【6‐3】――「だったら今日からは、おれの“妹”にでもなってみりゃいいじゃねぇか」


 それら一連の作業を汗だくになって、しかし淀みない挙措で、てきぱきと黙々こなしている百目だった。


 真摯な横顔――ほとんど宗教的な敬虔の領域。

 どっぷり濡れた三角巾を脱ぎ捨てる。

 きっちりキメてセットしていたリーゼントもミステリーサークルの稲穂みたいに、くったり萎れていた。

 そんな百目の雄姿を離れたところからマスク着用で見守っていたあたしの傍らに、チャップスの裾を引きずったカウボーイがやってくる。


「こういうの見て、あなた平然としてるけど大丈夫なの」

「わりと平気かも……牛とかブタと同じことだし」

 実際、正直な感想だった。

「発泡スチロールのトレイに載っけてラッピングしたら、スーパーで売ってても変わんないじゃん」

「あっはん! なかなか人生の本質が、わかってるじゃないのぉ~」

 あたしの平心リアクションが、お気に召したようだ。


 シガーケースから取りだした葉巻の吸い口をカット。

 髭を蓄えた口許に咥えると軸の長いマッチで火をつけ、深々と吹かした。

 甘ったるい紫煙がくゆる。


「たとえ肉便器だって社畜だって、容れ物としての“お肉”の価値に貴賎はないのよねぇ。要は中に詰まってる“魂”がどんなかってだけなのよぉ~」

「百兄ィって、いつもこんなことやってんのかな」

「この手の仕事に関しては聞いてないのね」

「うん。なんにも」

 そもそも訊く暇なかったし。

「そう。百目ちゃんはね、こういう暗黒な事柄に携わるにしても、なんていうか……に準じてやってるんじゃないかな」

「え……? どういうこと」

「だから“国家”という、お節介な枠組みが強いてくる憲法だとかの法規範に関係なく、ってことよ」

「なんか……わかんないですけど」

「じゃあ、これならどう? もしかしたら、明日の今頃あそこで解体されてるのは、んじゃないの? だけど実際には今こうして会話できてるわけでさ」

「あ……」

「つまり、そういうことよ」

 いかついカウボーイが魅惑のウインク。


 そうだった。

 百兄ィは仕事の依頼を反故にする無茶をしでかしたんだ。

 あたしのために。


 それだけで、すんなりと腑に落ちた気がする。

「あたしも手伝おうかな」

 あっはっはん!

