RUN!!! (2)

 059


 ■第三ライン、3ブロック。


 九鴉は表舞台には向かない。

「はぁっ……はぁっ……」

 人の目について、戦いの最前線に出るなど彼には不相応だ。拳銃で野菜を刻めといってるようなものである。

 彼の体術は確かに地下都市でもトップクラスで、個人の戦闘力だけで見るなら、かなり優秀といえる。

 だが、それはあくまで個人の――で、だ。

 そして、あくまで人の領域で――で、だ。


 全身はボロボロ。服は至る所が破け、擦り切れている。中には受け身を失敗して、壊れてしまった暗殺道具もあるし、下手なことして火傷を負ったり、下等団員につけられた傷もある。いや、何より九鴉の全身は疲労で限界だった。眠気もそうだが、筋肉の疲労。太ももやふくらはぎはまだいい。それよりも問題なのは足首の方で、強い跳躍や疾走は段々と厳しくなっていった。

(骨は疲れたら休むで済まないしな……)

 だからといって、止まるわけにはいかない。

 建造物の屋上を跳び進み、爆発から逃げて行く。

 本来なら彼はもう限界だ。地上だったら、とっくに深夜で真っ暗。昼間から働き通しの九鴉にとっては耐久マラソンをやるよりも困難で、一時でも集中力を欠いたらそのまま倒れて爆発を喰らいそうだ。

「くっ……」

 九鴉に、このような戦いは向かない。

 何故か。

 彼は能力者ではないからだ。

 何故、能力者じゃないとこの戦いには向かないのか。

 何故、表舞台には立てないのか。

 答えは簡単だ。弱いからだ。

(今の僕、少しも長所を生かせてないな)

 能なしは、能力者とマトモにやって勝てるはずがない。

 真っ向から挑んで勝てる場面もあった。大抵の能力者と戦っても、九鴉なら勝てる見込みはあるだろう。

 だが、それは勝てる見込みがあるだけだ。

 何も用意してなかったら――それこそ武器がなかったら――不意をつけなかったら――状況や場合によっては――九鴉は、そこら辺の下等団員相手でも死ぬ。

 殺される。


 それは真理であり、絶対だ。だが、これまで九鴉は数多くの能力者と戦い、勝ってきた。中には、騎士団団員を瞬殺したこともある(彼らは下等団員とは比べほどにならないくらいの実力者だ)――本当に、能なしが無力で、能力者に勝てないのなら、何故彼は能力者に勝つことができたのか。

 これほどまでに、戦って勝つことができたのか。

 ……いや、九鴉が一応能力者だからとか関係ない。

 彼の能力はあってないようなもので、ほとんど能なしに近い。

 何故、彼は勝ってきたのか。


(――気配を殺せない。場所が分からないから探しようもないし、ただ逃げ回るなんて)


 暗殺だ。

 基本、どのような戦いも先手を取れば勝利する。

 先手は襲う時間も、場所も、何もかも自由に選べるが、後手はそうはいかない。いつ襲われるか分からないし、場所も選べない。一番戦力が整ってない時期に襲われるかもしれない。相手が一〇〇%の状態で、こちらは一〇%以下で戦うこともある。少なくても、先手を取る者はそれを狙って攻撃する。

 どんな強大な能力者も、巨大な族に所属していても関係ない。

 九鴉は体術の達人で、さらにいえばどんな困難なセキュリティも突破できる。

 故に、気配を殺し、敵がすやすやと眠っているアジトに忍び入り、誰にも気付かれず殺すことだってできる。

(考えろ。敵はどういう奴か――このままじゃ)

 だから、これまで何とかやってこられた。早々に葬った騎士団員だって、あれはほとんど奇襲に近い。相手が対応する間も与えずに、飛び道具を放つ――人によっては卑怯と罵られる。だが、そうでもしないと九鴉は勝てないのだ。

 彼は、能なしのようなものだから。

(だが、能力者には限界がある。そう、例えば体力だ。能力を使用する際は集中力を使い、中には生命力まで削られる者もいる。そんな大変なものを、何時間にもわたって続けられるはずがない。だから、限界を迎えたときがチャンスだ)

