第2話 憧れのスター雪乃ちゃん!の巻



桃園雪乃…




その当時の福岡の高校生で

彼女の名前を知らない奴はいないくらいの美少女だった。

隣の男子校にはファンクラブもあり

親しく話していたという理由だけで

ヤンキーにボコられたクラスメートもいた。

高3の途中、親の転勤で東京へ引越した時は

市内の男子高校生の誰もが涙に暮れた。

ヤスジは「もう恋なんてしない」なんて叫んでいたし、

羽鳥は「俺の青春は終わった」と2週間学校を休んだ。



そして次に僕らの前に現れたのはテレビの中だった。

颯爽とCMに登場し、朝ドラのヒロインを経て

次々と話題の映画の主役の座を射止めていった。

そのたびに僕らは画面を指差し、

「高校のクラスメートやったんよ」と自慢しまくっていた。



あれから15年、桃園雪乃は

押しも押されぬ人気女優へと変貌を遂げていた。

永遠のマドンナなんて言葉は古臭いけれど、

今でも雪乃ちゃんは僕らの憧れであり

自慢のクラスメートだった。

だから彼女が来るという噂を聞きつけて

北海道から、わざわざ駆けつけた奴もいた。




「雪乃ちゃんが来たよー」

嬌声が上がると店内がざわついた。

カウンターの客も、その姿に気づいたのか目で追っている。

すらりと伸びた手足と、手の平くらいしかない顔。

遠近法を狂わせるようなスタイルの良さは

高校時代よりも洗練されていた。



「ごめんね、遅くなって」

サングラスを取ると、いつもテレビで見ている

その笑顔が姿を現した。

「こないだのドラマ、めっちゃ良かった」

「映画のロケで、こっち来とるとやろ」

スマホを手に、女子たちが話しかける。

「めっちゃ久しぶりやん。

 みんな変わらんねー」

コートを脱ぐと、高校時代に僕らを熱狂させた

胸の膨らみが目に飛び込んできた。

白のタートルネックに心を揺さぶられる。



「ちょっと、いい加減にしときーよ。

 雪乃は映画の撮影で疲れとるんやけん」

自称・親友の雨宮がスマホのカメラをさえぎる。

「じゃぁ、私もワインを貰おっかな」

そう言うと、さっきまで羽鳥が座っていた席についた。



なんという奇跡だ。

僕らの目の前に天使は舞い降りた。

ヤスジが震える手でグラスを差し出す。

「安川くんだったよね」

その一言に、ヤスジは声を裏返して返事をした。

「映画のロケで来とっとですか」

雪乃ちゃんはグラスを受け取ると笑顔で頷いた。

「それと、こっちは…」

その視線が注がれた瞬間、

ワインボトルを手にした雨宮が戻ってきた。

数人の女子も椅子を抱えて周りに陣取り話し出す。



こっちに背中を向けた雪乃ちゃんは

大声で笑いながら、みんなと話している。

「やばかね、首筋」

「まじ、やばか」

僕らは高校時代に戻ったような会話を小声で続けた。

あの頃も、こんな感じで話しかけることも出来ず

後ろ姿を眺めていただけだった。

クラスメートなのに、目が合っただけで喜び合っていた。

そして少し話しかけられても、すぐに言葉につまっていた。

「なんか泣きそうになるな」

「あぁ、なんやろな、この気持ち…」

僕らは黙ってグラスを合わせた。





しばらくすると

赤いエプロンを腰にまいた店員が

追加注文のピザをテーブルに届けに来た。

「お熱いので、お気をつけてください」

それを取り分けようとした時だった。

「ちょっと待って、ごめん。

 朝から何も食べとらんとって」

雪乃ちゃんは振り返ると、携帯をテーブルの上に置いて

嬉しそうにピザに手を伸ばした。

すると急にヤスジが声を上げた。



「うわ、そのステッカーってマスク・ド・ファイヴやん。

 しかもベースのデルフィンのやつ。

 雪乃ちゃんってファンなん?」

僕は思わず、それを二度見した。

まじだ…マスク・ド・デルフィンのステッカーだ。

喉が渇いていくのが分かった。



雪乃ちゃんは、熱さに顔をしかめながらピザを飲み込むと

「めっちゃ好きなんよ。

 安川くんもファンなん?

