憧れの看板娘②

 櫻林館学舎座学棟の一角にコーヒーショップがある。それがブルーバード・コーヒーであった。全国展開している有名なコーヒーショップで、コーヒー豆を咥えた青い鳥のマークが目印だ。いつでも美味しいコーヒーが飲めるので、学舎内ではかなりの人気スポットとなっている。


 ただし、学生の大半はコーヒーだけが目当てではない。


「莉々亜、お疲れ!」


 ブラウンが基調の落ち着いた店内に入ると、千鶴は片手を上げた。それに可憐な笑顔を返してくれたのは、黒い三角巾を頭に結んだ、小麦色の長い髪の少女であった。少女の黒いエプロンの胸元には青い鳥のマークがプリントされている。


「千鶴君もお疲れ様! 陽介君も講義が終わったところだったのに来てくれてありがとう!」


 莉々亜に促され、千鶴と陽介はいつものようにカウンター席に座った。


 春日部莉々亜かすかべ りりあはブルーバード・コーヒーでアルバイトをしている大学生である。大学生と言っても、飛び級制度を利用して入学しており、歳は千鶴や陽介と同じ十六であった。


 一年ほど前にここで働くようになったのだが、その可憐な容姿から瞬く間に男子学生の心を射止め、ブルーバードはこれまでにない盛況をみせるようになった。いわゆる看板娘である。


 誰にでも気さくに話しかける莉々亜は、千鶴にも偏見の眼差しを向けることなく、いつも屈託のない笑顔を見せてくれる。


 カウンター越しに見るぱっちりとした茶色の目、それを縁どる長いまつ毛。色白の頬はふんわりとピンクに染まって血色がよく、瑞々しい唇は仕事で手を動かしている今でさえ常に笑みを湛えている。


 それだけでも充分可愛いが、目が合えばもっと眩しい笑顔をくれるからたまらない。千鶴もそれを目当てにブルーバードへ通っている一人だった。


「どうしたの、千鶴君?」

「え? あ! い、いや、なんでも!」


 見とれていた千鶴は我に返ると、慌てて首を横に振った。莉々亜は不思議そうな顔をしたが、すぐに笑顔に戻って小首を傾げた。


「千鶴君はいつもの?」

「ああ、俺はいつもので」

「陽介君は?」

「えーっと、僕はアイスのキャラメルプリンマキアートにシナモンパウダーをトッピングで」


 いつものことだが、つっこみを入れたくなってしまう。


「相変わらず女の子な注文だな、陽介」

「僕は生粋の甘党なの」


 そんなやり取りに微笑しながら、莉々亜はすでにドリンク作りの手を動かし始めていた。


 作業に集中しているときは、可憐な表情の中に大人っぽさが少し顔を出す。その横顔を見ながら、千鶴は先日のことを思い出した。


「そういえば莉々亜、この前滑走路の辺りにいなかった?」

「滑走路? そんなところ、行ったことなけど……」

「そっか、そうだよな。……じゃあ莉々亜ってお姉さんいたっけ?」

「血の繋がった姉はいないけど、姉のように慕っている人ならいるわ。……どうしたの、急に?」


 不思議そうに小首を傾げる莉々亜に、千鶴は「いや、実はさ」と続けた。


「この前滑走路の方で莉々亜にそっくりな人を見かけたんだ。思わず声かけちゃいそうになったんだけど、白衣に眼鏡で雰囲気が全然違うなぁと思ってやめたんだ。もしかしたらお姉さんかもって思ってたんだけど、それも違うのか」

「私のそっくりさん? 面白いわね、会ってみたいわ! 顔が似てると気も合うかしら?」

「どうだろう。一瞬目が合ったんだけど、すごく冷たい感じだったし……」


 千鶴は苦笑しつつ言葉を濁した。


「そうなの? 私は見てないからわからないけど、気のせいじゃないかしら。知り合いでもない人に笑いかける方が不自然じゃない?」

「ああ、確かに」


 莉々亜の言う通りだ。こちらはあの女性が莉々亜と思い込んでいたから、見知らぬ人間に対する普通の仕草を冷たく感じてしまっただけのようだ。


「不審者対策として懸命な対応だと思うよ」

「誰が不審者だ!」


 しれっと酷いことを言ってくれる陽介にそう返して、その話は終わった。


 結局あの女性が誰かはわからなかったが、莉々亜に関係のない人物だとわかっただけでもいくらかモヤモヤは晴れたので、千鶴はそれでよしとすることにした。


「はい! 陽介君、お待たせ!」


 莉々亜の明るい声と共にカウンターに出されたのは、泡状のミルクの上にキャラメルソースとプリンフレーバーソースが交互にかけられたシナモンの香るドリンクだった。


「わあ、おいしそう!」

「おまけでプリンフレーバーを少し多めにしといたから。千鶴君も、はいどうぞ」


 莉々亜が千鶴の前に置いたのは、アイスコーヒーに皮をむいたレモンの輪切りが沈んでいるフレッシュレモンアイスコーヒーだった。柑橘系の爽やかな香りが効いたアイスコーヒーをブラックで飲むのが千鶴のお気に入りだ。


「おお! やっぱこれだよな!」


 千鶴が早速飲もうとストローに口を付けようとしたとき、ドリンクと共に置かれたコースターに何かが書かれているのに気が付いた。


 可愛らしい手書きの文字で『千鶴君へ アクロバットショーがんばってね☆ フェスティバル楽しみにしてるよ♪ りりあ』と書かれている。


「うわー! 莉々亜、ありがとう! すっげえ嬉しい!」


 莉々亜は両手を後ろに回して肩をすくめ、にこりと微笑んだ。


「どうしよう、どこに飾ろっかなぁ! 部屋もいいけど練習前に見られるロッカーもいいよな! でもあんまり長いこと眺められないし、やっぱり部屋の方がいいかな?」


 そんな千鶴に莉々亜はくすりと笑った。


「そんなに喜んでくれるなんて嬉しいな。アクロバットショー楽しみにしてるから、練習大変そうだけど頑張ってね」

「おう、任せろ!」


 千鶴がガッツポーズを見せると、「ところで」と莉々亜が身を乗り出した。

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