 そのときに、もっと人の集まるとこに行き、囮になるのを続ける。敵が密集していれば、むしろ敵の能力はサービスになる。いつまでも、こんな奴にかまってられない。

 そうだ、攻撃さえ一瞬でも止まれば……


 060


 ■七番街。


 九鴉を襲う能力者達は、楽園教の外にいた。


「ふひぃー……ブー」豚のように鼻が低く、肥えた男。

「……うぅ、あの黒ずくめの男。もう、まいってるんだブー」


 彼は七番街――中心路にあるビルの一室でジュースを飲んでいた。

「ブー……そろそろ限界なんだな」

 彼の前には、大きな鏡がある。

 それは、壁一面を覆うほどの大きな鏡。

「この、タチロウ様の敵じゃないんだな、ブー」

 その鏡には、九鴉の姿が映っていた。


「あなたが仕留めるんじゃないでしょ、クスクス」「クスクス、豚は豚ね」


 男のそばに、一つの椅子に二人で座る少女達がいた。

 ――双子だ。

 彼女等は視界に映る場所を爆破する能力者で――『共鳴者』の二人だ。

 左に座る少女が、サコ。右に座るのが、ウコ。

 二人は共に黒のボブカットヘアーで、二人の違いはサコが左目を眼帯で隠し、ウコは右目を眼帯で隠す、だけ。あとは全くの瓜二つ。

「たまたま、サコ達が七番街に出張してたからよかったけど」「けど、ウコ達があそこにいたらすぐ居場所を特定されていたわね」

 ホント、豚は豚でもこの能力があるから良かったわ。使える豚よ。

 と、双子は言った。

「……ほ、誉めてないんだな。ブー」

 九鴉の予想は大きく外れてはいなかったが――しかし甘かった。

 敵は九鴉のそばにはいない。

 そこは正しい。

 だが、体力切れを狙うのは甘い。

 ブーブ言う、タチロウの能力。

 遠くの景色を鏡に映す能力は、能力者への負担は少なく、長時間使用しているがまだまだ余裕である。

 そして、一番負担が大きい爆破の能力者――双子も、“交代で”やっているため、負担は少ない。とてもじゃないが、九鴉が見積もっている限界より大分余裕がある。(しかも、共鳴者なため普通より疲れにくいし、威力も高い)

「あの男はもう短いわね」「短いわね。もって、あと一時間かしら」

 クスクス。

 クスクス、と双子は微笑する。

「しかも、あの女顔。ブー、妙な行動もするから助かるブー」

 人助け。

 あの恐れ多い三番街の族『V』の九鴉が、瓦礫で死にそうな者を助けているのだ。

 戦いながら、でだ。

 こんな殺しやすい相手、そういるものではない。

「楽園教を敵に回した罪、あがなってもらうブー」

「そうね、倒したらヤスキ大隊長に誉めてもらいましょ」「ましょ、そうしましょ」


 061


 回想。


 スミレは生きて行くために、兄と放浪の旅をしていた。

 それは情報を探り危険な場所から逃げる、というだけではない。

 食い扶持も探さなければならないのだ。

 そのために二人がしたことは、情報を売り買いすること。

 地下都市で流通している通貨の代わりとは食料か機械だが、二人にはそんなものはない。食料なんて自分らので精一杯だし、機械だって放浪の旅では持てるモノは限られている。機械に関しての知識もこのときはほとんどなかった。だから、二人にとって最も重要な貨幣は情報だった。

「……僕らはたまたま知識があった。両親がノザキ邸で働いていたらしいから」

 元々は優れた研究員の子供、だったらしい。

 そのため兄には最低限の知識があった。知識があったからそれを生かして、どうすればいいかも考えることができた。

 では、何もない人達は?


「………」スミレは、兄と手をつなぎながら何度も嫌な光景を見てきた。

 悪い大人に利用される子供の能力者、族同士の争いに巻き込まれた者、または族に参加して意気揚々と殺戮に荷担する者。

 いや、そもそも地下都市を地下都市と認識してる者も少ない。

 知識や知能がない者は今ある現実をただそのままに受け入れるだけ。ここが地下都市であることを知らないし――知ったとしても、それがどうした。と平然と返す。

 だって、比較する記憶なんてない。人類史にいた者が地下都市に行けば、「こんな場所が地下に」「――ここは最悪だ」と思ったかもしれない。だが、地下都市にいる者のほとんどは、それができない。

