「――――うえええぇぇぇぇええええぇぇぇぇぇ嘘ぅおぅぅ嘘ッ嘘ッ嘘嘘嘘ちょっとちょっとマジでえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッッッッ!!」


 太陽圏の境界ヘリオポーズを貫き、オールトの雲をも晴らさんばかりの大絶叫である。

 モノトーンとモノフォルムと幾何学的造形で組み上げられた空洞の内部。自然発生的なものではない、明らかに何者かの手によって造型されたこの空間は、澄んだ薄青色の液体でその天蓋までたっぷりと満たされている。ややグロテスクな印象だが、ちょっとした水槽型生命環境アクアリウムを思わせる光景。

 その中心を、ちょうどヒトの少女の輪郭を模した、青白いシルエットがゆらりゆらりと漂っていた。淡い光を帯びた回路図クラゲや半透明の魚群、翼のような皮膜を生やす小さな光学イルカたちが、少女の周囲に編隊をなし、円を描いて複雑に旋回してゆく。

 地球の静止軌道上、高度およそ三万六千キロメートル。内太陽系にまで届く星明かりを拡散反射させる黒い円錐形の構造物が、固体惑星の鈍い引力とコリオリの風を手懐け、規則正しい円軌道に乗っていた。先ほどの絶叫の主が漂っているのは、まさにその内部だ。

 絶叫する発端となった録画済み記録映像が、再び少女の視界に介在して浮かび上がる。水中に断面投影された映像を、電飾クラゲが無粋に横切っていく。オーバーテクノロジー然とした分解能で何度も再現し続けられる、くだんの状況。


「――――もう一度巻き戻してちょうだい、ミィヤ」


 その映像には、かなり幼い顔つきをしたある青年の姿が映し出されていた。少女が言うには、地球人の男の子、だ。


「そう、ほらここッ! このチャラいにーちゃん、今なんつった!? 『消すか、こいつ』とか仰いました? ……何ソレ。『殺す』の迂回表現? 同族殺ししちゃうとか地球人類マジなの? 馬鹿なの? 文明的自殺遂げるの? っていうか未開にもほどがなくって?」


 まくし立てるように吐き出される乱雑な言葉の数々。しかし水中に漂う少女の似姿はその唇を動かさず、言葉はただ鈍く電子的にアクアリウムの構成粒子を振るわせるだけだ。

 水底を蹴って緩やかにクロールする。ぼんやりと光を放つ少女の裸体を、魚群の透過光が描く螺旋があぶくの渦となって覆うと、タイミングを合わせたように方々へと散った。すると、少女が先ほどミィヤと呼びつけたらしき小型の羽根つき光学イルカが寄り添って、舌っ足らずな子供の声で言葉を発した。


『えーと、状況を整理しますね。この地球人の男性型幼生体は、別の成体たちの暴力的脅迫に屈し、権利の自由を剥奪された模様です。彼は長距離移動用の乗り物に無理矢理押し込められると、どこか別の場所へと連れ去られました。以上です、マイ・ロード』


「わかってるけど……ミィヤあんた、マイロードとか、どこでそんな言い回し覚えたのよ」


『てへー、ししょーのマネです』


 へらへらと笑ってみせる光学イルカを無視して、少女は、言いながら実に平和的でない、地球人はなんて野蛮な連中だと内心憤った。


「大体、何でアイツらクライアント様たるこのあたしに無断で勝手な真似してんのよ。こちらが指示した以外の行動は慎し……いえ、違うわ、禁止! 禁止だと伝えなさい」


 用が済んだら勝手に消えてくれるのは、確かにこちらとしても有り難いのだが、膨大な時間を費やして立てた計画を組織の末端に無視されるのは癪だ。何より自分に課せられた使命をまっとうするためには、たとえ小さくともトラブルやアクシデントは御免被りたい。


「あちらとこちらの状況にギャップがあるのなら、先遣探査機プローブ経由で民間ネット網エイリアスの基地局からデコードかけて、連中の通話回線に直で音声ブチこんで。無理ならテキストコールでもいいわ。できる、ミィヤ?」


『あい、地球時間で今から三分前に、およそ二百通りのロジックを元にした五パターンのアプローチを仕掛けましたがアクション失敗しましたあ。あの方々、ケータイ端末の電源切っておられますね、ミィヤ困り果てました、ししょー』


「ぐぬっ」


 少女もさすがに、本来ないはずの眉間に皺を寄せる羽目になった。地球周回軌道上からあの映像の地点まで物理的介入する手段はもはや思いつかない。映像をこちらに送った小型探査機も、与えられた性能を考慮すればターゲットを追跡できる状況下にないからだ。


「――ミィヤ、あの地球人の男の子がこれからどうなるのか教えてちょうだい」


 ミィヤと呼ばれた光学イルカは主の胸元から一旦離れると、尾ひれで低重力下の水槽を蹴っ飛ばしバーティカル・キューピッドの曲技遊泳マヌーバを決め、


『男の子を襲った二人組は、当該地域の法に照らし合わせると犯罪者と呼べる状況でした。彼らの犯行現場を不運にも目撃してしまったあの男の子は、犯罪行為の合理的且つ短絡的な証拠隠滅対象となり、無計画に拉致された。それがさっきの映像の意味するモノです』


「つまり、どうなる?」


『――ばーんぐ! つまり、彼の末路は、死。ええと、この場合は生物学的な死、を意味しますね。彼ら地球人はおおよそ水とタンパク質、脂肪、ミネラルの雑多で繋がりの脆い集合体ですから、物理弾頭の直撃を受ければ機能停止、身体が自力での再生能力を超えた損壊をすると死んじゃいます。これは当該地域の文明では涅槃ネハンとも言いますね。あと――』


「あ、あと……なんじゃらほい?」


 ミィヤの身体からごぼごぼと漏れ出た気泡が不規則な軌跡を描き、回転運動の遠心力でわずかばかり生成された重力を頼りに、ゆっくりとした速度で少女の視界を上昇してゆく。


『あと、このような因果を巡らせた原因は、ししょーにもあります。そこをゆめゆめお忘れなきよう?』


 そんな言葉を間に受けたのだろうか。少女の大宇宙的な意思の傘下に宿る良心らしきものは痛烈なまでの罪悪感に苛まれ、歯ぎしりし、静止軌道上に浮かぶ蒼いプールの底に、彼女は無言でうめくのだった。

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