第12話 握った手が温かいから

 つかさは翼をたたみ、目の前でガンガン通り過ぎる自動車を呆然と眺めていた。

 ふと上を見て信号を発見する。交差点の上の信号と、向こう側に見える歩行者用の信号を見比べる。

「ってどっちも青じゃん」

 これではいつ事故が起きてもおかしくないな、と考えた瞬間目の前で衝突事故が起こり二台の車がぺしゃんこになる。

「うっわ……」

 過ぎ去る車は皆無人で走っているから、人身事故のような気持ち悪さはないものの、物が大破する様子は気分のいいものではなかった。

 二台の車は煙のように消えて、ぶつかった間からセーラー服の少女の姿が現れる。少女は一目散につかさとは反対の方へ走っていってしまった。

「待って!」

 つかさは叫ぶが聞こえていないようで、止まったりこちらを見たりする様子はない。追いかけようにも次々と車が道を塞ぐように通り、向こう側に行くことができなかった。

 どうしたものかと今一度周りを見る。信号機の下、横断歩道の横に押しボタンが付いているのを見つけた。まさかなぁと思いつつ押すと、横方向の信号が赤に変わる。信号が赤になると、車はきちんと停止線の手前で止まった。

 恐る恐る左右を確認しながら道を渡る。いくら夢の中で、無事目覚めるのだとしても車に押し潰されるのは勘弁である。

 麻乃あさのと思しき少女を追いかけながら似たような交差点をいくつも通り過ぎる。どの交差点の信号も両方青や不規則な点滅ばかりで無人の車が事故を起こしていた。ボタンを押して信号を正しながら先へ進む。

 最初見た麻乃に追いついた、と思ったら消えていたり、同時に同じ背格好の少女が現れて違う方へ走っていったりして、何を追えばいいのか分からなくなってきていた。

 めちゃくちゃな道路標識の森を抜け、車の通らない道に出た。交差点の真ん中に麻乃が倒れていた。

「麻乃っ?」

 急いで駆け寄り抱き起こす。麻乃は全身を灰のような粉塵ふんじんで覆われていた。

「大丈夫? すすが……」

 つかさが粉塵を落とそうと麻乃の頬をなぞると、汚れの下は透明で何もなかった。

「え……」

「止めて! 払わないで! お願いっ。私が消えちゃう……」

 麻乃が震えながらつかさの手をつかみ拒絶する。

「分かった」

 つかさはすすり泣く麻乃をなだめるように背中をゆっくり撫でる。粉塵ふんじんを払ってしまわないように気をつけながら、そっと。

「大丈夫……消えないから……大丈夫だよ……」

 麻乃が落ち着くまで背中を撫でていた。泣き声が聞こえなくなって、つかさは麻乃に尋ねた。

「貴女は、この世界の少女?」

 麻乃が頷く。続けて聞いた。

「私は、貴女に呼ばれた。何があったのか、教えてくれる?」

 麻乃はしばらくぼんやりしていたが、やがて思い出したようにぽつぽつと語り始めた。

「私は……道路を渡ってる途中で車に轢かれて、死んでしまったの」

 麻乃がセーラーのスカートをギュッと握る。

「私の体はなくなって、魂だけになっちゃった。皆に私は見えてない。私は忘れられて、消えてしまう運命なのよ」

 麻乃が言い切るか切らないかくらいのタイミングで周り中からガラスが割れるような音がして街や空が少しずつ崩れてきた。

 麻乃がつぶやく。

「それは……世界ここも同じ」

「でも、私と麻乃はここで会えたよ。消えてない。それでも……消えちゃうの?」

 崩れ落ちてくる物から麻乃をかばうように抱き寄せながら尋ねる。麻乃は頭を振って叫んだ。

「私は……! 消えたくない! まだ生きていたかったのよぉ……!」

 麻乃の心からの叫びにつかさも胸が締め付けられるような気持ちになる。

 ふと、左手に麻乃や自分とは違う温もりを感じた。不思議に思って、開いたり閉じたりしながらじっと見る。誰だろうと考え、思い当たる存在を見つけた。その相手に思いを馳せると元気が湧いてくる。もう一度強く手を握って、麻乃に聞く。

