Report.9

泉 仁志



腹減った。とても腹が減った。もう頭は使わない。しばし欲望に忠実になることにする。時計を見るとちょうど昼頃だった。僕の腹時計は中々優秀だということを知った。




あれだ。ミルクコーヒーが飲みたい。コンビニで売っているミルクコーヒーがいい。僕がこの仕事に就く前はコンビニに通っていたため、色々なミルクコーヒーの飲み比べ的なものをしたことがあった。まあそんなくだらないニートの話は置いといて、飯を食べたい。そろそろおじさんがくると思うのだが。

「こんにちは」

聞き慣れないと言えば聞き慣れないが、どこかで聞いたことはある。そんな声だった。異変に気付いた……というより異変しかない。振り向くとあのおじさんではなく、メガネの少女が立っていた。英里と一緒にいたメガネの子かと思ったがメガネの色や髪型が違う。そもそも顔が違う。



英里だった。前に会った時はメガネなど掛けていなかったのだが……。

「驚きました?」

ニコニコしながら彼女は聞いてきた。

「驚いたね。うん」

めんどくさ。

「何その反応。餌あげないぞ〜」

「えっ?弁当?てかミルクコーヒー!」

おじさんが持ってくるのではないのか。何かあったのか。まあグッドタイミングだ。

「え?好きなの?尚更あげなーい」

ニコニコしている。

「あー驚いた驚いた」

「もー」

はい、と優しげに弁当を渡してきた。

「いつもは弁当持ってくるの別の人だったでしょ?あの人夏風邪引いちゃったみたい」

「夏風邪?」

まだ7月に入ったばかりなのだが。

「あの人車の免許持ってるからいつも近くの駐車場で待機してるんだけどさ。最近蒸し暑かったじゃない?」

僕自身はずっとクーラーの効いた遼太郎の部屋で楽園に包まれていたから知らない。

「それでクーラーをつけて何もかけずに寝るのを何日かやったら風邪引いちゃったってさ」

馬鹿だろ……。というか心底興味がない。

「そうなんですか」

「だからしばらく私が監視補佐することになるけど、私は車の免許とか持ってないから基本的に仁志君と一緒に行動するからね〜」

ふふっと彼女は微笑んだ。胸にチクっと痛みが走った。

「よろしくお願いします」

「ん〜……。やっぱ敬語気持ち悪いからタメ口でいいよ」

本当に慣れていないと言う感じだった。

「休憩でーす!」

ステージから大きな声が響いた。






「諸事情によりしばらく監視補佐として同行させていただきます。英里と申します」

彼女はおしとやかに自己紹介をした。 八方美人とはこの事なのだろうか。いや、八方美人なら僕にもそうして欲しい物だ。だが僕にだけ素顔を見せてくれると考えれば悪くは……。何を考えているのだろうか。

遼太郎は僕と彼女を交互に見ていた。そして僕にゆっくりと近づいて耳打ちをした。

「……仁志。お前彼女いたのか」

「は?彼女?」

「え?」

遼太郎は2人の様子を一瞥して嫌らしく口角を上げる。

「お似合いだな」

「そんなんじゃありません!」

僕が口を出す前に英里が動いた。顔が真っ赤だ。

「冗談ですよ」

あははと遼太郎はわざとらしく誤魔化す。ふと視界に劇団員といえばいいのだろうか、遼太郎の同僚が目に入った。遼太郎をまじまじと見ている。周りを見るとその人に限ったことではなく、その場にいるほぼ全員が遼太郎を見つめていた。そこでようやく、僕は英里がヘッドホンを付けていることに気がついた。そりゃ1人で盛り上がる遼太郎は不気味だろう。

その遼太郎は何やら英里に耳打ちしていた。遼太郎の顔は笑顔で溢れている。これが世に言うゲス顔なのだろう。遼太郎が耳打ちを終えると彼女はしばらく微動だにしなかった。しばらくすると、驚いたような表情になり、どんどん頬が紅潮していった。

