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虚空に吹きすさぶ風をもし液体にでも見立てられたならば、これは鳥というよりは、さながらイルカにでもなった気分だった。海中深くの重ったるい海流を鼻先でこじ開け、行く手を流線型の身体で穿つ感覚を連想させる。
一佐と小晴はこの瞬間、確かに空を飛んでいた。さざめく緑が眼下になびいて、低い雲を天に頂き、恐るべき速度でそれらコントラストの境界を羽ばたいてゆく。楽器に張られた弦のごとく地平をまたいだ高圧送電線、立ち並ぶ鉄塔群とを越えて、淡い月明かりに照らし出された夜の世界を舞台に突如始まった、果てなき逃避行の主役に彼らはなっていた。
自身と一体となり、大気を貫いて巡航するこれが果たして何なのか、二人にもよくわからなかった。先ほどまで彼らを追い詰めていたはずの危機を乗り越えさせた、何かしらの奇跡。宇宙船。
一佐には、アーチルデットたちの仕組みが一体全体どうなっているのか、全くもって理解できなかった。ヒトと同じ姿をした宇宙人・アーチルデットは、人工湖の上で膨大な光の奔流に包まれ、彼らが今搭乗しているアンノウンへと突然形を変えた。今度はそのアンノウンの内部に、少女型シンボルの形態をとって出現したかと思えば、ろくな説明もせずコクピットからも消え去ってしまった。そして現在、この機体を制御しているのは彼女ではなく、彼女の助手らしき存在として振る舞ってきた、ミィヤだ。
「あの、ミィヤ……さん? チル子さんはどこに行ってしまったのでしょう? あとはよろしく、なんて言ってたけど……」
恐る恐る唇を動かしてみる。自分の肉体は確かにここに在るのに、それと並列して外の世界にも在るかのような、半身だけ乖離した感覚だ。全能感にも似た高揚が感性を強力に支配し、一佐は不本意ながら鼓動の高鳴りを抑えきれなかった。
『ししょーは現在、所用で当機体から退席中であります。以後はこのミィヤがご案内させていただきますゆえ、よろしくおねがいしますね』
「ええと、ご丁寧にありがとうございます、でも色々とよくわかってないかな」
いわゆる
恐らく彼らをそう錯覚させた元凶である人魚型ボディースーツが、脆弱な人体に牙を剥く重力加速度をねじ伏せようと全身を締めつけ、皮膚に直接微細な補助神経器官の根を下ろして、寄生した宿主と一体であることを訴えかけるように、どくりと脈打っている。
『では、なるだけ要点を噛み砕いて説明を続けますね。ミィヤたちの目下の任務は、あの〈外交官達〉と名乗る組織の追跡圏外へと離脱することにあります』
「逃げるはいいけど、どうする? わたしたち、どこまで行けば安全なのかな?」
元からそういう性格だったのか、この状況にも意外と早く順応して見せた小晴が、一佐の傍らで発言する。
真球状をなすアンノウンのコクピット部は、今は青く澄んだゲル状の流体で満たされており、それに包まれるようにして、人魚然とした姿の二人がその中心に浮かんでいる。四肢を身じろぎさせると、流体がこちらの動きを追随して巧みに避けてゆく。その様がとても不思議で奇妙だ。この現象一つとっても、まさに人知を超えたテクノロジーを体現しており、感嘆の声を上げる以外の反応など思いつかなかった。自分たちはまるでゼリーの中の果物みたいだと言って、小晴と肩を並べて笑った。
『プランはいくつか考えられますね。我々に干渉しないのを保証してくれそうな、第三国への亡命。政治的中立地帯――例えば南極圏への緊急着陸というアイディアもあります。あるいは、いっそのこと成層圏を越えて月へ――』
「つ、月!? ちょーっと待って、それはさすがに無茶苦茶だよっ!」
『ええ、もちろん冗談です。南極にも月にも行くこと自体は可能ですが、ししょーの課せられた使命を考えれば、今あえてそこに向かう必然性なんて全くありません』
「びっくりさせないでよ、もしそうなったら、人類史上最年少の月面到達者とかで、ぼくたちギネスに載っちゃうから!」
「えー、いいじゃん最年少記録。もし月まで行けたならさ、先輩も無職から一躍有名人にステップアップ間違いなしだよ!」
