赤い目②
千鶴はバイクを急発進させると、一気に速度を上げた。後ろにはぴたりと陽介がついてくる。
加速を続けるものの、坂の多い山道では思うようにスピードを上げられない。千鶴は出せる限りの速度で櫻林館に続く一本道を目指した。
しかしこのバイクは軍用バイクではない。スピードもそれほど出なければエンジン音も惜しげもなく鳴り響いている。
無線を通して発砲音が聞こえた。陽介が撃ったようだ。
「陽介、大丈夫か!」
「まだ大丈夫だけど、もうちょっとスピード上がらない?」
「限界だ。莉々亜が落ちる!」
カーブの連続する道に差し掛かった。莉々亜がしっかりつかまっていてくれることを信じ、限界までスピードを維持しつつ千鶴は車体を倒した。胴に回された莉々亜の腕にさらに力が入ったのがわかった。
カーブが終わってしばらく直線に入る。速度を上げながら、千鶴は莉々亜の背をぽんぽんと叩いた。莉々亜が不安げな顔を上げる。
「大丈夫だから、任せといて」
その言葉が莉々亜の耳に届いたかはわからないが、千鶴が笑顔で莉々亜を一瞥すると、莉々亜は力強く頷いて再び千鶴にしがみついた。
莉々亜の背に回していた手をハンドルに戻し、千鶴は無線に問いかけた。
「陽介、距離は保ててるか?」
「詰まってきてる。あっちも軍用バイクみたいだから、そろそろ危ないかも」
陽介がそう言ったそばから、背後からの銃弾が千鶴のバイクのミラーを弾き飛ばした。
千鶴は舌打ちをして背中のハンドガンに手を伸ばした。
「陽介、避けろ!」
後ろを向いた一瞬、陽介が避けるのと同時に千鶴は二発発砲した。そのうちの一発が軍用バイクから身を乗り出していた狙撃手のアサルトライフルを弾き飛ばす。
千鶴はハンドガンをすぐにジーンズの背に押し込み、バイクの操縦に注意を戻した。
「さすが千鶴! 怖いくらいの動体視力だ」
そのような陽介の声が耳元から聞こえるが、千鶴は何も返さなかった。返せなかった。こうしている間にも、千鶴の中を蝕む冷たい炎は勢いを増している。酷い悪寒で鳥肌は治まらない。
そんな中でも、千鶴は歯を食いしばり高速で走るバイクの制御に努めた。加えて攻撃からの回避と応戦。必ずやり遂げなければならないのは、莉々亜を守り抜くこと。
だが櫻林館までは逃げきれそうにはなかった。体調や操縦技術の問題ではない。バイクの性能の問題だった。
千鶴は無線に告げた。
「相手は軍用バイク三台。それぞれに操縦者と狙撃手が一人ずつ。狙撃手はアサルトライフル一丁ずつと、腰にハンドガンが見えた。さっきアサルトライフルを弾き飛ばしたやつはハンドガンに持ち替えてるはずだ。操縦者もハンドガンを持っている可能性が高い。一番奥のバイクの狙撃手だけサブマシンガンを装備してるけど、銃の扱いや操縦技術は未熟そうだからたいした問題じゃない。全員陽介より小柄だ。接近戦になれば余裕のはずだ」
先ほど発砲した一瞬で見抜いたことを千鶴は陽介に伝えた。
普段はここまで見えないが、幻覚症状の兆候が出ている時は色々なものが見えるようになる。視覚だけでなく、あらゆる感覚が鋭敏に研ぎ澄まされるのだ。
「千鶴、もうすぐ左側にトレッキング用の山道が見えてくるはずだ。急な下り坂でほとんど崖だからバイクは無理だけど、森の中に入れるから莉々亜ちゃんも身を隠せるはずだ。接近戦にも持ち込める」
「了解」
同意したところで、すぐに道路の脇にトレッキングの案内板が見えた。
千鶴はブレーキをかけながらバイクを急反転させた。摩擦でタイヤが焦げたようだったが、千鶴は構いもせず莉々亜を抱きかかえ、バイクを捨てて山の斜面に身を投じた。
すると、背後が突然明るくなった。多分陽介の閃光弾だ。
「お待たせ! 今のうちに身を隠そう!」
今まさに斜面を滑り降りてきた陽介と合流し、千鶴は夜の森の奥へ走った。
ある程度奥まで行くと、身を隠すのに丁度良い窪地があった。陽介と共にそこへ身を隠し、抱きかかえていた莉々亜を降ろす。陽介が窪地から少しだけ頭を出して車道方面を警戒しているので、千鶴もその隣に屈んだ。
陽介はゴーグルの端のボタンで視野の拡大倍率を変えながら声を殺して言った。
「閃光弾が効いたかな。まだこっちに向かってくる様子はないね」
「このまま帰ってくれれば助かるんだけどな」
「多分それはないね」
陽介は道路方面を注意したまま即答した。
「狙われているのは千鶴と莉々亜ちゃんだ。やつらの目的は千鶴を消すことと莉々亜ちゃんの拉致らしい」
「俺と莉々亜が! どうして?」
「それはわからない。匿名でのリークだったから。発信元を解析してる暇はなかった」
思わぬ状況に千鶴は生唾を飲み込んだ。自分が殺されるようなことをした覚えもなければ、莉々亜が拉致される理由もわからない。
だが先ほどから攻撃がぬるい理由がわかった。拉致するために莉々亜を巻き添えで殺さないようにしていたのだ。
「千鶴君、ごめんなさい。私のせいだわ……」
後ろから莉々亜の震える声が聞こえた。振り返ると、しゃがんでいる莉々亜は両腕で自分の体を抱きしめるように身を縮めていた。
「どうして莉々亜が……」
そう聞きかけたが、千鶴はやめた。今は別の問いが優先だ。
「莉々亜、相手がどういうやつらかわかる?」
莉々亜は首を横に振った。
「それは本当にわからないの。まさかこんなことになるなんて……。ごめんなさい」
掻き消えてしまいそうな小さな声だった。千鶴は羽織っていたパーカーを脱いで、莉々亜の肩にかけてやった。
そしてゴーグルを外してなんとか笑ってみせた。
「俺と陽介でなんとかしてみせるから、大丈夫大丈夫」
そう言った時だった。
「来た!」
陽介が張りつめた声を発した。
千鶴は陽介のそばに戻り、腰のハンドガンを手に取った。陽介は窪地の上にある茂みの隙間からアサルトライフルを構える。
千鶴もその隣から覗くと、人影らしきものが木陰に隠れるのが見えた。あちらも警戒しているようだ。
木陰から一人顔を覗かせた。覆面に暗視ゴーグルをつけている。
こちらもゴーグルをかけ直そうとした時だった。人影のゴーグルの奥の目が、千鶴には赤く光ったように見えた。
その瞬間、その人影は真っ赤に揺らめく炎へと変わっていた。
「千鶴、今のうちに撃つよ」
手からハンドガンが落ちた。心臓は異常な速さで拍動し、呼吸さえも乱れてまるで肺が震えているようだった。
声の断片をもらしながら、千鶴は固まった体を必死に動かして後ずさった。
「千鶴君、どうしたの……?」
「千鶴……? まさか――!」
二人に名を呼ばれても、千鶴の視線は窪地の上、敵が隠れている方向から動かせないでいた。
暗闇の森の中、千鶴にははっきりと見えていたのだ。
「あ……赤い鳥――!」
見開かれていた千鶴のエメラルドの瞳が、一瞬にして真っ赤に染まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます