第10話 嘘の話と本当の話

 天気のいい放課後。つかさは友音ともねに誘われ、波乃香はのかほまれと一緒にカフェで話をしていた。

 いつか波乃香と二人で座った同じオープン席に、誉と友音を交えて紅茶を飲む。

 お菓子や花の話、クラスメイトや先生の話、怪談や噂話。つかさは、少女たちがするとりとめのない雑談を黙って聞いていた。

「学園七不思議ぃ」

「どうしたのよ突然」

 友音のつぶやきに誉がちょっかいをかける。

「前、幽霊の話をしたでしょ? どうも、学園には他にも怖い話があるみたいなのぉ」

 友音は意気揚々に語りだす。

「玄関ホールのおーきな絵、そこに描かれてる女の子が夜になると涙を流す、とかぁ」

「見間違えでしょ」

「音楽室のピアノをモジャモジャ頭のベートーヴェンが弾いてるとかー」

「……見間違えよ」

「明け方に教室棟に行くとチャイムが鳴ったり子供の笑い声が聞こえたりぃ」

「聞き間違い」

「昨日まで白い花しか植えられていなかった花壇が真っ赤になったとかぁ」

「誰かが細工したんでしょ」

 誉のつっこみに友音は首をかしげた。

「なんのために?」

「知らないわよそんなの」

 友音は臆せず続ける。

「寮の談話室にある黒電話が突然鳴ったりー」

「電話は突然鳴るものでしょ」

「いやいやー、続き? みたいなのがあってねぇ。なんでも、その電話を取ると『依頼された棺をお届けに上がります』って言って切れて、5分くらい後に玄関に霊柩車が来て小さな棺を出してくるんですって。『そんな話は聞いてない』って言うと『必要になります』みたいなことを言うから『縁起でもないから帰ってくれ』って追い返すんだけど、持ってきた棺は置いていかれてー。1週間後に小さい子が急に亡くなって、置かれた棺にぴったり納まったとか」

