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コンビニエンス・ストア店内に設置されたスピーカーが、彼ら以外誰の姿もない店内に向け延々と音楽を奏で続けていた。特にその歌声に、独特の癖を感じることができる、半世紀前の流行のさなかに生きた歴史的歌手たちの喉を、声帯モデリング技術で再現した合成歌声だからだろう。この時代には些か懐古趣味な旋律をアルゴリズムに基づき自動発生させ、モーフィングしてゆく電子伴奏音の奔流と入り混じるようにして、忙しなく新たな楽曲が紡ぎ出されてゆく。ここ数年盛況らしい、レトロフューチャー・リバイバルの約束事をご丁寧になぞったようなわざとらしいサウンドだった。
プラスティック製の買い物カゴを下げた小晴が、ガラス張りの冷蔵庫に並ぶ色とりどりの飲料水をいくつか抜き出してゆく。一佐が脇から放り込んできた炭酸飲料水のボトルにちょっと困った表情を返しつつ、自分は糖分の少ないものばかりを選んでいた。
横歩きで、隣の冷凍ケースからカチカチの冷凍食品を取り出す。腕に食い込む買い物カゴを心配げに眺めた一佐が「持とうか」などと横槍を入れるが、彼女はちょっと引きつった顔だけ返してまだ譲らない。年下の異性である彼が、買い出しに付きまとってくるいつもの父親みたいな心配顔をするのに既視感を覚えて、何だかすこぶる居心地が悪いのだ。
諦めた一佐は別の買い物カゴを取り出して、弁当やら歯ブラシやら洗顔フォームやらを適当に見繕ったあと、それをレジに放り込んだまま書籍コーナーで時間を潰し始めた。
「――――やっぱりコンビニって言っても、さすがに服までは置いてないよね。次にホットラインが繋がった時、支給してもらえるようにぼくからお願いしてみようか?」
小晴に再度声をかける。彼女は本日もメイドさんのままだ。その装いに何ら戦略的意味はない。小晴は手の平で作ったひさし越しに、店内コーナー部で休みなく稼働を続ける監視カメラのレンズを、少し照れたような、怪訝そうな表情で覗き込んでいる。映り込んだ自分の姿がどうにも間抜けに見えたのか、
「生きてゆく分には、ぜーんぜん支障ないよ。でもあたくしの魂イズ泣いているの。着替えの服、早めに頼みたいわ……」
力なき返答だけが聞こえてきた。監視カメラ以外に気がかりな他人の視線などこの界隈には見当たらず、小晴の羞恥心も芽生えどころに躊躇っているご様子だ。
アーチルデットが通販で仕入れ込んだらしき女性物の衣服が部屋に残されていたが、小晴との体格差問題もあったようだ。スタイルで勝り身長で敗北したというのが彼女の主張。アーチルデットが尻尾を隠すために好んだロングスカートは小晴にとってどうにも具合が悪く、最終的にジョーク目的で収集したコスプレグッズだけが候補に残ったのだという。
そこに至って、今朝からふとした疑問に思っていたことが、再び一佐の脳裏によぎった。
「――そういえばさ、小晴さん」
「ん~? あんだよ、先輩くん」
「いや……ね、沢山ありすぎる謎の一つといえばそうなんだけどさ。ミィヤにはさ、どうして尻尾、生えてないんだろうね?」
あっ、と小晴も同意の声を上げる。
「そういえば、ホントだ……わたし、あのコのスカートとかパンツとかまくっちゃったり、お風呂でいっぱい触っちゃったりしてたけど、つるつるのすべすべだったよ~? な~んも生えてませんでしたぁ、戸原隊員ッ!!」
しゅびっ、と商品棚に向かい敬礼を決め込んでいる挙動不審な小晴を、
「――いや、誤解を招く発言はよせ、酔っ払い」
有無を言わせずの切り返しだった。
