二人の赤色人種②
「待たせたな」
至極落ち着いた声で雪輝は言う。
「まさか、ああなったお前がこうして追いかけてくるなんて思ってもみなかった」
シールドの奥に覗くエメラルドの目が冷酷に細められた。
「どうやらあの鳥を閉じ込められたようじゃないか。足枷もちゃんとつけたか?」
「雪輝!」
千鶴は冷め切った目をした友人に呼びかけた。
「一緒に戻ろう。陽介も莉々亜も待ってる。だからもうこんなことに手を貸すなよ」
通信回線から、聞き慣れてはいるがいつもとは違う雪輝の嘆息が聞こえた。
「お前は本当に能天気だな。そんなことで解決するかっての。銃口を向けられたのにお人好しだな、まったく」
「……ごめん」
雪輝が不愉快そうに眉をひそめた。
「俺が気付かなきゃいけなかったのに、気付けなかった。ずっと近くにいたのに、俺は結局自分のことばっかりで、雪輝も俺と同じだったことに気付けなかった……」
「だからなんだってんだよ。俺は気づかれないように隠してたんだ。気づかれたところで迷惑なだけだ」
そう言うと、雪輝は笑って続けた。
「むしろお前には感謝してるんだ。お前は赤色人種であることを隠すどころか、無防備にひけらかしていた。お前が堂々と的になってくれていたおかげで、俺は疑われることもなかった。そもそも疑われるようなボロは出さないがな」
「どうしてそうまでしてトロージャン・ホークに手を貸すんだ!」
その問いで、雪輝の目がさらに据わった。
「成り行きだよ。そうせざるを得ない環境だった。あの時助けだされず、目の前にいる大人の力を借りてしか生きることのできなかった俺には、その道しかなかった……。助けられて能天気に生きてきたお前なんかに、とやかく言われることじゃないんだよ!」
千鶴は何も言い返せなかった。それを知ってか、雪輝は嘲笑を湛えた。
「まあ、今更何を呪っても遅い。恨んだところで過去は変わらない。赤色人種にされたことは心底恨んだが、そうしたところでこの遺伝情報が書き換わるわけでもないんだ。それなら、赤色人種であることをとことん楽しもうぜ、千鶴!」
眼前のファルコンがヒト型に変形する。
「雪輝! 何をする気だ!」
「赤色人種にしか乗りこなせない機体なんだ。俺たちが遊んでやらないと可哀想だろ!」
言い切らないうちに、雪輝の操るファルコンが急接近してきた。千鶴も咄嗟にクレインをヒト型に変形させ防御の姿勢をとった。構えた腕は、ファルコンの綺麗な弧を描く蹴りを受け止めた。
「やめるんだ、雪輝! すぐそこまで松波が来てる! 防衛省はもう動き出してるんだ! そっちに勝ち目のある戦いじゃない!」
「勝ち負けなんてどうでもいいんだよ!」
次々に蹴りや突きが繰り出される。千鶴は後退しながらもクレインで受け止めた。
ファルコンの動きは空手のように俊敏でかつ的確に人体の急所に当たる部分を狙ってくるが、それは授業でやった組手の時よりも荒い動きだった。
まるで今の雪輝の精神状態が反映されているようだ。
「自暴自棄になるのはよせ! 動きは全部見えてる!」
「大した余裕だよ」
その雪輝の低い呟きの後、繰り出された回し蹴りに続いて、ファルコンの右腕が間合いの外で不自然に振り上げられた。
「千鶴君、避けて!」
突然莉々亜の声がコックピットに響いた。千鶴は反射的にクレインの体を後方に引いていた。
刹那、何かがすぐ横を通り過ぎたと同時に、大きな衝撃がクレインを揺らした。
「なんだ!」
確実に間合いの外のはずだったが、千鶴は改めてファルコンの装備を見て今の衝撃に納得した。ファルコンの右前腕から、三本の長い
「ファルコンの標準装備よ! 鉤爪は両腕にあるから気を付けて!」
莉々亜の後に陽介の声が続く。
「今ので背中の主翼が破損した。宇宙空間では問題ないけど、バランスだけ気を付けて」
「了解」
こめかみに冷や汗が伝った。雪輝は微笑をもらす。
「やっと俺が本気なのをわかってくれたようだな」
距離をとっていたファルコンが再び急接近し、鉤爪を振り上げた。
「お前もさっさと何か出さないとっ! 腕の一本二本もらっていくぞっ!」
言いながら、雪輝は何度も右腕の鉤爪を振り回した。そのたびに千鶴はぎりぎりで避ける。
避けながらも、千鶴はファルコンの左腕が動いたことを見逃さなかった。不意打ちでファルコンの左腕が振り上げられと同時に、予想通り左腕にも鉤爪が瞬時に生えた。
千鶴はのけぞって避けつつ、間合いが詰まったその瞬間、右足で鉤爪を蹴り飛ばした。
その反動で一瞬ファルコンの背が見えた。主翼の間にスリットのような穴があった。数は二つ。
千鶴はクレインを後退させ、ファルコンに背を向けて加速した。
「どこへ行く、千鶴! 逃げる気か!」
雪輝はすぐに機体を立て直して追ってくる。千鶴は背後のファルコンを気にしながら、雪輝との通信回線をオフにして松波に呼びかけた。
「陽介、ファルコンの構造データを送ってくれ。内部構造が詳しい立体図を頼む」
「了解」
「莉々亜、ファルコンの背中にある穴は何だ? 主翼の間に二つあるだろ」
