第4章

疑惑の種子 1



 リシュウから碧天都への帰途。サユはコウキと連れ立ち、古森まで戻ってきていた。

 クアジと緑樹亭の夫婦にはリシュウを離れる旨を告げたが、ファイスとは顔を合わせないまま出立してしまった。


 ファイスが見過ごせない存在だというのは重々承知している。だが、今日で休暇も三日目。遅かれ早かれ、当主であるサハヤから呼び戻されていただろう。なによりサユは、ファイスの命を奪うに相当する確証を持たなかった。


 魄魔相手に理由なんて必要ないと吐き捨てはしたが。大義名分を笠に着て、理由もなく命を奪っていては魄魔にも劣る。それは父の教えでもあった。ただ、いまの自分が父の考えを持ち出すのは言訳をしているだけだとも思う。ファイスと徹底して向き合いもせず、逃げ帰った無責任さを正当化しようとしているに過ぎない。


 ならば、どう対処するのが最善なのか。結論はいまだ出なかった。


 先行して傾斜を登るコウキを、サユは窺い見る。

 サユの無事を確認し、それだけでコウキは安心したのか、昨日の出来事には最初に触れたきり。質問ひとつ寄越してこない。問われて困るのは、意識を手放したあとの経緯を知り得ていないサユなのだが。自分が力を使い果たした瞬間に、至天も大地へ戻ったと思っているサユには、至天から話を訊くという発想もなかった。


 やはりリシュウへ戻り、もう一度ファイス本人と話をするべきか。そのように思い悩み、俯きがちに歩いていたからだろう。


「サユ、元気ない?」


 訊ねたのは、コウキの頭のてっぺんを陣取っている小さな風精だった。どちらかというと興味津々といった風精の表情に、サユは笑みを浮かべる。


「私のこと、心配してくれているの?」

「うん、心配。元気出して?」


 そう言って、つぶらな瞳でじっと見つめてくる風精の愛らしさに、サユの心も温まる。

 幼いころはサユを遠巻きに見ているだけだった小さな精霊たちも、いまでは気安く近寄り話しかけてくる。内容はたわいないものばかりだったが、煩わしさは感じなかった。

 そこでコウキが呆れた顔をしてみせる。


「サユって相変わらず、いちいち精霊に返事をするんだね。構って欲しいだけなんだから、放っておけばいいのに。疲れない?」


 そう言っているあいだにも、ふわふわの髪を弄られ続けているのに。コウキに風精を追い払う気はないらしい。そのように好き放題を許している少年の言葉は、説得力に欠けもするが。


「あんたは小さいころから精霊の声を煩く感じていたものね。精霊の近づかない私のうしろを毎日のようについて回っていたのよ?」

「覚えてる。僕にとって、サユの隣は最高に居心地のいい場所だったから」


 素っ気なく口にしたコウキだが、聞きたくない話も聞かされてきたはずだ。八年前の、あの夜のように。


「いまはお互い、昔よりは進歩したわよね」


 言いながらサユは気づく。

 まもなくあの場所に差しかかる。少年の姿をした風精と出会った場所だ。


 八年前。サユがここを通ったのは真夜中をいくらか過ぎたころ。兄の使精、吹麗から祖父へと報せが入り、それほど時を置かずしてだった。

 サユが眠りに落ち、そのあとすぐに母が碧天都を出ていたとしても、泉に着いたのは早くとも真夜中に近かったはず。訃報が届いた時刻を考えてみても、父母たちが命を奪われたのは真夜中ごろ。ならば吹麗と同じく、少年も事件直後から時間を経ずに、古森まで来ていたことになる。


 天道石のないリシュウから碧天都まで、短時間で移動が可能なのは精霊、そして魔力を持つ者だけ。もし、碧天都に近づくため魄魔が扉を開けば必ず精霊が騒ぎ、使族の知るところとなる。ゆえに少年が精霊であるのは疑いようのない事実だったのだが。


 その確信が揺らごうとしていた。精霊が存在せず、けれど、違和感も歪みもなく緑界と溶け合う空間の存在を知ってしまったから。

 あれが魄魔の穿つ道と同じだというのなら、任意の場所に出口を創るのも可能なのではないか。だとすると精霊の目さえ誤魔化せてしまうかもしれない。


 冷静になってみると、気になる事柄はつぎつぎと出てくる。


 ファイスが魄魔ならば、姉のギニエスもそうなのか。彼らの養父であるバナドはその事実を知っているのか。もし、バナドや周囲の人間を騙してランドルフ家に入り込んだのだとしたら——?