本心では、的井に言われた言葉が今も棘のように胸に突き刺さったままだ。家族のことは諦めろなどと、いかなる理由があっても承服しがたい。お互いに精神的疲弊がないわけではないだろうけれど、小晴はアルバイトの時に見せる独特の調子を、ここでも変わらず発揮できる程度には元気だった。なのでその満面の笑みに冗談で反撃しながら、彼女が自分の買い物カゴに缶ビールをいくつも放り込んでいるのを、遠巻きに釘を刺してやる。わたしが言ったのはお尻のことだもんと、小晴は不平を訴えた。
「だからそうじゃなくって。理屈はわかんないけどさ、ミィヤはチル子と同じ身体を共有している……って言ってたじゃない? 顔つきとかの特徴が変わるのはなんとなく『そういうもんだよなー』って納得できそうな感じがするけど、じゃあさ、あの尻尾が彼女ら種族のアイデンティティかと思っちゃうじゃない?」
無人レジの壁一面に貼りつけられたスモーク状の鏡に、店舗グループのマスコット・キャラクターを象ったホログラムが浮かび上がっている。このような状況下なのに、わざわざ一佐の携帯端末から固有情報を読み取っているらしく、マスコットは標準のデザインではない、昨夜試しに視たドラマ仕様に衣装替えされていた。これまでは記憶力のせいで外的な物語を楽しむ習慣もなかったから、ちょっとしたシンクロニシティ的演出で嬉しくなった。そんなこちらの苦悩など知らんぷりで、マスコットはテーブルに置き去りにした商品の電子タグを次々に
「んー、そういうもんかね? おねーさんにゃ、宇宙人さんのこたぁ、わかんないよ」
確かに、宇宙人のことなど、彼らは知るはずもなかった。着目すべき点はそこではないのかもしれない。ただ一佐は、気がかりだっただけだ。
あらためて口に出してみて、何が脳裏に引っかかっていたのかを自覚することになった。
「ああ、そっか、わかった! 『武器』だよ、小晴さん!」
「武器……って?」
「チル子は、〈外交官達〉の連中に反撃した時に、尻尾を使ってたんだよ。あれって、要するにチル子の武器イコール尻尾って解釈していいんじゃないかな?」
一佐の言わんとしたことをようやく理解して、小晴が両手の平を合わせ音を立てる。
「じゃあさ、ミィヤちゃんの武器は尻尾……はついてないから――空飛んで、変身??」
宇宙船に変身、と言いたいらしかった。
そこに思い至って、両者が顔を見合わせる。今の状況ではもう宇宙船は出せないと、昨日ミィヤが釈明した。彼女が自身をあのアンノウンへと変えるためには、〈
「実はぼくたち、自分の身を守る手段がまったくないのに、今頃気づいたのでは……」
丸腰であることを意味した。ただの若者でしかない一佐も小晴も、何者かとやりあう気など毛頭ない。とはいえ、万が一何かの火の粉が己の身に降りかかってきたとしても、今回ばかりは星間連盟側に頼って助けてもらえない危険性が浮上したのだ。
間の抜けた顔で口を半開きにしていると、店の外で何かがドンと鈍い音を立てた。示し合わせたようなタイミング。一佐の肩が、驚きおののいて飛び上がった瞬間だ。
書籍コーナーを挟んだ窓ガラス越しに外の様子を窺う。そうするまでもなく、先ほどまで存在しなかったはずの配送トラックがいつの間にか駐車場に停まっていた。
「ちょっと待ってよ、今日は来る時間早くない?」
的井との約束では、商品の補充は毎日十五時だったはずだ。レジのスクリーンに明滅しているセグメント時計を確認する。十一時半ばだ。
配送トラックのフロントドアの前には、配送業者の制服に身を包み、帽子を目深にかぶった男たち二人が立っていた。店内にすぐに入ってこようとはしない。こちらの様子を窺っているようにも見える。よい方向に解釈すれば、予定の時間を誤ったがために、一佐らと想定外の鉢合せになり困惑しているようにも思えた。