「とーにーかーく!」

英里は一際大きい声を出した。

「しばらく私も同行します!」

「そ、そうですか」

見かねて僕は声をかけた。

「遼太郎……。そろそろ行かなくていいのか?」

「あ、そうだね。行ってくるわ」

「頑張れよー」





遼太郎が去った後、彼女は黙り込んでしまった。僕は嫌われているのだろうか。遼太郎は色んな人に囲まれている。恐らく1人で盛り上がっていたことを聞かれているのだろう。

気まずい。僕は何もしていない自信がある。何故彼女は黙り込んでいるのだろうか。

「なんかあった?」

控えめに聞いたつもりだ。

「……え?いやなんでもないよ!」

顔を真っ赤にしている。この頃、わかりやすい人間ばかりが僕の周りに集まっている気がする。遼太郎のことを好きにでもなったのだろう。生憎、あいつには彼女がいる。遼太郎も罪な男だ。

「さっき遼太郎と何話してたの?」

先に言っておく。これはなんとなく聞いた。

「……何もないって!」

そう言って彼女は俯いてしまった。何か悪いことを聞いてしまったのだろうか。余計に場の空気が悪くなったように感じた。何も言えず、彼女を見ることも気まずく感じた僕はしばらく目を逸らしていた。すると突然彼女に脇腹を毒突きされた。痛くはないがくすぐったい。それは一回では収まらずに何度も何度も襲い掛かってきた。僕は抵抗することなくしばらくそれを受け続けた。

「それでは始めまーす!」

ステージから再び声が響いた。




***


葉山 英里



それは今朝のお話です。

「英里ちゃあぁぁぁぁん」

上司からの電話を取ると、凄まじい音量の音声が溢れ出して来ました。

「んん……。何ですか朝っぱらから大声出して」

「いやぁそれがさ……。仁志君の補佐が風邪引いちゃってさ……。英里ちゃんしばらく代わりになってくれないかな?」

二つ返事で了承しました。はい。







そっと片耳についたヘッドホンを撫でる。臨時に支給されたそれはどこか懐かしく思えた。

昌平から教えてもらった場所は街はずれの劇場だった。他のことで頭が一杯だった私は何かを感じることもなく扉を開けた。





観客席の中央辺りに仁志は座っていた。目の焦点が謎の方向を向いている。

「こんにちは」

声を掛けると、少し間を開けて振り向いた。仁志は私を誰か思い出せないようで呆然と私を見つめていた。しばらくするとようやく私だという事を理解したようで、納得の表情を浮かべた。

