お母さんの写真

 玄関の扉が少し荒っぽく閉められる。


「ただいまー」


 ちょっと声のトーンが高い。案の定、飲んできたようだ。


「水でも飲む?」

「うん、お願い。相変わらずいい子ね」


 リビングに入ってきたお母さんに水の入ったコップを渡す。近付いたら酔った大人の匂いがした。

 さてどうするか。撮るなら服を着替える前にしないと。

 覚悟を決めた私は、あらかじめテーブルの上に用意しておいたカメラを手にしてお母さんの前に立つ。


「何それ?」

「撮るよ、母さん」


 フラッシュが光り、パシャリと音がした。


「きゃっ! 何するの、知鳥」


 光をまともに浴びたお母さんが目をしばたたく。


「写真だよ、写真。カメラ借りたの」

「イヤな子ねぇ、こんなとこ撮らなくてもいいでしょ?」

「ごめんごめん」


 できるだけ軽く言いながら、カメラから出てきた写真を見る。借りた時に若子さんから教えてもらったとおり、外付けのフラッシュを焚いたらうまく撮れた。ちゃんと胸元まではっきり写っている。これでカメラの用は済んだし、部屋の隅に置いたカバンの中にしまっておく。これから何が起こるか分からないのだ。


「まぁいいわ。私、着替えてくるし」

「その前にちょっと話があるんだけど」

「何? 後じゃ駄目?」

「今話したいの。そこ座ってよ」


 と、食卓のイスを勧める。


「変なの」


 お母さんが座ったのを確認した上で、写真を手に私も席に着く。


「今日も一日ご苦労様」


 まずはそう言って頭を下げる。


「えぇえぇ、今日も一日疲れたわ」


 軽くため息。


「お母さんがそうやって働いてくれているから、私も安心して学校に通えるんだよね」

「そうよ。だからあなたは勉強を頑張りなさいよ」

「そしていい大学に行く」

「別にいい大学でなくてもいいわ。好きな進路を選べばいいの。何の遠慮もなしにね」

「ありがたいよ」

「その為に私は頑張ってるんだから」


 ちょっとわざとらしく胸を張るお母さん。本当にありがたいと思う。でも私は言わないといけない。


「あのさ、今日私、学校サボったの」

「ええ?」


 水を飲もうとしたお母さんが手を止めて目を丸くした。


「なんでよ。今日は普通に家を出たじゃない」

「その後携帯で学校に電話して、休むって言ったの。そのままぶらぶらほっつき歩いた」

「やめてよ、そんなの。なんでなの? 理由は?」


 テーブルに肘をついたお母さんが、額を手のひらに当てた。


「さぁね、まぁ、いろいろとね」

「勘弁してよ、この大事な時に」

「大事って何かあるの?」

「お母さんにもいろいろとあるの。仕事以外にもね」


 深くため息をつく。眉間に寄った皺が、彼女の年齢を感じさせる。


「大変なんだ」

「大変なの。知鳥、今まで真面目ないい子だったよね? 家事も手伝ってくれるし。私も大分助けられてきた」

「うん、私なりに頑張ったよ」

「なのにあなたは全部を台無しにした。今日のその、気まぐれでね。私の信頼を打ち崩したの」


 疲れた様子で首を振った。


「気まぐれじゃないよ。ちゃんと理由はあるんだから」

「だったら言ってよ。二人だけの親子じゃない」

「二人だけじゃないよ」

「え?」

「お母さんにとっては二人だけかもしれないけど、私には違うんだよ」

「どういう意味?」


 私は微笑みを浮かべたまま答えない。


「どういう意味?」


 お母さんが苛立ったようにもう一度聞く。


「お母さんは変わったよ」


 ため息混じりにそう言う。


「どこが、どう?」

「分からなきゃ、それでもいいよ」


 私は軽く首を振る。


「さっきから何言ってるの?」


 肘をテーブルに付いたまま、頭をかきむしった。セットした髪が乱れてしまう。


「あのさ、お母さんの大事って、私見当が付くよ」

「そうなの?」


 お母さんが急に気まずそうになってイスに座り直した。


「お母さん、そのネックレスきれいだよ」


 私はネックレスに視線を向ける。


「あ、ありがとう。結構いいものなのよ」


 そう言って、金にダイヤモンドがはめられたネックレスを弄った。


「だろうね。あ、この写真。ちょっと手で持ってくれるかな?」


 お母さんにさっき撮った写真を見せる。


「これ? 私の写真?」。

「そう。そしたら全部、分かると思うんだ」

「何なのかさっぱりよ。持てばいいの? これ胸元ばっかりで、顔は切れてしまってるのね」


 お母さんが写真を手に取った。


「これはネックレスを写したんだよ。よく写ってるでしょ? 誰かに買ってもらったの?」

「ええっと……それはね……」


 すると、写真のお母さんの像が揺らいで変わった。

 今とは違う赤い服を着たお母さん。同じ金のネックレスをしている。いいや、ネックレスを着けてもらうところだ。

 着けようとお母さんの後ろから手を回しているのは、お父さんとは違う、知らない男の人だ……。

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