 呵々と大笑する氏賀さんだった。

「いいわねぇ~、ザクロちゃん……だったかしら。とってもいいわよぉ~。

 だけど今日は手順とか教えてる暇もないしね。いいから、よく見てなさいよ。あなたのために、あそこまで一生懸命になってる百目ちゃんの頑張りズムをさ」

「うん」


 なんか、やけにあたしも素直だし。


          ■


 そうやって成人男性2体分を一人でバラし終えたときには、だいたい3時間ぐらい経っていた。

 洗面台の蛇口の下に頭を突っ込んで、全開の水流を受けていた百目が顔を上げる。

 タオルで拭った表情――なんて爽やか。

 まるで同じ時間分だけ、なにか健全なスポーツにでも打ち込んでいたような「やり遂げたぞ」感にあふれていた。


「ふひー。ひと仕事したら、なんか小腹が減ってきちまったわ。今からステーキか焼肉かモツ鍋でも食いに行かね?」

「ゼッッッタイ行かないから」

「牛レバ刺しってのもありだよな」

「それ命懸けだから」


          ■


「しっかし、そんなデタラメやらかしてきて、よく今まで問題なかったよな。このご時世ちょっと油断してっと100Mbpsの速さで取っ捕まんぞ」


 なんか今どき微妙な速度だし。

 フレッツ光世代かよ。


 《氏賀ミートセンター》での作業を終えて百目の部屋についたときには、もう正午に近かった。

 高円寺にあるマンションとは名ばかりの、ほとんどコーポに近い物件で間取りは2DK。


 これまでの経緯を腹蔵なく告げた。

 石地蔵みたいに過ごした医療機関での数年間。

 児童養護施設での日常的な性的虐待と逃亡。

 それから〈オヤジ殺り〉をしながらの〈ネットカフェ難民〉生活のあらまし。


 なにを聞いても、さほど驚きはないようだったけど。


「で……これからどうすんだよ」

「別に」

「なんか身の振り方とか考えてんのか」

「特にないです」


 そういえば、キュラソ&ペロリンガ両星人の一件は、どう落着したのかというと。

 百目の云い分――指定された時間と場所へ参上したものの、明らかにトラブルの痕跡ありありな血痕が残された貸しガレージには、すでに依頼主らの姿はなかった。

「ったくドタキャンなんかされちゃ、こっちが迷惑っすよ」的な逆ギレ被害者づらの知らぬ存ぜぬを通すという方向で、カウボーイ氏賀さんと口裏を合わせることにしたみたい。


「だったらよ」

 思案顔で胡座を掻いていた百目が、不意にキリリッと顔を上げた。

 片頬がヒククッと痙攣――チックかな。

「だだっ、だっらうら」

 なに噛んでんの。

「そんなに今後のことも決めてねぇんだったらよ」

「はい」

 はい、じゃないが。

「とりあえず今日からは、おれの……あれよ。そうそう……なんつーか“妹”にでもなってみねぇか」

「はぁ? かなり意味わかんないんですけど」

「だからよ、ここで一緒に住んだらいいじゃねぇかってことだよ。『家族が増えるよ! やったねタエちゃん!』ってな」

「誰それ」


 だけど結局そうなった。


          ■


 大量のアナログレコードやCDの倉庫化していた六畳の和室が、あたしの居室。

 とはいえ、天井までの山積み段ボール箱に圧迫されて実質的には半分ぐらいだけど、ネットカフェの硬いリクライニングシートなんかよりは天文学的にマシ。

 なによりも、ようやく確保した安心して生活できるスペース……すなわち「自分の居場所」というものが、単純に空間的な意味以上に安堵をもたらすのだと知った。


 なんだったら、それを〈家庭ホーム〉と呼んでみたっていい。


          ■


 で……初めて一緒に暮らす、その夜のこと。

 独特の饐えた異臭がこもった不潔ぎりぎりのユニットバスでシャワーを浴び終え、そのままの濡れた足で百目の洋室に行くと、なんとなく投げやりな気分でベッドの上にバスタオル巻きの身を投げた。

 球体関節のドールみたいに大の字で手足を広げる。


「ん……?」

 密閉式ヘッドフォンを被ってワインレッドのグレッチを掻き鳴らしていた百目が、鼻づらにフェルマーの最終定理でも突きつけられたような不可解フェイスで振り向いた。

「なにしてんだよ、るかぞう……じゃなくて。ああっと、なんだっけ。あけび……? いやいや……あざみ? あざみの如く棘あれば……ってか?」

「ざーくーろー」

「なにやってんだよ、ザクロ。そんな底辺グラドルみたいな格好でウロチョロしてると風邪ひいちまうぞ」

 覿面イラッときて「そういう問題かよ!」思わず身を起こして大声シャウトすれば、きょとーんと呆気づらの百目。

「なんだよ、その自暴自棄テンションは……情緒不安定かな」

「だってさぁ、どうせ百兄ィも、あたしとやりたいんでしょ」

 吐き捨てる。

「こういうのなんかは、さささっと早めに済ませといた方がいいと思って。これからのためにもさ」

「はぁ……」

 ゴム鞠をナイフで抉ったような嘆息を漏らす。

「だからよ、おまえはおれの妹っていう設定だっつったろ」

「なんなの設定って」

「だいたい妹とやりたがるような都条例ぷんすか真性LOは、非実在青少年だけにしとけよって話だろうが。ただでさえアグネスネキが黙ってねぇし、ましてや“これからのため”っつうなら、なおさらな」

「そんな外づら気にした弁明いらないから。なんでも百兄ィの好きにしたらいいじゃん。あたしもそこいらに吹聴してまわるわけじゃないし」

「いいかザクロ――聞けや」

 サングラス越しにマジ顔の凝視。

「おれは自分の気持ちに、なんらエクスキューズはしてねぇぜ。天地神明にかけて魂の奥底から、ただの1ミリも、よこしまな気持ちはねぇのよ。それこそ1ミリ パラベラムバレットもねぇからなマジで」