「はぁ」

 饒舌な友音に生返事の誉だったが、指折り数えて言い返す。

「今ので5つ? 電話と棺の話が別なら6つね。あとは?」

「私の知っているのはこれで全部―。7つ全部知るとあの世に連れて行かれるのよぉ」

「ありがち……」

 波乃香がぼやく。誉はふと首をかしげ、何か思いついたのかニヤリと笑って言った。

「幽霊少女の話を数え忘れていたわ。これで7つね」

「え、あ。電話と棺は一緒ということでぇ……」

「なぁに、友音。貴女、自分で喋っておきながら怖いの?」

「いーえぇー」

 友音が素早く首を横に振る。

 波乃香が口を挟んだ。

「怖い話なら……私も聞いたことある……」

「え?」

 一同が驚いて波乃香に注目する。

「5人しかいないはずのメイドさんが6人に増えていたとか……図書館に魔導書か死神の手帳があるとか……」

「ちょっとー! 七不思議どころか増えてるじゃないのーっ」

 友音が叫んだ。

「誰彼構わず増やしていったらそうなるでしょうよ」

 そう言う誉の口調は冷たい。

「創作じゃないもーん。ちゃんと人から聞いた話だもんー」

「はいはい」

 口を尖らせる友音を、誉は手をヒラヒラと振ってあしらう。

 友音は、ずっと相槌ばかりのつかさに話を振った。

「そういえば、つかさちゃんのこと何も聞いてないわぁ」

「そんな、大した話はないよ」

 胸の前で両手を振るつかさに誉が聞く。

「言いたくない理由でもあるのかしら?」

「うーん、まぁそんな感じ」

 曖昧に笑うつかさに誉が不機嫌そうに言う。

「煮え切らないわね……」

「まぁまぁ。それなら聞かないわ。ごめんなさい」

「ううん」

 申し訳なさそうに言う友音に、つかさが首を横に振る。これでその話題は終わりだろう、と高をくくっていたら、なにやら友音がニヤリと嫌な笑みを浮かべてこう切り出した。

「ねぇなら、私たちのこと、どう思ってる?」

「はぁっ? 貴女何言い出すのよ!」

 誉が反発する。友音が顔の前で両手を組んで言う。

「えー、だって気になるよぉ。つかさちゃんあんまり思ってることとか言わないし」

 そう言う友音に、誉は細目になって言い放つ。

「そんなの、何も考えてないだけでしょ」

「誉ちゃんひどーい」

 友音が文句を言う。うたた寝をしかけていた波乃香がぼそりと呟く。

「私も……気になる……」

「ほら、波乃香ちゃんもこう言ってるし。良い機会だから教えてよ」

「そう言われても……」

 悩むつかさに友音が付け足す。

「第一印象とか」

「うーん……」

 言い淀むつかさを見て、誉がほくそ笑む。

「あら、なら私の第一印象なんか最悪なんじゃなくて?」

 そう言う誉に、つかさは打って変わって平然と応える。

「ん。おっちょこちょいだなって」

「だ、誰がおっちょこちょいよ!」

 誉がテーブルにバンと手を付き、身を乗り出そうとする。手をついた拍子に紅茶の入ったカップをひっくり返しそうになった。

「あああ危ない! そういうところだよ」

「ふん」

 つかさの制止も誉は快く思わないようだった。

 友音が自分を指差し言う。

「ねぇ、じゃあ私は?」

「えっ、と……」

 そう言われてつかさは友音を見る。が、一瞬見ただけですぐに目をそらしてしまう。

「ん?」

 疑問に思った友音が首をかしげる。つかさが俯き少し上目遣いで友音を見て言う。

「これ言ったら怒ると思うんだ……」

「えー、怒らないよぉ。教えて?」

 つかさは慎重に言葉を選び恐る恐る応える。

「その……体型がいいな、と」

「へ?」

 友音が真顔で疑問符を浮かべる。

 友音の体型は、ややふっくらとしていて、つまり胸が大きかった。

 付け加えると、所謂「友音の制服」は、その大きな胸を強調するように腰周りは細めに、胸元は大きく開いているデザインだった。

 反応に困っている友音の横で、真っ先に誉が立ち上がり叫ぶ。

「あんたねぇ!!」

「なんで誉ちゃんが怒るんだよ!」

 つかさが猛抗議するが誉は聞いていない。

「貴方ほかに言うことがあるでしょおおお!」

「誉ちゃん落ち着いて!」

 今にも掴みかかろうとする誉を友音がなんとか押しとどめて座らせる。

 つかさは、「誰だってそんな高級果実のようなものがあったら見ちゃうよ」とか、「じゃあなんて言えばよかったんだ」とか言い訳はいくつか浮かんできたが、収拾がつかないのと申し訳なくなってきたので謝罪する。

