黒々と寝静まった海原に突如浮かび上がったのは、自律航行式風力発電システムの無人型移動船群だ。その数、道路側から視認できるだけでも十基、二十基、いやそれ以上。有機照明のほの暗い自然光に照らされたブレード部が、その巨大さに歪な基幹部のフォルムと相まって、どこか幽霊船を思わせる、怪物めいた不気味さを醸し出している。そして背後にそびえ立つ巨大構造物の山脈とおびただしい数の都市光が、続いて視界に入った。

 眼前に広がる洋上実験都市は、この国では〈洋上自治区〉の通称で知られている。

 ここは元は、湾内に建造された国際空港だった。親企業の経営破綻後、売却された空港島跡地を基盤に行われた再開発事業。更に二カ所を埋め立てし建造された居住区画コロニー島と工場区画プラント島、計三つの人工島を連絡シャフトで連結し、湾上に歪んだ巨大三角形を描く完全環境型都市アーコロジー。現在のこの洋上自治区は、国内外からの資本投入と各研究機関を誘致することで再生に命運を賭けた、居住区付きの巨大複合実験施設の側面を持っていた。

 人工造成されたコンクリートの基礎を大地と海底とに向け、無数に突き立てられた立体トラス構造の巨大支柱。一つあたりおよそ六平方キロの人工群島を列島の陸地から離れてなお成立させるための、不気味な背骨と神経系が露出したこの都市のグロテスクな一面を、来訪者たちの視界に向け覗かせている。


            ◆


 本州から洋上自治区居住区画島へと伸びる長大な連絡道路を、一佐らを乗せた車両がひた走っていた。彼を押し込めたバンを先頭に、トラックの車群が隊列をなして洋上自治区の関所ゲートを目指す。連絡道路は陽が完全に落ちたこの時間帯、往来の交通量もまばらだ。

 この地域を訪れるの自体、彼にとって初めての経験だった。歓楽街としても観光地としても面白みに欠ける洋上自治区など、学術的好奇心も原動力にない彼のような若者にとって無縁な場所だったからだ。当然、出入りに要求される諸々の資格要件も公認パスカードも取得していない。それがこんな形を取ってというのも不本意だったが、それよりも途中から、何気ない違和感が意識の片隅にチラ付き始めていた。


「――ねえ、なんかおかしくない?」


 いつしか傍らの座席で眠りに落ちていたかに見えた小晴が、こちらの内心を代弁するように口を開く。彼女が言うように、今では一佐の中でもそれが確信へと変わっていた。

 彼女は「あれ」と指差して一佐にも視線を促す。連絡道路の電光掲示板。そのセグメント表示が、通常のものとは思えない、乱れた状態に変わっているのだ。いくつかは『ただいま調整中』の文字を明滅させ、それが平常であるかのように窓の景色に過ぎ去ってゆく。

 それらと別の、赤い光が視界を過ぎった気がした。ハッとして、闇に落ちた海上に再び視界を移す。時に強く荒れる海風を阻むため道路両壁に立てられた風防が、車内から臨める景観を阻んでいた。侵略者に落書きされた月も、今宵は厚い雲に覆われ肌を晒そうとしない。代わりに、本来はあまり見る機会のない、異質な光景を夜闇に浮かび上がらせた。

 車が、防風壁が再び途切れる区間に入った。そこで一佐は海上の異変に気づく。風力発電船群の基底部周囲を、別の何かが取り囲んでいた。赤く回転しながら点灯を繰り返す、無数の赤色灯。無人稼働する発電システムのメンテナンス業者のものか、でなければ海上保安庁の巡視船か。それも一艘に留まらず、やたらと数が多い。異常部分でも探しているのか、発電船に向けいくつものサーチライトを当てている様は尋常ではないように見えた。


「……ほら小晴さん、あれ。パトランプいっぱい光ってる。あそこで何かあったのかな」


 指差すと、小晴は無遠慮に一佐の上体まで身を乗り出し車外を眺めた。彼女の方は至って真剣な素振りだったが、こんな状況下なのに妙に意識してしまい、翻弄された一佐は顔を思わず逸らしてしまう。未だに小晴は場違いな出で立ちのままで、それすらも彼ら二人にとって、抜け出せない日常が継続しているのを意味していた。


