第1章

光陰の箱庭 1



 太陽神旺妃おうひの創りし『緑の箱庭』と、月光神我魄がはくの創りし『砂の箱庭』。

 かつて、ふたつの箱庭は、おのおのが独立し存在していた。


 時が過ぎ、神の手を離れてしまえば、あるいは交わりを持たぬままついえていたかもしれないふたつの世界。だが、不文律は破られる。

 発端は、鮮麗な緑溢れる太陽神の箱庭に対し、月光神が抱いた嫉妬心だった。あげく月光神は我欲の充足のみを目的とし、ふたつの箱庭の狭間に往来可能な道を創ってしまう。


 それを契機に、滞りなく廻っていた太陽神の箱庭は大きく均衡を崩し、そこに生じた混乱は、ある一族を分断するまでに至った。


 太陽神の眷属にして戦士の一族——使族しぞく。二神の不和に巻き込まれた彼らはそのとき、『緑の箱庭』の守護者と『砂の箱庭』の支配者、すなわち魄魔はくまへとたもとを分かたれたのだ。


 それは、戒めとして使族のあいだで語り継がれている。

 いまだ終わりを見ない魄魔との戦いは、そこから始まったのだと——。





   *****





 月明かりも乏しい、暗い森の奥。

 先行する青年を頼りに、サユは木立の合間を走り抜けていた。


「方向はこっちで合ってるわね? 街に出たりしたら冗談じゃ済まないわよ」

「信用ねぇな……っと、このさき段差があるから気いつけろ」


 注意を受けたそばから、前方を走っていた青年の姿が忽然と消える。夜目に慣れたとはいえ、見通しの利かない闇がそこここに溢れるなか。サユは躊躇いもせず地を蹴っていた。


 サユの体が綿毛のように宙に浮く。


「これを段差だなんて——。適当にも程があるわっ!」


 予想以上の高さに、サユは青年に向かい怒鳴っていた。


 落差は身長の二倍はあった。しかしサユは軽やかに着地を決める。身を屈めての着地だったが、さきに飛び降り下で待っていた青年の手を煩わせるまえに、自らの足だけで立ち上がる。

 顎先あたりで切り揃えた髪が、サユの動きに合わせてさらりと揺れた。陽光の下ならば、新緑色の髪が目にも鮮やかに映っただろう。さらに青年を仰ぎ見た瞳は緑玉の輝きを放ち、強い意志を感じさせた。


「もっと的確な表現をしてよね」


 太陽神旺妃が愛したという緑の髪と瞳。それは使族である証でもあった。そしてもうひとつ。全速力ではないにしろ、森を走り続けるサユに息を切らす気配がないのもその証と言えるだろう。

 可憐という言葉がいまだよく似合うサユは、父母を亡くし八年が過ぎ、十八になっていた。

 そんなサユに、青年は悪びれもせず応える。


「不足なく的確な表現だったと思うぜ。実際お前、無傷で立ってるじゃねぇか」


 鷹揚に構えた長身の青年は二十代前半くらいに見えた。だが、姿形は人を模していても、青年が持つ色彩や容姿の美しさは、彼が特別な存在であることを示していた。

 肥えた大地を写した黒茶の瞳。収穫を迎えた麦畑を思わせる金茶の短髪。それらはまるで、豊饒を体現しているようで。堂々とした立居振舞は威厳すら感じさせる。

 しかし、サユに言わせれば態度がでかいだけ。口を開けば見事に、軽薄な印象に取って代わられる。


 青年の正体は地の精霊。サユと契約を交わし使いとなった精霊で、使精しせいと呼ばれる存在だった。


「それにさぁ……あれだ。もしもって状況には俺が受け止めるつもりだったし」


 取ってつけた言訳に違いない。青年の間延びした口調に対し、サユは真剣な表情で言葉を返す。


「口にするまでもなく当然だわ」

「当然か。まぁ、そうだな」


 青年は嫌みなくらい綺麗に笑んでみせた。

 たとえ闇に紛れ、はっきりと知覚できずとも。語調から受ける印象だけで、容易たやすく、そして正確に、サユは青年の顔が想像できた。


「なによ。これでもあんたを信頼しているって意味なのに」

「へぇ。俺には、口答えなどせず黙って従ってろっていう不満に聞こえたが。まさかお前がそんなふうに思っててくれたとはなぁ……。知らなかったぜ」


 にやにやと、今度は揶揄を含んだ笑みを青年が浮かべる。


 信頼しているだなんて間違っても口にするのではなかった。サユはすぐさま後悔し、青年から目を逸らす。主であるはずの自分に対し、ただでさえ横柄な受け応えばかりする青年を、いっそう優位に立たせてしまった気がしたのだ。

 六年前。契約したてのころのほうが素直に言うことを聞いてくれていたように思える。


「それより、立ち止まっている暇なんてないでしょ。ほら、さっさと行くわよ、至天してん!」


 地精である青年が持つ『至天』という真名を、それこそ悔し紛れに呼んだサユだったが。即座に気持ちを切り替え、つぎには暗闇に向かって先行し、走り出していた。





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