私の写真
若子さんが手渡してきた写真に写っているのは何の変哲もない私の顔。笑ったような驚いたような、ちょっと変な顔かも?
「かわいく撮れたでしょ?」
「さあ? そのままだよね」
「今の笑顔がかわいくて印象的だったからね。今までずっと、ぶすっとしてたし」
ぶすっととか余計なお世話だ。
「ふーん……、写ってる人とかものに対する記憶が写るんだっけ?」
「そうそう、手に持ってる人の記憶が写し出されるの」
「でも何も変わらない」
「じゃあ、キミが持ってみてよ」
写真を渡してきたのでとりあえず受け取るだけ受け取る。
「写ってる本人が持つと、その人自身の思い出が写るんだ。どんなのが写った?」
「私の思い出……」
ふっと、写真に写った私の像が変化した。浮かび上がったのはやたら暗い表情をシケた女。これは……今朝の私だ。
「暗いね」
遠慮なく若子さんが言ってくる。
「こんなしょぼいのが私の思い出なの? むしろ思い出したくない記憶なんだけど」
「写真に写ってるものに関係した、その時頭を占めている記憶が写し出されるんだ。これって、日の当たり具合からして今朝のキミかな? 学校サボったことを気に病んでるから、こうやってサボった時の記憶が写ったのさ」
むぅ……確かにさっきからずっと、私はやましい気持ちに圧し潰されそうになっていた。
「もっとかわいい顔を見てみたいな。ちょっと誘導してみようか」
「誘導?」
「キミのお父さんて、どんな人?」
「え? お父さん?」
そう聞かれた瞬間、また写真の像が変化した。私の隣に別の人影が……。
お父さんだ。私とお父さんが並んで写っていた。
よく憶えている。私が八才の時に動物園に行ったら、すごい雨に打たれたんだ。家族三人びしょ濡れになって、お母さんが作ってくれたお弁当も濡れて。忙しいお父さんが久し振りに遊んでくれたのにそんなことになったから、私はひたすら泣きじゃくって両親を困らせた。両親こそ最悪だ。自分達も酷い目に遭っているのに子供をなだめなくっちゃいけなくて。後から思い返すとすごく申し訳ない。だからよく憶えている。
八才のガン泣きしている私を抱き締めてくれているお父さん。写真には、そんなみっともない場面が写っていた。
「おお、かわいいじゃない」
「見ないでよ、恥ずかしい」
すぐにその写真を裏返したが、若子さんはそれを許さず私の手首をひねってまた表に返した。
「お父さんでしょ? イケメンじゃない」
「でしょ? お父さんは格好いいんだから」
「え? 謙遜なし? どんだけファザコンなのさ」
「あーもー、うるさいなぁ」
若子さんの手をどうにか振り解き、彼女には見えないようにして写真を眺める。
「こんなふうに、相手が思い浮かべる記憶を誘導したら写る画が変わるのさ。無意識に思い浮んだ像も浮かび上がらせるから、イロイロと使い道があるんだよね。どう、すごいでしょ?」
得意げに胸を張る若子さん。
「これって、やっぱり本物なんだ」
「そうだよ。なんだ、信じてなかったの?」
「いや、そうじゃないけどさ、自分の記憶がこうやって写ってるのを見て改めてっていうか」
「そう、自分の大切な思い出が写るから、大抵の人はすぐに信じてくれるんだよね」
なるほど、確かに今写っているのは私にとって大切な思い出だった。
「でもこれ、私の記憶なのに私を正面から見てるよね? 私の見たままが写るんじゃないんだ?」
「あくまで記憶は頭の中で再構成されたイメージだからね。過去のことを思い出す時って、やろうと思えば自分を外側から見たりもできるでしょ?」
実際に自分の頭の中で試してみる。
「うーん? あ、できるね」
「自分の顔は鏡とか写真とかで知ってるしね。元の写真が記憶を呼び起こすきっかけになるから、構図が元の写真と一緒になるわけ。キミを横から撮ったら、同じ場面を横から写した写真ができるよ」
「どういう仕組みなの?」
そんなカメラの存在なんて、今まで聞いたことがなかった。
「知らない」
「いや、自分が使ってるカメラでしょ?」
「でも知らない。私の師匠が使ってたんだよ。フィルムはとある神社から取り寄せてるんだけどね」
「じゃあ、神道とかそういうの?」
「知らない。あんま興味ないんだよね。要はこういうカメラがあって、うまく使えば人が笑顔になれる。それで十分じゃない?」
若子さんが透き通るような微笑みを私に向けてくる。同じ女とはいえ、そんな無防備な笑顔を向けられるとどぎまぎしてしまう。思わず顔を背けてしまった。
とにかく、秘密にしているというわけではなく、本当に興味がなくて知らないみたいだ。そんなんでいいのかな?
でもこの写真は本物だ。手に取った人の、写ってるものに対する一番の記憶が写る。
じゃあ……もしかすると……。
「ねぇ、このカメラだけどさ……ちょっと借りたりできない?」
人にものを頼んだりは本来苦手なんだけど、今はそう言ってられない。
「何に使うの?」
当然、そう聞いてくる。
「うーん、お母さんを、撮りたいの」
「ふーん。じゃあ、私が撮ったげようか?」
「いや、いいよ。私が撮りたいの。だから貸して欲しいの」
「うーん、でもなぁ、このカメラは大切な奴だからなぁ」
若子さんが顔をしかめる。
やっぱり無理か……。でもこのカメラが必要だ。
「ハンバーグ食べたじゃない」
「まぁ、そうだけど。いろいろとわけあり?」
「うん……まぁ、詳しくは言えないんだけど……」
大切なものを借りるのに、こっちは使い道を言わない。心苦しいんだけど、言えない、言いたくない。
「じゃあ、貸してもいいけど、レンタル料十万円な」
ひょいっと手を出してくる。
「えっ! 十万円!」
「写真だけならもっと安いけど、カメラ貸すならそれくらい貰わないと。後、契約書も書いてもらう」
そうなんだ……シビアな現実……。
でも、どうしても借りたい。
「ねぇ、分割払いとかは?」
「分割ねぇ。ただの中学生じゃあ、分割払いは無理だね。収入に対する信用ってもんがないもの」
「うう………」
うなだれてしまう。そもそも私の月三千円のお小遣いじゃ、払うのに何年もかかりそうだ。しょせん無理なのか……。
「嘘だよ」
「え?」
顔を上げると若子さんがにやりと笑っていた。
「一晩だけ、貸したげる」
「いいの!」
「いいさ、知鳥ちゃんはもう友達だからね」
そうか? 友達なのか? いや今はなんでもいいや。
「うん、友達のものだから、大事に使うよ」
「じゃあ、壊さないようにね。名刺渡すし、明日事務所まで持ってきて」
「分かった」
「あ、学校終わった後で来なよ。またサボるのは許さんし」
大きな口を左右に引っ張ったような笑みを見せながら、私に釘を刺してくる。
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