 比較すべきものがない。そして、大半は明日を考えるより今を考えるだけで精一杯だ。刹那的な行動に身を費やし、愚劣な行いを平気でする。


「………」

 そういう者達は、利用される。

 文字や言葉を使えない者も多く、そういう者達はしょうもない中身の缶をそれ以上の価値があるモノと交換する。缶に書かれてる文字も分からないから。

 平気な顔で誰かを騙す奴がいるから。

「でも、笑顔を忘れちゃいけないよ」

 兄は言った。

 スミレは目を伏せて言う。

「こんなのばっかりじゃ、分からないよ」笑顔なんて、そこまで無理してでも必要なものかと、スミレは言った。

 地下都市で起こる日常。

 そんなものと戦うように、抗うように、笑顔を保たなきゃいけないなんて、地獄のようじゃないかと。

「だけど、笑顔を失ったら本当に何もかも奪われちゃう――」


 兄は絵を描くのが好きだった。

 といっても、道具は限られる。人類史で使われていたような筆やペンもないし、絵の具だってない。それどころか、絵を描く紙すら地下都市では貴重だ。(単純に、紙を生成するところが限られる)

 そのため、地面の上に木の枝や針金で描くという、ひどく子供じみた程度しかできない。

 それでも、兄はヒマさえあれば何かの絵を描いていた。

 

「現実にないからさ」

 何で絵を描くの、とスミレは聞いたことがある。

「現実にないから、少しでも埋めようとするんだ」

 そのとき返されたのが、この言葉だった。


 兄が一番描いてたのは、ヒマワリだ。

「といっても、見たことあるのは写真だけだし。……それさえもうろ覚えなんだけどね」

 絵の中のヒマワリは形がおかしい。

 四角いヒマワリや三角形のヒマワリなど――仕方ない、地下都市で咲く花は限られるし、彼が一度見たヒマワリというのも、写真の中だけだ。

「あの写真はね、太陽に顔を向けるヒマワリがとてもキレイで」

 今でも、あの写真が忘れられないという。

 人類史では、本当に何気ない瞬間だったのだろう。

 それを封じ込めた写真。

 兄が見た写真は、人類史で名高い写真というわけじゃない。写真家もとくに有名じゃない。名もない者が撮った、ささやかな仕事の一つだ。だがそれが、兄の憧憬になった。兄を支える一つになった。

「太陽……」

 兄の描いたヒマワリを元に、スミレは必死に太陽を想像する。

 そして、空を見上げる。

 だが、そこに空はなく、あるのは灰色のコンクリート。無数のライトばかりだ。

「違う」夜のない、いつも真っ昼間なライト。こんなもの、違う。


 ある日、兄が奇妙なものを手に入れた。

「ほらほら、見てみなよ。バードスターっていうんだ!」

 明日の食い扶持も大変だというのに。兄は『バードスター』というヒーローコミックにはまったようだ。

 スミレは呆れ気味にため息をつくと兄に説教する。

「お兄ちゃん、こんなことにうつつを抜かして」

「で、でも、これとても面白そうだよ」

 そのコミックは、楽園教が信者獲得のために用いた道具の一つだ。

 彼らは一度取り込んだら雑なくせに、これでもかこれでもか、と新規の信者を欲する。そのために、コミックが利用されたのだ。広報の道具として。(といっても、内容は必ずしも楽園教に良いとはいえず、すぐに打ち切りになったらしいが)

 スミレも読んだことあるが、そんなにおもしろいとは言えないコミックだった。

 主人公の思考が短絡的すぎて不快だし……。

「バードスター……」

 だが気になったことが一つだけある。

 そこに描かれたバードスターというヒーローは、笑顔だけは良かったのだ。

 アッハッハッハッハッ――と、希望を疑わない笑い声だった。

(それが逆にむかつきもした)

「……むかつく」どことなく、兄と似ているような気がして余計にむかついた。


 062


 ダイチと119204号は、厳粛な石造の建物に入り、身を隠すことにした。

 圧迫感を覚える外観とは違い、内装は大理石を用いて床はライトを反射させて、きらびやかにも見える。

 入り口から続く広間や廊下、各部屋に至るまで狭い土地しかない五番街とは思えないほどの広さで、これらのせいで五番街は狭いんじゃないかと考えさせられる。

 この中を――ダイチと119204号は走っていた。

 足音がカツカツと、テクテクと響き渡る。

「ちょ、速く走って――もう!」「………」

 脱力状態の抱きかかえるように運ぶ、ダイチ。

 二人は逃走で気を急いて忘れているが、けっこううるさく騒いでいる。だが、これを咎める者はどこにもいない。

 いつもならここは上等団員が仕事する場所なのだが、今はこんな状況だ

 。中は人が全くおらず、セキュリティも119204号にとっては布きれをまとった程度のもの。ダイチが猿のような声を上げて頼むと、ムスッとしながら開けてくれた。あっという間に奥へと進み、応接間らしい場所で休むことができた。

 119204号は部屋の中央にあったソファーを部屋の隅に押しやり、ダイチに背を向けて座る。

「………」

 素顔をさらして怯えたうさぎのようだと思っていたら、中身は大して変わってない、ダイチは逆に安心した。

(い、いや、安心してどうする)

