「遅くなってごめんねミィヤ、お疲れ様――――」


 傍らに眠る彼女に優しく囁くと、青白く輝く少女の輪郭をなしたアーチルデットは、球形の室内を満たす液体の底から浮上し、取り巻きの光学イルカたちを呼び寄せた。


「さてみんな、静止軌道に戻るまでに、もう一仕事終えるわよ!」


 身を翻し、踊るようにかざされるアーチルデットの手。


「まず映像と音声を繋いで頂戴。クラウドナイン経由で、あくまで日本全土に限定してよ。喧嘩を売る相手は間違えないようにね、いい? あと、どこぞの阿呆が都合のイイ誤訳しないよう、五カ国語くらいの翻訳つきで」


 呼応して、幾重に浮かび上がる投影映像。報道、アニメーション、電話通信、監視カメラ、エイリアス。メディアのるつぼ。おびただしい種類の地上映像。横切る雑多なノイズ、反芻されるテクスト。アクアリウムに描き出された光学キャンバスを魚群が迷光し、漏れ出したデータ片が電子の火花を上げる。


「――そうそう、字幕にはとりあえず簡体字も含めとこうか。こっちの許可なしに勝手な真似してやがる誰かさんも、ついでにあぶり出しときたいところだから」


 合図のように手を掲げる。すると、水中を輪切りにして投影されていた映像がみなわに掻き消え、スクリーンがアーチルデット自身を映し出すたった一枚へと集約される。


            


 最初にそれに気づいた人間が誰だったのか、定かではない。

 それは、例えば地下鉄車両内の電子看板デジタルサイネージだったろうか。それとも、ビジネスホテルに転がり込んだ壮年男性がチャンネルを合わせた番組。あるいは、まばらになった街ゆく人々の携帯端末が映し出した、リアルタイム映像に割り込むようにしてだったかもしれない。


『初めまして、日本国民の皆さん。私の名はアーチルデット――――』


 とにかく、長方形に切り出されたあらゆる画面に、〈彼女〉が初めてその姿を現した。地球人類を前に、少女の似姿をした、正体不明の青白い発光体として。


            


 私の名はアーチルデット=エムエニルエートス・ルシオン。エリニッジ星雲系共和連盟機構、通称・星間連盟の太陽系派遣船団に所属し、そして当艦、〈クラーク軌道の姫君プリンセス〉号の艦長を務める、星間航海士です。

 私たちはいわゆる地球外知的生命体、つまりあなた方にとって「宇宙人」と呼べる存在のひとつとなるでしょう。

 私たち星間連盟は、知的生命体の文明間で結ばれた平和的な組織です。そして私たちがこの地球に来たのには、ある一つの目的があります。

 私たちの目的は、この地球の未来が今後、私たち星間連盟とどのような関わり合いを持つことになるのか、その命運を調べることにありました。

 私たちはあなたたちを決して傷つけたりするつもりはありません。また、そのような命令を私は星間連盟より受けていません。

 私たちには、この星の正当な文明のありかたに介入したり阻害する意図はなく、任務はなるだけ誰にも知られないよう、秘密裏に行わせていただきました。そうあることが最も平和的結果を生み出すのだと、私たちの文明でも信じられているからです。

 ですが、それが先ほど損なわれました。

 今現在、私たちが呼びかけているのは地球人類全てに対してではありません。私たちが最初に接触した国家、日本国に対してです。

 日本国政府は、私たちの存在を知り得て、対話の果てに互いに約束されるべきルールを破り、それどころか欲を出しました。

 そして彼らは私たちとの交渉に失敗し、その代償を押しつけるように武力攻撃を行いました。私の個人的な恩人であり、あなたたちの同志・同族であるトバル・イッサとタチマル・コハルという、日本人の少年少女を巻き添えにして、です。

 全く許されざることです。

 これを日本国政府の私たちに対する宣戦布告と見なし――――



『――――これより私たちは、日本国政府に対する報復攻撃を行います』



 その瞬間、地表に這うあらゆる者たちが彼女の言葉に戦慄したかどうか、今となっては定かではない。

 高らかに掲げた腕を前方に指し、アーチルデットが宣言する。

 静止軌道から這い出て、虚空に姿を現した〈クラーク軌道の姫君プリンセス〉号。その天使象胸部に並ぶ全砲門のハッチが開放され、千の光線束が複雑な螺旋に編まれ始める。



「――――――――――――――――――――――――――――ぇいッ!!」



 高エネルギーを帯び放たれた白色光の矢が編み籠形状に分散し、軌道を円弧に反り返らせて、

 彼女が高みより睨んだ惑星とは真逆の方角、太陽へと至る彼方の世界、遥か遠き三十八万キロメートル先の大地。

 そんな星々の渡る闇に迸った挙げ句に――――


 その瞬間、地表に這うあらゆる者たちが彼女の所行に唖然としたかどうかも、今となっては定かではない。

 地上ではなく、月へと放たれるビーム。

 間もなくして、月面に果てなく広がる無辜むこの沃野へと、巨大な傷痕が穿たれた。それは、来訪者・アーチルデットの名の下に。

 この地表からも、青白い輝きと月光冠に縁取られ、その姿はありありと。

 小さな、それは小さな、しかし見事なまでの一筆書きで、愛らしい双子のハートマークを描いていた。

 そう、これはまさに、人類史が無断で塗り替えられた瞬間だ。

 愚かな地球人類どものしでかした行いの代償に、悲しくも月は犠牲になったのだ。

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