第13話 あなたと一緒にいるよ
結局、
だが、夢渡りの力はあるようで、数日後、しれっと‘幽霊’少女の名をもらい教室に転入してきた。
「初めましての方は初めまして。麻乃と申します。‘幽霊’少女です。こんな感じですが仲良くしてくださいね」
鏡に姿を移しての自己紹介は、つかさの時以上の衝撃であったのは言うまでもない。
その日の授業が終わって廊下に出た先生に、つかさが声をかける。
「先生」
先生は振り返って、話しかけてきたのがつかさだと分かると、陽気に受け答えしてくれた。
「おお、つかさ。麻乃、結構いい奴だな」
笑って言う先生につかさは聞く。
「はぁ。にしても、よく転校なんてできましたね」
二人並んで廊下を歩きながら話す。
転校の手続きは一体どうなっているのだろう、とつかさは不思議に思うが、先生にとってそれは大した問題ではないように見えた。
「夢渡りができれば、ここではみな少女さ。まぁ、麻乃の部屋や夢渡りのパートナーを決めるのはこれからだがね。みなへの紹介が早い方がいいだろうと先に教室に入れた」
楽観的に言う先生に、つかさがぼんやり考えていた疑問をぶつける。
「麻乃は、その……成仏するんでしょうか」
つかさの問いに、先生が不思議そうに返す。
「何だ、君は麻乃にいなくなってほしいのか?」
「まさか。ただ、どうすればいいのか分からなくて」
つかさは幽霊に遭遇したときの対処など知らないのだ。
ましてや麻乃は記憶が大幅に失われているようだ。どうしたいのか、本人にも分からないようだった。
先生がヒラヒラと手を振り応える。
「さぁてね。どうすればいいかなんて、私に聞かれても分からないさ。ただ、ほったらかしにしているより、名を与えて役割を持たせた方がいいだろう?」
「そう……ですね」
俯き気味に応えるつかさに、先生はさらりと言う。
「そんなに心配しなくても大丈夫さ。幽霊だろうとなんだろうと、麻乃という存在に害がないのは君が証明している」
廊下で、あまり教室で見ない少女二人とすれ違う。少女たちはつかさに手を振ってきた。
つかさは手を振り返して、再び先生を見て話す。
「麻乃の所在は分かりそうですか?」
「最近から遡って、自動車事故に遭った十代の女性の情報を追っているが……。今のところそれらしいものは見つかっていない。情報が出てくるのが先か、麻乃が記憶を取り戻すのが先か」
広い廊下に、先生の突く杖とヒールの音が響いている。
ずっと悩んでいるつかさに、先生が明るく言った。
「なに、みんな元気でいればどうということはないさ。どうすれば、なんて、なにか起きてから考えればいいのだから」
「はい」
会話しているうちに、先生の部屋の前まで来た。
挨拶してから踵を返し教室に戻ろうとするつかさを、部屋に入ろうとした先生が呼び止める。
「つかさ」
なぜ呼び止められたのだろう、という顔をするつかさに、先生は少しだけ開けたままの扉の向こうから微笑みかけ言う。
「もう君は、独りではない。そうだろう?」
つかさは微笑み返し、はっきり頷いて言った。
「はい」
つかさの返事に、先生は満足そうに頷いて扉を閉めた。
その日の放課後、夕暮れ時。部屋に戻ってから。
波乃香が神妙な面持ちでつかさへ向き、話す。
「つかさちゃん」
「なに?」
波乃香は小さな声で話し始めた。
「死んだら、どうなるのかな」
「波乃香ちゃん?」
初めて見る不安そうな表情に、つかさの心がざわつく。
「つかさちゃんだけ夢の中に入っちゃったとき、すごく怖かった。もしかしたら、つかさちゃんはこのまま目が覚めないのかなって……。もしそうなってしまったら、夢や心、は……どうなるのかなって」
夢渡りをしているときの眠りは普通に寝るのと少し違う。全く反応がないし呼吸も非常に浅くなる。死んだように見えてもおかしくないくらいに。
「波乃香ちゃん……」