頭を抱えざるを得ない切り返しに抗議すると、小晴は得意げに尾びれで流体を蹴って、コクピットの宙に身を翻して見せた。無数に生み出された気泡がやけにスローモーションの動作で上昇し、流体に投影されていた映像を揺らがせた。
『――おー、それいいわね。じゃあ三人とも宇宙まで上がっておいで――』
突如割り込む、ノイズ混じりの音声。低い声色から、明らかにミィヤのものではない。
「わっ、チル子!? 戻ったの?」
しかし、粗い声が断片的にヘルメット内で響くばかりで、あの少女型のシンボルは視界のどこにも映らなかった。
『――追っかけっこ――ほどほどに――その先――街の灯りから、月――目指して飛びなさい――あたしはそこで待ってる――――』
「え、ごめん、もう一度、何? ……月? ノイズが酷くてよく聞こえないよチル子」
アーチルデットから届けられた継ぎ接ぎのメッセージに割り込むようにして、事務的なミィヤの音声が事態の急変を宣告する。
『――――緊急。所属不明機の接近が確認されました』
唐突に鼓膜を震わせる不快な電子音。介在映像が真っ赤な警告色を発し、俯瞰図に描き出された新しい戦況を一佐たちの視野に直接突きつけた。
『航法測位に参照される衛星コンステレーション種別、接続パターン及び使用ネットワーク帯域から、前回遭遇した追撃機体と同型の
オペレーター然としたミィヤの音声が、淡々と情報を紡ぎ出してゆく。レーダーに似た俯瞰図の上に、明滅する四つの座標点が、それぞれおよそ四十五度と二百七十度あたりの方位より、こちらに進路を向け移動しつつあるのを確認する。
『ロケットマン・シリーズは無人航空機の旧世代のモデルですが、
「それって、何とかなりそうって意味?」
『実際にやってみないとお答えしづらいところです。そもそも地球人の皆さんは、一般的にG―LOCと呼ばれる、血流の偏りに起因した脳へのダメージが、飛行時に深刻な足かせとなります。この中枢層やお二方のボディースーツを形成している粒子――〈
「要するにわたしたち、あなたの足手まといになってるのか……」
「ねえミィヤ、どこかで小晴さんを地上に下ろせないの? せめて彼女だけでも――」
小晴をこんな状況にまで巻き込んだことに負い目を感じ、一佐は苦しげな提案をした。
「いやいや、そう考えるんなら、先輩も一緒に降りなきゃ意味ないってば」
「そんな、でも……」
「いーの。かっこつけなくてもいいよ。だいたい、さっきもわたし、乗りかかった船だって言ったじゃん。それに、なんかね、うまく言えないけど……すごい。いまわたしたちが見て触れているものすべてが全部すごい。夢みたい。なんかね、このひとたちに付いてけば、こんなわけわかんないピンチもうまく収まりそうな気がしてくるもの」
小晴が、どこか恍惚とした色を帯びた声で、心中に渦巻く衝動を一佐に伝えた。アーチルデットの宇宙船と接続された結果、一佐の方はどこか冷静でおっかなびっくりだった一方で、小晴は全てを肯定的に受け止めていたらしく、しばしの興奮に身を任せていた。
『――残念ながらダーリンさんのおっしゃるとおり、地上と空、二手に分かれて逃げるのはあまり得策ではありません。地上に降ろしたダーリンさんを我々がフォローしきれなくなる恐れがありますので』
ヘルメット越しの音声で、ミィヤが冷静に回答した。
「わかったよミィヤ。どこでもいいから向かって。可能な限り、一番安全なプランで」
『あい・さー。それでは、これより近隣の市街地に向け進路を取ります。敵の組織的性質を考慮しますと、都市部上空ではあまり無謀な真似はしてこないはずですので、戦況がこちらに有利に働くものと推測できます』
重力加速度の緩やかな移り変わりを肌で感じる。アンノウンの機体は慎重に旋回を始め、向かうべき新たな活路へと舵を取り直した。
より高まり始める機体の鼓動、叫び。
『それでは、いざ――』
その言葉が合図のように、レーダーが観測範囲内に捕らえた機影を宣告する。少々わざとらしい警告音。斜め後方に六機。当初捕捉していたものより数が増えている。互いの飛行高度はおよそ千フィート。下を過ぎゆく景色に、まばらに都市の灯りが混じり始めた。