「相手はただの運び屋さんだし、やばいことにはならない……よね」
一佐は最悪の可能性を考えて、すぐさま退路のことに思考を傾ける。スタッフルームの案内表示がかけられたドアは、果たして施錠されず勝手口にまで通じているだろうか。
店内の音楽に気を取られて、車の気配を察知し損ねていたことを今更悔やんだ。あるいは、静粛性の高い動力モーターを搭載する電気自動車の接近警告音が、今回は意図的に発せられていなかったと仮定したら。
一佐の視線の先を悟った小春が、咄嗟にスタッフルームのドアへと走る。
『――――――――き……聞……こえるか…………一佐……舘丸……さん』
彼女の手がドアノブに届くよりも早く、思わぬ方向から、歪んだ声が響き渡った。野太い声だ。二人は、それに覚えがあった。随分と久し振りに聞くものにすら思えた。
『おい、聞こえてるか、二人とも?』
レジ壁面に投影されたホログラムが、よく見知った人物の姿に切り替えられていた。
「お、おまえ…………………………征次……!?」
困惑を隠せないでいた。ホログラムの形態をとって目の前に姿を現したのは、二人が勤務するカフェのオーナー、そして一佐の高校時代の友人でもある男、倉島征次だったのだ。
◆
『いいか一佐、それに舘丸さん。落ち着いて聞いてくれ』
ホログラムとして姿を突如現した征次が、店内の二人に向け語りかけてきた。
「おまえ……なんてとこから喋ってるんだよ! 今どこなの!?」
征次はこちらの疑問をまとめて無視し、代わりに唇の前で人差し指を立てた。黙って話を聞けと訴えているのだ。互いに困難な制約下にある、今はそういう状況だという示唆。
横目に駐車場側の様子を窺う。トラックから降りてきた配送員たちは、未だその場所に立ち止まったままだ。状況がわからず、一佐は再びホログラムに向かうと、両手を広げて精一杯アピールする。相手側にこちらが見えているのかすらわからず、無人レジの仕組みをよく理解していない一佐の頭の中はこの瞬間、戸惑いと焦りで埋め尽くされつつあった。
『なに間抜け面見せてんだよ。確認するが、そっちに……例の奴、来てないよな?』
「例の、って誰……」
「ミィ――あの宇宙人ちゃんなら一緒に来てないよ。彼女、今は戸原先輩のマンションで寝てるから」
小晴が助け船を出す。お陰で、少しでも自分を落ち着かせようという意欲が戻り始めたのを実感する。遅れて気づいたが、スタッフルームのドアが解放されているようだ。と、不意打ちで耳元に湿り気を帯びた彼女の吐息を感じ、勝手口から脱出可能だと知らされた。
『わかった、聞いてたとおりだな。よし、いいかお前たち。俺はお前たちを助けに来た。あのトラックの二人組はこっちの味方だ、安心しろ』
「助けに来たって、征次が? 何で。これ、一体どういう状況だよ!?」
「倉嶋さん、もしかして的井って女に言われてここに来たんじゃ?」
『馬鹿。いいから店内から出るなよ、ここの外はヤバい。二人ともそこでじっとしてろ。絶対だぞ。今からそっちに行く――――』
言い終えるや否や、鏡面に投影されていたホログラムの像がノイズに歪んで消失し、代わりに壁一枚挟んだ向こうの駐車場側から、窓ガラスを鈍く震わせる金属音が再び響いた。
前向きに駐車されていた配送用トラック。棒立ちだったはずの配送員たち二人が、いつの間にか車両の後部側に移動していた。視線をその奥に移して、彼らが何をやり始めたのかに気がついた。荷台のハッチを解放し、積み荷か何かを降ろそうとしているようだ。