きっと、夜中ずっと一人で待ち続けて、寂しかったり不安だったりしたのだろうとつかさは思った。
「初めから何もなかったみたいに消えちゃうのかなって考えたらすごく怖くなって寂しくなって」
「波乃香ちゃん」
波乃香がつかさを見る。つかさはできるだけ優しい笑顔を浮かべて話す。
「初めての時、私と波乃香ちゃんの
波乃香が頷く。つかさは最初の夢渡りを思い出しながら話す。
「それは、夢の中で迷子にならないために、ってことだった。夢渡りの命綱だって」
「うん。もし片方が誰かの夢に飲まれそうになっても、戻ってこられるように」
波乃香の言葉につかさは頷く。
「そのことを麻乃の夢の中で感じた。波乃香ちゃんが、私を繋いでくれてる、だから私は麻乃を助けて帰ってこられるって思えた」
つかさは左手を軽く握り、その上から右手で包み一瞬だけ瞼を伏せる。
麻乃の夢から帰ってきて、目が覚めるとき。最初に感じた温もり。
手を解き、不安げな顔をする波乃香の肩を抱き、身を寄せて言った。
「だから私達は簡単に死んだりしないし、きっとどっちかが死んでしまっても、繋がってたって事実は残ると思うんだ」
隣で寄り添う波乃香は、想像するより小さく頼りなく感じる。
つかさは遠くを見ながら言葉を紡ぐ。
「死んだらどうなるか私にも分からない。どうなるんだろうって考えたら正直怖いよ。二度と波乃香ちゃんに会えなくなるのは、嫌だよ」
つかさはできるだけ悲しげにならないよう努めていたが、少しでも考えると泣きそうな声になってしまう。
「私も、つかさちゃんと会えなくなるのは嫌……っ」
波乃香が強く言い放つ。
つかさは、肩に置いた手に力を込めて言う。
「だから、そうならない方法を二人で考えよう。いつまでも一緒にいられるように」
波乃香が頷いたのを見て、つかさは彼女の手を握った。
掌に宿る温もりが、彼女の心を癒すように願いながら。
後日の休み時間、席で本を読んでいたつかさは
「ごきげんよう勇者さま」
わざとらしい語調で言う誉に、つかさは自分の顔の前で手を振る。
「さすがにその表現はよして」
誉が楽しそうに続けて言った。
「あらいいじゃない。あんまりいないみたいよー? 単独で閉じた夢を渡って、尚且つ一晩で帰ってくるなんて。しかも相手は幽霊」
つかさが単身で夢渡りを行い、麻乃を救出してきた話は瞬く間に広がっていった。というより、武勇伝として波乃香が言って歩いていた。
正直恥ずかしい気持ちの方が大きかったが、そのおかげか、つかさの性別や境遇について悪く言う者はいなくなったようだった。
つかさは首を傾け、誉を斜めに眺めながら言う。
「私じゃなくて、パートナーが優秀だから」
「うっわ、その言い方すごく腹立つ」
口角を下げて言う誉に、つかさは軽くウィンクしてみせた。
誉は不満そうにため息をついて尋ねる。
「そのパートナーさんがいないようだけど?」
「あそこ」
つかさが教室の端を指差す。
廊下側の一番後ろの席が麻乃の指定席になった。机のそばに大きな鏡が置かれ、麻乃の姿が見えるようにしてある。
波乃香や
幽霊としての噂が流れている時は随分怖がられていたが、普通に話せるようになってしまえば怖くもなんともない少女であって、ほかの生徒たちともすぐに打ち解けていた。
明るく振舞う今の麻乃を見て、夢に入る直前に鏡で見た恐ろしい形相はなんだったのだろう、とつかさは思う。ほかのクラスメイトを怖がらせる必要もないので黙っておいている。
つかさは誉に向き直り尋ねた。
「で? 誉ちゃんは私に用があるんじゃないの?」
「ええ。お茶会のお誘いよ」
誉はそう切り出して、週末の話をし始めた。
同じ時。友音と麻乃が話している横で、波乃香はつかさの方を見ていた。
その様子に気づいた友音が波乃香に話しかける。
「気になる?」
「何が?」
「二人が何を話してるのか、とか?」
友音の疑問に、波乃香は瞼を伏せて応える。
「別に……」
「そー?」