追っ手は、一佐たちに配慮した巡航速度をとるアンノウンよりも明らかに速く機体を飛ばせられるようだ。互いの距離はレーダー上でみるみるうちに縮まりつつある。パイロット以外に、機体の大きさの差も要因にあった。それほどまでにアンノウンの全長は大きく、戦闘機と言うよりはまさに宇宙船と呼称するに相応しい風格だったが、今回のケースにおいてその風格が生かされる機会など思いつかない。
『――お客さんに追いつかれます。先行の二機、来ます』
残酷にも一佐たちの視界は、肉薄しつつある
『――戦闘行動開始。操縦権はこちらに。参照データベースはミィヤのスタンドアローンに。〈姫君〉との概念通信接続帯、一時遮断します。三等級フロイト・〈
おびただしい数の介在映像が一佐たちの視野に重なって投影された。彼女らの言語が理解できない一佐にはイメージしか伝わらないが、状況そのものはいたって明快だ。その名が示すとおり、追跡してきた敵機・ロケットマンは、戦闘機と形容するよりは翼の生えた巡航ミサイル然とした造型をしていた。小型軽量な機体を武器に、暴力的なまでに燃える推進力の追い風を受けて、アンノウンの背中を見事なまでに追随している。
『――搭乗者の皆さんは、
ミィヤはアンノウンを軽く左右にバンクさせると、機体を傾けて
「チャフとかフレアとか、そーいう敵の攻撃を防げるアイテム、ないのっ!?」
臓腑がよじれそうな重力変化のさなか、吹っ飛びかねない全身を包み込む流体に支えられながら、一佐は歯を食いしばるように呻いた。
『残念ながらそのような装備はありませんでして。それに、昨日での経験上、撃墜目的での攻撃を受ける危険性は限りなく低いかと』
敵機との距離を規則的な脈打ちに置き換えていた警告音が、耳障りさを更に増した。レーダーが新たな四機を前方に捉える。挟み撃ちだ。
「それは、向こうからは撃ってこなかった、って意味?」
『追跡機体を目視した限りでは、空対空ミサイルどころか、主翼下パイロンや
水平状態からの機体四十五度バンク、斜方上昇宙返り。揚力の波に乗り、背後の追跡者たち二機の虚を突いた急上昇。シャンデルの名を冠する
間髪を入れずに、シャンデルからの逆宙返り、インメルマン・ターン。ロケットマンたちを簡単に振り切ることはできないものの、機体制御アルゴリズムと機動限界性能のギャップを嘲笑うかのように、ミィヤは再び敵機を引き離す。
そんな、水を得た魚のように嬉々と機体を飛ばせるミィヤに、振り回された側の小晴が苦しげな口調で、ふとした疑問を口にした。
「ね、こっちからは反撃しないの? 街の上だと危ないけど、海なら誰も巻き込まず撃墜できるじゃん。追っかけてきてるのって無人機なんでしょ、だったら遠慮する必要は――」
アイディアを口にした小晴に対し、コクピット内に振動するミィヤの音声はすぐさまに、
『――残念ですがダーリンさん、そのご提案は実現不可能かと。ミィヤは武装していません。そもそもミィヤは兵器ではないので』
「……ええっ、そうなのっ!? さっき逃げるか撃墜かって言ってたのに――ミサイルとかレーザービームとか、そういう武器すら付いてないの!?」
ミィヤの思わぬ反応に、小晴を差し置いて声を上げてしまった。
『いーえ、いざとなれば近接戦でこの尻尾を奴らに浴びせてやるくらいの意味でしたゆえ』
「戦闘機相手に物理攻撃って、そんな無茶な! じゃあ、このままぼくらは逃げ惑うしかないってことなの!?」
『逃げるがビクトリー、とはこの国でも有名なハイクの一節です』
「それ俳句じゃないし、ギャグにしてもかなり滑ってるからっ! それにどうせ悪ノリするんなら、目から
『いやー、実際にそのような真似をほかの惑星でやらかして、ししょーはその星の神になりましたので……その、二度目はさすがにちょっと……』
「壁画にでも描かれちゃったのかよっ!」
一佐たちとしては、衝撃的事実の発覚だった。この未確認飛行物体は、実は何の戦闘能力も持っていなかったのだ。アーチルデットたちの持つ未知の技術ならなんとかなるだろうとついその気になっていたのに、突然希望の灯火などないものにされてしまったのだ。眼前にあったはずの勝機が霧散した彼らの行く先は、暗転して手探り状態と化す。
そうして、咄嗟に一佐は思い出した。
「月を目指せ、ってさっきチル子の声が聞こえた。この街の灯りを目印に、上に飛べって。ミィヤ、これってどういう意味なの?」
いつの間にか眼下の景色は、一佐が言うように山間から都市部のものへと変貌している。