「すみませんでした」

 両手を揃えて膝に置き、深く頭を下げる。

「ううん、別にいいのよ」

 友音は自分の顔の前で両手を振りながら笑って応えた。

 とりあえず、当人の友音があまりショックを受けていないようで、つかさは安心する。

 そして聞くなら今のうちだろうと、どうしても気になることを尋ねた。

「それにしても、その……なんで胸が目立つような格好してるの?」

「入学前、服を選ぶときに、先生がこういう感じの方がいいって薦めるから……」

 あの先生、そういう趣味だったのだろうか? とつかさは思う。でも、男の自分に女装をさせるくらいだからなぁ……と一人悩む。

「嫌じゃなかった?」

「生徒は皆女の子だって聞いてたから」

「今はいるけどね、男」

 誉が頬杖をついて言う。友音がのんびりとした声で応えた。

「つかさちゃんなら大丈夫かなぁって」

「分からないわよー。案外こいつ大きいのが好きなのかも」

 誉が自分の胸の前で、下から大きくバストを掴むような仕草をしながら、とぼけた声で言う。

 なお、誉は全体的に細身で友音ほど胸の大きさはない。

「はぁっ?」

 つかさは驚いて大きな声が出てしまった。

「大きい方……」

 波乃香がぼそりと呟いて自らの――十代らしく慎ましい――胸元を押し触る。そして、この世の最も深い悲しみを知ったような顔をしてつかさをつっつき、尋ねた。

「つかさちゃんは、大きい方が好きなの?」

「誰もそんなことは言ってないからね?」

 つかさが作り笑顔を浮かべて返す。波乃香は表情を変えずに続けて尋ねる。

「じゃあ、小さい方……?」

「どうしてそうなるのかな?」

 つかさはなるべく焦ったり怒ったりしないように気をつけながら会話をする。

 なぜ自分はこんな尋問を受けているのだ、と嘆いたとき、友音が助け舟を出してくれた。

「そうだ、波乃香ちゃんの第一印象は? まだ聞いてなかったわねぇ」

「大きいとか小さいとかは無しよ」

「先にそういう方向に話に持っていたのは誰だったっけぇ?」

 誉が茶化すのを友音がやんわりと制止する。

「波乃香ちゃんの……?」

 つかさが最初に出会った日に思いを馳せる。異国の植物が住まうガラスのドームの中、ベンチに座り眠る少女。声をかけると、ゆっくりと瞼を開き微笑み返してくれた。

 ふと隣を見ると、波乃香が今度は最大限の期待の眼差しで見つめてきていた。

 しばらく悩んだ挙句、一番無難な回答を選んだ。

「眠そうだなって」

 誉と友音はキョトンとしたあと、お互い顔を寄せてこそこそ言い合う。

「そのまんまね」

「そのまんまねぇ」

「第一印象ってそういうものだよね?」

 つかさがやんわり反論する。

「でも、波乃香ちゃんはもうちょっと違うことを言ってほしかったみたいだけど」

 友音がそう言って波乃香を見る。波乃香は誰が見ても分かるくらい元気がなくなっていた。

 つかさは、ティースタンドに出ていたマカロンを一つつまみ、波乃香の口元に持っていく。波乃香は、雛鳥が餌をもらうように差し出されたマカロンにかぶりつき、少し頬を膨らませながら美味しそうに咀嚼する。気が紛れて、機嫌は元に戻ったようだ。