「ほんとだ。警察が海上でもわたしたちの行方を探してるのかな、どうしよう……」


 控えめな声で、呟くように。自分たちを車に押し込めている連中を気にしてのことだ。

 彼女が言うことが仮に事実だとしても、歓迎すべきかどうかわからない。政府も警察も、あるいは身内すらも、周り全てが自分たちを追い立てているようにすら思えたからだ。


「――――いいや、残念ながらそれはないね。何せ、あれはオレたちの仕業だから」


 そこで続けるべき言葉を失い、前を振り向く二人。ジュノォと呼ばれたソーサルの男が、助手席側から後部座席へと唐突に語りかけてきた。


「厳密には、我々〈アーティクト〉の協力者の仕業、と説明した方が正確かな」


 それはさも他人事のようで、ジュノォの口調は悠長さを今も損ねない。

 コンビニでアーティクトと名乗ったソーサルからの襲撃を受けた一佐と小晴。二人はそのまま、政府の手でバリケード封鎖されていたはずの区画内から連れ出されていた。政府側の監視の目を完全に盗んでの、計画的な犯行。想定外の事態だった。

 更に驚かされたのは、マンションで留守を待っていたミィヤまでも彼らが連れて来たという点だ。いかなる手段を用いたのか、あの怪物じみた能力を持つ地球外生命体をいともあっさりと気絶させて、後続するトラックの貨物室に押し込めてきたのだという。

 政府側の人間にまんまと扮していた彼らを、一人知らずに一佐のところまで導く餌の役目だけ果たす結果になった征次は、「すまん、逃げろ」と一言だけ詫びて、ジュノォらに飛びかかった。一佐らを庇っての蛮勇。それも一撃で伸され、もう一名の被害者とともに、あのままコンビニに置き去りにされてしまった。十五時にはきっと発見されるから心配無用だと、ジュノォは常時相手を射止めるような豹目越しに、爽快に笑って返した。


「昼にコンビニで、オレたちがロボットを止めて見せたろう? あの時、既にスイッチが入っていたんだ」


 それまで言葉少なだったジュノォが、意外な口の軽さを披露する。


「あれは予兆。そして今海上に見えているそれも片鱗でしかない。洋上自治区一帯を中心に、交通管制、発送電システム、総合セキュリティ、工場オートメーション、自律機械ドローン統制、金融マネジメント、流通、中央議会。ネットワークを介して機能する、ありとあらゆる制御機構が異常をきたし始めているんだ。――――そういう風に仕組んだ」


 眼前で露わになり始めたこの事態がそうさせているのか、問えば犯行計画の全てを吐露しそうなほどに。


「衛星クラウド網に介入できる、凄腕のネットワーク・クラッカーがこの国に突如出現したのさ。まあ、エイリアンの来訪に比べれば、人類史に名を刻むほど大したニュースじゃない。けれども、社会的影響力の観点からは見過ごせないだろう。受ける損害は甚大だ」


「……………………あんたたち、テロリストなの」


 滅多にない凄味をきかせた低い声を、小晴が投げかける。ただ、相手を刺激しないよう、どこか慎重さも籠もった口振りだ。


「まさか。それは偏見だろう」


 即座に否定する。


「何故なら、誰も死んでない。オレたちがやっているのはただのビジネスだ。我々アーティクトは元より移民居住区ネイバーの便利屋だからね。カネと等価交換できる仕事なら、大抵何だってやってのける。大抵……そう、大抵ね」


 が、鼻で笑うような口調ではない。手口は荒唐無稽で乱暴なのに、真摯に相手の理解を得ようというジュノォの物腰が、逆に気味悪かった。


「だからあの宇宙から来たエイリアンの娘――アーチルデットって言ったか。正体を隠した彼女からの依頼だって請け負ったのさ。途中で突然、逃げられちゃったけど、ね」


「それ、丁度ぼくとチル子が出会った時の話ですよね。あなたの部下であるあの二人組がぼくを誘拐したから、雇い主だったチル子が慌ててぼくを助けに宇宙から日本まで飛んできたって。ソーサルはヤバいから、利用してたけどもう縁を切ったって……そう話してた」


 それを聞いて、ジュノォがクスクス笑いを押し殺し始めた。運転手役のディータがそれに苛立ったのか、舌打ちだけ返す。

 この国に点在するソーサルとは、移民居住区ネイバー内の外国人移民社会を中心に結成された、言わばマフィア集団として認知されている。日本の制度から外れ、自ら線引きし、家族の枠組みよりもネットワークに依存する異質な社会体系に身を置くようになった、血縁難民とも言える集団。親も子もない、エイリアスでの識別名アカウントと、構造体名ストラクチャの下に契られた血盟の誓いによって関係性を築く、第二の社会ソーシャル

