赤い目③
「莉々亜ちゃん、離れて!」
陽介が莉々亜を千鶴から引き離し、奥の茂みに身を隠した。
千鶴は窪地の壁面に足をかけて山肌に飛び乗ると、一見無防備な両手をおろした姿勢で真っ赤な目を細めて敵を見渡した。
赤い鳥はそんな千鶴を取り囲むようににじり寄ってくる。本当はナイフを構えた黒ずくめの集団だが、千鶴の目にはその一人ひとりが炎のような赤い鳥に見えていた。
「来るなら来いよ。一匹残らず消してやる」
低く据わった千鶴の声を合図に、彼らは飛びかかってくる。
千鶴は歩いて向かっていきながら最小限の動作でかわしつつ、彼らの肩や腕に触れていった。たったそれだけで敵は地に転がってゆく。また起き上がって千鶴に向かってゆくが、何度やっても悠然としたさりげない動作で千鶴に弾かれるだけだった。
「あれはまさか!」
陽介が息を飲む中、千鶴は真っ赤な目を鋭く細め、次々と敵をねじ伏せた。
それは穏やかに流れるような動きでありながら、合間に繰り出される突きや蹴りは驚くほど俊敏で、敵もどうして自分たちが地に転げていくのか理解できていないようだった。
「やっぱり、あれはシステマ! どうして千鶴がシステマなんか……!」
目を疑う陽介であったが、千鶴の動きは驚くほどなめらかで隙がない。
不意に千鶴は奥の木陰に目をやった。今向かってきた敵を撫でるように崩すと、千鶴はそちらへ駆け出した。
木陰から銃弾が何発も連射される。しかし千鶴は臆することなく銃弾を避けながら走り、ほんの一瞬で敵の懐に飛び込んだ。
アサルトライフルを構えた敵の手元をひねり上げつつ獲物を奪い、流れるように背後に回って銃身で首を締め上げる。
気を失ったところで手を離し、千鶴は背後から向かって来た別の敵の懐に踏み込んだ。鳩尾を拳で突き、よろめいたところに手刀で気絶させて足払いで地に落とす。
続いて、ナイフを構えて飛びかかってくる敵の腕を撫でるように捻り上げて喉に突きを入れ、後頭部を掴んで地面に叩き落とした。
後ろから狙ってくるまた別の敵には、ナイフをかわしつつ脇腹を突き、裏拳でこめかみを弾いてとどめとする。
それらは一見とても冷静に繰り出される動きのようであったが、千鶴がそうでないことは明白だった。
莉々亜をかばいながら木陰に身をひそめる陽介が身を乗り出した。
「あれだけ動けてるけど、やっぱり発作なんだ! もう限界だ!」
千鶴は最後の一人を地に沈めると、よろめいて胸を押さえた。
苦痛に顔を歪めながら膝をついたが、千鶴の真上の木の茂みが僅かに揺れた。
「千鶴、上!」
同時に陽介は発砲するが、黒い塊はそれを避けつつ千鶴の背後に静かに飛び降り、千鶴の首にワイヤーが回された。
千鶴は咄嗟の間に腕でガードして絞殺されるのを回避したものの、容赦なく締め上げてくるワイヤーは腕と首に食い込み、千鶴は赤い目を細めて歯を食いしばった。
「千鶴君!」
「わああああっ!」
莉々亜の呼びかけを遮るように絶叫すると、千鶴は小柄な敵を後ろの木に叩きつけてから背負い投げで投げ飛ばした。
立ち上がるもふらついている敵の頭を正面から鷲掴みにし、木の幹に後頭部を数度打ち付けた。
「いつまで俺の前に現れる気だ! 俺がお前に何をした!」
そして地面に崩れた敵の顔面を再び鷲掴みにし、後頭部を地面押し付けた。
黒い覆面をしているので顔は見えないが、その手は千鶴の手を剥ぎ取ろうと必死にもがいていた。しかし千鶴は気にも留めず、その手にさらに力を入れる。
千鶴は真っ赤な目を見開いて叫んだ。
「お前なんかに乗っ取られてたまるか! 俺の中からさっさと出ていけ! 早く、早く出ていけよ! 出ていけっ――!」
いつしか敵の後頭部を何度も地面に叩きつけていた。千鶴は肩で息をするまでに呼吸を乱していたが、それでも一心不乱に叫び続けていた。
「消えろ、消えろよっ、出ていけえええぇぇっ!」
ついに苦しくなって千鶴が胸を押さえた時だった。
「千鶴、後ろだ!」
千鶴が迫りくる気配に振り返った瞬間、強烈な衝撃が額に鈍く響いた。
「――っ!」
一瞬思考が飛んだ後、霧が晴れたように意識がクリアになった。
しかし明瞭になる意識と共に痛みも鮮明になり、千鶴は額を押さえて声もなくうずくまった。
「いったぁーっ! 千鶴の石頭! おでこ割れるかと思った!」
「それはこっちのセリフだ、陽介……」