 ダイチは悩みながらも、119204号に声をかけてみる。

「ねえ、どうしたんだよ。急にビクビクして。ガスマスクが外れてからさ。そもそも、あの人誰だよ。仲間なのに何できみを襲って」

「………」

 答える気はないようだ。

(……しまった)

 ダイチもダイチで、自分のことばかり先行して聞いてしまった、と反省した。

 動揺してる相手にこれじゃ、答えてくれるはずがない。

(協調性……協調性……)と、呪文のように反芻する。

 彼は彼で、全く現状が分からないから、少しでも情報が知りたかったのだが、良いのか悪いのか彼は反省する冷静さが常にあった。

 機械族はみんな女性なの?

 あの女性は誰?

 きみのお母さん?

 てか、何であの人は怒ってるの?

 どうして、銃口を向けたの?

 というか、機械族って何。あんなに強かったの?

 騎士団っぽい人まで殺してるけど機械族って中立じゃ――

 きみらって、一体何なの?

(聞きたいことは山ほどある……)

 しかも、重要なことはどうしても無遠慮な言い方になってしまう。

 だが、急いてはいけない。相手の気持ちになって考えたら、とてもじゃないが答えられるはずがない。

「ぬー……ぬー……」

 ……どうしたもんかな、と嘆きながら部屋を探索すると、ここで働く者が置き忘れたのだろう。

「あ、ほら、見てみなよ。バードスターがあるぜ。あ、バードスターって知ってる? 楽園教が出したヒーローコミックなんだけど」

 えへへ、と笑いながらダイチは言った。

 最近、バードスターというコミックは再版されているらしい。しかも楽園教とは別に。だから、二狗は新品のようなものを九鴉に渡したし、今もここにある。(ただし誰が再版させているのかは不明だが)

「………」

 119204号は余計に苛ついた顔をした。

「ねえってば。きみは、このコミック知らない? これってさ、あいつの父親が描いたんだけど」

「……ちっ」

 舌打ちされた。

 もう自動的に装着されないガスマスクを両手で縋るように被っているのに、弱々しく見える119204号なのに、まさかここまで露骨に嫌悪感を出されるとは思わなかった。

 ダイチは、しゅんと落ち込む。

「そ、その――ごめん。いや、このコミックはさ。ツバサの……いや、いい。とりあえず、次、どうするか考えないと。落ち着くの待つって手も……いや、ダメか? ツバサのためには、オレも囮にならなきゃいけないんだっけ。それも嫌だけどさ」

 119204号が話し相手にならないので、一人で現状を整理しようとするダイチ。

「……九鴉だって、どうなったか分からないし」

 ちらっ、とダイチは119204号を見る。

「………」

 こちらに背中を向けて、体育座りの119204号。

 自分が見捨てた九鴉の名を聞いても、次にどうするかを聞いても反応しない。

「――なぁ、おい!」

 だが、ダイチが彼女に近寄ろうとすると途端に立ち上がり、クッションを投げつけた」

「え、いや、ちょっと!?」

 どんなに弱々しくなっても、過激な攻撃性は衰えない。

 ダイチが両手を上げて降参ポーズを示しても手当たり次第にものを投げつけた。

「ちょっと! ま、待って! 危ないって――ぎゃあああああああああああああ!」灰皿まで投げてきた。

「な、何すんだよ! 危ないだろ!」

 灰皿は相当な重量があったのか、ダイチのうしろの棚を破壊し、傷をつける。

「あぁぁ……もう、オレ達は使わせてもらってるんだから、あんまり荒らすなよなぁ」

 ダイチは情けない声を出して、渋々散らかった部屋を片付けようとする。

 緊急事態で誰もいないのに、そもそも彼がやったことじゃないのに、無駄に真面目だ。

「……使わせてもらう?」だが、119204号は鼻で笑った。

 別にダイチの真面目さを笑うのではない。だが、使わせてもらう、という発言に感じたものを突いた。

 母と対峙したときのような、震えた声ではない。

「ここは、下等団員や何も知らない信者を騙した富で築いたとこでしょ。だったら、わたし達が使って何が悪いの」

 ダイチは息をつまらせる。

 甘ったるい声のくせに、言ってることは刃のようだ。さらにそれは、ダイチが否定したい発言でもなかった。日頃から彼が、楽園教に抱いている違和感そのものだ。

「……否定はしないよ。多くの人が騙されて存在する場所だ」だが、とダイチは棚の破片を拾いながら言う。「でも、だからって何をしていいわけじゃない。それをしたら、本当に大事なものまで失ってしまう」