と、荷台からは積み荷ではなく、新たに人が降りてきた。数は、一人、二人。黒ずくめの強化外装をまとう、特殊部隊然とした出で立ち。肩から物騒にもアサルトライフルをぶら下げている。厳ついヘルメットに拡張感覚バイザーで顔を覆っており、こちらに向けられる表情も読み取れない。所属不明の、松永が従えていた連中に似通った兵士たちだ。おそらく警察や治安維持隊でもなければ、〈外交官達〉のような対宇宙人目的で編成されたチームとも違う連中に見えた。
遅れて、更に一人。兵士たちは彼の護衛役なのか。この状況下では場違いなほどにラフな格好、派手にごちゃついた模様のシャツにジーンズを身につけた、まだ年頃の若い青年だ。短い黒髪。遠巻きながら、神経質そうな険しい表情をこちら目がけて送りつけている。
彼の姿を見て、征次だと一佐が呟いた。
険しい表情を崩さない征次が、護衛役の兵士二人を引き連れ、コンビニの自動ドア前に立っている。だが、ドアは何故か開かない。自分たちがそうした時は何ら問題なく機能したのにと疑問に思いつつ、一佐もドアに走り寄る。
「変だな。さっきまで開いたはずなんだ」
「下がってろ一佐。お前ら以外じゃ開かないよう細工されてるらしい――」
征次が護衛役の片割れに何か指示した。彼は屈んで、ごついベストから取り出した小型端末を操作し始める。
「なに颯爽と登場してんだよ征次。無謀過ぎて流石にびっくりするよ、お前がヒーロー気取りとか似合ってないし、ちっとも嬉しくない。ぼくたち、偉い連中から、ややこしくならないよう大人しくしてろって言われてんだぞ。それなのにこんなことされたら、話が余計ややこしくなる」
もう片割れの護衛役は、妙なことに征次に背を向けている。彼らがこちらの味方というのは本当らしい。何かを警戒している素振り。ライフルの銃口は、対向する小高いマンション群の上階をゆっくりとなぞってゆく。
一佐もようやく自覚した。地域住民が排除され無人の都市へと変貌したこの界隈での二日間、自分たちはずっと監視されていたのだ。そう考えて、今更ドキリとさせられる。
「その人たちは? どうやってバリケードの中に入って来れたの。政府側のリーダーは的井って女のひとだけど、お前の方のは一体誰の差し金だよ」
「だから、助けに来たって言ったろう? お前ら、騙されてるぞ。そのマトイってのにも。とにかく、一刻も早くここから逃げるんだよ」
「騙すって、何で。ミィヤがまだ家にいるんだ、逃げるならあの子も連れてこないと」
「だっ……連れてくか馬鹿っ。そんなの放っといて舘丸さんと二人で脱出するんだよ!」
でも、と反論しかけて、一佐の達者だった唇はもつれる。でも、何なのだろう。彼に訴えたい衝動は言葉にしようとすると澱んでしまい、〈彼女〉をうまく説明できない。
「いいかよく聞け一佐。俺にも細かい事情はわからん。だが、俺やお前らの家族の方にも、国のお偉いさん連中から話が来てるんだ。このままじゃお前らが更にヤバいことに利用されるから、ここから助け出そうって話だ。だから俺が名乗り出た。俺はお前から信頼されてるかどうかは知らんが、一番話に耳を貸してくれそうだからな」
周辺警戒に当たっていた方の護衛役が、配送員二人も呼び寄せる。話を無言で受け止めていた小晴が、後ろからシャツの裾を掴んできた。それら全て、一佐の視界には入らない。
「そんなのわかってて、それでも大人しくしてるんだよ。だって、ここから外に戻ったところで、ぼくたち今度はそのお偉いさん連中に捕まるからヤバいって、詩乃って人が……」
短くブザーが鳴る。自動ドアのセキュリティ装置が解除されたようだ。護衛役の片割れがやや腰を落として、警棒のようなものをドアのガラスの隙間に差し込み、ブーツの爪先や肩を使ってあっさりとこじ開けてしまった。