 つかさは面白がって、波乃香の口の中が寂しくなる頃に、もう一つマカロンを入れる。波乃香が咀嚼している間に質問を投げかける。

「てか、私の印象っていうのも聞いてみたいよ」

「うーん……」

 友音が首をひねる。

「おとなしい?」

「私は暗いって思ったけどね」

「ひどい!」

 間髪いれずに友音にかぶせてきた誉の言葉につかさが嘆く。

「だって来たばっかりの頃は本当に暗かったじゃない」

 誉が反論してきた。つかさは頭を下げる。

「その節はどうもお騒がせしました」

「どういたしまして」

 サラっと誉が返した。

 友音が、お茶を飲んでいた波乃香に尋ねる。

「波乃香ちゃんは?」

「んー……?」

 波乃香が生返事をしてカップを置く。友音がもう一度聞いた。

「つかさちゃんを初めて見たとき、どう思った?」

 波乃香は隣に座るつかさを見て言った。

「美人さんだなぁ、って」

「へ?」

 ストレートな褒め言葉にうまく対応できずに、つかさが固まる。誉がつかさの顔を見て叫ぶ。

「うっわ、こいつ赤くなってる! 気持ち悪い!」

 つかさが嘆く。

「何度でも言うけどひどいよぉ!」

「でも! 私もっ、つかさちゃん綺麗な人だなぁって思ったもん。見てるだけなら女の子にしか見えないよ」

 友音が二人のやりとりに割って入った。友音に対しては落ち着いた口調で誉が応える。

「それは私も認めるわ。男が来るって聞いていたのに驚いたもの」

「ねー! 肌もつやつやで髪もさらさらで長くて」

 誉の言葉に友音が嬉しそうに同意する。

「つかさちゃんの髪……好き……」

 波乃香がそう呟いて、指先でつかさの髪をすくい撫でていく。

 友音がニコニコしながらつかさに尋ねた。

「ねぇねぇ。シャンプーとかは、何を使ってるの?」

「え? これヅラだよ」

 つかさの衝撃の発言に一同が固まる。

 しばらくの無音の後、友音、誉の順に口を開いた。

「え……じゃあその下はどうなってるの?」

「嘘……でしょう……?」

「嘘だよ」

 つかさのその一言を聞いた誉が、遂にテーブルから身を乗り出しつかさの髪を引っ張る。

「貴方ねえええええ!!」

「痛い痛い! やめて引っ張らないで! ホントに! ホントにヅラになる! 将来的に!!」

「将来どころか今すぐなればいいのよ!!」

 つかさはなんとか誉の手を振り払う。

 横からただならぬ雰囲気を感じて波乃香の様子を伺う。

「あ、の。波乃香ちゃん?」

 波乃香は深い絶望の表情を浮かべ俯き、カチカチと歯を鳴らしながら呟いていた。

「カツラ……つかさちゃんの……髪……。下、は……?」

 あまりの様子に誉がまた叫ぶ。

「ちょっと! 貴方が下らない冗談言ったせいで、波乃香がショックで震えているじゃないの!」

「わー波乃香ちゃんごめん! 今の嘘だからっ」

 つかさが慌てて否定すると、波乃香が顔を上げつかさを見た。

「嘘……?」

「うんうん。ちゃんと全部地毛、本物だよ」

 自分の髪を掌に乗せて見せながらつかさは言う。波乃香が首を傾けながら呟く。

「本……物……?」

「そうだよ」

「触ってもいーい……?」

「どうぞ」

 つかさがそっと顔を波乃香に近づける。波乃香は恐る恐る流れる髪の先に触れる。

 白銀の髪が、波乃香の指先をサラサラ通っていく。波乃香は更に尋ねた。

「頭撫でてもいい?」

「どうぞ」

 つかさは笑って許す。波乃香の手がつかさの頭部から毛先に向けてゆっくり動く。

 つかさがふとテーブルの向かいを見ると、誉と友音が優しい笑みを浮かべて二人の様子を眺めていた。

 それに気づくとだんだん照れくさくなって波乃香に言う。

「その……ちょっと恥ずかしいかも……」

「我慢するの……」

 結局お茶会が終わるまで、波乃香は暇さえあればつかさの髪を撫で続けた。


 その日、波乃香は夜になってもつかさの髪を触っていた。

 つかさが尋ねる。

「ねぇ……いつまで撫でてるの?」

「寝るまで」

 お互い入浴を済ませ、着替えてベッドに入っている。今晩は夢渡りをしないことにしていた。あとは眠るだけだ。

「もう寝ようよ」

「今晩つかさちゃんの頭がツルツルになる悪夢を見たら、つかさちゃんのせい」

「うっ……」

 それとなく責められている気がしてそれ以上言い返せない。

 波乃香は毛先をつまんだまま寝入ってしまった。

 手を外す気になれず、つかさもそのまま寝に入ることにした。




 朝早くの室内で、知らない少女の声がする。脳に直接響くような声。

 何を言っているのか、眠い頭ではよく理解できない。

 ただ、一言だけ聞き取れたのは。


 ――私を見つけて。


「誰っ?」

 つかさが飛び起きる。

 部屋の中に、どことなく自分たち以外の人の気配がした。つかさは起き上がり忙しなく室内を見渡す。

 特に変わった物影は見えず、安堵して姿見を見た瞬間、飛び上がるほど驚いた。

 部屋の入り口に、髪の長いセーラー服を着た少女が立ってこちらを見ていた。

 慌てて振り返って部屋の入り口を見たが、誰もいない。

 再び姿見を見たときには、少女の姿はなかった。


 休み時間の教室で友音に話しかけられた。

「つかさちゃん? どうしたの、ボーッとして」

「え? いや、あのね」

 つかさは、朝起こった出来事について話す。

「それって、最近噂になってる幽霊なんじゃ……」

 友音の呟きに教室中の少女たちが反応する。

「うっそ……」

「で、でも、私もちょっと前に見たし……」

「私と同じ部屋の子が変な声を聞いたって……」

「夜中に急に目が覚めて視線を感じるの……」

「最近寒気がして眠れないことが多くて……」

 噂話が噂話を呼び、次第に悲鳴が聞こえ始める。

「ちょっと、皆落ち着いて」

 つかさと友音でそう言って止めようとしても、一度伝染し出した恐怖は止まらず教室中に不穏な空気が充満する。

「どうしよう……」

 つかさは責任を感じていた。自分が黙っていれば、或いは朝幻覚を見なければ、と思った。

 つかさが俯くと、それまでぼんやりしていた波乃香が立ち上がる。普段動かない波乃香が動いたことに驚いた少女たちが一斉に口をつぐむ。

 波乃香はつかさの前に立ち、静かだが教室にいる全員が聞こえるような声で言った。

「幽霊を……捕まえる」

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