 小晴の言うテロリストというのも、あながち誤りではない。時代の流れとともにソーサルの組織力が強まるにつれ、それを連想させる事件も増加傾向にあったからだ。何より、彼らは世界を混沌させた電子内戦の末裔たちでもある。

 アーティクトという集団は、それとは無縁なはずの一佐も耳にしたことがあった。エイリアスを騒がせる程度には規模の大きな組織なのだろう。


「まあ、あの時のこいつは、君をオレのところに連れてくるつもりでいたからね、だからようやくの運命的なご対面と言ったところかな」


 ジュノォはさも滑稽な星の巡りだといった口振りで、軽く膝を叩いて見せる。


「これは、チル子への仕返しなんですか」


「ふむ……オレたちのしていることが、彼女への報復目的だと言いたいのかい? では、一体何の恨みで? 必要な報酬なら、それなりの額を受け取ったあとだからなあ」


「おいおいジュノォ! 身内が世話んなった落とし前つけてもらう、くらい言いやがれよ」

 宇宙人であるという正体が知れた今でも、もう一度彼女からの仕事を請け負ってみたいと、逆に笑って返す。面白そうだし組織の利益にもなるから、と。


「…………あんたたちソーサルって、わたしたちを恨んでるって。嫌ってるって」


「いいや、仕返しなんてするつもりないよ。でも、そう。オレたちは日本人を恨んでるよ。オレ個人が違っても、そういう歴史的背景はできあがってるシロモノ、対立の構図はもう変えようがないんだ。でもね、今のこれはあくまでビジネスだ。アーティクトは、君たち三人を送り届けるよう、さるクライアントから依頼されててね」


 異なる意思により事態が動かされていることを、ジュノォがすんなりと告白する。


「知ってのとおり、オレたちはこれから君たちを洋上自治区の中へと連れて行く。今回のクライアントの意向なんだ。さっき言った凄腕のネット・クラッカーってのも、実はクライアント側の人間らしい。そいつがどこのどいつは知らないけど、現在静かに起こっているこの騒動のお陰で誰にも邪魔されず、非常にスムーズに事が運べてる」


「あの街に行って、ぼくたちはどうなるの?」


「それはクライアントに会ったとき直接聞いてくれよ。これはそういうイベントなんだ。そして立ち会う目的地は……そう――――」


 フロントガラス前方に、料金所と、すっかりできあがっていた渋滞車列の灯りが映る。


「――――正式名称はトリスタン、って言ってたかな。実験区画島のうすらデカい施設だ。そこでクライアントに、君たちの身柄を引き渡す約束になってる」


 一佐にもどことなく聞き覚えのある響きだった。ただこの洋上自治区では、生体農場バイオ・ファームの初期培養プラントから軍需企業の次世代兵器実働試験テストコースに至るまで取り揃えられている。多種多様な実験が年中行われては過去のものとして消えており、彼の言うそれが果たして何を指しているのか見当もつかない。


「どうしてそんな場所にぼくたちやミィヤを連れて行くんですか。関係が全然わからない」


「そうよ。騒ぎに便乗して、みんなおかしなことに巻き込まれてるだけなんじゃないの」


「そう、オレたちにだって展開が読めない。でも、ここまでのことをやってのける力を持ったクライアントが今回動いたってのも純然たる事実だ。テロリストの役目は今回。無碍には扱わない、安心していいですよ」


 ジュノォは豹目を光らせ微笑みながら身を乗り出すと、警戒の視線を崩さない小晴の髪を柔らかに撫でた。


            ◆


 電気仕掛けの車は音もなく減速を始め、閉鎖表示を掲げた作業車レーン側へと入る。洋上自治区内への進入許可が下りる車両は、国の基準によりはじき出された環境性能によって著しく制限されているため、このバンもトラックも彼らがわざわざ手配したものだ。

 空いていた関係者専用の料金所でディータは、システム補修の依頼を受けた業者である旨をマイク越しに伝え、何らかのカードを提示する。走査スキャンも何ら問題なく、関所ゲートを通過し、一行は洋上自治区への潜入を果たした。

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