「驚きました?」

胸が騒がしい。

「驚いたね。うん」

仁志は素っ気なく対応する。

「何その反応。餌あげないぞ〜」

「えっ?弁当?てかミルクコーヒー!」

一瞬で対応が変化する。

「え?好きなの?尚更あげなーい」

考えてもいない事を口走る。

「あー驚いた驚いた」

相変わらず素っ気ない。

「もー」

コンビニの癖なのだろうか、渡す時に「はい」と言って差し出した。そして私は仁志の隣に座り、現在の状況を仁志に説明し始めた。

「いつもは弁当持ってくるの別の人だったでしょ?あの人夏風邪引いちゃったみたい」

「夏風邪?」

まだ7月に入ったばかりなのだ。おかしい話と思うのは私も同感だ。

「あの人車の免許持ってるからいつも近くの駐車場で待機してるんだけどさ。最近蒸し暑かったじゃない?」

かく言う私はコンビニで平穏に暮らしていたのだが。

「それでクーラーをつけて何もかけずに寝るのを何日かやったら風邪引いちゃったってさ」

「そうなんですか」

仁志は興味無さげに返答をする。

「だからしばらく私が監視補佐することになるけど、私は車の免許とか持ってないから基本的に仁志君と一緒に行動するからね〜」

自分でそう言って改めてその事態を自覚する。それだけで胸が一際騒がしくなった。

「よろしくお願いします」

「ん〜……。やっぱ敬語気持ち悪いからタメ口でいいよ」

部下という部下が居なかったため、本当に慣れていない。

「休憩でーす!」

ステージから大きな声が響いた。






「諸事情によりしばらく監視補佐として同行させていただきます。英里と申します」

そう言えば監視対象の事を全く聞いていなかった。理由はご想像にお任せする。

監視対象は彼と私を交互に見ていた。そして彼にゆっくりと近づいて何か耳打ちをした。その後、監視対象は2人の様子を一瞥して嫌らしく口角を上げる。

「お似合いだな」

「そんなんじゃありません!」

僕が口を出す前に英里が動いた。顔が真っ赤だ。

「冗談ですよ」

あははと監視対象は誤魔化した。そして監視対象は私に近付いて耳打ちをしようとして何かに気づいにようだった。

「……君ってやっぱり……英里?」

「え?あ、遼太郎……」

遼太郎は私の幼馴染の内の好きではない方だ。

もう一度言う。好きではない方だ。



「何で英里が?」

「遼太郎こそ……。あ、遂に人生踏み外しやがったか……」

「もう戻ってきたし」

「は?でもあんたの彼女……」

この事実を伝えるのは後で良さそうだ。

「なんか言ったか?」

「ん?何も?」

すると、不意に遼太郎の顔は笑顔で溢れ始めた。これが世に言うゲス顔だ。昔からこの顔を見てきた。そして遼太郎が耳打ちを始める。

「お前、仁志に恋してんのか?」

しばらく意味がわからなかった。そして理解した瞬間からどんどん顔が熱くなっていくのを感じた。

「とーにーかーく!」

私は一際大きい声を出した。

「しばらく私も同行します!」

「そ、そうですか」

そこで仁志が声をかけた。

「遼太郎……。そろそろ行かなくていいのか?」

「あ、そうだね。行ってくるわ」

「頑張れよー」





遼太郎が去った後、私は黙り込んでしまった。遼太郎に言われた事を悶々と考えていた。そんな時、仁志は私に尋ねてきた。

「なんかあった?」

何か……。私が仁志を……っと。

「……え?いやなんでもないよ!」

顔が熱い。バレているのではないだろうか。考えれば考えるほど不安が込み上げてくる。ちょっと先ほど話していたことは忘れよう……。

「さっき遼太郎と何話してたの?」

思い出してしまった。

「……何もないって!」

そう言って私は俯いてしまった。

バレる。バレてしまう。

仁志の顔色も伺えない。何も言えない。

何となく脇腹を毒突く。それは昔、遼太郎や初恋の人に悪ふざけでやっていた事だった。今考えると何故やっていたのかよくわからない。遼太郎に毒突いていたのは余計な事を言うからである。それは間違いない。初恋の人にやっていたのは照れ隠しだったのだろうか。今となってはわからない。



私は尚も突き続ける。

「それでは始めまーす!」

ステージから再び声が響いた。



***


海崎 颯人



「遅かったな」

予定の時間通りに来たにも関わらず、昌平はにやけながらそう言い放った。

夜という事もあり、人通りが少ない。そんな閑散とした住宅街の、とある場所に建てられた7階建てのビル。辺りが住宅街と言うだけあってかなり目立っていた。

「今日の仕事はここだ。会長と少し話をしたがわかってもらえそうになくてな」


昌平は割と平和主義だ。


「まあわかってもらえないなら取り返すだけだわな。相手がコピーしてても構わないし……。痛い目に合わせるだけで抑止力にはなるし」

そう言って昌平は嫌そうに頭を掻きむしった。

「箱は持ってきたか?」

俺は内ポケットに手を突っ込み、小さい立方体の物質の存在を確認する。

俺は小さく頷いた。

「……彰さんは?」

彰——池谷 彰はいつものこの手の仕事の時に来る人物の名前だ。 俺と昌平と彰の三人で手っ取り早く終わらせるのが常だった。

「今回は後で合流予定だ。そのうち会えるさ」

昌平は指を鳴らす。

「ま、行きますかね」

昌平はいつものようににやけていた。

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