「捕まるとか、そういう問題じゃねえよ。――――宇宙船が撃ち落とされるんだぞ」
分け隔てていたガラスが取り払われ、征次と直接対面する。感動の再会という感覚はなく、代わりに彼の言葉に一佐は大きく目を見開き、言葉を失った。
「お偉いさん連中から聞いた。今回の件、裏で勝手にアメリカが動いてるとかって。こっちからは話し合いするから待てって言ってるらしいが、あっちは日本には全然聞く耳持ってくれないって。世界平和の脅威だとか何とかで」
「それって、いつの話……」
「今朝方、米軍の衛星破壊兵器がすっ飛んでった。宇宙船の位置を見つけ出すのは時間の問題、今日明日にでも、って話だ」
彼の言葉に、思わぬ感覚が一佐を襲った。
「それだけならいい。それだけならな。お前のマンションを占拠してる宇宙人と、お前ら二人の身柄も寄越せって。既に日本に圧力がかかってるって」
それは脱力感にも似ていた。厭な汗。心臓が刻む鼓動も、完全に他人事の素振りを決め込んでいるかのようだ。
背後からシャツを掴んでいた小晴の手が離れ、代わりに彼女の指先が手首に直接、躊躇いがちながらも触れてきた。が、勢いを失った一佐は腰が抜けたようにへたり込んで、床からそのまま茫然と征次を見上げてしまう。彼の眉間にも、同じように粒のような汗が浮き上がっているのを知る。
「――――――――下手すると、お前も、みんなも殺されるぞ」
言いながら、こじ開けた自動ドアを潜って、征次がコンビニ店内に一歩踏み入った。
異変は、直後のことだ。征次の入店と連動したかのように、唐突に店内の照明が落ちた。全てだ。電源が切断されたのかと錯覚させられるも、すぐさま警告表示のホログラムとともに、方々で赤色灯が激しく明滅し始めたのを目の当たりにする。
急遽彼らを襲いかかった異変。だが、驚きの声を上げる機会も、更に予想外のタイミングで削がれることになった。
飛びかかってきた護衛役の片割れが、征次と一佐の頭を鷲掴みにし、次の瞬間には床目がけて押し倒していた。
「――――伏せろッッ!!」
ショックに頭を抱えるような仕草のまま硬直する小晴を、護衛役が強く怒鳴りつける。
破砕音。
寸断、破断、微塵。穴が三つ、面上におびただしいひび入りを伴い、ガラス窓に穿たれる。鋭角に割れて撒き散らされるガラス片の粒子。まるで割れた水槽からアクアリウム内部が流出するかのような、それまでガラスだったものと外気とが店内に流れ込む様を一佐は目撃した。
店内と外とを隔てていたガラスが粉微塵に帰し、雑誌のカラフルな紙面が散り散りに千切れ、思い出したように宙へと巻き上げられた。瓶や樹脂パッケージが内包物を噴き出しながら、異臭とともにカオスの放物線を描き、跳ねて、弾け飛んでゆく。
破裂音の濁流。両手で耳を塞ぐしかない。そうでもしないと、飛び散る破片が当たって、耳たぶがちりちりと痛んだ。
資本主義経済の申し子、その断末魔たち。彼らの合唱は止まない。五月蠅くて鼓膜も根を上げそうだ。自分の頭は、未だに上から手の平で強く押さえつけられたまま。リノリウムの床はただでさえ固く冷たくて、降り積もる砂埃と粉塵とで、不快さをより増してゆく。
唐突に、違和感を伴った厭な音がして、すぐに窓枠がひしゃげ始めた。強く鈍い振動が床まで伝わってくる。丸く大きな塊の影が二つ、外からコンビニの店内に踏み入ろうと蠢いているのが、這いつくばる一佐の視界を横切った。凝視するのも恐ろしい怪物たち。アーチルデットを捕獲すべくマンションに突入したのと同じ、暴動鎮圧用ロボットだ。もはや破砕片の瓦礫と化した自動ドアを強引にねじ切ろうと、マニピュレーターのサーボモーターが軋み音を上げる。片割れの一機は、かつて書籍コーナーがあった窓の残骸に引っ掛かったまま、球状のボディから突き出たやたら厳めしい砲身を掲げ、狙うべき矛先を選別しようと不気味に回転させている。