 こないだのアルバムやばかったよね。

 明日のライブも行くとって」と嬉しそうに声を上げた。



雨宮たちも会話に加わってくる。

「マスク・ド・ファイヴって、

 海外でも人気の覆面バンドでしょ。

 たしか紅白にも出たよね」

「そうそう、今一番チケットが取れないバンドって

 テレビでも特集されてた。

 なんだっけ、あのめっちゃ売れた曲?」

すると雪乃ちゃんがステッカーを指差しながら声を荒げた。

「色物バンドみたいに言う人もおるけど

 めっちゃ演奏上手いとよ。

 それにマスク・ド・デルフィンの書く歌詞が最高。

 まじ泣けるんやけん」



その言葉に、僕は思わず叫びそうになった。

神様ありがとうって、シャウトしたかった。

頑張ってきて良かった…

諦めないで良かった…

テーブルの下でガッツポーズする。

それに噂は本当だったんだ。

雪乃ちゃんはマスク・ド・ファイヴのファンだったんだ。

しかもデルフィンのファンなんだ…




「ほら、俺のも見て」

ヤスジが自分のスマホを取り出して、

マスク・ド・チャボのステッカーを見せびらかした。

「これもデビューアルバム限定のやつ」

調子に乗って雪乃ちゃんとハイタッチなんかしてる。

すると雨宮が口を開いた。

「リョータくんも音楽やってるなら

 このバンド知ってるでしょ。

 まさか共演とかしたことあるの?」

知ってるかって、俺に聞く?

それに、共演したことあるもなにも…

喉まで答えが出かかった時に、

さっきのマネージャーの電話が脳裏をよぎった。



するとヤスジが肩を抱き寄せながら言った。

「いやいや、可哀想なこと聞くなって。

 こいつのバンドは売れてないんだから。

 確かブレイブ・カンパニーだったっけ。

 一回はメジャーデビューしたんだけど

 たしか3年前に解散したとやもんな。

 でも、演奏はめっちゃ上手かったとぞ」

酔いが回ってきたのか、肩を叩く手が加減を知らない。



「今でもバンド続けてるらしいけど、

 名前教えてくれんとさね。

 なんか知らんけど、もったいぶって。

 まぁ言われても分からんやろうけどさ」

思わずステッカーを指差しそうになった。

ていうか、お前うちのバンドのファンじゃん!

しかもお前が貼ってるマスク・ド・チャボは、

羽鳥の弟のユートだよ!

僕は心の中で叫んだ。



「こいつもデルフィンくらい才能があれば

 今頃、バイトなんか続けてないのになぁ。

 雪乃ちゃんのコネで、どうにかしてやってよ。

 ほら、お前からもお願いしろよ」

ヤスジは煙草に火をつけながら言った。

答えに困ったような顔をしている僕を

可哀想に思ったのか雪乃ちゃんがフォローに入った。



「凄いじゃん、メジャーデビューまで行ったなんて。

 それだけでも大変なことなんだよ。

 それに売れてなくても、いいバンドってあるし、

 いいバンドだからって売れるわけでもないしね。

 これから何があるか分からないじゃない、

 続けてたら必ずいいことあるよ」

見つめる瞳に吸い込まれそうになりながら

焼酎の水割りを一気に喉に流し込んだ。

そうでもしなきゃ、叫んでしまいそうになる言葉があった。

どんな時だって我慢してきたけれど

今言わなくて、いつ言うんだ。

覚悟を決め、口を開きかけた時だった。




「これからも音楽活動頑張ってね。

 影ながら応援しとーよ。

 だけど、もしマスク・ド・デルフィンと

 知り合いになったら、こっそり電話番号教えてね」

そう言うと、可愛く舌を出した。



「バカ、お前のじゃねーって」

思わず携帯を差し出した僕の頭をヤスジが叩いた。

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