「私は、貴女の願いを叶えにきた。消えたくないっていうのが、貴女の願い?」

「ええ……!」

 麻乃が強く頷いた。たちまち世界が激しい音を立てて大きく崩れていく。

「世界が……壊れていく」

 呆然と周りを見渡すつかさに、麻乃が慟哭する。

「もうこの世界に力は残ってないの! 持ち主である私が生きていないから、力が与えられないのよ」

 つかさは、何かいい方法はないかと考えて、思いついたことを口にした。

「そうだ! 心幹しんかんはどこ? 私の世界からエネルギーを持ってこられたら、助かるかも!」

「そんなことをしたら、あなたもどうなるか分からないわ! あなたの世界の力までなくなってしまったら、あなたも一緒に消えてしまうかもしれないのよ!」

 首を振って叫ぶ麻乃に、つかさは笑いかけて応える。

「心配いらないよ。私の世界は、また別の世界と繋がっているから」

 つかさが言うのと同時くらいに壊れた信号機がすぐ近くに落ちてきた。赤い光が点滅している。

「これが心幹か!」

 つかさは麻乃の手をつかみ光に触れさせる。二人が同時に盟約を叫んだ。

「『私は、この世界を受け入れる』!」

 心幹が熱を持つ。

「『私は、この少女を受け入れる』!」

 つかさは、麻乃の手をより強く握る。

「『そうして私たちは。また一つ、‘完全’に近づく』!」

 赤い光が一際輝く。世界が崩れていく。激しい音と光に包まれて、つかさの意識は途切れた。


 まどろみの中。暗闇の中。

 目覚めようとしても、つかさにはどうしたらいいのか分からなかった。

 いつも、夢渡りでは勝手に目が覚めていたけれど、それは波乃香はのかが調節やら何やら全部やっていてくれていたんだろうと思う。

 今、どんなに目覚めようとしても何もできないのだから。

 思考がすぐ途切れて、まとまらない。

 どうすればいいのだろう。どうすれば自分は夢から覚めるのだろう。

 体を起こす? 頬をつねる?

 でも、ずっとふわふわしていて、体の感覚や上下感はとても曖昧だった。

 ああ、私は一人では何もできないのだなあ、と考える。

 だから一人にしないでよ、と思う。

 君はどこにいるの、と問う。

 左手に温もりを感じた。

 ゆっくり握ると、温もりが握り返してくれるようだった。

 朝日のような、鼓動のような、

 優しいものに感じた。

 これが、道標だ。


 そして、目が覚めた。


 カーテンの隙間から日の光が部屋に注がれている。

 波乃香はつかさの眠るベッドの脇に椅子を置き、そこに座ってずっとつかさの手を握っていた。

 つかさの瞼が微かに揺れて、ゆっくり開く。寝起きのかすれた声で、囁いた。

「波乃香……ちゃん?」

 つかさが瞼を開けて最初に見たのは、波乃香の心配そうにしている顔だった。

「良かった……」

 波乃香が囁いて手を組み、額に押し当てた。涙声で言う。

「本当に、もう……目が覚めないかと思った」

「そんなことないよ。ただ寝てただけだから……」

 つかさが呟く。波乃香が組んでいる手に自分の左手が包まれているのを見て、聞いた。

「もしかして……ずっと起きて待っててくれていたの?」

 波乃香が頷く。

「ずっと手を握ってくれてた?」

 もう一度頷いてくれた。

「そっか……ありがとう……」

 笑いかけると、ようやく波乃香も笑顔を見せてくれた。

 意識が覚醒してきて記憶が整理される。

 麻乃のことを思い出し、波乃香に尋ねた。

「そうだ。麻乃は?」

「麻乃って?」

 波乃香が首をかしげる。

くだんの幽霊さん」

 つかさはゆっくり起き上がって部屋の中を見る。

 姿見に映る部屋。椅子に腰掛け、テーブルに伏せて眠っている麻乃がいた。

 つかさは、鏡に向かって声をかける。

「麻乃。起きて」

 麻乃は目をこすり伸びをする。

「信じられない……」

 つかさの隣で波乃香が唖然としていた。つかさは麻乃に尋ねる。

「気分はどう?」

「今までで一番いいわ」

 麻乃は明るく応える。つかさが頷く。

「良かった。そうだ、先生呼んでこなきゃ」

「私が呼んでくる。つかさちゃんは安静にしてて」

 波乃香が早口に言い残して部屋から出ていく。

 閉め忘れられた部屋の扉を見ながら、つかさが言う。

「心配性だなあ」

「それだけ心配させたってことなのではないかしら」

 麻乃が立ち上がり姿見に近づいてきた。

「そうかも。悪いことしちゃった」

 つかさが頭を掻くと、麻乃はバツが悪そうな顔をして言った。

「謝らないといけないのは、私の方」

 気まずい空気が流れる。すぐに波乃香が先生を連れて戻ってきた。先生がつかさに話しかける。

「おはよう、つかさ。目は覚めたか?」

「おかげさまで」

 つかさの様子を見て安心した先生が微笑む。

「昨晩は大変だったんだぞー。珍しく波乃香が取り乱していてな。君が眠ってしまったことより大事件だったかもしれない」

 先生が面白そうに語る。

「それより先生」

 波乃香が急かす。

「はいはい」

 先生が波乃香をあしらって姿見を覗き、鏡の世界の少女に声をかける。

「君が幽霊さんか。噂だけは耳にしていたよ」

「お騒がせしたようで申し訳ございません」

 麻乃は真っ直ぐ立って先生にお辞儀をする。

 先生は顔の前で手を振って言う。

「あーそんなに固くならなくて良い。ここにいる者は皆、鏡とは縁が深くてね。こんなこともあるかもしれない。とにかく私の部屋で話がしたいんだが、君はどうやって移動するんだい?」

「露骨な壁抜けや自由飛行はできませんが、足はきちんとあります」

 麻乃はその場でかかとを床に何度か付けながら、茶目っ気のある口振りで言った。

「お見受けした。では私に付いてきてくれ」

 先生が麻乃を連れて部屋を出ていった。

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