床に張りつくようにしていた小晴に、一佐は必死で手を伸ばした。怪物ニュートンから撒き散らされる異音に、連動するように悲鳴を上げ続ける彼女の震える腕を力づくで手繰り寄せ、何か伝えようと、煤に汚れた互いの頬を擦り合わせた。
◆
どれほどの時間が過ぎ去ったのだろうか。始まった時と同じように、唐突にそれらは止んだ。
「終わった……か??」
頭を抱えたままうずくまっていた誰かが、呻くような声を上げる。
「――――――――――――ひゅう。間一髪」
アサルトライフルを天頂に掲げ、護衛役の一人が、ヘルメット越しで届かぬはずの額を拭う仕草を見せる。彼の眼前には、狭苦しいコンビニ店内には大柄に過ぎるニュートン・アービィが、巨体をドア枠に捻じ込ませた姿勢のまま、微動だにせず静止していた。自らの異常を造物主らに訴えるように、各部位のLED警告灯を赤く明滅させたまま。
「…………ったく、ふざけやがって! 死ぬかと思ったぞ、糞っ」
また誰かが声を上げる。一佐には咄嗟に、誰が発した声なのか聞き取れない。
「大丈夫だみんな、誰も死んでない。あれはもうめた。どうもタイミングが遅かったようだ、驚かせてしまったようですまない」
あまりの衝撃の奔流に呑まれた直後で、それが一体何を指しているのか理解できる心理的状態になかった。落下して音を立てる数多の破片。それが店内に鳴り響く度に、一佐の心臓をビクつかせる。
「――――ふっざけんなよジュノォ! やれガキの子守りだ今回は簡単な仕事だっつってたのに、死にかける目に遭わされんの、こんで何度目だよ! 大体、あんたは完全武装だろうが、こっちはこんな布っ切れ一枚だけなんだぜ!」
配送員が服を自ら掴んで、護衛役の片割れに己の不遇さを強く訴えていた。
「ふむ、なるほど。では、死人が出てないか、点呼を取ろう。じゃあまずオレ、スクワッド、ディータ――――」
ガラス片の散らばった店内をごついブーツで踏みしめながら、ジュノォと呼ばれた護衛役の男がわざとらしく指差し点呼を始める。偽名なのかどうかわからない、どこか滑稽さを帯びた響き。それに、こんな惨事の直後にもかかわらず、彼は驚くべき悠長さだった。
「――――トバル・イッサ、タチマル・コハル、クラシマ・セイジ。……はて、おかしいな。予定より一人多い?」
護衛役の男は、コピー機の脇でへたり込んだままだった自分の相棒を指すと、さも理解できないと、両手で大げさにジェスチャーして見せる。
メカニカルな音が重なり、三丁の銃口が、一人仲間外れにされた護衛役へと向けられる。配送員の二人も、いつの間にか拳銃を手にしていた。
銃を突きつけられた方の護衛役は、状況が全く飲み込めていない動揺っぷりだ。けれども、すぐに手を挙げて抵抗しない意思を返し、それに満悦したジュノォと呼ばれた男が、
「縛っておけ」
部下なのだろうか、配送員に対し捕虜の拘束を指示した。立場関係がよく分からない。
店内に舞い上がった粉塵が、開けられたデカい風穴からの外気で少しずつ晴れてゆく。小声で咳き込む小晴から汗ばんだ手を離すと、一佐は男たちの方に向け起き上がった。
命からがら生き延びて最初の第一声が、間の抜けた仰天の声に変わることになった。
「お、お、おー…………おまえら! あの時の!?」
被っていた帽子がどこかへと飛んでいき、配送員の素顔が露わになっていた。彼らの顔を見て、一佐はようやく思い出したのだ。
「――――よお。あん時はどーも、小僧」
