心音ーホンネー 「来井探偵屋」

高出清幸

『幻想と過去と探偵』

プロローグ


十一月二十七日


 秋口を過ぎ、この街にもやがて強かな冬がやってこようとしていた。

 日が明け暮れするにつれ、街行く人々の羽織る服の数も増えていく。

まだそんなに寒くなっていないはずなのに、防寒を重ねている人々自身が、そもそもこの街の人柄を体現しているのかもしれなかった。

 せっかちで、心配性で、警戒心が強い。

その点に関しては、なるほど確かに、俺自身もそうだと断言しても良さそうだった。

 いつもの道を慣れた感じで通る。何一つ、普段の日常と変わりない。

 ただ一つ違うところがあるとするなら。

 自宅を出てほんの数分歩いたところに、公公園おおやけこうえんという名の公園があるのだが(おそらくがさつでいい加減な奴が命名したのだろう。全くもってふざけた名前の公園だ)、そこには一人の女性が古くて褪せたベンチに腰掛けていた。

 それだけが、普段の日常とは違うところだった。

 全身黒で統一されている。

黒のダッフルコートに黒の細身のジーンズ。遠目から見てもそのスタイルが常人とはかけ離れていることがよくわかる。

短く切り揃えられた髪は、毛先に向かっていくほど軽くウェーブがかかっていた。

 髪色までが黒く染まっているのに、何故か彼女の首もとに巻かれているマフラーだけは、目に眩しいほどの白さを持っていた。

まるで、黒く染まっていく自分に抗っているかのように。


 俺は彼女のことを知っている。いや、知っているなんていう他人行儀な言い方では、彼女に対して失礼だろうか。

一ヶ月ほど前に再会し、会うのこそ何年かぶりだが、一目見ただけで彼女だとわかった。

 彼女とは小学校から高校までまるっきり同じクラスだった。所謂幼なじみだ。

 しかし、別に特別な関係というわけではない。互いに理解し合える、良い距離感の友人だ。


 ゆっくりと歩を進め彼女に近付いていく。敢えてこちらに気付いてもらえるよう、強めに地面を踏み歩く。公園の砂利が夕映えする街並みに、俺の足音を反響させていた。

 彼女が顔を上げる。

目があった瞬間に、彼女は柔らかく、優しく、俺に微笑んでくれた。

 血色の良い唇が静かに動き言葉が漏れる。


「やぁ、来井君。待ってたよ」

「………あぁ」


 ゆっくりと彼女の隣に、俺も腰をおろした。

 日はもう沈みかけていた。


「もう、いいのか?」

「うん、大丈夫。もう全部済ませてあるから。今さら逃げたりもしないよ」

「そうか………」


 確かに彼女が決心していることがわかった。

 それは感覚だけでどうこう言っているわけではない。他の人間には決して真似できないだろうが、俺にはわかった。彼女が嘘をついていないことが。

確かに俺の耳には聞こえていた。その音を聞いて俺もまた、決心がついた。

 葉の落ちかけた木々は寂しそうに佇み、風に揺らされている。ぼんやりとそれを眺めながら、俺の方からしばらく続いていた沈黙を破った。


「この世界は、嘘に侵されすぎてる」

「………まったく、同感だね」

「俺の名前も、嘘でできてるんだ」

「なまえ?」

「あぁ。来っていう字は、らいって読むだろ?lieだよ。下らない駄洒落だけどな」


 彼女の表情が、寒さで歪んでいるような気がした。寒いのだろうか。たしかにさっきよりは冷えてきているような気もする。

 いつまでもこんなところにいるわけにはいかない。早く行くべきところへ行かなければならない。


「それじゃあ、私もだね」

「? どうして」

「礼って、らいとも読むんだよ。だから、私も」

「似た者同士だったんだな、俺たち」

「そうだね。腐れ縁なのかな」


 時間が濃縮されたように感じた。

 口から吐き出した息は、微かにではあるが白く纏まり空に溶けていく。

 つい先刻決心したばかりにも関わらず、彼女の隣にいるとそれさえも忘れてしまいそうな錯覚に陥ってしまう。

この時間を、もう終わらせなければいけなかった。


「じゃあ、行くか」


 黙って彼女は頷いた。


「………自首しに」


 もう一度静かに、しかし確かに、彼女は頷いた。

 空にはひっそりと、一番星が輝き始めていた。



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