「なんなの、その単位」

 呆れてプイと頬を背ける。

「意味わかんない」


 正直なところ、あたしに対して「そういう感情が一切ない」と断言されたことに、少しばかり気分を害していたのかもしれない。


「だったら、もう勝手にしなよ。後から泣きついて焼き土下座したって、ゼッッッタイやらせてやんないからね」

「はいはい、その辺はわりと間に合ってんよ」

 ぶっきらぼうに背を向けると、再びギターいじりに戻るのだった。


 あーあ、良識派ぶっちゃって。


 どうあれ、これから一緒に暮らすことになるっていうのなら、この類いのくだらない諸々には、とっとと決着をつけとくべきだと思っただけなのに。

 ひとつ屋根の下に同居する♂と♀が“やる”だの“やらない”だので悶々と懊悩して、延々と引っ張るクッッッソうざいエロコメ展開はまっぴらだし。


 すると。


 哀切感あふれるロカビリー的なコードストロークに合わせて、背中を丸めたままでなにやらブツブツと独りごち始める百目だった。


「ははぁん……妹と……なるほどねぇ? ま……それもありっちゃ、あり? うーむ……妹属性……禁断の背徳感……胸が熱くなるな……ああっ、お兄ちゃーん……あるあるあるある……いやいやいやいやいや……ねぇな。ねぇよ。これはねぇだろ……常識的に考えて……」


 その心理モノローグ、ぜんぶ声でてますけど。


          ■


 それ以来、あたしたち二人の間でセクシャル方面のあれこれはタブー認定に。

 だけど、それじゃ新生活もさっぱり盛り上がらないってことで、いろいろと新手の作戦を練っては次々と実行に移してみるあたしだった。


 具体的には百兄ィのバイト帰りを待ち伏せて裸エプロンでキッチンに立ってたりスクール水着に体操服ブルマにメイド服はたまたケモノ耳と尻尾で「わっちはぬしさまとまぐわいたいのでありんす」意味もなく廓詞くるわことばにしたり全裸マッパで生クリーム塗ったくって乳首のところに赤のドレンチェリートッピングして「あたしがケーキなの。た・べ・て♡ ←狂人かな」とか「テメーこの野郎! ふざけんなよ死ねやクソザコナメクジ! でも好き好き大好きッ!」って振幅の極端なツンデレとか「えへへ、またリスカしちゃった……だけど超愛してるから……」それただの自傷癖メンヘラだろ的なヤンデレだとか。


 とにかく、いったいどういう属性で他の男たちと同じように籠絡できるのかと、キモオタの妄想を逐一具現化したようなプチエロいテイストのラヴコメ的シチュエーションにおける話数稼ぎエピソードを、だいたい1クール分ぐらいやってみたんだけど、どれも百目のスウィートスポットにはクリーンヒットしないみたい。


 だったら、これはもうテコ入れで〈異能力バトル〉によるトーナメントか〈デスゲーム〉あるいはトラックに撥ね殺されての〈異世界転生〉テンプレ展開にでも持っていくしかないか……だとか考えあぐねてたら。


 いきなり「ちょっと紹介しときたい人がいるんだけどな」とか云い始めたし。


「あたし、百兄ィとは別にそういう間柄じゃないですから」

「そんな堅っ苦しいのじゃねぇよ。ま、ちょいと“渡世の筋”ってやつを通しとくってだけの話だから」

「またまた、そんな無意味に任侠ぶっちゃって。B級やくざVシネマの観すぎかな」

「厄丸さん……っていう人なんだけどな」

 妙に険しい顔つきになった百目が、慎重に言葉を選びながら紡ぐ。

「前に氏賀さんのセンター行ったときに、ちょっと名前でてただろ。おれの面倒みてくれてるっつうか、後見人っつうか……ま、いろいろと仕事らしきものを振ってくれてる人なんだけどよ」

 要するに暗黒な便利屋仕事の総元締めってわけですか。


 怖いなー、とづまりすとこ。

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