 119204号はまた眉間をしかめる。

 タチの悪いことに、ダイチの言動はまるで昔いた兄のようだったからだ。

「ふんっ、あんたは上等団員でしょ。知ってるよ、背中の団員番号の桁数って――」

「でも、愛人の子供だよ?」

 ダイチはほほえみを崩さないで言う。

「確かに、オレは三等団員。この楽園教じゃマシな方だ。でも、オレはエリート階級の家からはじき出された者だ。あいつらに……愛人の子って忌み嫌われてきた」

 ほほえみは、儚くもろそうに見えた。

 それが、彼の全てを語っているようだ。

 119204号は、思わず喉元まで出しかけた言葉をなくす。

(あいつら……)

 忌み嫌われてきた、と言ったときの顔は兄ではなく、むしろ昔の自分のようだった。

 子供狩り――七番街――エトセトラ。兄がいなくなってからの地獄を思い出した。

 だからだろうか。湧き上がるように罪悪感が沸いた。

「……ご、ごめんなさい」

「え?」

 ダイチは目を見開いた。

「きみって、あやまることができたの?」

 まるで、そんなオプションがあったのかと問うような。

 119204号は怒って、また近くにあったものを投げまくった。

「ちょ、しまった。ごめん、怒らないで! つ、つい言っちゃって。もう、かたすの大変だから! ちょ、危ないってば! ぎゃあああああああああああああっ!!」


 閑話休題。


 119204号はガスマスクを片手で押さえながら「はぁっ……はぁっ……」と荒い息をしている。もう一方の手には、小さな観葉植物の鉢をにぎっていた。

「………」

 ダイチは、両手で待ったのポーズ。

「………」

「………」

 アホか。

 二人でふざけすぎたと、119204号はソファーにもどり、ダイチも近くの椅子に座る。

「意外だな」ダイチは不意にクチにした。

 119204号は眉間にしわをよせる。

「……なに?」

 不機嫌そうな声だが、もうダイチを無視する気はないようだ。

(しかし、まだ鉢がにぎられている)

「ごめん。こういうと、きみは気を悪くするだろうけど、……なんて言うかさ。機械族も人間味があるんだなって」

「……人間だし」

 人間なんだから、人間味があって当たり前だろ。

 119204号は若干ふてくされる。

 母には、否定されたが。

「正直さ。今回の件があるまで、オレ、色々と族の見方が変わったよ」

「……どういうこと?」

 要領の得ない話し方だな、と苛つく119204号。

 だが、無視したり話を妨害したりはしない。

「四番街の族・『牙』は荒々しくてすぐキレる奴らだと思ってた。でも、九鴉と対峙してたときから……あれ、こういう奴もいるんだって。あの人、副リーダーだよな。だから、すごい意外だった。参謀役だとはいえさ。牙にもこういう人がいるんだなって」

「………」

 確かに、と119204号も思う。

 てっきりダイチと119204号は、あのときDORAGONが言い逃れをするか。逆に食ってかかると思っていたのだ。

 だが、意外とDORAGONは自分がしたことを認めた。……いや、謝罪する気があるかどうかは不明だが。しかし、言い逃れはしなかった。少なくても、受けとめてはいた。

 そして、納得した上で協力してくれと言った。

 協力したあとなら、何をしてもいいと――自分を殺してもいいと言った。

「九鴉もさ。三番街の『V』って、もう、おっかないイメージがあって。それこそ、人体の一部でもコレクションしてんじゃないかって……思ってたよ。でも、見た目からして違うしな」

 とてもじゃないが、九鴉はそんな危険人物には見えない。

「………」

 いやでも、明るくも見えないじゃん、と119204号は思う。

 彼女は彼女で、釈然としない気持ちがあった。

「あと、機械族に関しても誤解してた」

「………」

 鉢をソファーのわきに置き、ガスマスクを両手で持って、顔を隠しながらもダイチの発言に耳をすます。

「ぶっちゃけるとさ、何考えてるか分からなかったよ」

「………」

 だろうな。

 119204号は驚きはしない。

 年がら年中、ガスマスクをつけてロングコートを着ている奴らだ。怪しい以外言いようがない。自分らだって、機械族になる前は機械族って変だなと思っていた。

「オレ達のことも、他からは似たように思われてんだろうな。いや、薄々は感じてた。この制服着て中心路に行くこともあったし。そのときの視線とかね。……でも、改めて思ったよ」