『イッサには聞こえたのですか? ししょー側とのネットワーク接続がかなり不安定でしたので、ミィヤにはそのお言葉がはっきりと聞き取れませんでした。それにしても、ししょーの思いついた作戦として、月を目指してどうするのか、狙いがわかりませんね』
「月に何かあるの? あなたたちの秘密基地とか」
『いえ、月には何も。ただ、今回の敵に対して高度を武器にするという作戦なら、確かにこちらに利があるかと』
二人に向け、ミィヤは明快に答える。
『ゆきましょう、このまま月へ!』
「ほ、本当の本当に大丈夫なの? ぼくたち二人込みでもちゃんと辿り着ける?」
『ご安心を、我々の〈
機首が次第に上を向き始める。高度を上げているのだ。機体の傾きに合わせるように、万有引力に従った球状のコクピットが、緩やかに水平軸を変化させてゆく。追って、投影映像群の表示位置までもがこぞって同期する。
『つかまってください、急上昇しますよー』
急激に変化した重力加速度が再び牙を剥いた。ミィヤの言葉に倣うように、一佐らを浮かべる〈天使型〉と呼ばれた流体が硬化し、座席とシートベルトとエアバッグの役割を同時に果たすべく二人を締めつけた。肢体を強く押しつけられ、小晴が言葉にならない呻き声を上げる。ミィヤは背後に背負うようにした夜景の表層をなぞるように螺旋を描いて、垂直角度のまま一気に機体を上昇させると、青白い光輪を何重にも吐いて天頂を目指す。
警戒音。寸分遅れて、撒いたはずのロケットマンたちの機影をレーダーが再び圏内に捉える。同様に六機だ。ロケットマンが次々に集結し、円を描きながらアンノウンを追った。
「うわっ、まだ追って来るよあいつら!? どうすんの?」
背後の状況を伝える介在映像が、一佐の視界に繰り返し投影される。こちらも恐るべき推進力の後押しを得て、音の壁を越え、打ち上げられたロケットよろしく幾層にも大気を貫き、高度をひたすら上昇させている最中だ。おそらくは、一佐たちの肉体が耐えられる、限界近くの速度が出ているだろう。にもかかわらず、追随する敵機との距離は拮抗のバランスを少しずつ狂わせ、みるみるこちらに距離を近づけつつあった。
『――なるほど、これはミィヤも迂闊でした! こちらは相手の燃料が尽きるのを期待していたのですが、彼らの通信パターンから推測するに、どうやら現在こちらを追っている機体は、さっきのとは別働隊みたいですね。交代で別の拠点から出撃してきたのかなあ』
「ええっ、ほんとに!? それって、まずいの?」
『――警告。敵機機首先端部に光学兵器の砲門を確認。武装しています』
「うっそぉぉぉぉぉぉーーーーーッッ!!??」
白煙を残し、螺旋状に編隊飛行しつつ上昇してきたロケットマン別働隊。六機はバンクを始め、円上に解れて散開すると、入り乱れるようにして加速し――――
「ミィヤ逃げてっ――――――――」
光学兵器の一斉掃射が開始された。
厚い雲海に穴を穿ち、ちりぢりに視界を過ぎ去ってゆく夜の大気。紅玉色の閃光が彼らの軌道を横切ると、機体は旋回を繰り返しながらその狭間を縫って、更に高く月を目指す。
介在映像にカウントを刻んで、とめどなく上昇を続ける高度の数値。対流圏から成層圏、中間圏、更に熱圏を目指して、ミィヤの駆る機体は地表を覆う大気の高みを目指してゆく。
『もう、しつこいなあ。ごめんなさい、ミィヤの軌道予測にも限界が……きゃあっ!?』
機体がわずかに脈打ち、推力が乱れ、宙に揺さぶられるのを感じた。〈天使型〉を介して伝達された衝撃に身体が悲鳴を上げ、苦痛に一佐も歯を噛む。
「ぐっ……いてて、ミィヤ、大丈夫……なの?」
アンノウンの機体に異常が起こっていた。投影映像が歪み、形状や色が様々に乱れ始めている。制御がうまくいかなくなったのか、〈天使型〉の感触にもどこか斑を感じる。
『もう最悪! 被弾しました。外装甲破損。一部融解した主翼の再構成、開始します。パーティカの損耗値……うわ、これはちょっとまずいなあ』
「そんもう?? まずいって、ピンチってこと!?」
『はい、先ほどと同クラスのエネルギーを受け続けてしまうと、こちらも機体形状を正常に保つのが困難になります』