忘れもしない。サクラガーデンに到着したあの日、部屋に踏み入って好き勝手していた連中。自分を誘拐し、消すとまで言ってのけた青年と、図体の大きな男。あの二人組。
「なあ、交通事故の当事者となったなら、被害者救助及び最寄消防署と警察への通報は地球人類の鉄則だぜ? なのに、ほっ放って逃げやがって。ひっでえでやんの」
「やめておけディータ。問題が排除されたのなら、ここからすぐにでも撤収するぞ」
あの無愛想な大男の方が、ディータと呼ばれた細身の青年の軽口をたしなめながら、制圧した護衛役の四肢を粘着テープでコピー機に縛りつけていった。随分と慣れた手つきだ。
「ジュノォ、どうすんのよ、そっちの少年君は」
ディータがジュノォに目配せする。自分ではなく征次のことを言っているのだとすぐわかった。征次は予想だにしなかった事態の急変に、驚愕の表情のまま座り込んでいた。その眉間に、ジュノォが携えたライフルの銃口を突きつける。
「今回は色々とご苦労だったね、クラシマ・セイジ君」
「あ、あんたら……俺を騙した……のか」
「違う違う。オレたちが騙したのは日本の政府だよ。君はたまたま巻き添えになった、無関係で善良な一般市民だ」
拘束された護衛役へとジュノォが視線を促す。彼だけが征次の本来の護衛役で、それ以外の人員は巧みに挿げ変えられていたというトリックを暗に示唆する。
「でも結果として、君まで利用することになってしまった。すまなかったとこの場で謝罪しておこう」
ディータの方が、今度は征次の手首を後ろ手にして縛り始めた。あれほどの騒ぎの後で、抵抗する気力は完全に抜け落ちていたのか、征次は睨み返すだけで相手にされるがままだ。
「……お前ら……ソーサル……」
一佐が、短く呟く。ふとアーチルデットがそう告白したことを思い出した。金を使って、彼らソーサルを、彼女自身の地上での手足として利用したのだと。
ジュノォが、顔半分をすっぽりと覆っていたヘルメットを、バイザーごと脱ぎ捨てた。
「いかにも、オレたちはソーサル」
露わになった彼の素顔は、やや意外なものだった。
くすんだブロンドの長髪。やや掘りの深い、白く端正な顔つき。ただそれはほのかな幼さも備えた、若い青年独特のものだ。アジア人風の特徴しかない他の二人に比べ、より異国の血の色濃さを訴えている。
それにも増して、彼の眼だ。破壊され尽くし、照明の落ちた店内。外から注ぐ陽光を背に、黒いシルエットから彼の表情が一佐の目の前に浮き彫りになる。
ジュノォというソーサルの青年は、随分と可笑しな眼鏡を身につけていた。装飾の施されただけのソリッド感の強調されたフレームには、特別な点など見つけられない。だが、そのレンズ表面に、鋭く尖った、猫の瞳孔を連想させる奇妙な模様が浮かび上がっていた。よくよく見るとそれは
眼鏡越しに、ジュノォの双眸が覗いてこちらをじっと見据える。それに一佐はゾッとさせられた。彼の澄んだ碧い眼球も、眼鏡同様に猫の――否、より獰猛な、豹の視線に似た野獣の眼球がそこにはめ込まれていた。豹の瞳孔が細く筋のように窄まり、獲物を睨めつけるようにこちらの視線を捉える。
明らかに人間のものでない、異形を身に帯びた青年。身振りは穏やかなれど、一佐は彼が恐ろしくなった。
「我々は〈アーティクト〉というソーサルだ。君の友人であるかの女性にはとても世話になったので、こうして直接会いに来たんだ」
この場に宣言するように、豹目のジュノォが優雅な手つきで会釈する。
「さて、挨拶は抜きだ。ビジネスの続きの話をしようかな、日本人のトバル君」
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