 処刑されそうになって。

 そして、この日を迎えて。

「………」

 119204号は沈黙する。彼女もダイチと同じだ。多少の感情の重みは違えど、それぞれの族に抱いていたものはダイチと同じだった。

 三番街は残虐非道。

 四番街は野蛮。

 五番街は傲慢で偽善的だと。

 だから、機械族に対するイメージも分かる。むしろ、彼女だって自身の族に対する違和感はあるのだ。

「あぁ、でも、六番街だけはイメージ通りだったな」

 ダイチは明後日の方を見ていう。確かに、と119204号は心の中だけでうなづく。


 063


 ――ダ――ん――ダi――ちゃnっ――ダイちゃん!


 声がした。

 ダイチは聞き慣れた少女の声がして、慌てて辺りを見回す。

 119204号も同じ声を聞いたのか、おっかなびっくりで周囲を警戒した。

 近くには二人以外誰もいなかった。


 ――ダイちゃん!

 それは、頭から聞こえてきた。

 途切れ途切れで、発音もノイズが走ってるかのようだったが、メッセージは伝わる。

「え、あ、まさか!」DORAGONが最初に言っていたことか。

 119204号も初めてじゃないのに、つい戸惑ってしまった。

「ツバサ? おい! ツバサ!」


 ――よかった――聞こえてるんだね――よkった――


 焦っていた声は落ち着き、やわらいでいく。

 その声色に、119204号は(……なるほどね)と感じるが、ツバサとダイチはそれに気付かない。


 あ、いe、よかっtじゃないの! ダイちゃn、そこiスミレちゃんはいる!?


「え、スミレ? 誰だよ、それ」

 絶叫。

「――っ、え、ど、どうしたの?」

 119204号が突然金切り声を上げたので、両耳を痛そうに押さえるダイチ。119204号はひどい仕打ちだと、涙目だ。


 ――あ、g、ごmんなさい! その、つい頭n入ってきちゃって。


「……さいてい」

 うわずった声で、言う119204号。

「え、スミレって、え、本名? あったの? え、じゃぁ、何とか号って名前は」

 続きを聞こうとしたダイチに、ペンを投げつける119204号。

 ひっ、と床に転がってよけるダイチ。


 ――ご、gめんなsい。こんnつもりじゃなくて、iや、そうじゃなくて! 

   お願いgあるんです。九鴉さんを助kてください!


 119204号は即答した。

「嫌」


 ――そんな、お願iです! あの人、今死にそうなんです!


 119204号はガスマスクで顔を隠しながら顔を歪ませる。

「……あんな、あんな……」

 人を殺すことを何とも思わない奴を、助けたくなんてない。

 119204号は、そう言おうとした。


 ――余計なことしないで。そんな奴の助けなんて、いらないから。


 と、今度は別の声がした。

 ツバサの声ではなく、やや野太い――それでいて、女性のように凜としたような中性的な声。

 ……九鴉の声だった。

「え、九鴉。あ、いや、九鴉さん」ダイチは驚きで声を上げる。


 ――彼女の能力、僕の――も聞こえてる?

 ――こっちも、――そっちの――機械族の感情が――伝わってきたけど。


 戦っている最中なのか、聞こえてくる声も途切れ、途切れだ。

「ふんっ」

 心を見透かされたようで、内心、恐怖を感じていたが表向きはそれを出さないようにする119204号。

 九鴉はそれを知ってか知らずか、わざと彼女の琴線にふれるようなことを言う。


 ――奇遇だね。僕も――同じ、だよ。

   きみみたいな、薄汚い――機械族に助けてもらいたくない。


 九鴉はわざと嘲るような声色で語った。

 119204号は、腸が煮えくり返るような感情につつまれる。

「……殺人鬼が」

 意訳、殺人鬼のくせにわたしのことを薄汚いと言ったな?

 目の前にはいない相手なのに、119204号は怒り心頭だ。


 ――九鴉さん

   そんなn、その言葉はあんまりです。


 ――あnまり?

   思考麻薬をbらまく奴らがかい?


 ツバサの声も混じり、会話が交差する。

「思考麻薬?」ダイチは疑問符をつけて聞き返す。

「………」119204号は、沈黙する。


 ――巷に出回ってる思考麻薬は――機械族が原因だ。

   僕の族も奴らのせいで、あんなものに手を染め――

   分かってるのか?