友音は笑って返す。波乃香はまた、つかさの方を見ていた。
心配そうに見る波乃香に、友音は優しく言う。
「大丈夫。多分、今度の休日に開くお茶会の話をしているんだよー」
「そう」
波乃香の返事は素っ気無かったが、友音は気にせず続けて聞く。
「波乃香ちゃんも来るー?」
「つかさちゃんが行くなら」
「はぁい」
波乃香の返事に友音が微笑む。
友音は、つかさを見る波乃香の後ろ姿を見ながら、少し前のことを思い出した。
つかさが何者かにトイレに閉じ込められた次の日、実行犯を知らないかと波乃香が聞いてきたときはとても驚いた。波乃香はずっと、夢渡りのことにしか関心を示さなかったから。
誉は、学園に慣れていなかったつかさのために「夢渡りに必要なパートナーなのだから、守ってあげて」と波乃香に言った。そうすれば波乃香はつかさに関心を向けるだろうと。だが、あの時の波乃香の様子は友音から見て少し違った気がした。
結局閉じ込めの件は、つかさには悟られないようこっそり三人でクラス内を聞いて回った。何人かから、つかさが教室に戻ってくる直前に入ってきた数人の様子がおかしかったという証言が取れたので、三人で直接彼女たちに話を聞きに行った。
実行犯だと悪びれもなく言い切った彼女たちに波乃香が言った、まるで動じず且つ突き放すような発言の連続は、友音の中で今も強く印象に残っている。
(あの時の波乃香ちゃん、結構かっこよかったぞー)
友音は心の中で波乃香に呼びかける。波乃香は友音には気づかずにじっとつかさを見ていた。
あの時は、ようやくパートナーを守るということをするようになったかな、くらいに考えていたが、今の眼差しは少し違う意味合いがある……気がするけど思い過ごしかしら、と。
さてさてどうなることやら、と友音は笑った。
その日の放課後。
つかさは、麻乃と話していたクラスメイト達が教室から出るのを見計らって、麻乃の席に近づき声をかけた。
今のところ、上手く麻乃を触ることができた者はいないらしい。麻乃が鏡を指差し言ってきた。
「つかさちゃんもやる?」
「私はいいかな。麻乃の体の中を、私の手が突き抜けるとかなったら嫌だし」
本当に実体のない霊体なら、そんなことも起きそうだ。実際に見てしまったら、立ち直るのに多少時間のかかりそうな気色悪い光景になるだろう。
つかさはため息混じりに麻乃に言う。
「幽霊ジョークもほどほどにね」
「はーい」
麻乃は舌をチラリと出しておどける。
そんな麻乃を見て、つかさが呟いた。
「麻乃は強いね」
「そう?」
麻乃が不思議そうに首をかしげる。
つかさが不安そうに尋ねる。
「自分がどこの誰かも、思い出せないんでしょう?」
「自分の名前と、事故ったような気がするのは何となーく覚えてるんだけど、それ以外はさっぱり」
あっけからんという麻乃につかさが聞いた。
「不安じゃない?」
「不安じゃない……って言ったら嘘になるけど、先生も一生懸命探してくれてるみたいだし、気長に待とうかなーって。もう死んじゃってるなら、これ以上ひどいことにはならないでしょう?」
「そうだね……」
ぼやくつかさに、麻乃が切り出した。
「ねぇねぇ。『あなたはだあれ?』って聞いて」
麻乃の提案の意図が分からず、つかさは首をかしげる。
まぁ言ってみてよ、という様子で麻乃がつかさを促す。
「あなたはだあれ?」
つかさの問いに麻乃はハキハキと応える。
「私は麻乃。あなたはだあれ?」
「私はつかさ……」
応えるつかさに、麻乃はにっこり笑って言う。
「これでいいんじゃない? とりあえず、今は」
「そうだね」
つかさは麻乃に手を振って教室を出る。
ここに来てからずっと聞こえていた、教室内で囁くヒソヒソ声は、もう聞こえなくなっていた。
次の週末。つかさはいつもより少しだけ早く起きて食事を作っていた。