一瞬見えたスリットのことを聞いていた。
「あれは放熱口よ。人工ROPシステムが稼働すると、その生産エネルギーの多さから機体に熱が溜まるの。それを放散するための穴よ。クレインにもあるわ」
「わかった」
「千鶴。ファルコンの立体図、転送完了したよ」
「了解」
千鶴はファルコンとの通信をオンに戻すと、モニターの隅に映し出されている立体図を一瞥で確認してからクレインを反転させ、迫りくるファルコンに向かって加速させた。
「急にどうした? 気でも変わったか!」
早々にファルコンの鉤爪が振り上げられる。千鶴は腰に装備されていた棒を手に取った。グリップのボタンを押すとシャフトが両方向に伸び、一瞬にして槍となる。その槍で千鶴は鉤爪を受け止めた。
「なんだ、そっちもいい獲物を持ってるじゃないか」
そんな涼しい言葉とは裏腹に、ファルコンの鉤爪にはますます力が入る。千鶴もクレインの腕に力を込めた。
「雪輝、いつまでそんなところにいるつもりなんだ……!」
「そんなところ?」
「いつまで檻の中に入ってるつもりなんだ!」
「はあ?」
雪輝の心底呆れた声が聞こえる。
「檻の中にいたのはお前だろ、千鶴。いつまでもあそこから抜け出せないで怯えていたのはお前じゃないか」
「違う! ずっとあそこに閉じこもっているのは雪輝の方だ。赤い鳥まで籠の中に押し込めて、檻の外に出ようともしない! 外に出るのをあきらめたのは雪輝だ!」
「なんだそれ」
嘆息の後、もう一方の鉤爪が振り上げられた。
千鶴は後方に避けると、間髪入れずにファルコンに再接近し、槍を振り下ろした。雪輝の鉤爪に受け止められるが、千鶴はそのままクレインの推力を上げた。エンジン音が大きくなる。
「どうして外に出ようとしなかったんだ。どうして自由になろうとしなかったんだ! いつだってそこから抜け出せるチャンスはあったじゃないか!」
「お前に何がわかるんだよ……!」
ファルコンの推力も上がり、押し返してくる力が増してゆく。
「能天気に生きてきたくせに、お前に俺の何がわかるんだ!」
「わかってないのは雪輝だ! 自分のこと、何も知らないじゃないか!」
クレインの腕に力をこめた。槍がぎりぎりとファルコンの鉤爪を押し返し始める。
「俺なんかよりずっと頭が良いくせに、どうして抜け出す方法を考えなかったんだよ!」
「俺が何もしなかったわけないだろ……! できなかったんだよ!」
「違うだろ! さっさとあきらめて、やろうとしなかったんじゃないか!」
「黙れ! それならどうしろって言うんだ! どうしたら俺はこんな風にならなくて済んだのか言ってみろよ!」
いまだかつて聞いたことのない雪輝の怒号が響いた。
千鶴は一呼吸置き、目を据えた。
次の瞬間、千鶴は槍を傾けてファルコンの鉤爪を横へ反らすと、ファルコンがぐらついた隙に回し蹴りを入れて背面をとった。そしてがら空きの背中に槍を突き下ろす。
槍は主翼の間の放熱口から突き刺さり、腰まで貫通した。
クレインのモニターのファルコンとの通信画面が黒くなった。ファルコンの主電源が落ち、コックピット内が真っ暗になったのだ。すぐにオレンジ色の予備灯が点灯したようで、薄暗いコックピット内で雪輝は困惑した表情を浮かべた。
「なんだ……! 千鶴、お前何をした!」
「腰にあるメインエンジンを背中の放熱口から貫いたんだ。もうファルコンは動かない」
千鶴は槍を引き抜いて、ファルコンの前に回った。主電源が落ちたファルコンは、緑色の目の光も消えていた。
「雪輝、そこから抜け出す一番簡単な方法をどうして思いつかなかったんだよ」
薄暗い予備灯の中で悔しそうにうつむく雪輝に、千鶴はそっと言った。
「たった一言『助けてほしい』と言ってくれてたら、こうはならなかったんだ……」
やりきれない思いだった。本当はそう打ち明けられなくとも、気付いてやることが友人としての役目だったのだから。薄暗いコックピットの中で、雪輝は肩を震わせた。
「帰ろう、櫻林館へ。今までみたいに、陽介と莉々亜と四人でまた楽しく過ごそう」
千鶴がそう言い終えた時だった。雪輝を映す通信画面が再び真っ暗になった。すると今度は赤色の光がコックピットを浮かび上がらせた。次いで電気系統が息を吹き返してゆく。
「メインエンジンを壊したのに、どういうことだ!」
「千鶴君! 雪輝君が人工ROPシステムを起動したわ!」
「なんだって!」
ファルコンを見ると、機体に刻まれていた白いラインには、まるで血管に血液が流れていくように赤い光の粒が流れ始めていた。その赤い光は、胸の位置に納まっているコックピットから流れ出ているように見える。
「人工ROPシステムは通常時と違う系統で機体を動かすから、理論的にはメインエンジンが壊れていても動くわ。でも今の状態で起動するなんて無謀よ! 放熱口の異常は雪輝君に警告されてるはずなのに!」
莉々亜の声は明らかに切迫していた。
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