   あれで――どれだけの人が苦しんでるのか。誰が苦しんでるのか。


 怒り。

 全員に伝わる、九鴉の怒り。

 その声と共に、九鴉が見たであろう思考麻薬の被害者の映像も頭に入ってきた。

 シリンダーのない拳銃で、九鴉を殺そうとした少女――母親を、思考麻薬で亡くした少女が映っていた。

 九鴉の怒りは少々理不尽だ。

 確かに思考麻薬を開発し、広めたのは機械族が原因だ。

 しかし、何よりそれに興味を持って買おうとする輩がいないとこれは成立しない。九鴉の族も含めて、買った側は自発的に行った。悪いのは、機械族だけじゃない。

「………」

 だが、119204号は反論しない。

 原因を作ったのは本当だ。機械族は製造方法を各族に教えた。

 本当は規則で勝手にこのようなことをしてはいけないとなっている。

 思考麻薬など、危険な薬物はそう簡単には流通させないのだが、不正にばらまいた奴が機械族にいたのだ。

 母は執行係に命令して彼女等を狩ったものの、それ以上の対応はしなかった。

 中の清浄をしただけで、外の清浄はしない。

 ばらまいたのは機械族だが、ばらまいた先の責任は解決しようとしなかった。

「………」

 これが119204号が機械族に疑問を抱く原因だった。

 いくら何でも、これはダメだろうと。


 兄の姿を思い出してしまう。


 九鴉が見せた光景のように、母親を失った子は多いのかもしれない。

 いや、それだけじゃない。

 自分のように、兄を失った子もいたのかもしれない。

 ……だが、それでも完全には九鴉に屈しなかった。彼、いや、Vに抱く反感だってある。

「た、たしかに、機械族は、ばらまいた。……で、でも、そっちだって」

 119204号の脳内に、思考麻薬を取引したときの映像が浮かぶ。

 そして、それは皆に伝わった。

 三番街の族が、製造方法を知るために他の族を排除して、先に機械族とコンタクトを取ったこと。その一部始終を119204号は見ていたようだ。彼女が浮かべた映像には、二狗や三鹿、四鹿の姿もあった。

 この三人が、敵を皆殺しにした映像もあった。

「……あんた……たちは……」

 歯ぎしりして、憤る119204号。

「人を……殺すことに……」

 何の躊躇いもないの?

 119204号は言った。


 ――ないよ。


 九鴉は平然と言う。


 ――九鴉さん!


 ツバサのの声。

 ダイチも、思わず目を見開いた。


 ――二狗や、三鹿、四鹿。

   僕の族の仲間だね。彼らが殺した奴らも見たことあるよ。『V』はまだできたばか

   りの族だから、いくつか敵対してる族も存在する。『牙』みたいに大きなのだけじ

   ゃなく、小さいのがね。


 その声は落ち着いていた。

 まるで、さざ波も起こらない海のようだ。少しの波紋もなく、暗い闇を広げてただよっている海。

「……最低」

 119204号ははっきりと嫌悪感をあらわす。

 ツバサもダイチも言葉にはしないが、似たような感情を抱いていた。


 ――ははっ、なるほどね。これか、Vのイメージは。


 九鴉は心外だと怒るどころか、不思議とおもしろそうに笑っていた。

 彼の脳裏には、三人が抱いたイメージ――Vのメンバーが殺戮を楽しみ、血まみれで敵を殺していく姿が入って来ている。

 二狗、三鹿、四鹿、五狼、そして九鴉。

 自分も含めた五人が意気揚々と命を弄んでいた。

 九鴉は失笑する。

 それがまた三人の眉を動かす。何、考えてるんだこいつは、と。

 九鴉自身も感じていたのだ。自身の族の危うさに。恐ろしさに。

 おそらく、この中の誰よりも九鴉自身が感じていた。

 だが、彼は言う。


 ――きみらがどう思うがかまわないよ。僕は名十回も何百回も、奴らが敵対してきたら

   殺すよ。バラバラにしてね。

   爪を剥いで、皮をそいで、血も抜き取り、骨を砕いて、肉を削る。


 ――やめて!


 ツバサは、悲鳴のような声を上げる。

 九鴉からはどす黒い感情が伝わってきた。

 人の命を何とも思わない、最低最悪なものが。

「……九鴉さん、あんたは」

 ダイチは困惑と怒りを込めた言葉を吐き出す。

(どうしてだ。さっきまで、あんたは人を助けようとしたじゃないか)

 戦いの最中だというのに、巻き添えを喰らいそうだった人を助けた九鴉。それなのに――と。

「……え?」

 だが、次に伝わってきたのは違った感情だった。


 ――あんな奴らに、何をためらう?