麻乃の件が落ち着いてから、誉達に「今度の休みに天気が良かったら、庭でお茶会をするから一緒にどうか」と誘われた。今は花壇の花が一際綺麗だからと、皆で食べ物を持ち寄って庭を眺めるのだという。
波乃香は寝かせておいたが、もそもそとベッドから出てきてキッチンに立つつかさの横に来る。
「おはよう。今日は早いね」
「そうでもない……」
つかさの挨拶に、波乃香は寝ぼけ気味な声で応える。
そのままじっとつかさの手元を見ていた。作りかけの食材が並んでいる。
不思議に思ったつかさが尋ねた。
「どうしたの?」
「私も作る」
「えっ」
突然の提案につかさが驚く。
「ダメ?」
「ダメじゃないけど……」
「それとも、私が手伝えるようなことがない?」
波乃香が少しショボくれた顔でつかさを見る。つかさは少し考えて応えた。
「そーでもないかな。メインをサンドイッチにしようと思ってたから。挟むの、手伝ってくれる?」
「うんうん」
波乃香が嬉しそうに頷く。
つかさは、波乃香に手を洗うように言って、サンドイッチの具材を用意する。
パンにバターを塗り、野菜の水気を切ってからハムや潰したゆで卵と一緒に挟んでいく。
つかさの手順を真似て手伝いながら、波乃香が口を開いた。
「今日は、制服着てないのね」
今のつかさは、シャツとスウェットパンツを身に付け、髪は後ろで一つに結んである。
「起きた格好のままだよ。料理が終わったら着替えるつもり」
「そう」
聞いた割には、興味なさそうな波乃香だった。続けてつかさに尋ねる。
「今日は、誰が来るの?」
つかさは指折り数えながら応えた。
「誉ちゃんと友音ちゃん、
そう応えるつかさに、波乃香は不満そうにぼやく。
「知らない名前が混ざっているわ……」
つかさは少しだけ呆れて言う。
「クラスメイトだよー?」
波乃香は不満な表情を変えないまま聞く。
「いつの間に仲良くなったの?」
「誉ちゃん達とよく一緒にいるじゃん。私達も、一緒にいたことあるよ?」
「覚えてない……」
波乃香が口を尖らせる。
「そこは覚えよう?」
「うん……」
波乃香は曖昧に頷いた。俯いてぼそぼそ言う。
「つかさちゃんは私の……」
「ん?」
「なんでもない」
つかさには波乃香がなんと言ったのか聞き取れなかった。
波乃香は自分が挟んだサンドイッチをつかさに見せる。
「こんな風で良い?」
つかさは波乃香の手元を見て頷く。
「うん、上手上手」
「これ、全員分用意しているの?」
「うん。雅ちゃんがお茶を用意してくれてて、詩織ちゃんはお菓子を持ってきてくれるんだって。場所は先に誉ちゃんと友音ちゃんが準備してくれてるはずだよ」
「つかさちゃんが特別いじめられているわけじゃないのね」
波乃香の言葉につかさは頷く。そもそも、料理を作ると言い出したのはつかさの方だった。
「心配してくれた?」
「それなりに……」
小声で言う波乃香に、つかさは優しく微笑む。
「そっか、ありがと」
そのうち料理は全て出来上がって、二人は作ったものをバスケットに詰める。
先につかさが着替え、波乃香が着替え終えるのを待って、時計を確認する。
「準備はできた? 時間もちょうど良いし、行こうか」
つかさはバスケットを持ち波乃香に言った。
「ん」
波乃香がつかさの隣に来て、自分の右手を突き出す。
つかさは、波乃香がどうしたいのか分からず尋ねた。
「何?」
「何か持つ。忘れ物は?」
波乃香の問いに、つかさは右手にバスケットを持ったまま、両手を広げて応える。
「ないよ。このバスケット一個だけだから、私が持ってる」
「じゃあ、私はつかさちゃんを持つ」
不思議な言い方だ、とつかさは首をかしげる。
だがすぐに、ああなるほど、と納得して、自分の左手を差し出す。
「はい。離しちゃダメだよ」
「大丈夫」
波乃香がつかさの手を握る。
部屋のドアを開け、外に出た。
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