千鶴が額を押さえながらやっと顔を上げると、陽介も涙目で自分の額を押さえていた。
それでようやく千鶴は幻覚症状に襲われていたことに気が付いた。
ふと気づくと小柄な敵の上に馬乗りになっている。千鶴は慌てて飛び退いて構えの姿勢を作ったが、すでに敵はぐったりとしていた。
息を飲んで見回すと、周囲にはいつの間にか黒ずくめの敵が全て倒れている。自分がやったのだろうと容易に推測できた。
幼馴染の陽介は千鶴のこういった発作に何度か居合わせたことがある。そこで陽介が編み出した方法が頭突きであった。これが意外と効果があり、千鶴は正気を取り戻すことができた。
本当はもう少しお手柔らかに願いたいものだったが、文句を言うわけにもいかなかった。
「千鶴」
「はい……」
気まずく返事をして振り返ると、陽介はずいと千鶴の顔を覗き込んできた。
「うん、もう大丈夫だね。目は綺麗なエメラルドだ」
「……助かった。ありがとう」
千鶴は陽介からいつの間にか落としていたハンドガンを受け取ると、大きなため息をついた。発作の名残で体には倦怠感が残っている。駆け寄ってきた莉々亜が心配そうに立ちすくんだ。
「千鶴君、大丈夫……?」
千鶴は「ああ、大丈夫」と苦笑するしかなかったが、不安そうな莉々亜の顔を見るとそれさえ無駄に思えた。
「ねえ、千鶴」
珍しい陽介の低い声に千鶴は振り向いた。真顔の陽介が怪訝に眉をひそめる。
「システマなんていつどこで覚えたの? 昔、少しだけ発作の時に千鶴がそれらしき動きをしてるのを見たことがあったけど、さっきのでシステマだって確信したよ」
「システマ……? なんだそれ?」
「まさか、あれだけ動けてるのに知らないの? システマは合気道に似たロシアの武術、世界中の軍や機関で採用されてる暗殺術を備えた近接格闘術だ。さっきの千鶴の動きは完全にシステマだった。葉山家では教えてない。……いつ習ったの?」
千鶴は陽介の問いをそっくりそのまま自問するしかなかった。けれど自分の中の触れてはいけない部分に触れてしまいそうな気がして、千鶴は頭を押さえて目を閉じた。
「わからない……。今はうまく頭が回らないんだ」
思考の奥で何かが疼く。
それに触れてしまわないように千鶴は大きく頭を振ってから目を開けた。深呼吸をしてみたが、それはまるでため息だった。
視線に気づいて顔を上げると、莉々亜が不安そうにこちらを見ている。
「怖かっただろ。ごめんな」
一番見られたくなかったところ見られ、笑う余裕もなく千鶴は莉々亜から顔を反らすしかなかった。
陽介は煮え切らない様子であったが、肩で小さく吐息をついて切り替えたようだった。腰に手を当て、千鶴の足元に転がる敵に視線を落とす。
「さすがにまずいと思って止めたけど、生きてるかな?」
黒い覆面の顔を覗き込み、陽介が言う。
「まさか、俺……撃ったのか?」
「いや、武器は使ってないよ。でも顔面鷲掴みにして思いっきり後頭部を叩きつけてたから、死んじゃったかも」
さらりと恐ろしいことを言ってくれる。
陽介が小型の懐中電灯で照らしながら敵の覆面に手をかけるのを、千鶴は恐る恐る覗き込んだ。
覆面が剥ぎ取られる。
そこに現れた敵の素顔を目の当たりにして、千鶴は息をのんだ。陽介や莉々亜さえも言葉を失っている。
「赤色人種……」
千鶴はようやくその一言を呟いた。
ウエーブのかかった真っ赤な髪。呼吸はしているようだが、気絶して力の抜けてた顔はかなり幼く、千鶴らより年下であるのは明らかだった。まだ初等学生くらいだろう。半開きの瞼の隙間からはエメラルドの瞳がわずかに覗いている。
しかし驚くべきところは、それだけではなかった。
「ねえ、どういうことなの……?」
莉々亜が口元に手を当てて、その疑問を口にした。
「どうして雪輝君とこんなにそっくりなの!」
莉々亜の言う通り、まるで雪輝をそのまま幼くした姿だった。髪は短く色も違うが、分け目やウエーブのかかり方は同じように思える。すっと伸びた鼻筋や整った唇は、高貴な顔立ちの雪輝と瓜二つであった。
千鶴と莉々亜が立ち尽くしている間に、陽介は他の者たちの覆面も順に剥ぎ取った。
「全部同じ顔だ……」
陽介が青ざめて呟いた。
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