一佐はミィヤの言葉から、思わず機体の空中分解を連想し、顔面蒼白になった。こんな高高度では、間違いなく消し炭だ。
と、小晴が急に手を握ってきた。機体異常で、彼女を取り巻き支える〈天使型〉が不安定になったためか、それとも彼女自身の心を落ち着かせるためなのか。
「あいつらはどこまで上がれば追うのを止めてくれるの? あれってロケットじゃなくて飛行機だよね?」
「そっか、そうだよ先輩! 飛行機が飛べないくらいの高度まで逃げられれば勝算があるから、あなたのご主人さまは……」
視界に映し出される光景は、既に一佐たちが日常的に見るものとは思えない、神秘的なまでの惑星の姿を露わにしている。濃紺に暗く落ちる天蓋。蛍光色に揺らめく大気の水色が、地平に弧を描いている。ただプラネタリウムのごとく広がる星々と満月だけが、見知った姿そのままに輝くのみ。分厚い雲の海原は背後に遠く過ぎ去った後で、自分たちが果たしてどこまでの高度に辿り着いたのか、皆目見当もつかない。
『彼らのプログラムがお馬鹿さんでなければ、大気圏を離脱する前に限界高度と判断して引き返してくれるアルゴリズムに設定されてると願いたいのですが――って、わわっ、もう第二射、来ます』
一佐たちを再び射程圏内に捉えた六機のロケットマンたちから、六重に束ねられた赤色光のビームが浴びせられた。リボン状の複雑な軌跡を描く光線。大気の希薄な中間圏上に、光の残滓を置き去りにし、それをかいくぐろうとした機体を横殴りに大きく薙いだ。
機体が強く揺さぶられ、ミィヤの上げた悲鳴が脳裏に響いた。
彼女の生の危機を訴えるためにか、コクピットそのものがどくりと脈動し、その肉芽に埋もれるようにしていた一佐たちまでも締めつける。痛み。自身の呼吸が止まり、苦痛に呻くいとまもなく、弱まるミィヤの息吹を何故だか傍らに感じる。
制御を失った機体は慣性の呪縛に捕らわれ、回転を始める。側部に刻まれた亀裂から体液を撒き散らせ、蒸発させながら、なおもなおも呼ばれた月を目指してミィヤは飛んだ。
それを執拗に追いつめ、超越者たる〈彼女〉が手に入らぬものならばあらゆる全てから簒奪せしめよと、撃墜の意志を砲門に込めた機械仕掛けの殺戮者たち。
遠い、まだ果てしなく遠い満月の青白んだ灯りが、薄まった大気の被膜一枚を抜けるようにして。
『――――――――ししょーーーーーーーーーーーーッッッ!!』
差し出した手を必死に届かせようと、あらんばかりの声でミィヤが泣いた。
遥か三十八万キロメートル彼方、太陽光を受け輝く月面のクレーター地形を頭上に抱き、〈彼女〉に呼応するものの姿が、そこを目指した彼らの眼前に暴かれる。
同じ黒曜石の輝きを宿したシルエット。艦と呼称するのに相応しい円錐形の巨躯、半身に切り出された天使象にも似た全長五百メートルあまりの巨大構造物が、星屑の粒子を帯びた銀翼の幾重を広げ、惑星の軌道を統べるものの意志と偉力を纏い、彼らを天頂より睥睨していた。
百あまりの光束が、転がる毛糸のごとく宙を迸った。瞬く間に薙ぎ払われる殺戮者たち。微塵に分かたれたロケットマンの機体が、橙の炎を上げて流星と化していく一部始終。
消えゆく意識のさなかに、一佐もそれを眺めていた。
自分は天よりもより高い場所にまで辿り着いてしまった。ああ、遂に宇宙まで来たのだ。そんなもの、自分にとっては別段憧れた場所ではなかったけれど、それでも奇跡のさなかにあるのが嬉しくて、とても感動的な気分だ。それに隣には小晴さんがいる。彼女への感情は年齢相応の下心程度のものでしかなかったつもりだったのに、今ならこの感動と喜びを分かち合うため、胸に抱きしめるくらいあってもいいと思った。
そうだ、このあと無事に家まで帰れたなら、家族や征次の奴にもしたり顔で自慢してやろう。でも、その前にマスコミ報道陣からインタビュー攻めにあうかもしれない。
それにしても、何て数奇な物語なのだろう、マンションからバイト先に通う生活を望んだ自分が今、宇宙の大海原にいるだなんて。
知る限り最も鮮明な星々に囲まれているのに強く感動して、そこで一佐は重ったるい瞼に抵抗しなくてもいいことにようやく気がついたのだった。まるで溺れる、夢のように。
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