邂逅④
巨大な翼を畳んで、千鶴の顔を覗き込むように長い首を降ろした。鳥の大きな赤い瞳に、千鶴の驚いた顔が映る。
「どうやら、ようやく私を受け入れてくれたようだ」
頭の中に、芯のある、それでいて穏やかな男の声が響いてきた。それが目の前の巨大な鳥から発せられるものだということは自然と理解できた。
千鶴は息を飲んで揺らめく光の鳥を見上げていた。
赤い鳥の声がまた響く。
「これまで何度も君との対話を試みたが、そのたびに君は怯えて私を拒絶した。君と私は共に生きる関係にあるというのに」
「共に生きる……?」
反芻して千鶴は眉根を寄せた。赤い鳥は頷く仕草を見せると続けた。
「そう、我々は相利共生の関係にある。だがこれまで君は私を怖れ、共生関係を受け入れようとしなかった。それはなぜだ?」
信じられないとでも言いたげに問いかけてくる鳥に、千鶴は思わず「はぁ?」と間の抜けた声をあげてしまった。
「なぜって、誰だって怖がるだろ! 赤い光はすごく冷たくて寒気がしたし、見た目は炎みたいで怖いし、襲い掛かって俺を乗っ取ろうとした! 今みたいに喋りもしなかったじゃないか! 何なんだ、急に喋りだして……!」
「なるほど、君は私のことを異物と考えていたようだね。共生関係がうまく成立していないと、私のことはそのように感じられるのか。まさか私の声も届いていなかったとは」
鳥は残念そうにうつむく仕草を見せた。人間のような知能と精神を持っていながら、その実体は赤く揺らめく光でできている。
生き物なのかそうでないのかさえよくわからない目の前のそれに、千鶴はこれまでずっと抱いてきた疑問を投げかけた。
「お前は……一体何なんだ?」
「それは私がずっと君に尋ねてほしかった問いだ。喜んで答えよう」
赤い鳥は胸を張るように首をすっとあげた。
「私は火星に生まれた生命体だ」
「か、火星の生命体……!」
千鶴は驚きつつも、疑いの眼差しを向けた。
「火星に生命体がいるなんて聞いたことないぞ! 火星環境の地球化を始める前に徹底的に探して、それでも見つからなかったはずだ」
「君たちの目に見えるものが全てではない。私たちの姿や痕跡はたまたま君たちの目には見えなかった、ただそれだけだ」
理解に苦しむ千鶴に、鳥は「物理的に存在する物質だけが全てではないのだよ」と付け加えた。
「例えば精神的なものは目には見えなくとも、その存在を感じることはできるだろう。嬉しかったり悲しかったりする気持ちは、目には見えなくとも確かにそこにある」
なんとなくわかったような、わからないような。千鶴は鳥を見据え、声を低くした。
「でも俺にはお前が見えてる」
千鶴の言い分に、鳥は少し嬉しそうなそぶりを見せた。
「君がこれまで見ていたのは私の幻影のようなものだ。私の呼びかけによって君が作り出したイメージだったようだが、その像は私にとても酷似していた。それは君が少なからず私を認識できていたからなのだろう。先にも言ったように、私は君の視覚で認識できるものではないのだよ。君が今見ている私こそ、本当の私の姿だ」
「だから、どうして視覚で認識できないはずのお前が今見えてるんだよ」
理解できないでいる千鶴に、鳥は小さく笑う。
「君はまだここがどこだかわかっていないようだ。ここは君の中。君の中に広がる精神世界、そんな表現が一番わかりやすいかもしれない。ここは物理現象を利用して見ている世界ではないのだ」
「俺の精神世界だって? こんなところが?」
どこを見渡しても真っ白な世界だった。こんなに殺風景なところが自分の精神世界だと言われても千鶴は納得できなかったし、本当であれば寂しい気もした。
「ここは私が君から分けてもらった部分で、君の一部でありながら私の住みかなのだ。真っ白で何もないのは、君が無垢であった時代に譲り分けてもらったからだ」
「無垢であった時代……?」
「そう。君はあの時、小さくありながらも無限の可能性を秘め、単純な構造でありながら複雑な仕組みを持ち、それでいて確かな秩序を保っていた。そして無垢な状態だったのだ。その状態で君は火星にやってきた。たった一個の細胞でしかなかった君の中にはとてつもなく広い世界が広がっていたから、私はそこに降り立ったのだ。その影響で君の設計図が少し書き換わってしまったようだが、無垢な君は私を拒むことさえ知らなかったのだろう」
鳥が受精卵のことを言っているのだとうっすら理解できた。
千鶴は自分の髪に手を触れながら尋ねた。
「設計図が書き換わったっていうのは、この赤色のことか?」
「そうだ。君の赤は、私の翼の色でもある」
あっさりと肯定し、鳥は続けた。
「火星はとても素晴らしいところだったが、人間が住みつき始めてから居心地が悪くなってしまってね。新しい住みかに移りたいと思っていたときに、無垢で大きな世界を抱いた君がやってきたのだよ。だから君の中に移り住むことに決めたのだ」
「火星の方が大きいのに?」
「物理的な大きさは私にとって居心地の良さの評価基準ではないのだ。君の中に広がる精神世界は、火星のそれと比べても全く劣らない」
千鶴にはこの鳥のものの見え方がうまく想像できなかったが、言いたいことはなんとなく理解できそうな気がした。
試しに話を合わせるようにこう尋ねた。
「それなら、ここの居心地は?」
「とても素晴らしい! どこまでも広く、突き抜けるように高く、そして自由だ!」
鳥はその巨大な翼を広げた。赤く燃え上がる翼に千鶴は目を丸くした。炎のように揺らめきながら、きらきらと光を放つ。思わず「綺麗だ……」と千鶴は呟いていた。
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