し、サユの心にちくりと刺さった。
「実際、俺たちは慈善だけで仕事をしているわけじゃないし、ああ思われても仕方がない」
「仕方がない。じゃなくて、あのおじさんの主張どおり、でしょ」
「コウキ。お前なぁ……」
身も蓋もないコウキの言いように、ミトが呆れる。おそらくミトは、サユのために言葉を選んでくれていたのだろう。サユが聖家の者であり、仕事の取捨選択を任されている聖家当主の妹でもあるから。
「ミト、いいの。気を遣ってくれてありがとう」
今回の仕事は外交が目的だと、サユも理解していた。使族という組織を運営していくには月魄や魄魔退治の報酬だけでは不足で、人間からの寄附や援助が必要だった。それを募る場のひとつとして、使族は栄花祭を利用していた。
ただ、目的はそれだけではない。開墾が進み、そうでなくとも肥沃な領土を持つランカース公領を欲する国は絶えない。そこに起こる争いが生む心の闇は魄魔に力を与える。
それは使族の望むところではなく、外交により事前に避けられれば御の字。ランカース公領からしてみても利害は一致し、使族との親密な関係を他国に顕示できれば争いの抑止力となる。ゆえに、警備という名目で依頼をくれもするのだ。
「……なんかこう、寂しい気もするな」
嘆くようなミトの発言に、コウキがしたり顔をしてみせる。
「ふうん、ミトってあれだ。お父さんな気持ちでサユとつき合ってたんじゃないの? それとも、サハヤが怖くて手を出せなかっ……!」
「なあ、コウキ。俺の話はもういいんだよ」
低い声で凄んだミトは、がっちりとコウキの肩に腕を回していた。
「今夜はお父さんが、お前の恋の話を根掘り葉掘り、気の済むまで聞いてやるよ」
「あぁ……もう、解ったよ。だけど今夜は先約があるんだ。お願いだから、息子の恋路を邪魔するような真似だけは、しないでよ」
どこまでが冗談なのか。呆れたサユが、ふたりの戯れ合いに口を挟むことはなかった。酔漢により、せっかくうやむやにされた自身の話を蒸し返されてはたまらない。
「ほら! 急がないと、そろそろ時間だわ」
祭の開催よりひと足早く賑わいを見せる人波のなか。サユはミトとコウキを追い立て、さきを急いだ。
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