 恐怖。

 九鴉が伝えたものは、その『奴ら』。九鴉が殺してきた奴らのことだ。

 三人は言葉をなくす。

 九鴉が伝えたものは、奴らに対する怒りじゃない。

 九鴉が伝えたものは――恐怖。恐怖だ。まるで、彼の方こそ弱者であるかのようにこれまで殺してきた『奴ら』に恐怖を抱いていた。


 ――奴らは、子供を騙し、子供を戦わせ、使えないと思うと見捨て、必要なら殺した。

   中には犯した奴もいる。

   あんな奴ら、何故生かしておかなくちゃいけない?


 そして、ようやく怒りが湧いて出てきた。

 その感情は熱せられた金属のように危ないものではあったが、とてもストレートな感情だ。純粋なのだ。純粋すぎるが故に、矛先は鋭敏になった。

 九鴉の頭に浮かんできた映像は、おそらく彼自身も受けたであろう非道が映し出されていた。

 裸にされ、暴行された少年少女。

 二日前に優しくされ、二日後には殺しに行けと命令される少年少女。

 斧で腕を切断された――者。

 使えないなら物乞いの真似して稼げと言ったゲス。

 それすらも無理だと知ると、集団で笑いながら子供を――したゴミクズ達。


 ――正当化するつもりはない。確かに、僕らがしてきたことは残虐非道だ。

   だが、じゃあ聞かせてもらおうか。

   どうすれば、よかったんだ?


 皮肉にも、それは九鴉が言われ続けて来たことだった。

 彼だって仲間に疑問を呈したことはある。その度に、彼はこう返された。

「じゃあ、どうすればよかったんだ?」

 二狗や、三鹿。四鹿にも言われたことがある。


 ――女・子供を利用し、殺していく奴らに、どうしろと。


 そして、119204号も言葉をつむぐ。

「機械族は」彼女が言葉を出す前に、頭に浮かんでいたものが全員に伝わった。「その、女・子供の集団だよ」

 遠い場所で、九鴉が絶句してるのが分かる。もちろん、ツバサもだ。

「き、機械族って――」ダイチは、つい二度聞いてしまう。「あ、あぁぁっ……」

 だが、答えを聞く前に合点してしまった。


 何で、いつもガスマスクにロングコートなのか。

 何で、機械の技術を奴らが独占し続けてきたのか。

 何で、どこの味方も敵対もせずに中立派でいるのか。

 さらにいえば、機械族は全員“能力者じゃない。”


 ――能力者じゃない、

   女・子供の集団?


 九鴉からも、驚愕の念が伝わる。

 彼の場合はそれだけじゃなく、能なしに近いから、ある種の共感も感じたが、みんなそれどころじゃなかった。

「……なるほどな」ダイチはまた勝手に納得してしまった。

 あの、大柄な機械族。119204号が、母が言っていたことも、それ故だろう。

 今まで奪われ続けて来た者だからこそ、この地下都市に憎悪を抱いていた。

 地下都市は能力者がたくさんいるため、女性でも肉体の優劣関係なく、男を凌駕する者はたくさんいる。(それこそ、Vは二人も優れた能力者がいる)

 だが、逆をいえば能力者じゃない女性は奪われるだけだ。

 そして、奪われることの恐怖はダイチだって分かる――だからこそ、母が言っていたことも否定できなくなってきた。


 ――っ!!


 九鴉のうわずった声。

 途端に、何も聞こえなくなった。ツバサが何度も呼びかけるが、応答がない。


 ――ダイちゃん――スミレちゃん!


「……だから、呼ぶな」119204号は疲れた声でつぶやく。

 まだ、薄汚い機械族と罵られる方がマシだった。それだけなら、まだマシだった。

 九鴉の視点ものぞけてしまった。

 彼が見せた感情は、奪われた者が起こしたものだ。

 だが、119204号は(だからって)という感情も消えはしない。どんな理由があっても九鴉達がしたことは、憎むべき敵と同じ行為だ。目には目を、暴力には暴力、殺人には殺人、残虐非道な相手にはそれ以上の残虐非道な手で――そんなの、結果的には地下都市の悪夢を増長させてるだけじゃないか。

 だが、知ってしまった。その増長させた理由を、そして増長させた者の感情を。

 皮肉にも、それは自分も持っていたものだった。

「……ぁ……だ」

 ダイチはつい、聞き返してしまう。

「え?」

「……いや……だ……」ガスマスクにすがるように、持っている両手は震える。「やだよ……」

 いずれ、自分もあーなるという恐怖か。

 悲しみか。


 彼女の中で、兄の笑顔がどんどん薄れていく。


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