 心に浮かぶ疑問は取り留めがなく、サユは迷いを抱えたまま、結論を出せずに碧天都へと帰り着いていた。





   *****





 聖家邸へと戻り、居住棟に向かう途中だった。家人以外は滅多に立ち入らない、本棟と居住棟とを繋ぐ回廊に出たサユは目を輝かせた。


「叔父さま! 戻られていたのですね!」


 前方に叔父のトウゴを見つけて駆け寄る。


 サハヤが当主の座に就き、二年ほどは後見を務めていたトウゴだが、早々に第一線を退き、ナラン大陸を自由に飛び回っていた。目的は、依頼のないまま取り落とされる事件を拾い上げること。使族への橋渡しを引き受けたり、行動をともにする同志数名と、可能ならばその場で解決していると聞いている。


 追いついて向き合うと、トウゴはサユの肩に手を置き笑みを見せた。


「リシュウの一件、よくやった。お前の無事な姿も見られて、ようやくひと息つける。休暇を取っていたそうだが、しっかり休めたのか? 疲れた顔をしているぞ」


 全幅の信頼を寄せるトウゴの労いにも、サユは曖昧に頷く。ただ、トウゴの顔を見て気が緩んだのは確かだ。


「叔父さま……。これで終わったのですよね?」


 サユは消えないわだかまりを吐き出していた。


「なにか憂慮するような事態でも起きたのか? ならば、気兼ねせず話してみろ」


 トウゴから親身に問われ、すぐさま我に返ったが。もう、疑念を胸に納め置くことができなかった。


「相手が……弱すぎました。父たちがあの程度の魄魔に命を奪われたとは考えられません」

「なに、そんなことか。卑怯な手を用いずば、生き延びておらぬ輩だ。底の浅さが知れるというもの。お前の実力を以てすれば造作ないのも道理だ」

「そう、思われますか?」

「お前はもっと自分を誇っていい。サハヤの使精にも相手を確認させたと聞いている。それともお前は、サハヤの使精が嘘をついたと疑っているのか?」

「そういうわけでは……」


 口籠もったサユに、トウゴが力強く応える。


「いいだろう。お前が気になるというのなら、今回の事件を再調査させよう。見落としがあっては兄に顔向けできないからな。逆になにも出なければ、お前の胸にあるつかえも解けるだろう?」


 トウゴの言葉に多少なりとも肩の荷が下りたのは事実だが。再調査と聞き、不安を覚える。胸に秘めおくべき感情を、不用意にも言葉にしてしまったのではないか。その気持ちを誤魔化すように、サユは別の質問を口にする。


「もうひとつ、リシュウで気になる話を聞きました。八年前ですが、無償で使族が来てくれたと」

「その話はしていなかったか? 派遣を決めたのは兄、お前の父親だよ。まず、センリがリシュウの惨状を報せてきてな」

「初めて聞きました。けれど、やはりそうだったのですね」


 自分の予想は間違っていなかったとサユは安堵する。するとなぜか、トウゴは困ったように苦笑していた。


「兄とセンリは、昔から暇を見つけてはリシュウにある泉に足を運んでいたからな。あの泉がふたりの馴れ初めの場所だと、お前も知っているのだろう?」

「はい……。叔父さまも、ご存知だったのですね」

「外聞が悪くほかでは口にできなかったが、呆れるくらい仲のいい夫婦だったよ」


 そう言って昔を懐かしむトウゴに、サユの顔にも自然と笑みが浮かんだ。


 リシュウの惨状を知り、助けを求めたのは母。そして、派遣を決めたのは父。

 満月の夜。泉へ向かう途中にファイスが語った話は、本当に下らない噂に過ぎなかったのだ。そもそも魄魔の言葉など信じるに値しない。


 そう、彼は魄魔なのだ。しっかり認識しろと、サユは心に刻み込んだ。





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